私は、お母様の能力を使って人の恋路を邪魔する悪役令嬢のようです。けれども断罪回避を目指すので、ヒーローに近付くつもりは微塵もございませんよ?
それは、私が十歳になったばかりのころだった。
流行病で一週間寝込んだ私は、目が覚めた時、目の前にいる母に向かって、こう叫んだ。
「大変、お母様!!私、悪役令嬢のようです!!」
──私は、とある伯爵家に生まれた、人より秀でたその美貌以外は、平々凡々な令嬢だった。
ただし、私の両親は平凡ではない。
若くしてその素晴らしい指揮と剣とで隣国からの侵略を食い止め、そのまま和平に導いた私の父ブラッドは、この国の英雄だ。
元々爵位すらなかった筈なのに、気付けば功績を重ねて何故か伯爵位まで手にしたという有り得ない経歴の持ち主である。
また、公爵令嬢であり、昔からその妖精のような可愛らしさで社交界の華であり続ける母、アルリカ。
かなりおっとりした性格であるのだが、母は呪詛という能力をこの国で唯一使える人間である。
けれどもこの事実は、私と母しか知らない。
そんな、この国の者であれば誰もが注目する美男美女の両親であるが、二人がお互いに一目惚れをし、結ばれた末に生まれたのが兄と私である。
父親の有り得ない経歴と、この国の要人はやたら美形が多いことに納得したのは、私が流行病に倒れた後。
何故ならこの国は、いやこの世界は、小説の中の世界だからである。
***
「……え?今何て言ったの?リリールー?」
ポカンと口を開けた幼馴染のジエムに、私はやや緊張しながら、言葉を並べた。
「……ですから、私、極力、王子殿下を避け続けたいと思いますの」
「この前まで、最高、カッコいい、絶対お嫁さんになるって言ってなかったっけ……?」
目隠れ系男子であるこの幼馴染は、侯爵家の一人息子であるにも関わらず、身分差を気にせずに気楽に話せる友人である。
騎士団を率いる私の父の側近が彼の父親なのだが、そんな貴族社会で首を傾げたくなるような現象が起きているのも、小説の中ならではなのだろう。……とはいえ、私も元の世界の貴族においての史実や現実がどうとかは全くわからないのだけど。
同じような年頃の、貴族の子供達の集まりで、私とジエムは出会った。
醜い火傷痕があるからといってひたすら俯いていた彼の髪を鷲掴んで、無理矢理顔を顕わにさせようとしていた公爵家の令息に対してお灸を据えた時以来、非常に仲良くさせて貰っている。
因みに立場が上の公爵家の令息には、正確には私は何もしていない。その場で大きな声で泣き叫んで母を召喚し、怖い怖いと言って泣きついただけだ。
我が家では、出先で母を召喚すれば、当然同時に父も召喚される。
国の英雄が動けば野次馬達も移動する。
結果、何事か理由を聞かれた子供達が口々に公爵家の令息の行いを咎め、その令息は本人の父親から叱られて終わっただけだが、以来ジエムがからかわれることはなくなったのだから、良しとしよう。
さて、そんな感じでいくら気楽に話せる友人とはいえ、この世界が小説の中であるという話を馬鹿正直にしたところで、信じてくれる訳がない。
だから私は、小説で読んだとは言わずに、夢を見たと言って語った。
「このまま王子殿下のお嫁さんという夢に向かってしまいますと、良くない未来が待ち構えている……という、夢を見ましたの」
「良くない未来?例えば?」
「……王子殿下と、その恋人から恨まれる、とか?」
「でも、私しか王子殿下の相手に相応しい人間はいないって、つい最近言ってたよね?」
ジエムの言葉に、私は冷水を浴びたような気持ちになって震えた。
「それですわ!」
「え?」
私は、誰にでも自慢出来るような両親の元に生まれ、自分も少しばかり可愛い部類だからといって、調子に乗っていたのだ。
偉いのは、凄いのは、私の両親であり私ではない。
私の身分も、たまたま生まれた先が貴族だっただけで、父のように自分の力でもぎ取った訳ではない。
なのに、チヤホヤされて育った私は、いつからか自分が特別な人間なのだと思い込んでいた。
王子殿下を支えることが出来るのも、特別な人間である自分しかいないのだと。
「私の見た夢では、将来私は王子殿下が想いを寄せる女性を恋敵とみなして苛め、母の……母を利用してその女性を極限まで追い詰めるのです!」
ぐい、と私がジエムの方へと身を乗り出して話しだせば、彼はウンウンと相槌を打ちながら聞いてくれた。
今までの私は、その優しさを当たり前に享受していたけれども、この年頃の子供が自分の言葉を挟まずにずっと耳を傾けてくれるなんて、なかなか出来ることではない、と今ならわかる。
「そして私は王子殿下の怒りを買い、私だけではなく……家族全員が断罪されるのです!」
「それは確かに、随分と……怖い夢だったね」
本当は、まず初めに私が断罪されて、その女性に呪詛を掛けた罪で母も処刑され、その後、国王からわざと遠い地に遠征に行かされていた、母を溺愛する父が怒り狂ってラスボスの如く国を半壊させ、国王を討ち取ると共に力尽きるのであるが、そこは割愛する。
最終的に、私と母を処刑した現国王は父が倒すものの、我が家は兄も含めて全員が死に追いやられ、半壊させられたこの国を王子殿下カップルが手を取り合い、明るい未来を信じて復興を目指す……というのが小説のラストである。
病室でその小説を読んでいた当時は、それこそヒロインに肩入れしてラストに涙した。
邪魔者の撤退に喜び、頑張ってとヒロインにエールを送ったものだ。
それが、立場が変わればこの小説に対する思いも百八十度変わる。
自分の愚かな行いのせいで、愛する家族が破滅するのだ。
とんでもないことだ。
「このまま悪役令嬢になるなんて、ごめんです。なので、断罪は回避したいと思いまして。他のルートを目指すのです!」
「他のルート?」
ジエムは、不思議そうに首を傾げた。
「実は、私が見た夢はこれだけではないのです」
……そう、私は知っている。
私が病室でその小説を読んだ時は、世間は悪役令嬢ブームで……つまり悪役令嬢は大人気だったのだ。
だから、様々な感想が寄せられる中、中には「悪役令嬢が主人公の、ハッピーエンドが読みたかった」という感想もいくつか寄せられた。
そして作者様は、あまりの悪役令嬢人気に圧倒されたのか、SNSでこう呟いた。
「今度は悪役令嬢を主人公にした、IFルートの話も書いてみたいと思います」
と。
とはいえ、元々のヒロインを蔑ろにする訳にもいかない。だから、その小説では新しいヒーローを出現させる、と元々のストーリーが好きな読者にも配慮した内容になると宣言していた。
それは既にIFルートではないのではないか、むしろスピンオフなのではないかという疑問も残るが、ともあれ悪役令嬢が断罪を逃れた話という意味では作者様的にはIFルートなのだろう。
因みに、私は完全にヒロイン派で、悪役令嬢であったリリールーが好きにはなれなかったので、そちらの話は読んでいない。
そして今更それを後悔しても、もう遅い。
「他にも夢を見たの?」
「はい。そこでは断罪を免れた悪役令……私が、国王陛下の……その、どこかの貴族に預けられた隠し子と、最後は結ばれる、という話……いえ、夢でしたわ」
「……え?隠し子って、それ……」
ジエムは固まっていた。
私は慌てて両の掌を相手に向け、胸の前で振る。
「あ、あくまで夢ですわよ!夢!!」
別に、本気で国王陛下に隠し子がいると思っている訳ではないと、強く主張する。
こんなところで侮辱罪で裁かれたくはない。
「う、うん」
私の勢いに、ジエムもこくこくと頷く。
そう、もし作者様がIFルートも同じ世界線で語るのであれば、今この世界にその隠し子がいたとしても可笑しくはないのだ。
ただ、本当にいるのかどうかは私にはわからないし、仮に存在したとして、その隠し子に関しての情報は皆無である。
惜しむらくは、私が知っているのは作者様がSNSで呟いたことまで。つまり、今は貴族であることまでだ。
隠し子の細かい設定……容姿や家柄までは記載されておらず、その小説を読まなかった私は知る由もない。
「ともかく、私と家族が幸せになるには、王子殿下のことは諦めなければならないのです」
仮にIFルートには向かえなくても、ひたすらヒーローとヒロインから距離を取れば良い。
幸いにも、今の私はまだ十歳なのだ。
「そうなんだ。……リリールーは、それでも良いの?」
ジエムは遠慮がちにこちらを見上げてくる。……といっても、目は見えないのだけど。
「勿論です」
私はハッキリきっぱりと断言する。
「そう……あんなに好きだったのに、残念だったね」
紡がれたジエムの言葉に、私は首を傾げた。
「あんなに好き??」
「うん」
あんなに好きというのは、王子殿下のことだろうと当たりをつけて、私は笑った。
「私が好きだったのは、王家の血を引いた者しか出ないと言われる、珍しいあの瞳の色ですわ」
「え?」
今は少年だが、確かに王子殿下は既に大層見目麗しい男性に成長することは間違いない。
小説のヒーローであるのだから、それも当然と言えよう。
私の王子殿下の推しポイントは、特にこの国では王家の者しか授からないと言われる珍しい青紫色の瞳である。
本当は、同じ瞳を持つ人間を長い時間掛けて摘み取っていったという、血に濡れた王家の過去の積み重ねがこうした結果を生んだのだが、美しいともてはやされて育った私も瞳の色はヘーゼルカラーで極々一般的な色だった為、それはもう羨ましくて仕方なかった。
単なる伯爵令嬢が、アイドルさながらにキャーキャー言う相手として申し分ない相手だ。
王子という地位や珍しい瞳の色への憧れと、両親に引け目を感じない位の相手と結ばれたいという気持ちが、容姿以外は平凡な悪役令嬢の執着を生んだのだろうと思う。
「ですから、単なる憧れには早々とケジメをつけて、家族の為にも距離を取るつもりですの!!」
「うん、なら出来る限り僕も協力するよ」
私の幼馴染は、ふんわり笑って言った。
物腰は柔らかいのに、彼は昔から頼りになる。
私が彼を助けたのは初対面の時だけで、それ以来私ばかりがいつも彼から助けられていた。
何か困ったことがあると直ぐ、私は彼に泣きついたものだ。
でもまさか、私が王子殿下&ヒロインとの遭遇を避ける為に選んだ遠方のアカデミーまで、付いて来てくれるとは思ってもみなかった。
***
「お母様、私は首都の第一アカデミーではなく、お祖父様達の住まわれている都市にある第二アカデミーに通いたいのですがっ!!」
断罪を逃れる悪役令嬢がよくする手は、アカデミー内での接触を避けるということだ。
しかし私は、もっと物理的に離れられる方法を選んだ。
即ち、同じアカデミーには通わないという選択だ。
母は、私が「怖い夢を見た」ことを知っている。
「ええ、リリールーがそう望むなら、そうしましょう」
母は少し寂しそうに微笑んだが、私の希望は全面的に叶えてくれた。そして父は、無表情で頷いた。
「アルリカが良いというなら、私が承認しない理由はない」
父を攻略したければ、母を落とすに限る。
私達兄妹における、常識だ。
斯くして私は、安心安全なアカデミー生活を幼馴染と共に満喫することになった……のだが。
「リリールー様も、もうご覧になりましたか?」
「綺麗な青紫色の瞳ですこと」
アカデミーに入学した初日、貴族から注目を浴びたのは一人の男爵家の令息だった。
何と彼は、王家と同じ青紫色の瞳をしていたのである。
男女問わず、勇気ある学生が彼に果敢にも話し掛けていた。
「ねぇ、あなたのその目の色……変わってるよね」
暗に、王族と何か関係あるのかと問い掛けるが、本人は何も語らず意味深に笑うだけ。
ただ、笑っただけで周りの女性はきゃああ、とまるで彼をアイドルであるかのように扱った。
流行病で倒れる前の自分を見ているようで、私はいたたまれない。
「……ジエム、どう思う?」
「ん?何が?」
第二アカデミーに通う中では一番家門の位が高いジエムが、貴族オーラを全く出さずに首を傾げた。
「ほら、あの人よ」
「うん」
「あの人が、隠し子なのかしら?」
私はジエムの耳にぽそぽそと耳打ちしながら、自分も首を傾げた。
何故なら、隠し子と恋に落ちる筈であろう悪役令嬢である私が、全くときめかないからである。
「リリールーはどう思うの?」
「うーん……」
容姿は悪くない。けれども正直、確かに青紫に見えなくもないが、王子殿下の瞳に比べると、何かが違う気がした。
全体的に薄いし、青味が強い。
「……よくわからないのだけど、何か、違う気が致しますわ」
「……そうなの?」
「ええ」
隠し子かどうかはまだわからないが、もし作者様が彼と私をくっつけるつもりなのであれば、人選ミスだったかもしれないと私は思った。
そしてそんな私には、その隠し子候補よりもずっと気になる人がいた。
「それより、そんなに鍛えてジエムは一体何がしたいんですの?」
「父や……ブラッド様、みたいになりたいなと思って」
「まぁ、騎士団に?」
「うん」
ひょろりとしていた本ばかり読んでいたジエムは、気付けばアカデミー一の剣の使い手になっていた。
ずっと昔から一緒に育った幼馴染だと言うのに、日々逞しくなる肉体にときめき、私にだけ普通に話すという特別感もあって、何故か彼が気になって仕方ない。
アカデミーに入って知ったが、ジエムは普段寡黙な人だった。自分がファザコンの自覚はないが、母にだけやたら甘い父と、私にだけ素を見せるジエムが重なり、どうしても意識してしまう。
彼の隠された目を見ることはないというのに、私を見る視線は優しさや慈しみに溢れている気がして、胸を締め付けた。
「ブラッド様みたいに強くなりたい。リリールーを守る為にもね」
私が昔から「怖い夢」に恐怖していることを知っている幼馴染は、そんなことをサラッと言ってしまう。
「……ありがとう、ジエム」
私は恥ずかしくて、ぷいと横を向き、顔が赤くなるのを気付かれないように、両手で押さえた。
***
「リリールー、結婚を前提に、私の恋人になって欲しい」
アカデミー卒業まで残すところ一年というところでジエムにそう言われた私は、歓喜に震え、涙を流しながらその求愛を受けた。
隠し子と噂された男爵家令息との接点はアカデミー在学中何もなく、「僕」ではなく「私」と呼ぶようになったジエムに対する想いだけが、私の中で急速に膨れ上がっていく。
遺跡探索の授業でも迷子になり掛けた私を見つけてくれたのはジエムだし、街で柄の悪い人に絡まれた時に助けてくれたのもジエムだった。
元々性格が良いのは十分知っているし、恋に落ちないなんて、無理だった。
そしてアカデミー卒業間際に、私達は婚約を結んだ。
ここでも私は嬉し泣きをした。
ヒーローに全く近付かなかったおかげで、そしてジエムと婚約したこともあって、ほぼ断罪も没落も免れたと思ったからだ。
あの日見た夢に……前世に縛られた私は、漸く先を見据えることが出来るようになった。
私に必要なのは、ヒーローなんかじゃなくて、実際目の前にいる、そして私を大切にしてくれる幼馴染なのだと心から感じた。
「ジエム、大好き」
「……うん、私も君を愛しているよ」
私がぎゅ、と抱きつけば、ジエムは宝物を扱うかのように、優しい抱擁を返してくれる。
いよいよ私達の結婚は明日に迫っていた。
アカデミー在学中に知り合った友人も何人か招いていて、彼女達の話をしていた時にフと私は思い出した。
「あ、そう言えば。あの男爵令息は、隠し子ではなかったようですわ」
「ん?」
「王族の瞳に憧れていた男爵家の歴代当主が、偶然あの色彩を纏った瞳の、難を逃れた平民を何人も囲っていたそうなの」
「そうなんだ。……本当に、貴族令嬢達の噂話と情報網には恐れ入るよ」
「あら、ジエムは私が彼を好きになるかも、とは思わなかったの?」
私はふふ、と笑ってジエムの顔を覗き込む。
私にとって今更、隠し子なんてどうでも良いのだが、ジエムに少しばかり嫉妬させられないかなと思って意地悪をする。
こういうところが、やはり悪役令嬢なのかもしれない。
「うーん……私は昔からリリールー一筋で、君が一番大切だったから……君が幸せなら、何でも良かったよ」
「……そういうことを聞いているのではありませんわ」
私は、大きな愛を感じながらもほっぺを膨らませた。
「だって、瞳の色や、王族の血を引いているって理由で好きになられても、私は不安になっただろうから。私は、リリールーに思い込みじゃなくて……正しく私が、自分だけの相手だとわかって貰いたかったんだ」
勿論だと、私は大きく頷いた。
ジエムは、私が選んだ、私だけのヒーローなのだ。
そしてまちに待った、結婚式。
火傷痕を隠すために、今までずっと長い前髪で覆われていた顔をジエムが顕わにすると、ざわっと来賓席がどよめいた。
私も、開いた口が塞がらなかった。
花嫁がこんな間抜け面を曝すなんて、一生の不覚である。
──王子殿下顔負けのイケメンがそこにいたから、だけではない。
「……騙したわね?」
「ごめんね、リリールー」
ヒーローに近付くつもりは微塵もなかったのに。
ジエムの顔には火傷痕などは一切なかった。
そして、その鮮やかな青紫色の瞳が、こちらを真っ直ぐに見詰めているのだった。
いつもブクマ、ご評価、大変励みになっております。
また、誤字脱字も助かっております。
数ある作品の中から発掘&お読み頂き、ありがとうございました。