天津飯三人前
「天津飯三人前、固めでよく冷ましてお酢かけて。指ぬき通り二丁目のジェニーまで」
知らない声だな。新顔か。「秘密の言葉」を知っているとはいえ警戒するに越したことはない。それに、ちゃんとした依頼だとしても三人なんて人の労力を何だと思っているんだろう。いい気分はしないが、10分ほどお待ちくださいと伝えて受話器を置く。「おいおいマーヤ、こんなクソ忙しい時間帯に嘘だろ」と言いたげな店長の視線を振り払うようにエプロンを脱ぎ捨てて、店の裏に停めていたバイクに跨る。
通りは狭く、人とまともにすれ違うこともできない。その上ただでさえ日当たりが悪いのに、上の方で干されている洗濯物の影のせいで夜と変わらない見えづらさだ。ついつい目付きが悪くなる。
今が昼時だとわかる判断材料があるとすれば、後にした店から漂ってくるスープの匂いだ。何もこんな時間に依頼しなくても。一応表の顔も大事にしてるんだから、早く終わらせて戻ろう。
いよいよ指定の場所に着くという時、わずかに視界の端に光を捉え急旋回する。すると左右から弾丸が同時に飛んできて、交換するように互いの身体を貫き男達がその場に崩れ落ちた。今日のターゲットはアホなのだろうか。勝手に自滅したのであと一人片付けるだけだ。ボロい仕事だ。
その時、近くの集合住宅のドアがゆっくりと開いた。ゴムボールみたいにまるまる太った色白の女が頭を出し、不安そうにきょろきょろ辺りを見回している。あれもターゲットなのか?その割に、所作も表情もあまりに鈍くさそうだ。その時、向かいの通りから熊のような大男が躍り出て彼女に掴みかかろうと近寄った。あっ、こいつの方か。私の放った弾丸は大男の頭を撃ち抜き、太った女は目を見開いて後ずさった。
とりあえずターゲットは始末したけど目撃者も片付けないとな、そう思って彼女を見ていると不意に目が合う。彼女は私の姿とバイクを見て、あろうことか話しかけてきた。
「あなた出前の人よね? 待ってたのよ、天津飯」
10分後。
「あぁ~!やっぱりちょっと固くて冷めてる卵が最高なのよね~!」
どうやら彼女、ジェニーは私が大男を撃った瞬間は見ていないらしく、「配達用の器具が故障中なので店まで送迎サービスです」という苦しい言い訳を疑うこともなく、ノコノコ店に来て三人前の天津飯を一人でバクバク食べている。秘密の言葉とまったく同じ内容を偶然注文するなんて、そんなばかな。
「はふはふ、うちの近く治安悪いでしょ?よくマフィアだかギャングだかが撃ち合ってるし強盗だって出るのよ。んぐんぐ、さっき死んだやつもきっと抗争に巻き込まれたのね、よくあることだけど家の外に出るの怖いから出前頼んだら店に連れてきてもらえるなんてラッキー、むしゃむしゃ」
食べながらしゃべるな。あと「ダイエットにはお酢が良いのよ~」ってドバドバかけてるけど、その前に食事量と運動量を見直した方が良い。
その時突如、男二人組が店に押し入ってきた。ただならぬ雰囲気に店内に緊張感が走る。背が高いやつと横にでかいやつだ。今日はよくでかいやつを見る。全員兄弟と言われても驚かない。
「命が惜しけりゃ金出しな!」
ベタな台詞だ。要求がわかりやすいのは良いことだ。背が高いやつが、入口近くにいる痩せた男性一般客に銃を突きつけて横にでかいやつが睨みをきかせて近付いてくる。やり口が派手なのでただのよくいる野良強盗だ。さっさと片付けるに限る。
「しばらくお待ちください」
一礼すると同時に手に持っていた盆を横の壁に向かって投げる。色褪せてほとんど字が読めない壁掛けメニューの紙が衝撃で揺れる。そのまま盆は反射し、回転したまま綺麗に背が高いやつの脇腹に入る。銃を取り落とした彼をすかさず店長が締め上げるまで実に5秒。
横にでかいやつは背後に一瞬気を取られるが、私が銃を取り出す動作に咄嗟に反応し腕をぶん回す。私は余裕で見切れるけど、ウォーターサーバー前に積まれたガラスコップにはそれができなかった。雪崩れるように床に落ち、すごい音とともに破片があちこちに散らばる。
例えばそれはベタベタした床の上。背もたれの固い椅子の座席。そして。
「ああーーっ!私の天津飯にガラスが――!!!」
ジェニーでも流石にガラスは食べられないらしい。というか今この瞬間まで食べてたのか、すごい胆力だな……と思っていると気が逸れてしまったらしい、横にでかいやつが私の腕を掴んで捻り上げた。
「このクソアマがあ!」
しまった、これでは銃が撃てない。蹴るか、と足に力を込めた瞬間、私を吊り上げていたはずの力がふっと消えて躓いてしまう。わたた、と受け身をとりつつカウンターに背を預けながら見た光景は、肉と肉のぶつかり合いだった。
「食べ物を粗末にするんじゃありません!」
「うごあああああ!?」
いや、一方的な蹂躙と言っていいだろう。ジェニーが横にでかいやつ(ジェニーも同じくらいの幅だが)に的確にボディブローを決め、ベタベタの床で足を滑らせた彼に華麗なアッパーを食らわせてあっけなく決着がついた。
そのまま強盗達の身ぐるみを剥ぎ、「専門の業者」をすぐ呼んで身柄を引き渡すまでの20分程の間、ジェニーは追加注文をしてまだ食べていた。「動いたらお腹空くわね~」とのことだ。
呑気に食事をしている彼女について、私はあることを確信していた。あの身のこなし、凶暴な攻撃力、何より最初から「秘密の言葉」を知っていたこと。他の客はさっきの騒動の後に逃げ出したから好都合だ。正面に座って話しかける。
「ジェニー。あんた、うちの『組織』の人間だね。水臭いじゃん」
「水臭い? ううん、この水餃子とっても美味しいわよ!」
「前のやつは死んだの? あんたの実力を疑ってるわけじゃないけどこの街は一筋縄じゃいかないからね」
「うんうん、接客って大変よね。でもお姉さんサービスいいじゃない、繁盛するのも頷けるわ」
「マーヤ。私の名前聞いてないの?まあいいや、これから何度も世話になるよ」
「ええ、この味はリピート確定ね!よろしくマーヤ!あっマンゴープリン5人前お願い」
「わかったよ」
マンゴープリンと来た。なかなかえげつない依頼しやがる、この女。なんか話が嚙み合っていない気がするけど気のせいだろう。流石にこんなに肝の据わったやつが、ただ食べ物大好きなだけの呑気なダイエット失敗続き食いしん坊ほがらか一般人であるはずがない、絶対そうだ。こいつには底知れぬ迫力のようなものを感じる。店の照明が暗いからとかそういう理由では断じてないはずだ。こいつが味方で命拾いした、そんな感覚がある。むしろ味方であっても怒らせないように細心の注意を払うべきだ。
だけどさっきも言ったように、暴力と殺人が溢れるこの街で生き残るには一筋縄じゃいかない。いつ死ぬかも裏切られるかもわからない相手と、がっちりと握手を交わした。
正直私は、強者と対面したことで胸が高鳴っていた。確かなものなんて何もないけど、ジェニーの実力を認めるこの心には間違いがないから。
「ねえマーヤ、マンゴープリンまだかしら。観たいテレビあるからあと10分で食べたいんだけど」
「あと10分で!?」
たぶん間違いはないと思う、たぶんだけど、たぶんおそらく、たぶん。