八
披露宴会場のホテルからかなり歩いたところに、また別の大型商業施設があった。
二次会の会場はその大型商業施設の中にあるカフェで行われるようであった。
静岡の町にもお洒落なお店がいっぱいあるが、その中でも智沙が知る限り、ここは一番都会的な匂いがした。
それだけにどこか気後れしてしまう。
ガラス張りのモダンな造りのカフェに、披露宴から引き揚げてきた人々が集まりだしたのが、だいたい夕方の四時頃であったと思う。
司会者から主役の新郎・新婦は準備に時間がかかり、遅れているというアナウンスがあった。
二次会は立食パーティーのような形式であった。
新郎・新婦の到着を待たずに「ウェルカムドリンク」なるものが配られると、なし崩し的に仲の良い人たち同士のグループが自然に集まりだし、各所でほぼ勝手に二次会は始まろうとしていた。
あたしは困った。
見知らぬ人だらけの二次会会場ではとにかく所在がない。
なんとなくミーコたち短大時代の友人たちのグループに必死についていこうとするが、おしゃべりがそれほど得意ではない上に、おとなしいあたしには、彼女らと一緒にいても特に話す話題がなかった。
しかたなく、誰と話すこともなく一人で「ウェルカムドリンク」を飲みながら、これから流れるであろう、膨大な時間をどう始末するかについて考えるしかなくなった。
やがて、どうにかこうにか新郎・新婦らが到着し、司会者が改めて二次会の開始を宣言しようとした時だった。
突如、会場内に激しい音楽が流れ、驚いた一同は話をやめた。
それと同時に、会場内にいたカフェの従業員たちが、突然狂人のように音楽に合わせて踊り始めた。
彼らの突然の激しいダンスにみな周囲は大盛り上がりであった。
やがて、友人たちがそのダンスに加わり、素人くさいダンスをしながら、踊り狂い、最終的に全員で「おめでとー!」と叫ぶ。
新郎・新婦にとってこれはサプライズであったらしく、二人は目に涙を浮かべ、彼らと抱き合い、スマートフォンのシャッター音が各所で鳴り響く。
「ちょー(超)かんどー(感動)」
「すっごい!」
「いいねぇ!」
みんな口々に妙に語彙の少ない言葉だけで感想を言い合った。
このような演出が「フラッシュモブ」と呼ばれることをあたしは後から知った。
はっきりいってあたしが一番嫌いなノリであった。
馬鹿騒ぎの合間を縫って、あたしはトイレに行く振りをして、いったん会場の外に出た。
「ウェルカムドリンク」として出された飲みなれない酒のせいか、それともあの「フラッシュモブ」のせいか、あたしは少し吐き気がしていた。
ガラス張りの店内を横目に見ながら、このまま帰りたい気持ちと、ここで帰ったらあとでうるさく言われるのが面倒だという気持ちが交錯した。
―だけど、会費は払ったわけだし…別にいいよね…というか、あたし一人がいなくたって別に誰も気づかないし、気にもしないよね?
あたしはそう思った。
ガラス越しにあたしをのけ者にしてパーティーを満喫している人々を呆然と見ながら、帰ろうか戻ろうか逡巡していた時だった。
ガラス戸を開けて、一人の男性が店から出てきた。
彼はあたしを見つけるなり、ちょっとうんざりした表情を見せながら、小さな溜息を吐いてから、苦笑いをしてみせた。
「いやぁ、皆さん、若いですね…私にはちょっとついていけないかな。このノリ…」
黒のカジュアル・ジャケットにセットアップではない白のスラックスの組み合わせという服装の細身の男性であった。
オックスフォードの生地の白いワイシャツで、ネクタイはしていなかったが、決して軽い感じはせず、むしろ上品なでスマートな感じである。
よく日に焼けた端正な顔立ちと低い声のその男は普段目にしている夫とはまったく違う人種のように見えた。
「お嬢さんはどうされました?」
たぶん相手は年上なことに間違いない。おそらく三十代くらいであろう。夫と同じくらいだ。
その夫ぐらいの年齢の人から「お嬢さん」と呼ばれたのだ。
―「お嬢さん」という呼び方はどうかな。あたしはもう結婚しているのに…
あまりにも聞きなれない呼称に直面して、あたしは思わず「ふっ」と笑ってしまった。
「なにか?」
噴き出したあたしを見つめて、男性は不思議そうにあたしの顔を覗き込んだ。
「いいえ。実はあたしもこういうのすごく苦手で……ちょっと我慢できなくなっちゃって、思わず出てきちゃいました……もう帰りたいんだけど、帰ったら、あとからみんなにいろいろ言われそうで、どーしよーかなぁって思ってて…」
あたしは不思議と彼と話すと、さきほどまでの吐き気が嘘のように消えた。
やはり飲みなれない酒だけではなくて、「フラッシュモブ」が原因だったのだ。
「なるほど。それじゃ、私と同じですね」
男性は身のこなしも、表情も、話し方もすべてが都会的に垢抜けていた。
おまけに声がいつもの夫のボソボソ声ではまったく違う。
大人びた低い重低音、いわゆる「イケボ」というやつだ。
あたしは少しドキッとした。
「あ、失礼。わたし、新郎の智樹の大学時代の友人で、藤堂省吾といいます。今は静岡でケー・エム・ジー・プロフィール・サービスという会社をやっています」
彼はそう言うと、名刺を差し出してきた。
あたしはそれをどうしていいのかわからず、彼の差し出したその名刺を受け取らずにそのままマジマジと見つめた。
そこには確かに「社長」の肩書が見えた。
「へー、社長さん?若いのに…」
あたしが差し出された名刺を見つめながらそう言うと、藤堂はフッと笑って名刺をひっこめた。
「失礼。ついつい普段の癖が出ましてね…こんなところで商談をするわけでもないのに、名刺を出されても、お嬢さんも困りますよね」
馬鹿なあたしはこの時、名刺は見るのではなく、受け取るものなのだと気づいて顔を赤くした。
だが、藤堂はそんなことは気にしていない様子で、
「ま、そんな感じです。小さな会社ですが社長をしておりますよ」
と先ほどのあたしの感想に対する答えを言う余裕を見せると、あたしのことを見つめた。
バッチリとセットした髪に日に焼けた顔でニッと微笑む。
なぜだろう。彼に見つめられた途端、あたしの心臓の鼓動が早くなっていった。
身体の奥から、何かあたしの知らないものが分泌されているような気がする。
お酒に酔っているわけでもない、「フラッシュモブ」で気分を害したわけでもない。
彼と接しているうちに、あたしのなかに、今までとは違う特殊な感情が湧き出していくことにあたしは気づいた。
「あなたは新婦さんのご友人で?」
あたしが黙っていると藤堂はまたニッと笑いながら聞いた。
「あ、あ、あたし……平泉智沙といいます……みらいの短大時代の友達で…今は神奈川の方に住んでます……」
あたしはつられて自己紹介をしてしまった。
「智沙さん?可愛い名前ですね」
「え?」
あたしは戸惑いながら言った。
「それと、その白いドレス、とってもお似合いですね。実は今日のパーティー中、私はずっとあなたのその清楚なドレス姿に目が釘付けでしたよ。花嫁よりずっとお綺麗でした」
「そ、そんな……」
あたしは驚いてしまった。
ずっとブスだ、ブスだと自分を認識していたけれども、他人からそう言われて嬉しくないはずがない。
それが例えお世辞だったとしても。
というより、披露宴の最中からこの男はあたしのことを見ていた、というのか。
あたしは混乱して二の句が継げなかった。
「おっと失礼。花嫁のみらいさんは、あなたのご親友でしたよね」
「い、いいえ……そんな風に言ってもらえること、普段ないので…ちょっとびっくりしちゃって……でもお世辞でも嬉しいわ……」
「お世辞だなんて…私は本当にそう思っているのですよ」
「ふふ」
あたしは笑った。
母以外の人と話して笑うなて、自分でもなんて久しぶりなのだろうと思った。
「あ、やっと笑ってくれましたね…今日のあなた、ずっとつまらなそうな顔をしていました。笑った顔、可愛いですよ」
「やだ…」
あたしははにかんで笑った。
そんなずっと見られていたなんて、知らなかった。
これがもし夫に言われたなら、心底気持ち悪いと思ったであろう。
しかし、都会的な藤堂にそう言われると、あたしも満更でもなかった。
「立ち話も難なので、よろしかったら、ご一緒にもっと静かで落ち着ける場所で二人で話をしませんか?」
藤堂は意外なことを言った。
「でも…みらいたちに悪いから…」
あたしは心にもないことを言って、一応に今日の主役である花嫁のことを気遣った。
「ここ?ああ、この馬鹿騒ぎですか」
藤堂はこの二次会を侮蔑を込めた言葉で形容すると、ガラスの向こう側のパーティーを一瞥した。
それが身の置きどころのないあたしの溜飲を大いに下げたのは言うまでもなかった。
「なぁに。いいですよ。帰ったって。僕も実はね、苦手なんです。こういう雰囲気。お酒は好きですけどね。もっと落ち着いたところで、大人の雰囲気で飲みたいんだ。こういう若い連中にはまだわからないかもしれないけどね。ああ、そうだ。こうしましょう。もし、あなたがご新婦やご友人から何か言われた時に備えて、私の方から智樹には言っておきますよ。私が無理を言って彼女を連れだしたのだとね。ねぇ、いいでしょう?」
藤堂に畳み込まれるように提案されたあたしは断る術を失っていた。
もっとも「フラッシュモブ」などをやってしまうような連中のパーティーに、これ以上いたくはないし、ここから逃げ出せるならまさに渡りに船だった。
それよりもこのイケメンと二人で話をした方がよっぽどいい。
きっとおしゃれなところに連れて行ってくれそう。
あたしは既婚者だけど?
いや、いいのだ。普段、夫のような気持ち悪い男を相手にしているのだ。
たまには、こんなイケメンと二人っきりで食事をするぐらいいいじゃない。
これは神様があたしにくれたご褒美。
やっぱり静岡に帰ってきてよかった。
静岡は実はいい街だ。
あたしはそう思うと満面の笑みで同意して見せた。