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早瀬立つ  作者: 秋島武雄
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「あれは…めんどくさい女でね。いや、親の友人からの紹介で断り切れなかった…最初は、単に大人しいだけなのかと思っていたら、これがまぁ情緒不安定(メンヘラ)でねぇ…」


あたしは夫にそう評された女だった。


以前、あたしがいないと思って、夫が誰かに電話口で喋っていたこの言葉たちの一字一句をあたしは鮮明に覚えている。


そして、夫はあたしがそれを聞いていたことをいまだに知らない。

だから、あたしも言わない。


このことで余計「めんどくさい」と思われるのが嫌だったから。


本当は夫があたしのことをそう思っているのであれば、あたしの側からだって夫に言いたいことなど山ほどあるのに。



この夫とはちょうど一年前に結婚した。


母の知人の紹介であった。

最初、紹介された相手が都内のなかなか裕福な家の長男だと聞いて、あたしは嬉しさや期待と同時に少し躊躇ちゅうちょした。

そんな家に嫁いでも、田舎者の自分など嫁としてつとまらないかもしれないと思った。

ただ、裕福であるのならば、一生食べるには困らないだろう。

今まで女手一つで苦労してあたしを育てた母を楽にさせてあげられる。

そして、子どもが生まれて、二人で幸せに暮らせば、それがすなわち母の幸せになる。

あたしはそう思っていた。


だが、それは夢幻ゆめまぼろしに過ぎなかった。


夫は大学院まで行った学問一筋の人であったが、なかなか定職にありつけず、今のあたしたちの居住地である神奈川県の綾瀬市に来て食品工場の派遣社員をやっていたが、半年ちょっとで退職。


次に人の紹介で栃木県の方で私立高校の講師を合わせて四年ほど務めていたが、そこでも正規の教諭になることができずに退任。


失意のうちに派遣社員とは言え、最初に職を持ち、最初に一人暮らしをしていたこの綾瀬の地に戻った。

実家に戻ればいいものを、彼がそうしなかったのは一種のプライドと無職という立場から、居心地の悪さを予想していたのであろう。


しかし、ここで彼にもようやく運気が向いて、偶然、厚木市にある私立の女子校に正規の教諭として正式に採用された。


そんなわけで毎日彼はここからオンボロの白い車に乗って厚木まで通っている。


彼がそこに勤めて四年目の春にあたしたちは結婚した。

その時、夫の年齢は三十一であった。


彼は毎朝早朝に出て、夜遅くに帰ってくる。

あたしは知らなかったが、この時、高校の先生というのはずいぶん忙しいのだな、と思った。


唯一の休みは日曜日であったが、時々見ている部活の大会だとか言って出ていくこともあった。


そんな彼を見ていると大変だな、と思うことはある。


あたしの方は働いていない。

どこかで働いたことすらない。


必然的に働くということがどういうことなのかよくわからない。


だけど、彼はこうして仕事に出ていかなければ月給は出ないのだから、毎日毎日出て行ってもらわなければならないことだけはわかっていた。


だから、毎日甲斐甲斐しく彼が起きる五時半より三十分早い早朝の五時に起きて、あたしは朝食と彼のための弁当を作る。


彼が起きてくると朝食を並べ、前日アイロンをかけておいたワイシャツを出し、弁当を包んでテーブルの上に置いておく。


夫は当たり前のようにアイロンのかかったワイシャツを着て、「ありがとう」の一言も言わず、弁当を鞄の中に突っ込み慌ただしく出ていく。


一度見送くると、彼は夜遅くまでこの家に帰ることはない。

その安堵(あんど)の思いは、あたしに急激な眠気を呼び寄せる。


あたしはそのままにした寝床にもう一度もぐって、足りない睡眠を取り戻す。

ここから昼までここで眠っていようが、ほぼ暇つぶしの惰性でやっているスマートフォンのゲームに一日中興じていようが、とにかく彼はここにはいない。


夫の影がチラつきはじめる夕方近くになってあたしは、ようやく重い腰をあげる。

慌てて朝や昼に食べ散らかしたものを片付け、軽く掃除をする。

乾燥機能付きのドラム型洗濯機は、三時間程度で洗濯から乾燥までをこなしてくれる。

夕飯の支度をする。お風呂を掃除する。

洗濯が終わると、夫のワイシャツにアイロンをかける。


だけど、これらの作業はすべて今一生懸命働いているであろう夫のためのものではなかった。

あたしは夫が帰る時間が近くなると、眩暈に似た気分の悪さに襲われる。

時に頭痛に襲われることもあった。


夕方から急に始める炊事も洗濯も掃除も、何かをすることで夫のことを忘れるためのものであった。


だけど、はたから見れば、あたしたちの日々の生活は特に険悪でもなかった。


喧嘩をしたり、言い争いをしたり、ということはほとんどなかった。

常にお互いはつとめて冷静だった。


ただ、同時に二人とも本当に冷淡だったと思う。


特にあたしは、自分でもよくわからないほどに彼を嫌悪する瞬間があった。


きっとそれは彼があたしのことを嫌っていることの裏返しであったように思う。


結婚して二日目くらいで、夫はあたしのことを馬鹿だとみなすようになった。


確かにあたしは世間知らずで、あまりいろいろなことを知らない。


このことに、夫は少しずついら立つようになっていった。

それはいつも日常のごく些細ささいなところから始まっていった。


例えばあたしが台布巾(だいふきん)が臭くなるのが嫌で、使い終わるたびに干すのことが彼は気に入らず、いつも使いたい時に干して乾いてあるものだから、ブツブツ言いながら、それを物干しからひったくり、台所で濡らす。


食器洗いが終わると、台所のシンクがびしょびしょに濡れているとわざとらしく、いやに丁寧に拭く。


それだけじゃない。


風呂場やトイレ、洗面所の使い方、料理をする時の順序、掃除機をかける手順…

夫はことあるごとに、あたしのやり方を、小ばかにしたような微笑みを浮かべながら否定する。


何か言おうならば、すぐに夫は「うちではそういうやり方はしない」、「自分の母親ならこうやっていた」と言う。


だから、だんだんとあたしは夫に反論しなかくなった。

夫の言うことが正しいとされるなら、それも仕方がない。

なにより、あたしが馬鹿なのは本当だから。

本当は嫌だけど、夫に言われたら全部その通りにした。


―こんなに嫌で嫌で仕方がないのに、どうして好きでもないこんな男と結婚したんだろう…


こうなるのは仕方がなかった。


静岡県の富士宮。そこがあたしの生まれた地だった。

生まれてから高校を卒業するまでの間をその地で過ごした。


あたしは、ごく平凡なサラリーマンの一家の一人娘だった。

父はその富士宮に本社を構える製紙メーカーの社員で、父はその会社の幹部社員であった。


母も山梨県の南部、富士宮の北方にある富沢町(とみざわちょう)という田舎の元の大地主の家柄だった。

母の実家は特別裕福なというわけでもないが、普通の農家だったから、あたしは昔は生活に困窮する、ということを経験したことがなかった。


地元の小学校、中学校と公立の学校に通い、高校だけは富士宮の私立の女子校を出た。


だが、あたしはそんなに勉強ができなかった。


高校を出た後、静岡市にある名も知れない私立の短期大学に通った。

ここであたしは特に何かやりたいことがあったわけではない。


―何が得意なの?何に興味あるの?


担任にそう聞かれて、あたしはテキトーに「なんか文系かな……?」と答えた。


そうしたら勧められるがままに、その短大の経営学科に推薦試験を受けることになったのだ。


そして気がついたら、その短大に入っていた。


あたしの短大時代はほぼ何もしていない。

毎日毎日ぼんやりと同じことを繰り返していたら、いつの間にか2年間は終わっていた。


そして、あたしがその短大を卒業すると同時に両親は離婚した。


原因は父の不倫だった。


あたしは両親の仲は決して良くないことは知っていた。


だけれども、真面目で、そして極めて平凡な人であった父が不倫をするような人であったことなど考えもしなかったし、両親の関係が離婚をするほどだとは思っていなかった。


だから、このことはあたしの人生の中で結構な衝撃であった。


それと同時にあたしの中に、男の人とか結婚とかいうものに対する期待が一気に打ち砕かれた。

いや、もともとあたしは男性に対する気持ちが薄かった。


今から考えれば、ちゃんと整理できていなかったにしろ、子どもながらに見て、理解してきたあたしの両親の姿から、自然と恋愛や結婚に対して希望を持たないようになっていたのかもしれない。


あたしは母に連れられて、母の故郷の山梨県南部町(旧富沢町)に引っ越した。


父も静岡の方へ越してしまい、思い出深い、富士宮の家には、誰もいなくなって、売りに出された。

この家の売却で得たお金が、すべて母への慰謝料となった。


それから数か月後に、今の夫との結婚の話がきた。

あたしはまさか母から男を紹介されるとは思っていなかったから、本当に驚いた。

両親が離婚した直後だったし、あたしはもうずっと結婚せずに母とここ(南部町)で暮らすんだ、と思っていた。


母が老いても、あたしが老いても、ずっと二人は一緒だ、と思っていた。

私はそう考えていたのに、母が私をお嫁に出そうとする意図がわからなかった。


いままで滅多(めった)に母に反抗したことがない私は語気を強めて、母に抗議した。

だが、母は私の抗議をすんなりと聞き入れると、「ごめんね、智沙ちゃん」とがっくり肩を落としながら言った。


聞くに母は母なりに私の行く末を案じていたのだ。

というのも、まったく生活力のない(と思われていた。実際そうなのだけれども)あたしがずっと独り身でいることが母には心配であった。


結婚して養ってくれる夫が欲しいが、あたしはそういうことに積極的ではないから、きっとあっという間に年をとってしまうだろう。

いい人を見つけるには、あたしがある程度若くて可愛いうちでなければならない。

だから、知り合いのつてを得て、なんとか良さそうな人を見つけた…


母がポツリポツリと言ったのは、概ねそのようなことであった。


「お母さんはお父さんに裏切られて一人になっちゃったけど……智沙ちゃんにはそんな思いをしてほしくないと思って……お母さん、一生懸命探したんだけど…」


母はそう言うと肩を落とした。

あたしは何にも言えなくなってしまった。


しかし、あたしには母がこのまま親子二人でただ年をとってしまうのが怖いのだろう。

そう感じ取っていた。


それは老後の世話といった現実的な問題もあるが、得ることのできなかった幸せを失ったまま、余生を送るのは確かに辛い。


自分は結婚に失敗したとしても子が結婚し、孫でも生まれれば、また生きる意味も見いだせる。


母があたしの結婚を急いで、多少強引な手段であたしとどこの誰かもわからない男を引き合わせたのには、きっとそんな理由があるに違いない。

あたしはそう思っていた。


あたしの怒りを見て、オロオロと動揺しながらも、今度はこの縁談を取りやめるために奔走する母を見るのが悲しかった。


そうしているうちに、あたしの中に「もうどうでもいいや」という諦めが芽生えた。


母を落ち込ませたくない。そう思う一心であたしは夫と会うことにした。


そして、結局、母のためだけに、母の言うとおりにし、相手が裕福であろうということだけで自分を納得させ、あたしは結局は彼のもとに嫁いだ。


あたしが母のために本意ではない結婚をした。

そのことはとても母には言えなかった。


あるはずだった自分の幻の幸せな結婚生活を自分の娘に追体験させるために、知らぬ間に縁談を見つけてきた母。

そんな母を悲しませたくなかった。

あたしが彼と結婚した理由は、本当にそれだけであった。

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