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殻つなぎの樹 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 つぶらやは、自分の家の近所をすべて知り尽くしている自信はあるか?

 俺は全然ない。もうここへ住まうようになって数十年になるが、裏手の坂の上だって怪しいな。

 他には……そう。ここから林が見えるよな? 道路をはさんで向こう側の、あそこだ。直線距離にして200メートルもないだろう。あそこの根元に、ここら辺のアパートに住む人たちが使う、ゴミ捨て場がある。

 だがあの分け入った林の中に、俺が入ったことは一度もない。おそらく茂っているのは竹だろうな。まるで昔話に出てくる山のようなかっこうだと思わないか?


 子供のころは、あの手の景色にあこがれを持って、木の枝片手に探検に行ったりしたもんさ。大人になった人でも、フィールドワークにかこつけて、同じことをしている人もいるんじゃないかな?

 俺も当初はそれをもくろんでいたんだがな……やっぱ第一印象って大事だわ。

 その初めての探検で、少し厄介な目に遭って、そのことを今になってもずっと引きずっているんだわ。


 ――そのときのことを聞きたいのか?


 ま、お前ならいいだろ。うまいことネタにでも使ってくれや。



 俺が小さいころ、ご多分に漏れず虫取りが男子の中で、流行りの趣味だったことがある。

 我が家の父親は、かつては虫取り少年だったと豪語して、俺に虫取りのコツや道具を授けてくれたんだが……いくつかされた注意のうち、「殻つなぎの樹」というものを聞いた。


 殻つなぎの樹。

 それは夏になると現れるもので、セミたちが抜け殻を多く残す木を指すらしい。

 寄せ餌に集まるかのように、一ヵ所に集うセミの抜け殻たち。それは少しでも間を縫おうとする必死さを思わせる窮屈さで、見ればそうだとすぐに気づけるという。

 もしその樹を見つけたなら、半径数十メートルに渡って、距離を取った方がいい。もし山や林の中で発見するようなことがあれば、そこから出るようにするべきだ、ともな。

 だが抜け殻探しは、子供たちにとってのロマンのひとつ。

 俺は大量の抜け殻が集まる、という部分にのみフォーカスして、父親が話してくれた他の注意点に関しては、このとき右から左へ流しっぱなしだったな。


 そしてある夏。恒例の抜け殻集めの競争が始まり、男たちは学区の各所へ散った。

 二日間、たっぷりと時間をとって抜け殻を探し、一番持ち寄った奴が他の全員から駄菓子をおごられる、という取り決めをしていたよ。

 人気のスポットは、真っ先におさえられてしまって競争率が高い。ならばと、俺は実家の裏手にある公園へ向かった。

 公園の一方は柵がほとんど壊れていて、ほぼ地続きで山の中へ続いていく。

 俺の実家は、もともと長い坂を登った、高いところにある。慣れていない奴だと、辛い思いをして、ここまでくる奴はそうそういない。

 そう考える俺は、なお万全を期すために公園の敷地を抜け、山の奥を目指していく。

 表層の部分は、たいてい他の誰かの手が入っているもの。ならば、その奥こそが宝の宝庫としてふさわしいはず。

 何度か入った場所ということもあり、迷いなく歩を進める俺だったが、いくらか歩いているうちに、妙な臭いが鼻につく。



 ガソリンの臭い。

 スタンドで何度か嗅いだことのある臭いが、山の奥からここまで、かすかに流れてくるんだ。

 もう少し歳を重ねていれば、犯罪とかこの世とおさらばしたがっている者の存在とか、思いつきそうなものだった。けれど、このときの俺はそのような想像には至らず、この臭いの出どころがどこか、そればかりに神経を注いでいた。

 犬のように億面なく鼻を鳴らし、少しでも臭いの濃くなる方へフラフラと進んでいってしまったのさ。



 たどり着いたのは、一本の樹。周りとは一回り大きな幹を持つ一本だった。

 さすがに、何度か来たことがあっても、木の一本一本まで丁寧に覚えているわけじゃない。これが何の木かは分からなかったけれど、その表面にあるものを見て、俺は目を見張ったよ。

 セミの抜け殻だ。やや黄土色がかっていた木の幹は驚くことに、その大半がかつてのセミたちの身体を覆っていたもので、色付けされたものだったんだ。

 少なくとも100匹分はくだらないだろう。うきうき気分の俺は、そいつらを片っ端から虫かごへ入れていこうとした。

 ただ、少し違和感がある。他の場所では、上から軽くなでるように刺激すれば、ぽろぽろと幹からこぼれていった抜け殻たち。それがここでは、ひとつひとつが幹へしっかり足をうずめているようで、びくともしなかったんだ。

 なでるような真似をすれば、殻たちが半壊しかねない。やむなくひとつひとつを丁寧につまみ、回収していくよりなかった。

 そもそも、殻が壊れるくらいにつまんでも、足が幹から離れないものさえ珍しくない。そしてはがすたび、ガソリンの臭いはますます強まっていく。


 ――こりゃあ、量は多くても回収には向かないぞ。別の木を探した方がいいかも。


 そう思いつつ手を離した俺だが、ふと木の裏側はどうだろうと、なんとなく回り込んでみたんだ。



 そこにはひとりの老人が、幹へべたりとへばりついていた。

 ウチの近所に住む、広石家のおじいさんだとすぐわかったが、まさかこんなところで出会うとは思っていない。

 喉を鳴らし、後ずさる俺は、確かに十分な音を立ててしまったはず。だが広石のおじいさんは、木に腕立て伏せをするように、ぴとりと張り付いたまま。

 その幹へくっつけた口元から、かすかに音がする。広石のおじいさんは、幹をしきりになめていたんだ。

 このガソリンの臭いに満ちている、幹を。



 その場から逃げ去った俺は、以降は広石のおじいさんからそれとなく距離をとった。

 父母の話だと、ここへ越してきた十数年前から住んでいる広石のおじいさんは、その時点でだいぶ歳に見えたらしい。

 だが、俺が実家を離れる十数年後にも、変わらず元気でい続けていた。時たま実家に戻るときも、あの日の姿のまま。いっこうに老いる様子が見えないんだよ。


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