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夏は暑い

 しばらく「仕事」には出なかった。

 組織の動向が気になっていたのもあるが、理由の九割は「やる気が出なかったから」でもあった。

 情報屋はちょくちょく監視カメラの映像を見せてくれたが、そうそう有益な情報が手にはいるわけでもなかった。


 その日も俺は情報屋の部屋で、会長と秘書の会話を監視していた。

『政府の犬どもめ、あんな下っ端をあてがいおって。完全にナメられているぞ』

『やはり関係の改善を優先すべきかと』

『関係の改善? そいつにいくらかかると思ってるんだ!? あいつら、こっちが少しでも隙を見せれば、いくらでも金額をツリあげてくるぞ』

『では警察との提携はあきらめますか?』

『いや待て。早まるな。シュラウド部隊を出せば、必ず警察沙汰になる。話だけは通しておかなくては。潜入者ザ・スニーカーの件も、ロクな情報をよこしてこんしな』

 つまり、あれがただの病死でないという情報は、警察にも流れているということだ。なのに組織へは、まったくフィードバックがない。

 このまま両者の仲がこじれていてくれると楽なのだが。

 ガタイのいい会長は、なかば匙を投げるような態度で水槽を見上げた。

『まあいい。月蝕事件が起きて困るのは、俺たちだけじゃない。警察ども、あとで慌てても知らんからな』


 映像が終わると、情報屋はこちらへ向き直った。

「以上よ。月蝕事件については調査中。って言っても、このカメラを覗く以外、私にはなにもできないけどね」

「十分だ」

 俺にはそれさえできない。

 用が済んだと思ったので、俺は立ち上がりかけた。するとズボンをつかまれた。まだ座っていろということだ。

「なんだよ?」

 そう尋ねると、彼女は不機嫌そうに頬をふくらませた。

「姫子ちゃんのこと」

「またそれか」

「ちゃんと名前があるんだから、ワンコロって呼ぶのやめて」

「なんだよ、いまさら」

 いちおう理由がある。俺は結婚してないし、子供もいない。だから子育てなんてしたこともない。だが、犬だと思えば世話をできる。やましい気持ちになることもない。自分の中でバランスを取っているつもりだった。

 情報屋はしかしあきれた様子で、どっと背もたれへふんぞり返った。

「あんた、姫子ちゃんの将来について考えたことある?」

「さあ」

 ある。

 あるが、素直に言いたくなかった。

「あの子だって、ずっと子供のままじゃないの。そのうち社会に出ていかないといけないし、常識とかも身に着けてないといけない。最低限の教養も必要。でしょ?」

「そうは思うが……」

「だから名前で呼んであげて。まずはそこから。あんたって、たぶんサイコパスだけど、そういうことができないワケじゃないでしょ?」

 できれば俺にも優しくして欲しいところだな。

「待てよ。よくないぜ、そういうの」

「なにが?」

「サイコパス。言葉が強すぎる。俺のしてることは、たしかにまともじゃない。しかしまともじゃない状況に追い込まれてるんだから、まともじゃなく振る舞うのはむしろ当然のことだ。それに、本来のサイコパスってのは、人の皮を剥いで太鼓にして、夜中にドンドコ叩いてるようなヤツのことを言うんだ。ちょっと気に食わないだけのヤツに使う言葉じゃない」

 俺のこの説明に、情報屋は完全に引いてしまった。

「な、なによ……。異常なのはホントでしょ? 正論じみたこと言わないで」

「パラノイアなら使っていい。もっとも、『世界が俺を愛さない十二の理由』によれば、どの人間も例外なくパラノイアだけどな」

「じゃあそれでいいわ。ミーティングは終わり。せっかくの日曜日なんだから、姫子ちゃんのこと、どっか連れてってあげなよ」


 *


 部屋を追い出されてしまった。

 子犬はリビングの大画面でアニメを観ていた。少女たちが変身して巨大クリーチャーを浄化するシリーズモノの作品だ。

「ね、あんちゃん! 見てこれ! あたしも変身したい!」

「お、おう……」

 だが分かるぞ。俺もむかしは変身したかった。もちろん変身といってもカフカの毒虫じゃない。バイクにまたがったピカピカの昆虫野郎のほうだ。

 子犬は自分の両手を見つめた。

「あたしの力も、人をキレイにできる力だったらなぁ……」

「そう言うなよ。大事なのは力じゃなくて、お前のその気持ちなんだから。きっと立派な人間になるぜ。たぶんな」

 そして俺は、自分が杓子定規な言葉を吐いたことに気づいた。情報屋の指摘通りだ。異常な人殺しの分際で、小綺麗な正論を並べている。

 だが俺だって、自分に特別な能力がなければ、ごく平凡な生活を送っていたはずだ。サルに破壊兵器を持たせるからこうなる。仕方がない。

 もし神ってのがいるとすれば、きっと世界を混乱に陥れて楽しんでいるに違いない。

「なあ、姫子。テレビが終わったら、外に出かけようぜ」

「デート?」

「まあそうだな」

「じゃあ行こ! いますぐ!」

「終わってからでいい」

「もう終わった!」

 画面では、まだ少女たちがクリーチャーを袋叩きにしているところだった。かくして視聴者の少女たちは、集団的自衛権の有効性を知ることになる。


 *


 上野公園へ来た。

 今日は日曜日というだけではなく、いつの間にか夏休みに入っていたらしかった。おかげでどこも人でいっぱい。動物園にも入ったのだが、あまりの混雑ぶりに辟易し、すぐ出てしまった。

 姫子の興味も、動物なんかより、木陰で寝ている住所不定の方々のほうへ向けられていた。

 知り合いがいないか探していたのかもしれない。前に彼女がいたのはここではないというのに。あるいは、いまは亡き「ババア」の面影を追っている可能性もある。


 木陰のベンチに腰をおろした。

 長方形の広場には噴水もあり、定期的に水を噴き上げていた。

 だが暑い。見ていてもたいして涼しくならない。小鳥たちのさえずりはいいのだが、それをかき消すようにセミどもが大合唱している。

「言ってもしょうがないと分かっちゃいるが、しかしホントに暑いな……」

 熱気が常に俺の全身を煽ってくる。汗もひっきりなしにしたたり落ちる。

 となりの姫子も、ペットボトルから勢いよくジュースを飲んでいる。

「ババアが言ってたよ。暑いときは暑いって言ってもいいんだって」

「そりゃいいな。日本国憲法の第一条に据えたいくらいだ。だが『ババア』はやめろ。『お婆さん』だ」

「なんで? みんなババアって呼んでたよ?」

「あそこは特別な場所なんだ。普通、人にババアなんて言ったら怒られるぞ。『お婆さん』か、または『おばさん』にしておくんだ」

 髪はツインテールにしている。情報屋のくれたノースリーブのシャツに、フリルスカートを合わせているから、見た目だけは普通の少女。しかし中身は住所不定のままだ。

 姫子は不満そうに足をバタつかせた。

「分かった。じゃあ『おばさん』にする」

「そうふてくされるなよ。お前のために言ってるんだからな」

 俺はあえて自分の好まぬ言葉を使った。

 すなわち「お前のために言ってる」だ。

 世の中年たちも、きっと必要だから言っていたのだろう。どう必要かは知らないが。本能に言わされている。何万年も前から、人類はそれを続けてきた。まだ滅んでいないということは、それを言えば最終的にうまく機能するということだ。


「あんちゃん、おしっこ!」

 姫子が急に大きな声を出した。

 クソガキ特有の省略話法だ。俺もガキのころ、それでよく母親に叱られた。

「たしかに報告は大事だ。だが、それはデカい声で言うな。立派なレディーにふさわしくない」

「おしっこ……」

「いい子だ。トイレは向こうにある」

「行ってくる」

 俺にペットボトルを押し付けて、猛ダッシュで行ってしまった。


 しばらく噴水を眺めた。

 清涼感はある。あるが、それでも俺自身は涼しくならない。仮に心頭を滅却したところで、火は涼しくならないというわけだ。姫子の「ババア」の言う通り、暑いときは暑いと言ったほうがいい。認識が世界と整合する。


 男が近づいてきた。

 能力者だ。

 そいつは俺に断りもなく、さっきまで姫子のいた場所へ腰をおろした。


「あー、ダメですよ。殺さないでくださいね。もし私が死ぬようなことがあれば、あなたのお連れの少女も無事では済みませんから。神殿でお会いしましたね? 私はシュラウド部隊に所属している思想家ザ・シンカーです」

 まっしろな頭をしているが、顔は意外と若い。三十代後半といったところだろうか。ネクタイはしていないが、ワイシャツとスラックスだ。もちろんブレスレットもある。

「姫子になにをした?」

「まだなにも。仮の話ですよ。あなたが私を傷つけなければ、私たちも彼女を傷つけない」

「用件を言ってくれ」

 すると彼はふっと笑った。

「なに、少しばかりお喋りしたかっただけです。私、人とお喋りするの好きなんですよ」

 どうだろうな。

 こいつの能力は、他者の精神へ介入すること。ただしいまその力は発動していない。

「俺を殺すのか?」

「おやおや、物騒な。そんな命令は出てませんよ。少なくとも、いまはまだ、ね」

「だがあんたが上に報告すれば、きっとそうなる」

「そして報告するとは限らない」

「なにか取引がしたいのか?」

「いいえ」

 本当に読めない。

 いったいこいつはなにが目的で近づいてきた? まさか本当に、お喋りだけしに来たのか? あるいはどこかで俺に銃口が向けられている、か……。

 彼は噴水を見ながら言った。

「それにしても暑いですね。むかしはこんなに暑くなかった気がするのですが」

「同感だ」

「黒木さん、月蝕事件って知ってます?」

「……」

 急に来た。

 俺がいまもっとも気になっている言葉。

 こちらの返事も待たず、彼は静かにこう続けた。

「祭壇の水槽に、女性が沈められてるでしょう? あれね、あなたと同じ能力の保有者なんです。タイプZ、ランク10。最初は無害な女性だったそうですよ。それが、いろんな能力を集めているうちに、だんだん無敵になっちゃって……。殺しても殺しても死なないんだそうです。だからあの容器に密閉して、ずっと水死させてるんですよ。外に出すと生き返っちゃうから」

 やはりただの死体ではなかったか……。

 彼はふたたび笑った。

「あそこまで行くと、もう人間というよりは、神に近いですねぇ。もしかすると歴史上の偉人にも、ああいうのが何人かいたんじゃないかな。まあともかく、彼女は月に行くと言い出しまして」

「月?」

「理屈は分かりませんがね。なにせ明治時代の死体ですから、まだアポロ13号だって飛んじゃいませんよ。きっと竹取物語のイメージじゃないかな」

「それで、実際に月へ行ったのか?」

「もし行っていたら、あの水槽の中にはいないでしょうね」

「……」

 冷静につっこまれると恥ずかしくなる。

 彼はすると立ち上がり、こちらも見ずに続けた。

「ただ、彼女も月は遠すぎると思ったらしく、別の方法に切り替えたんです」

「それは?」

「開けてはならない扉を開けたのですよ」

「だから、それはなんなんだよ?」

「さあね。なにぶん古い記録しか残ってませんし、具体的になにが起きたのかまでは。ただ、それが『月蝕』と呼ばれており、かなりの被害を出したということだけは伝わっています」

 そんな曖昧な記録なんてなくてもいい。もしあの女を水槽の外に出せば、また同じことが起きるのだ。のみならず、俺がそれを引き起こせる可能性さえある。

 彼は腕時計を確認した。

「それではこれで失礼しますよ。散歩の途中でしたので」

「参考になったよ」

 俺は皮肉のつもりでそう応じた。

 彼はなにも言わず、そのまま行ってしまった。


 姫子も戻ってきた。

 シャツで手を拭きながら。

 能天気な顔をしている。


(続く)

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