もうバレてる
翌日、情報屋から連絡が来た。
会って渡したいものがあるというのだ。
指定されたのは近所の喫茶店。髪がピンクだからすぐ分かるはず、とのことだった。
老夫婦が営んでいる小さな喫茶店だ。
特別な店じゃない。こだわりのあるようなないような、そのうち潰れそうな店だ。
俺が入店すると、知り合いが来たと勘違いした常連客がこちらを見た。そして無関係なヤツだと分かるや即座に興味をなくし、自分たちの会話に戻った。
エアコンの効きはよくない。
俺はテーブル席へ向かった。ホントにピンク頭だったからすぐ分かった。
「まさか女だったとはな」
「そういうこと言う人とは仕事したくない」
しかも若い。あまり長くないピンク髪で、キャスケットをかぶり、フレームの太いメガネをかけていた。たぶん口に出したら怒られるが、美大にでもいそうな風貌だ。
俺は向かいの席へ腰を下ろした。
「悪かったよ。謝罪する。たしかに未開人みたいなことを言った」
「そこまでは言ってないけど。まあいいわ。コレ渡しにきたの」
テーブルに置かれたのはUSBメモリ。
マスターがオーダーを取りに来たので、俺はブレンドコーヒーを頼んだ。
「中身は?」
「組織の会議の様子」
鳥肌が立った。
手に入らないと思っていた。それは探らないと言っていたはずだ。
彼女も少し複雑そうな表情になった。
「意外とザルだったから……」
「凄腕のハッカーだったんだな」
「ハッカーじゃない。ちょっとネットワークに詳しいだけ。でもさ、あの組織なんなの? 超能力がどうこう言ってたけど」
「ただのカルトだよ。話の中身は理解しようとしないほうがいい」
見たところ、この女にも能力があるようだ。体内時計を調整する能力。つまり睡眠時間を、人より少し調節できる。
命を奪ってまで入手したい能力ではない。組織も、この程度の人間には接触しないだろう。
用が済んだのに、女は席を立とうとしなかった。ココアが飲みかけだからだろうか。
「そのUSBさ、使う前に、スタンドアロンのPC用意して」
「スタンドアロン? 新しく買えってのか?」
「中古の安いのでいいから。情報が流出したら困るし。それに、いま渡したソレは安全だけど、USBにウイルス仕込んだりするヤツもいるから」
「スタンドアロンって、どう設定すればいいんだ?」
俺の問いに、彼女はあきれたように首をかしげた。
「LANケーブル差さなきゃいいだけでしょ。もし無線ならルーターのほうで弾いて」
「いや、ケーブルだ。差さないことにするよ」
「必要なアプリも入ってるから、ファイルは普通にひらけるはず」
「この手のセキュリティって、もっと専門性の高いモンかと思ってたぜ。ずいぶんアナログな対処なんだな」
すると彼女は困惑したような笑みを浮かべた。
「こっちのほうが安全なの。十年前ならともかく、いまはなにやっても記録に残っちゃうんだから。わざわざデータを手渡ししたのも、セキュリティのため。なんでもかんでもオンラインで済ましてると、すぐアシがついちゃうし」
俺の頭にあるインターネットのイメージは古いのかもしれない。
ともあれ、必要なデータは手に入った。
商談はコーヒーが来る前に終わってしまったということだ。
が、女はまだ帰ろうとしない。
「一緒に来ると思った」
「えっ?」
「ボサボサ頭の子。あんたの子供でしょ? それとも妹?」
「拾ったんだ」
「誘拐したの?」
「まあな」
いったいどこで見たのかは分からないが、ごまかしてもムダだろうと思い、俺は本当のことを告げた。
彼女は不審そうに目を細めている。
「ホントに? 私、そういうヤツと仕事してたの?」
「お互いの素性は知らないほうがいいだろう」
「そんなワケないじゃん。こっちはちゃんと調べたよ。あんたが地方から上京してきて、就職して、二年くらいでやめて、それからずっとふらふらしてたこと」
「ふらふらの中身は?」
「そこまでは。教えてくれるの?」
「まさか」
この女に金を払っているということは、俺自身に収入か貯金があるということだ。ふらふらしている間になにかやっていると考えるのが普通だろう。
女はココアをすすり、溜め息をついた。
「ま、誘拐でもいいわ。ちゃんと世話してるみたいだし」
「なんでそこまで分かるんだ?」
「あんたの使ってるノートパソコン、カメラついてるでしょ? ガムテープでふさいでおいたほうがいいわ。あと音声も」
「覗いてたのかよ」
「契約書ちゃんと読んだ? そういうことするって書いてあったはずだけど」
「……」
あんなクソ長い契約書など読むはずがない。
頭がぶっ壊れる。
*
女と別れた俺は、中古のPCショップで安いノートパソコンを買った。安いだけあって重い。ちっともノートじゃない。
帰宅すると、また子犬が服を脱ぎ散らかしていた。
「なにそれ? ご飯?」
「ご飯じゃない。パソコンだ。お前、服を着ろよ」
「暑いんだもん」
「エアコンは?」
「あれは寒すぎて死ぬからムリ」
「……」
どうせ素っ裸でエアコンの真下にいるから寒くなるのだろう。ちゃんとした使い方が分かっていない。
「エアコンつけるときは、ちゃんと服を着て、離れた場所にいろよ」
「どんくらい離れんの?」
「真下じゃなけりゃいい」
「分かった」
この会話、以前もしたような気がするのだが。
俺はエアコンをつけて、ちゃぶ台にノートパソコンを置いた。ちゃんと電源が入り、ファンがうなってディスクもガリガリと音を立てた。が、なかなか起動しない。
しかも起動したかと思うと、初期設定が始まってしまった。
「あんちゃん、暇だぞ。早く日曜日にしろ」
「無茶言うな」
「なんか歌ってくれ」
「断る」
むかし浮浪者の婆さんにかわいがられていたらしく、いろいろ歌を教えてもらっていたらしい。その婆さんが死んでからの話は、ちょっと悲惨すぎて聞いていられなかったが。ともかくこいつは歌が好きだ。
「歌って! 歌って! 歌って! 歌って!」
Tシャツをぐいぐい引っ張ってくる。おかげでこっちまで服が脱げそうだ。
「うるさい。あっちのパソコンで歌流すから、それでいいだろ」
「それでもいいけど……」
「どんな歌がいいんだ?」
「優しいやつ」
「どんなだよ。ちょっと歌ってみてくれないか」
すると子犬は、たいがいのことでは泣かないのに、急にしょぼくれた顔を見せた。
「歌えないよ……」
「なんで?」
「歌おうとしても、ちっとも思い出せないから……」
しばしばトラウマらしきものを発揮してくる。
*
子犬に歌を聞かせていると、ようやく中古PCが使用可能になった。
俺はUSBを差し込み、中身を確認。入っていたのは動画ファイルと再生用アプリだった。readmeファイルによれば、ドラッグ・アンド・ドロップだけで再生できるようだ。
『それで、一連の不審死については、なにか分かったのか?』
動画はそこから始まった。
野太い声を出したのは、立派なスーツを着たガタイのいい中年男性。
ダークブルーのカーペットが敷かれた広めの執務室だ。木目のある美しいデスク。ゆったりとした椅子。壁には組織のシンボル「月を征服する花」が掲げられている。
会話の相手は、髪をきっちりとまとめた秘書らしき女性。
『死者は都内に集中しています。もし能力者による犯行なら、タイプC、ランク3以上であると推測されます』
前に神殿へ行ったとき、こいつらとは会えなかった。
きっと下っ端とは会わない幹部連中なのだろう。
中年男性は渋い表情で舌打ちした。
『面倒なことになったな。とりあえず、該当者をリストアップしてくれ』
『かしこまりました。住所ごとに分類してお渡しします』
『ああ、頼む』
『シュラウド部隊はお使いになりますか?』
『まだいい。アレを動かすと大変なことになる』
『では手配せずにおきます』
シュラウド部隊――。俺も神殿で見たことがある。
当時の俺は、他人の能力を探知できなかったから、口頭での説明を受けただけだが。
シュラウドは「覆うもの」。組織は「死体袋」の意味で使っている。
彼らはトラブルシュートのための実力部隊だ。口封じのための便利な能力を有している。メンバーは五名ほどだろうか。
能力を悪用すればシュラウド部隊のお世話になる、というチュートリアルを受けた。いや、チュートリアルというか「脅し」だ。
麻痺の婆さんも、かつては似たようなチームに所属していたらしい。
彼らは揃いのブレスレットをつけていた。宝飾品ではない。ゴツい輪っかだ。シュラウド部隊が組織を裏切った場合に備えて、毒が仕込まれている。
たぶん忠誠心はない。
金と名誉と恐怖によってコントロールされている。
映像の中で男がうなずいた。
これで打ち合わせも終わり、という雰囲気だ。
しかし帰り際、秘書がなにかをひらめいたらしい。
『会長、今回の条件に該当しない人物の可能性は?』
『むろん、ありえる。俺たちもすべての能力者を把握できてるわけじゃない』
『あるいは、把握している能力者の中に、なにか見落としがあるかもしれません』
『たとえば?』
『他者の能力をコピーする能力者』
勘のいい女だ。
そんな能力者が、俺以外にもいてくれると嬉しいが。
すると男もうなずいた。
『いたな、ひとり。たしか黒木玄一といったか』
『都内在住です』
『よし。そいつもリストに加えておいてくれ』
『かしこまりました』
願わくば、こいつらには無能であって欲しかった。
犯人を突き止めるのがあまりに早すぎる。まだ候補のひとりとはいえ。
いまのうちにごまかしの言葉を考えておかなくては。アリバイも必要だ。また情報屋の世話になるか……。
(続く)