無職だから平日もフリーダム
終電にはならなかったが、どこかで遊ぶ余裕もなかった。
家は東京のはずれの安アパートだ。東京とはいうが、限りなく埼玉に近い。まあそれはいい。家に犬を飼っている。犬というか、実際は人間だが。犬くらいの知能しかないように見える。
「帰ったぞ」
子供服が、そこら中に脱ぎ散らかされていた。
俺は玄関で靴を脱ぐと、その服を踏みながら進んだ。いちいちよけるスペースもない。
ちゃぶ台には、食い終わった食器や開けっ放しの缶詰がそのまま放置されていた。あいつは片付けるということも知らない。
寝室を覗くと、彼女は腹を出して寝ていた。
いちおう生物学上は女だ。少女というよりただのクソガキだが。年齢は知らない。本人でさえ把握していないのだ。俺に分かるわけがない。
能力者を探していて、たまたま見つけた女だった。
命を奪ってもよかったが、なぜかそうする気になれなかった。自分より愚鈍な人間を飼って優越感に浸りたかったのかもしれない。あるいは愛着が湧いたか、だ。
悪人だって、だいたいは自分の家族とペットには優しくするものだ。俺もそういう手合いと同じ精神構造なのだろう。
手を出してはいない。
ただ飼ってるだけだ。
こいつは浮浪児で、浮浪者たちのアイドルだった。いろんな意味で。つまり俺は、あの劣悪な環境からひとりの少女を救い出してやったというわけだ。
なのに風呂にも入らず寝ている。
俺は畳の上に腰をおろし、コンビニ袋から缶ビールを取り出した。
盗んだ金で買った夜食。死人は金を使わないのだ。生きてる人間から奪うよりはマシだろう。
どんな金であれ、商品に変えてしまえば同じこと。
金属の味にイラつきながら、俺はビールを流し込んだ。ビールとはいうが、本当はビールじゃない。発泡酒だ。
ピーナッツを齧りながらテレビをつけた。
さきほどの「事件」はまだニュースになっていなかった。というより、もし発見されたところで、どうせ病死扱いになるのだ。テレビで扱われることはない。
組織は調査に乗り出しているかもしれないが。
東京にはたくさんの人がいる。しばらくは大丈夫だろう。永遠に大丈夫かもしれない。
俺はさっき、被害者へこう尋ねた。
「自分のところに来るとは思わなかった?」
じつは俺も同じだ。
自分だけは安全だと思い込んでいる。だけどたぶん、ある日突然来るのだ。前触れもナシに。
事前に備えをしておかねばとは思う。思うのだが、実際はなにもしていない。
いつかやろう。
そう思って先延ばしにしている。優先するのは好きなことだけ。すなわち、能力を集めることだけ。
俺はリビングで寝ていた。
外から日が差し込んできて、チュンチュンとスズメたちが鳴いていた。ついでに子犬がピーナッツをむさぼる音。
「あ、起きた。また悪いことしてきたの?」
「まあな」
俺もピーナッツを手に取った。
子犬はボサボサの髪を肩まで伸ばしている。そろそろ切ってやってもいいかもしれない。その前に風呂に入って欲しいところだが。
彼女には前歯が一本ない。
歯医者に行かせてやりたいところだが、連れて行こうとすると全力で抵抗される。というか股間をグーで殴りつけてくる。そこまでして面倒を見てやる義理はない。
「おなかすいた」
「買ってくるよ。なんか食いたいものあるか?」
「ハンバーグとジュース。あまいやつ」
「ジュースなら冷蔵庫にあるだろ?」
「あったけどもうない」
「こいつ……」
あればあるだけ飲んでしまう。
死なない程度に麻痺させておかないと、冷蔵庫の中をすぐ空にされてしまう。
彼女はブッと屁を放ち、真顔で俺に告げた。
「あとうんちしたらトイレ詰まった」
「てめぇ殺すぞ……」
「このくらいで殺すの?」
「いや、殺さない。いまのは言い過ぎた」
「謝れ」
「断る」
なぜトイレを詰まらせたヤツに謝罪せねばならんのだ。
俺は顔を洗っただけで、そのまま外へ出た。
コンビニで朝食を買わねばならない。帰ったらクソガキの服も洗濯しなければ。なぜ俺はあいつを生かしたまま飼っているのだろう。
コンビニから帰ると、子犬は不機嫌そうにちゃぶ台を叩いた。
「ハンバーグじゃない!」
「うるせぇな。忘れてたんだよ」
「謝れ」
「黙って食え。文句があるなら食うな。俺が食うから」
「ごめんなさい」
メシのことならすぐに謝る。こいつはメシのためならだいたいのことはやる。
おとなしくシャケ弁当を食い始めたので、俺はこう続けた。
「ジュースも買って来たけど、一日で飲むなよ。あと寝る前は歯を磨け。風呂にも入れ」
「んぐーっ、んぐーっ」
食いながらうなっている。たぶん返事をしているのだ。しかし食事中になにを言っても、こいつは聞いていない。
俺もシャケ弁当を食うことにした。
食事を終えると、子犬はカエルのマネをして部屋中を跳ね始めた。一階だから下からの苦情は来ない。たまに隣室からの苦情が来るが、軽く麻痺させると会話の途中で具合が悪くなり、すぐに帰って行く。じつに便利な能力だ。
俺はクソガキの騒音に耐えながら、パソコンを操作した。
協力者と連絡を取るためだ。
『いる? 警察の動きはどう?』
俺がチャットを投げると、すぐに返事が来た。
『いるよ。特に動きはないみたい』
『組織は?』
『聞かないで。そっちは探れない』
『分かった。また連絡する』
金を払って情報に強い人間を雇っている。会ったことがないから、信用できるかどうかは分からないが。これまでのところは信用できている。
「なあ、あんちゃん。まだトイレ詰まってる」
子犬が脇腹をかきながらやってきた。
「ちょっと待ってろ」
「パソコンばっかやってないで家のこともしろ」
「待ってろ、頼むから」
「なるべく早くしてな」
おちおちネットもできやしない。
その後、トイレの詰まりを直し、服を洗濯し、室内に干した。子供服もあるから、外には干せない。変態だと思われてしまう。
「おい、ワンコロ。髪切るからこっち来い」
「ワンコロじゃない」
「姫子さん、髪を切らせていただきたいのでこちらへどうぞ」
「なんか気持ち悪い」
「いいから早くしろ。暑いだろ」
「暑い」
こいつが風呂に入らないのは、髪を乾かすのが面倒だからだ。短くすれば入るようになるだろう。
俺は風呂場へ連れてゆき、床に新聞紙を敷いた。
「けっこう切るぞ」
「あんまり短くしないで」
「長いと面倒だろ」
「あたし長いほうがかわいいから」
「分かった。じゃあ肩につかないくらいでいいか?」
「うん」
クソ面倒なワンコロだ。姫子なんて名前だが、ちっとも姫っぽくない。野生児だ。
彼女は、おそらくだが、能力のせいで親に捨てられたのだと思われる。
その能力は、火を起こすこと。
いまはきちんと制御できているが、以前は違ったらしい。
ライターがあれば代用できるから、殺して奪うほどの能力ではない。きっと近代以前なら重宝されたはずだ。
ハサミで髪を切っていると、子犬は次第に不安そうな顔になってきた。
「切りすぎてない? あたし、ちゃんとかわいい?」
「鏡見ろ。大丈夫だろ」
「後ろは見えないもん」
「あとで見せてやるから」
「うん」
こうして子犬の世話をすることで、たぶん、俺は人の役に立っているとでも思いたかったのだろう。
俺が彼女を救ったんじゃない。俺が彼女に救われているのだ。
世の中には、善行に対していろいろな言い回しがあるが、俺のやっている行為は正しく「偽善」というものだ。他の言葉が思い浮かばない。
「お昼はハンバーグがいい……」
子犬がそんなことを言いだした。
「分かった。ハンバーグな」
「あとジュース……」
「冷蔵庫にあるだろ」
「もう飲んだ」
「……」
この駄犬は、いっぺんきっちり教育しないとダメかもしれない。
クソ駄犬が風呂に入っている間、俺はまたコンビニへ買い出しに行った。
毎日毎日通っているから、きっと無職だと思われているはず。実際、無職だ。しかも人殺しで泥棒。強盗殺人ともいう。それも一件や二件ではないから、もし逮捕されたら死刑になる。組織に捕まったらどうなるかは知らない。捕まるなら警察のほうがいい。
セミがやかましく鳴いている。
昼食を終えると、子犬が「あぢー」と床を転げ回った。服が半脱げになっている。誰もこいつに節度というものを教えてこなかったらしい。
「外で遊びたい!」
「ダメだ。平日に外に出たら、警察に補導されるぞ」
「ほどー?」
「捕まるんだよ」
「そしたらどうなるの?」
「親が呼び出される」
「いない場合は?」
「俺が呼び出される」
「それのなにがダメなの?」
まあダメじゃない。俺が未成年者略取で逮捕されること以外は。
いくら保護者ぶったところで、子供を誘拐した変態としか思われないことだろう。手を出していないからといって、許される行為ではない。本来ならどこかの施設に預けるべきなのだ。
しかし俺は、この手のかかる子犬を手元に置いておきたかった。だからこれは、完全にただの誘拐だ。
「俺が逮捕されるんだ。俺はお前の親じゃないからな」
「変なの」
こいつは文字も読めない。かろうじて、ひらがなとカタカナが読めるくらいだ。書くほうは全然ダメで、昨日の「被害者」が持っていた手紙さえ書けないレベルだ。
学校に通わせたほうがいい。きっとつらい思いをするだろうけれど、その後の人生を考えると、一刻も早く通わせたほうがいい。掛け算と割り算を知らないのは問題だ。
*
それからの数日、しばらく街を散策したが、これといってめぼしいターゲットは見当たらなかった。
能力者はいる。いるのだが、役に立ちそうもなかった。そんなのまで殺していたらキリがない。
俺は別に、殺したくて殺しているわけじゃない。
ふらりと定食屋に入り、天丼と生ビールを注文した。
カウンター席だ。
ひとつ離れた席には、俺と同い年くらいのサラリーマンふうの男。その奥には太った中年男性。テーブル席には部活帰りの学生がいた。
学生たちは楽しそうだ。
「たけっちさぁ、こないだ二組の女子と話してたとき、すっげープルプルしてたよな。あれウケたわ」
「その話もうやめろってぇ」
「もしかして好きなんじゃね?」
「おめーらふざけんなよマジでー」
言葉だけ聞くと争っているようだが、みんな楽しそうに笑っている。俺も高校時代は、こういう会話をしていたような気がする。
なのだが、隣のサラリーマンが険しい表情で彼らを見ていた。まさか、うるさいから黙れとでも思っているのだろうか。厳しいサラリーマン生活にさらされていると、楽しい高校生活さえ憎く思えてくるのかもしれない。
などとビールを飲みつつ、俺はふと思い直した。
サラリーマンは高校生を見ていたのではなく、俺を見ていたような気がする。目をやると、そいつと目があった。
「お前、黒木……か?」
「は?」
たしかに俺は、そんな名字だった気がするが。なぜこいつは俺の個人情報をつかんでいるのだろう? まさか警察か? それとも組織?
オールバックの朴念仁みたいなツラだ。目つきも異様に鋭い。冗談が通じそうな顔じゃない。
「俺だよ、俺。田辺」
「田辺? えーと……」
「いや、高校の……って、まさか別人……? だったらすみません……」
思い出した。
高校で友達になった田辺慎吾だ。
当時は、日課のようにそこらの生徒とケンカしていた狂犬だった。まともなサラリーマンになっているとは思わなかった。いや、まともなサラリーマンかどうかはまだ分からないのだが。
「もしかしてタナシンか?」
「おい、その呼び方……。いや、いい。そうだよ。田辺だよ。やっぱり黒木だよな?」
「懐かしいな。こっち来てたの?」
「ああ」
彼が言葉に詰まったのは理由がある。俺が私服だったからだ。
平日のこの時間に私服でフラついているということは、サラリーマンでないことが分かる。通勤バッグも持っていない。
俺は逆に楽しくなって、空気も読まずに尋ねた。
「なに? 仕事帰り?」
「そう。仕事。そっちは?」
「休みだよ」
ほぼ永遠の休みだ。すでに何連休かも分からない。
俺が悪いわけじゃない。世界が悪いんだ。『世界が俺を愛さない十二の理由』にもそう書いてある。
すると田辺は、スマホを確認してからこちらへ向き直った。
「このあと時間あるか? よかったら飲みに」
「いいぜ」
会うのは高校を卒業して以来だ。
見たところ、能力者ではない。その点だけはほっとした。
(続く)