あなたには特別な能力があります
翌日、姫子は朝から仕事へ出た。
こういうのは夜の仕事とは限らない。たとえば営業で外を出歩くサラリーマンなどが客になる。そして日が暮れると、時間が深くなる前に帰ってくる。あまり遅くなると補導される可能性があるからだ。
てっきり仕事を辞めてくれるものだと思っていたのに……。
「なあ、情報屋。カメラ見せてもらっていいかな」
「うん」
きちんと金は払ったのだ。彼女も抵抗しない。
というより、最初からカメラはフルオープンなのだから、ネットにつながったパソコンさえあれば誰でも視聴できる。
今回も強調表示のアーカイブがあったので、それを見ることにした。
『守護者が殺されただと?』
『残念ながら』
昨日の映像だ。
組織へ戻った秘書が、執務室で会長に報告している場面であろう。
『何者なんだ? まさかタイプZじゃないだろうな?』
『まだ特定には至っておりません。しかし現在、ドクターが死因からタイプを特定しているところです。おそらくランクは3以上であろうとのこと』
『タイプの特定を急がせろ。犯人はすでにひとり殺している。一度殺しに手を染めたヤツは、次も躊躇なく殺るぞ』
『かしこまりました。ドクターに優先度を伝えておきます』
すると会長は、盛大に溜め息をつき、睨むように秘書へ視線を向けた。
『それで? 月の解析はどうだ?』
『残留するエネルギーからは、月であるか否かは判断しかねるそうです』
『だが死因は明らかだ』
『ええ。ドクターも高熱による焼死であろうと考えているようです』
会長はドンとデスクを叩いた。
『だったら月以外のなんだと言うのだ! 可燃物の痕跡は検出されなかったのだぞ! つまりこれは、あきらかに兵器による攻撃じゃない! 月だ! 月の能力者が歩き回っているのだ! もっと危機感を持て!』
『はい』
会長は額に血管を浮き上がらせていた。
月蝕事件では国家権力と揉めることになった。また同じことになるのを避けたいのだろう。
秘書はすっと頭をさげた。
『早急に新たな対応プランを算定いたします』
『怒鳴ってすまなかった。よろしく頼むぞ』
この会長の意図もいまいち読めない。月の能力者をひとり保有しているのに、まったくビジネスに使おうとしていない。祭壇に飾っているだけだ。
*
俺はふたりにあげたはずの金をいくらかもらって家を出た。
服を新調するためだ。
凡百の人類は、カネに反射して態度を変える。
こちらの頭がボサボサで、服もよれよれだと、いきなり見下した態度をとる。逆にビシッとして高い腕時計などを付けていると、正気に戻ったようにまともな対応を見せる。これは、そこらの通行人だろうが店の店員だろうが同じだ。
中の人間は同じだというのに、外側の値段で対応を変える。
かつての俺は、こんなのフィクションの話だと思っていた。だが、実際に街に出て試してみると、結果は露骨に出た。
ほとんどの人間は、カネに反射している。
自分の考えなど持っていない。
彼らは頭を使いたくないのだ。
生命の大半がバカであることからも自明であるが、誰しも極力頭を使いたがらない。人間とて例外ではない。
とにかく、かつての友人をこの「凡百」に含めるのは心が痛かったが……。よれよれの服で家を訪問し、蔑んだ目で見られるのは面白くない。だから俺は服を新調することにした。
きちんと襟のついた服だ。革靴もピカピカ。
まあこんなのは、相手の知能の問題というより、俺の心の不安の問題なのかもしれないが。
俺はまともな服に着替えてから、田辺の家を目指した。
あれから連絡さえ取っていなかった。
今日だって事前に連絡を取っていない。
連絡先も知らない。
もしかしたら、すでに引っ越しているかもしれない。
それでも一度会っておきたかった。
マンションの場所はおぼえていた。
表札には「田辺」と「平松」の文字。まだ住んでいるということだ。俺は躊躇なく……いや躊躇はあったが、勢いに任せてチャイムを鳴らした。
しばらくして、奥から「はーい」と返事があった。
「黒木です。急に悪いね」
「えっ?」
ドアが開き、平松が顔を出した。
五年ぶりだ。
髪はセミロングになっていた。顔にも生活の苦労がにじみでている。というと失礼かもしれないが。なんだか少し歳をとった感じがあった。
彼女は目を丸くして、俺のことを上から下から何度も見返した。
「え、黒木くん? なんで?」
「いや、通りがかったからさ。お邪魔してもいいかな?」
「いいけど……。散らかってるよ?」
「悪いね。すぐ帰るからさ」
すると彼女の後ろから、二人の子供が出てきた。
「だれぇ?」
「ママの知り合い?」
数が増えている。のみならず、二足歩行している。
背の高いほうが前に見た子供。そして小さいほうが、この五年のうちに生まれた子供であろう。
俺は時間の経過の早さに戦慄した。
「そうよー。ママの学校時代のお友達。ふたりとも、きちんと挨拶できるかな?」
するとふたりは声を揃え「こーんにーちわー」と幼稚園児らしい挨拶をした。
俺も「こんにちは」と応じた。
つい和んでしまった。
いや、本当は和気あいあいと談笑しに来たわけではないのだが。
リビングに通された。
勝手に人の家に来ておいてこんなことを言うのもなんだが、彼女の言葉通り、かなり散らかっていた。
子供たちは勝手に遊んでいる。
「デカくなったね」
「うん。上が五歳で、下のが三歳。にぎやかでしょ?」
「理想的な家庭って感じだね」
俺はウソを言ったわけじゃない。部屋のゴチャゴチャした感じも含めて、本当に幸せそうだった。節分とか七夕とか誕生日とか、俺が適当に過ごしている日々を、彼女たちはきっと大切に過ごしていることだろう。
もはや嫉妬は湧かない。
テレビの画面の向こう側の出来事のように感じた。目の前にいるのに。
「これ、よかったら食べて。海苔。そこで買ったんだ」
「ありがとう。今日はお休み?」
「まあね」
服が新品だから、無職とは思うまい。実際は新品の服を着た無職なのだが。
俺は腰をおろすと、まっさきに本題に入った。
「なあ、平松さん。君さ、本書いてるんだって?」
「えっ……」
ぎょっとした顔になった。
それから左右をキョロキョロして、なにかを警戒しだした。
俺は笑った。
「いや、そんなに慌てないでくれよ。べつに悪意があって言ってるんじゃないんだから」
「誰から聞いたの?」
「まあ知り合いから」
「え、慎ちゃんが言ったの? ほかに誰も知らないはずだけど……」
顔が青ざめてしまっている。
これじゃあ脅迫しているみたいだ。
「まあ落ち着いて。本当にたまたまなんだ。業界に詳しいのがいて、お節介で教えてくれて」
「私の知ってる人?」
「いや、知らないんじゃないか。とにかくさ、驚いたよ。俺の愛読書だったんだぜ」
激賞しているはずなのだが、彼女はふるふると震え出した。
「待って。読んだの? なんで……」
「なんでって、本屋で見かけて面白そうだと思って。なんかマズかった?」
よくよく考えれば、作者に直接会いに来るのはマナー違反だったかもしれない。旧友だと思って、ついアポなしで来てしまった。
だいたい、音信不通だったヤツが急に来るときは、怪しい宗教の勧誘か、怪しいビジネスの勧誘と相場が決まっている。俺の来訪も似たようなものと判断されたのかもしれない。
彼女はコップの水を一気に飲み干し、血走った目でこちらを見た。
「怒ってる?」
「いや、怒ってないよ。っていうか怒ってるのそっちでしょ?」
「え、じゃあなんとも思ってないの?」
「いや、すげぇしっくり来る本だと思って。だから愛読書だって言ったっしょ」
すると彼女は口元の水を手の甲で拭い、おっさんのように溜め息をついた。
「よかった。じゃあ完全に忘れてるんだ。自分で言った言葉なのに」
「は?」
「あの本の主人公、黒木くんがモデルなの」
「は?」
間の抜けた返事しか出なかった。
俺がモデル?
この俺が、あんなクソみたいなことを口走っていたというのか? いや口走っていた気がする。学生時代の俺は、とんでもなくイキリ倒していた。
そうだ。
「世界は俺を愛さない」
それは高校時代の俺の口癖だった。
言葉はこう続く。
「なぜなら俺が世界を愛さないから」
だが周囲の目線は冷ややかだった。
当時の俺は思ったものだ。この凡百どもには、俺の思想は到底理解できまいと。
俺は間違いなく、その点ではウザがられていた。まあ俺たちのグループは孤立を避ける方針だったから、互いに排除だけはしなかったが。
彼女はようやく冷静になり、こう続けた。
「あ、でも勘違いしないでね。黒木くんのこと好きだったわけじゃないの。むしろその逆っていうか……。いや、あのー、題材として面白かったから使わせていただいたというか……」
珍獣ということだ。
いや、いい。
俺も大人になったから、こんなのでいちいち怒ったりしない。たまにクソみたいな理由でキレそうになることもあるが。まあ心の準備ができている場合は大丈夫だ。俺が忌避されていたのも知っている。
高校時代、俺はとにかく孤立してるヤツをつなげて大グループにしたが、それだけだった。みんながつながってしまえば、今度は俺が異物となった。
ともあれ、自分がとんでもないマヌケ野郎だったことが判明してしまった。
なにせ自分で言った言葉を忘れておいて、あとで聞かされておおいに共感していたのだから。
凡百の人間の反射がどうだとか、知能がどうだとか言っておきながら、俺も似たようなものだったのだ。まさか自分で自分に反射していたとは……。鏡に映った自分を見て興奮する動物のようだ。
彼女は力強い眼光でこちらを捉えた。
「訴訟する?」
「訴訟? いや待ってくれよ。ちっともそんなつもりはないぜ……」
「ならよかった。純粋な愛読者として会いに来てくれたのね?」
「そうだよ……」
「あ、サイン! サインいる?」
「じゃ、じゃあもらおうかな。本あるから……」
いちおう本を持参しておいてよかった。
しかし急にノリノリになったな。
もしかすると、俺が敵意を持ってると思って警戒していたのかもしれない。
本にサインをもらい、俺は鞄へしまい込んだ。
「けど、作家になってたなんてね」
「なったけど、すぐ廃業よ。ちっとも売れなかったから」
「あ、そうなんだ……」
俺の名言集はちっとも売れなかったか……。
「じつはアレ、二作目なの。一作目は落ちぶれた令嬢の復讐劇で……。でも編集から、もっと違うの書いてみてって言われて。ネタが思いつかなくて黒木くんにしたの。でも全然だった」
「や、やっぱ世間のレベルに合わせなきゃさ、ダメだぜ、たぶん」
あまりに高尚すぎたのだ。
そうに違いない。
彼女は「あー」と天を仰いだ。
「感想も最悪だったの。主人公がムカつくとか。主人公が偉そうとか。そんなのばっかり。まあたしかにそういうキャラだけどさ。ああいう主人公と、この世界とのズレがさ、作品のキモなわけじゃない?」
「……」
この女は、自分の作品の反省をしてるんだよな?
目の前の男の人格を攻撃してるわけじゃないよな?
彼女は慌ててフォローに入った。
「あ、ごめん。黒木くんのこと責めてるんじゃないよ? まあ、そうじゃないとも言い切れないけど。そんなに気を落とさないで? 黒木くんにもいいとこいっぱいあるから!」
「ああ、あるぜ。自分でも把握しきれないほどな」
*
なんとも言えない気持ちで帰宅した。
姫子はすでに家にいた。
「あー、また服買ってる! 今日は誰とデートしてきたの?」
「俺にデートする相手がいると思うのか?」
「まあいるわけないけどさ……」
ふてくされた顔でひどいことを言う。
俺はテーブルにつき、冷蔵庫からとった缶ビールを開けた。
「あんちゃん、またお酒?」
「いいだろ、ほかに楽しみもないんだから」
すると彼女は、かわい子ぶっているのか、左右の頬に人差し指をくっつけ、体をかしげて見せた。
「おうちに帰ったらかわいい妹に会えるよ?」
「まあそうだな。お前の顔を見るとほっとするよ」
「なにそれ。キッモ……」
反抗期だろうか。
だが、そこも含めてかわいいものだ。
俺はビールをすすり、己の愚かさを噛みしめた。
『世界が俺を愛さない十二の理由』に書かれていたのは、俺自身の言葉だった。つまり俺は、十数年前の自分に憧れていたということになる。
当時の俺は「可能性」を有していた。ところが就職してからは忙しくなり、いつの間にかどこかへやってしまった。記憶も価値を失った。
もしかすると俺は、また高校時代のころのようにイキリ倒したかったのかもしれない。自分を最高の存在だと思いたかったのだ。世界の広さを知る前の、井戸の中のカエルのように。
あくまで「俺の認識の中で」俺は最高だった。
すべてを理解できる気がした。
すべてを極めるところまで来ていた。
世界はきっと、俺を歓迎するだろうと思った。
だが実際、俺は主役じゃなかった。脇役でさえなかった。顔も描かれない風景の一部だった。
まあ世界なんてそんなもんだろう、などと、いつしか自分を納得させるようになっていた。
会社員だったころ、俺は休日のたびテレビゲームに没頭した。
敵を倒して数値を増やす。それだけの行為を執拗に繰り返した。やがて数値が最大値に達すると、途端に飽きてしまい、別のゲームを開始した。
コップを空にしては満たす。
コップを空にしては満たす。
穴を掘っては埋める拷問のように。
いったい俺は、なぜあんな行為に執着していたのだろうか。
もう分からなくなっている。
当時は重要なことだったのに。
ある日、榊原という初老の紳士がやってきて、俺にこう告げた。
「あなたには特別な能力があります」
大理石のきらびやかな神殿を見せられた。水槽の女を見せられた。シュラウド部隊を見せられた。どれも特別だった。
なのに俺の能力は、そのままではなんらの効果も発揮しないらしかった。
本当に特別になるためには、俺の近くで、能力を持った誰かが死ななければならない。
誰か、試しに死んでみて欲しいと思った。
そして実際、そうなった。
(続く)




