しゃんしゃん
以前だったら、もうとっくに秋だったはず。
なのに気怠い暑さがいつまでも沈滞している。夏というのは、いつからこんなに不愉快になったのだろう……。
俺は団地へ来ていた。
人の気配はない。
もう住民もいない老朽化したエリアだ。
錆びついたベランダにはなにも干されていない。
夕日に照らされた建造物は、並んだ墓標のようにも見えた。
小さな公園があった。
ブランコのチェーンは片方が切れており、地面に埋め込まれたタイヤも完全に押しつぶされていた。シーソーだけは原形を留めているが、動くかどうかは不明。
そこへ、快活そうなポニーテールの、制服少女がひとりで立っていた。
黒い拳銃のコンディションを確認しながら。
タイプXの能力者。
そういう話だった。
しかし近づいてみても、彼女の能力を詳しく探知できなかった。いや、能力がないわけじゃない。なにかある。あるのだが、それが具体的になんであるのか把握できなかったのだ。輪郭のハッキリしない、どろどろとしたエネルギーに満ちている。
「あんたか? ここで俺と鬼ごっこしたいってのは」
俺がそう声をかけると、彼女は言葉ではなく、銃口を向けてきた。パァンと空気を切り裂く音。それを聞いたときには、俺の肩口には激痛が走っていた。
銃声は一回では終わらなかった。
しつこく、しつこく、もういいだろというくらい打ち鳴らされた。
俺も手足をやられ、糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。足をやられたのだ。いつの間にか仰向けになっていた。
「ガッ……お前……」
もう激痛であるのかも分からないほどの激痛だ。どこもかしこも痛すぎて、感覚がなかった。たぶんまんべんなく痛い。無事なのは胴体と頭部だけ。
そう。
彼女は、俺の急所だけは撃たなかった。
少女は銃のマガジンを交換しながら、こちらへ近づいてきた。
「はじめまして。村田さつきと申します」
「誰だ……」
そう尋ねた俺の声は、自分でも信じられないほどかすれていた。死ぬのかもしれない。
いや、回復能力のおかげで、すでに一部の傷口はふさがりかけている。急所さえ無事なら挽回できるはずだ。
ようやくふさがった皮膚に、また銃弾が撃ち込まれた。
「ぎひッ……」
「誰だか分かりませんか?」
「誰だよ……」
「あー、それじゃあダメですね。思い出すまで待ってあげます。時間はありますから」
彼女はそう告げて、また俺のどこかを撃ち抜いた。
まさか序盤からこんなにやられるとは……。
ヘタすると死ぬかもしれない。
これまでたくさんの人の命を奪ってきたが、いざ自分がそうなると思うと、あまりの理不尽さに力が抜けた。信じられないほど強くなったはずなのに、こんなにあっけなく殺されるのかと。それも、誰だか分からない初対面の少女に撃たれて。
もし機会さえあれば、彼女を麻痺させることができるのに。
ほかにも手段はある。
もう少しだけ距離が近ければ。
ほんの少しでいい。
あと一歩か二歩。
「ヒントあげます。私は、あなたがなにをしたか知っています」
冷静なようにも見えるし、怒っているようにも見える。あるいは、なにも考えていないようにも見える。
ともあれ、体が痛すぎて、俺はクイズなんかに集中できなかった。いかにして痛みから気を逸らすか、そこにしかリソースを割けない。
パァンと銃弾が来た。
「がァッ……」
痛みが少し和らいだと思うと、すぐに新しい痛みが来た。それも、体の奥深くへ突き込んでくるような痛みだ。
少女は暮れかけた空を見上げ、つまらなそうに溜め息をついた。
「本当に分からない?」
「知るかよ……。正義のヒーローごっこか……?」
日曜朝のアニメによれば、少女たちは浄化の技で悪人を救っていた。だが目の前のこいつは、暴力で俺を殺すこと以外に興味はなさそうだ。
「もしかして、いままで殺してきた相手に対しても、たいして興味なかった感じですか?」
「はぁ?」
「殺されて哀しむ家族の気持ち、考えたこともありませんか?」
「なくはねぇが……」
返事をするのがやっとだった。
彼女は気まぐれに弾を撃ち込んでくる。
そのたびに頭を激痛が支配して、思考が寸断された。奇妙な声が漏れる。ほかにもいろいろ漏れている気がする。なさけないザマをさらしている。
彼女は最後の弾丸を撃つと、またマガジンを交換した。その腕には例のブレスレットが見えた。シュラウド部隊になったらしい、あるいは被検体だからかだろうか。分かるのは、組織も彼女を危険視しているということだけ。
「早く思い出してくださいよ。殺せないじゃないですか。村田弘です。ピンと来ませんか?」
「知らねぇよ……」
ただでさえ人の名前をおぼえるのが苦手なのだ。一回会っただけのヤツの名前なんて、いちいちおぼえちゃいない。殺した相手の名前を集めて喜ぶ変態も、中にはいるのかもしれないが。
彼女は「あー」と気の抜けた声を出した。
「ホント、信じられない。お父さん、なんでこんなバカに殺されなくちゃならなかったの? せっかくお酒もやめて、まっとうな人間になったのに……。私の成人式にも、一緒に写真撮ってくれるって言ってたのに。ホント、なんなの? なんであんたなの? こんなゴミみたいな男……」
そう言いながら、また手足に銃弾を撃ち込んできた。
もう痛みはずっと最大値を維持しているから、それ以上撃ち込まれても、外部から押されているだけにしか感じなかった。感覚がなさすぎて、自分がいまどんな格好なのかも分からない。
彼女はマガジンを交換した。
いったいいくつ予備を用意しているのだろうか。早く終わって欲しい。
「謝ってくださいよ。反省してください。ちゃんとできるまで、殺せませんから。私が納得するまで、永遠に苦しんでもらいます」
「……」
自分の体にこんなに血液があったのかと思うほど、俺は水びたしになっていた。
「えっ? なんですか? 聞こえませんけど?」
「……」
「ほら、早く。早く言えよゴミ! ごめんなさいも言えないのか!?」
「がひッ……」
銃を撃ち込まれては、うめき声しか出せない。
俺だってなにか言いたいのに、喉が粘ついて声が出せないのだ。きっと多量の水分を失ったせいだろう。
「勝手に死なないでくださいね。このために射撃の訓練までしたんですから。大好きだったバレーの部活もやめたんですよ? ぜんぶ、あなたを殺すために。だからいっぱい苦しんでから死んでもらいます。でもその前に、早く謝ってくださいよ。できないんですか? 謝罪なんて子供でもできますよ?」
そう言っている最中も、ずっと弾を撃ち込んでくる。
俺はもう、穴だらけの肉袋だ。きっと急所にも当たってる。いつの間にか口からも血液が漏れ出している。
「はぁ? もう死ぬの? 待ってくださいよ。ぜんぜん足りないんですけど。ゴミのくせに、勝手に死ぬな。ちゃんと謝れ。ほら。謝れ。謝れよッ!」
意識が遠のいてゆく。
いや、ずっと遠のいていた。それが本当に消え去ろうとしている。
少女の足が見えた。
革靴の先端が、遠心力を得て俺の顔面に叩き込まれた。痛みというより、脳をゆすられる感覚。
何度か繰り返しているうち、彼女は尻もちをついた。
近づきすぎたのだ。
*
かなりふらふらするが、ようやく呼吸が整ってきた。
俺は潰れたタイヤに腰をおろし、麻痺で地べたをはいつくばる少女へ告げた。
「思い出したよ。あんた、あのおっさんの娘か。冷蔵庫開けたらさ、酒がなくてガッカリしたぜ。そんで金品あさってたら、あんたの手紙を見つけた。そういや写真もあったな。入学式の」
すでに彼女の意識は俺へ向けられている。だから、こうして言葉を投げる必要などない。
にも関わらず、俺はあえて語りかけた。
いつものように。
「医者は病死と判断したはずだろ? なんで分かったんだ? 教えたヤツがいたのか? いや、いい。自分で調べる。見当はついてるしな」
少女は涙も流さず、円形の目で遠くを見つめていた。まさかこうなるとは思ってもみなかったのだろう。
「謝罪はできない。悪いと思ってたら最初からやらない。謝って償えるものでもない。だからせいぜい俺を恨みながら死んでくれ」
この世界に神などいないのだ。
だからこんな結末になる。
悪人が負けるとは限らないし、善人も報われるとは限らない。ただ動作があって結果がある。
「俺はサディストじゃない。だが、あんたは好き放題撃った。だから俺も仕返ししたいと思う。といっても、余計なことをするつもりはない。ただ、俺のこのムカつく演説を死ぬまで聞かせるだけだ。反論したいだろうが我慢してくれ。聞きたくないからな」
とはいえ、実際は仕返しなどどうでもよかった。
俺はこの会話をしながら、彼女の能力を探っていたのだ。
タイプX。
それがいったいなんであるのか。
このまま彼女が死ねば、俺は選択の余地なくその力を吸収してしまう。正体不明の能力を。
組織は、俺にこの能力が加わることを望んでいる。
つまりこのまま能力を吸収すれば、組織にとって都合のいい結果を迎えるということだ。
タイプX。
水槽の女でさえ持ち得なかった能力。
少女が息を引き取った。
その瞬間、体に能力が流れ込んできた。
あきらかに異物。
しかも、入ってきてなお正体が分からない。俺の他の能力と勝手につながって、なにかをしようとしている。
*
しばらく気を失っていたらしい。
輝くような夏の夜空だ。星々がまたたいている。月は三日月。
遠方では虫たちの声。
そして血のにおい。
彼女の血ではない。ぜんぶ俺の血だ。
自動車のヘッドライトが近づいてきた。
俺は拳銃を拾った。
ナンバープレートには「足立」とある。
「終わりましたか?」
運転席から顔を覗かせたのは思想家だった。
俺は銃口で少女の死体を指した。とっくに終わっている。
彼はうなずいた。
「乗ってください。着替えもあります」
「どこへ?」
「あなたの家までお送りしますよ。もし自宅を教えるのがイヤなら、どこか駅へでも」
「……」
俺は拳銃を少女の上へ放り、車の後部座席へ乗り込んだ。
車はゆっくりとバックして、ターンを始めた。
「付き合わせてしまってすみませんね。どうしても彼女の願いをかなえてあげたくて」
「いや……」
頭がぼんやりしている。
風邪でも引いたみたいに。
俺は血まみれのシャツを脱ぎ、紙袋から新しい服を拝借した。ワイシャツだ。こいつの選択肢はこれしかないのだろうか。
「あの女に俺のことを教えたのはあんたか?」
この問いに、彼はすぐにうなずいた。
「ええ。あまりにもつらそうでしたので、ついね……。村田さんとは長い付き合いでしたから。お葬式のときね、彼女立派でしたよ。まだ若いのに、喪主をつとめて」
「組織には黙っててもらえるんだろうな?」
「約束は守ります。とはいえ、シュラウド部隊にもついに正式な命令がくだりましたから、任務中に遭遇したら敵同士ということになりますが。こうして会うのも今回が最後でしょう」
車は街灯もない道を進んでいる。
日が落ちると気温もさがるから、やはりもう夏ではないらしい。
俺は本題に入った。
「で、タイプXってのは結局なんなんだ?」
思想家はギアを入れ直した。
「まだ分かりませんか? 無能力です。特殊な能力をナシにする能力。いわば普通の人間というわけです。言っておきますが、それは他人からの攻撃も無効化する、なんて便利なモノじゃありませんよ。あなただけが無能力になるんです」
「……」
試しに軽く能力を発動しようとしてみたが、まるでなにかに抑圧されたように、表出してはくれなかった。口と鼻をふさいだまま息を吐こうとしている感じに近い。
本当に?
本当に俺は、能力を失ってしまったのか?
思想家は静かに続けた。
「言ったでしょう? それが水槽の彼女でさえ保有していない、ほぼ唯一の能力だと」
つまり、村田さつきの復讐は、完全に成功したということだ。
夜の景色が流れてゆく。
無人の団地が遠ざかる。
俺の過去はとっくに壊れている。未来もなくなった。
なにをどうしたらいいのか、まったく分からなくなった。
(続く)




