なにも考えてない
「あんた、あれ読んだことある? 『世界が俺を愛さない十二の理由』。その本に書いてあったんだけどさ、世界ってのは、人のことなんてなんとも思っちゃいないんだそうだ。俺らの事情なんてお構いなしに勝手なことをする。ひでぇよな? だからさ、俺たちは、堂々と世界を恨んでいいんだってさ。少し許されたような気分になるよな」
俺は冷蔵庫から牛乳パックを取り出し、消費期限の切れていないことを確認した。
ほとんどモノのない冷蔵庫だ。よく冷えている。
テーブル席へ腰をおろし、ガラスコップになみなみと牛乳をそそぐと、絹のようになめらかな質感が、蛍光灯の光の中で踊った。
もう夏だ。
蒸し暑くて仕方がない。
そこはありふれたマンションの一室。
リビングとダイニングとキッチンがつながっている。
キッチンは長いこと未使用だったらしく、古い油汚れの上に見苦しく埃が積もっていた。
「なんでこんな……。まだ起きてる? なんでこんなことするんだろうなって、あんた思ってるかもな。いや、いいんだ。俺も思うよ。ただ、ほかにすることがないからさ。つまりこれは……自己を肥大化させるという……いわば本能みたいなものだ。分かるかな? たとえば宝くじで一等が当たったとしよう。あんた、そしたらなにに使う? たぶんちょっと買い物をして、残りは貯金するんじゃないかな。それから投資だ。もっと増やしたくなる。もうたくさん手に入れたのに。まだ増やしたくなるんだ。ゲームとかでも、際限なく数値を増やしたくなるよな。アレと一緒だ」
そいつは俺の父親と同じくらいの年齢だった。
たぶん悪人じゃない。あるいは善人かもしれないし、そうじゃないかもしれない。よく分からない。
「なんで人間ってこうなんだと思う? たとえばクマとかなら、冬眠のためにメシを集めることはあるんだろうけど。人間はそこまでしなくていいはずなんだ。少なくとも環境の整った現代ではさ。本当は人間も、クマみたいに冬眠したいのかな? あんた、どう思う?」
返事はない。
返事ができない状態になっている。
べつにサディストだからいたぶってるわけじゃない。こうせざるをえない事情がある。こうしないと命がムダになる。
「そういや自己紹介がまだだったな。って言っても、もう知ってるかもしれないけど。住所氏名年齢は省くよ。あー、そうだな……俺がコレを始めることになったキッカケから話そうか。ある日ね、人が俺を訪ねて来たんだ。『あなたには特別な能力がある』とかなんとか言って。宗教だと思ったよ。でも勧誘はなかった。『まずはこれだけ読んでくれ』ってプリントを渡されたっけ」
俺は牛乳を飲み干し、コップをテーブルに置いた。
蛍光灯がジージーうるさい。
「そいつは組織の構成員を探してたんだ。探知の能力の保有者で。つまり、他人がどんな能力を持ってるか分かるんだ。それで俺のとこに来た。ただ、当時の俺は、自分の能力に気づいてなかった。仮に気づいてたとして、使いようもなかったろうけど。でも、互いに運が悪かったな。俺たちは出合うべきじゃなかった」
俺は窓の外を見た。
ほとんど真っ暗だが、遠方にマンションの光が見えた。向こうからも同じような光景が見えていることだろう。
「で、いろいろあって、連中の神殿に案内されたんだ。あんた、行ったことあるかな? 地下のさ……すっごくキレイで……いかにも新興宗教の神殿って感じでさ。床も壁もぜんぶ大理石なんだ。ライトアップされてて。あ、これ言っていいのかな。祭壇に、細長い水槽が飾られててさ、中に女の死体が入ってんの。そいつがさ、まだ生きてんだよ。いや死んでんだけどさ。なんていうか……肉体に精神が宿ったままっていうか……。俺はアレが気になってさ」
床に転がされた男は、目に見えて衰弱していた。呼吸も細々としている。出血はない。わざわざ切り裂かずとも命を奪うことはできる。
医者は病死と判断するから、事件にもならない。
「あの女……。俺を拒んでるみたいだった。もう死んでるクセにさ。あんなヤツがいるんだなって、少し関心しちまったよ。いや、いいんだ。話を戻そう。俺はさ、あいつらを不快な組織だと思ったよ。なんかムカムカするっていうか。自分たちのことを特別だと思ってて。まあ俺も、そのときは自分が特別だって思ったから、あんま人のこと言えないんだけどさ。でも他人のこととなると、異様にムカつくんだよな。あんたもないか、そういうこと」
まだ死んではいないから、聞こえているはずだ。
語りかける意味はある。
俺は時計を見た。午後十時三十二分。終電までには帰りたいところだ。
「聞いちゃ悪いんだけど、あんた、以前は一人暮らしじゃなかったみたいだな。娘さんの写真があったぜ。奥さんの写真はなかったけど。いや、気を悪くしたなら謝る。プライベートに踏み込むつもりはないんだ。ただ、ちょっと気になったからさ」
入学式の写真が飾られていた。写っているのは、まだ少し若かったころの男と、学生服を着た少女。奥さんの姿はない。おそらく別れたのだろう。そして娘もどこかのタイミングで家を出た。
人の家に入り込むと、そういうことが分かる。
ちなみに俺は、人殺しだけでなく、泥棒も兼ねている。定職についていないから、こういうことをするときは、ついでに現金をもらっていく。つまりは強盗殺人だ。まともな人間のやることではない。
罪悪感は、あるといえばある。
そもそも彼らは死ぬべき人間ではない。なのに俺は、命を奪ってしまう。
理由はシンプルだ。彼らの能力を、自分のものにするため。
完全に自分本位の考え方だ。だがブレーキがかからない。どこかで壊れたのだ。
「組織から、あんたに警告が行ってたはずだよな? なんでもっと警戒しなかったんだ? 自分のところに来るとは思わなかった? それとも仕事が忙しすぎた? まあ対策したところで、だいたいは俺が勝つけど……」
俺は死者の能力を奪うことができる。
ただし会話をしたこともないような、見ず知らずの他人ではダメだ。
互いに交流があり、なおかつ目の前に死体がある場合に限られる。交流といっても、仲良くする必要はない。強い意識を向けてもらえればいい。
これまでも様々な能力を入手してきた。他者の能力を探知する能力、他者を麻痺させる能力、熱を感知する能力、電気を吸収する能力、肉体の回復能力などなど。
目的があって始めたわけじゃない。
探知能力を手に入れたのは、本当に偶然だった。
彼は品のいい老紳士だった。スーツを着て、ハットをかぶって、少し気取っていた。俺を神殿に案内したあと、ほとんど連絡を取っていなかったのだが、体を悪くしたらしく入院していた。気まぐれに見舞いに行ったところ、目の前で死亡した。
よく覚えていないが、突発性のなんちゃらかんちゃらという話だった。俺が命を奪ったわけじゃない。勝手に死んだのだ。そして勝手に能力が手に入った。
世界の見方が変わった。
道を歩いていると、たびたび能力者を見かけることができた。たいていは本人も気づいていないような、微弱でなんらの役にも立たなそうなものばかり。
なんだか楽しくなって、俺は街の散策を始めた。
そんなある日、郊外の一軒家で、強い能力を見つけた。
それはガリガリの婆さんだった。一人暮らしをしているようだった。チャイムを鳴らすと、のたのたした足取りで顔を出した。警戒心が強いらしく、不審そうにしていた。
当時まだ素直だった俺は、自分が能力者であることを告げた。それで老婆の能力に気づき、訪れたということも付け加えた。
老婆は「入りな」と言った。
彼女は、他者を麻痺させる能力を有していた。詳細までは聞き出せなかったが、その力を使っていくらか「仕事」をしてきたと語った。つまり、俺がいましているような行為のことだ。
この老婆が人殺しであるという確証を得た俺は、少しばかりの正義感に目覚めた。俺は「また相談させてください」と告げて家を出た。
何度か通っていると、老婆は俺に心を許すようになった。近所とも付き合いがなく、愛想の悪い婆さんだったから、あまり人と接することもなかったのだろう。俺のことを孫みたいに思ったのかもしれない。
罪悪感はあった。
だがどうしても、俺は彼女の能力を手に入れたかった。こうして通っていれば、遠からず老衰で死ぬと思った。
なのだが、老婆はいつまでも死ななかった。むしろ日に日に元気になっていった。俺が通っていたせいだ。
これは時間がかかると思った。
しかしもし俺が短絡を起こし、直接戦えば、こちらが殺されてしまう。麻痺の能力は、ただ動けなくするだけではない。全力でやれば、呼吸や心臓さえ止めることができる。
だから俺は策を弄した。ある毒性の花を差し入れて、その毒の水を飲ませたのだ。
婆さんは高齢だったから、誤ってその水を飲んだということになった。
もちろん警察から聴取を受けた。俺の差し入れた花で亡くなったのだ。怪しくないわけがない。しかし俺が老婆の現金に手を付けていなかったこと、遺産の受け取りにも無関係だったこと、特にトラブルもなかったことなどから、事件性はないと判断された。殺すメリットがないと思われたのだろう。
俺は葬儀にも参列した。
というより、参列者は俺しかいなかった。葬儀といっても、坊さんなんかは呼ばず、いきなり火葬場へ送られた。
彼女の遺産は、遺言によってどこかへ寄付されたようだ。
能力だけが手に入った。
次のターゲットは体育教師をしている若い女性だった。
水中呼吸の能力を持っていた。
彼女の行動パターンを調べ上げ、仕事終わりに寄るであろうコンビニで待ち伏せた。車から降りたところを仕掛けたのだ。
しかし俺は、このとき重大なミスをおかした。特に交流も持たぬまま命を奪ってしまったのだ。おかげで能力は手に入らず、人の命だけが消え去った。
誰かの通報で救急車がかけつけて、死亡した彼女を回収した。その後どうなったのかは知らない。突発的な病死と判断されたはずだ。
重要なのは「対話」だと思った。
できるだけ長く語りかけねばならない。
ある日、組織から通達が来た。
近ごろ能力者の死亡が連続している。偶然かもしれないが、もしかしたら事件かもしれないので、各自気を付けるように、とのことであった。
この時点では、組織は事情を把握していなかった。なにせ犯人である俺のところへも送られてきたのだから。
探知の能力者は、ほかにもいる。もしそいつに見つかれば、俺が異様な数の能力を抱えていることが即座にバレるだろう。それらの能力が、死んだ能力者のものと一致するということも。
偶然だと言い逃れることもできるかもしれない。
が、偶然にしては、あまりに多くのことが一致してしまう。彼ら彼女たちは、ほとんどが心停止による急死で亡くなった。麻痺の能力者なら、それらを意図的に引き起こすことも可能。そして俺はその能力を保有している。
まともな組織じゃない。
俺が犯人だと分かれば、警察に通報などせず、能力者を使って消そうとするだろう。
だからもし生き延びようと思うなら、俺はもっと力をつけねばならない。
「なぜこうなったと思う? つまり……際限のない拡大が、もし仮に本能だとしてもだよ? 常識的に考えて、そのうちヤバいことになるってのは、誰の目にも明白なワケだ。『いまここ』にしか反射できないサルでもなけりゃさ。だからさ、思うんだよね。俺、きっとなにも考えてなかったんだって。そうでもなけりゃ、こんな軽率なことできないし。きっと俺はサルなんだよ。もっと理性的な人間だと思いたかったけど……。でも、自分のことを特別だと思っちゃったらさ、しかもやりたいことがホントにできちゃったらさ……。人間なんて、一皮むけばサルになるんだよ。たぶんあんたもそうだぜ」
もう死んでいる。
能力も手に入った。
新たに吸収したのは、触れることなく相手に快楽を与える能力。風俗以外では使い道がない。この男がどう使っていたかは知らない。
金品をあさっていると、封筒を見つけた。
切手がないから直接渡したものだろう。差出人はおそらく娘だ。
中の紙は、何度も読み返されたものらしく、かなり汚れていた。
「お父さんへ。いい子にしますから、あんまりおこらないでください。おさけもやめてください。わたしはお父さんのことが好きになれません。お母さんにあいたいです」
きっと例の入学式より前の話だろう。
文字の感じからすると小学生のころか。
冷蔵庫に酒はなかった。
昔はどうだったか知らないが、ここ最近はまじめに生きていたらしい。
もし神が存在するのなら、俺は聞きたい。
なんでこういう男に、よく分からない能力を与えたのだろうか。
いや、それを言うなら、なぜ俺に、こんな危ない能力を与えたのだろうか。
答えはこうだ。
「きっとなにも考えてない」
世界は、人のことなんてなんとも思っちゃいない。
『世界が俺を愛さない十二の理由』にもそう書いてある。
(続く)