閑話 鼬、台所に立つ
この1話を挿入したいが為に以降の話を再投稿する事になりましたことを深くお詫び申し上げます
「ふぅ、やっと帰ってこれたよ」
ちょっと撚れた最愛の妻が選んでくれた金地に紫のラメが入ったネクタイを緩めながら、その男は最愛の家族が待つマンションへと戻ってきた。三日の筈が1週間かかったが何とか任務を遂行しての出張終了であった。
無風の筈のロビーをまるでそよ風に煽られたかのようによたよたと歩くその姿は、“顕在化したゴースト”などと陰口を叩く者すらあるのだが、彼の足取りは(彼の普段と比較して意識の上では)溌溂としたものだった。
彼の名は伊達 ナオト、霊能者である。どこかで聞いた事のある名前なのは、彼の父(プロレス好き)が名前を考える時にたまたまテレビに映っていた古いアニメからそのままパクった為である。本人は格闘技を見る位ならテ〇リスでもやっていた方がマシと考えるほどのインドア派だ。お判りだと思うが他人の為にランドセルを用意するなどという殊勝な事は全くやった事は無い。彼にとって贈り物とは、妻と二人の娘たちの為だけに存在するものだから。
実はこの男、霊能業界では“宇宙人”の二つ名で知られ、若手霊能者の中では5本の指に数えられるほどの実力者だったりする。度のきつい眼鏡で焦点が定まらない目を隠した貧相な顔立ち、痩せすぎた猫背、やたら金ぴかしたモノが目立つ服装・・・ある意味一度見たら忘れられない有名人である。
ここでの若手とはキャリア5年未満の連中の事で、ダントツの1位は現役の1位でもあるチームシリウスの“真の陰陽師(仮)”こと狐塚 葛葉(自称だと狸小路 葛葉)、2位に同じくチームシリウスの“蹂躙する拳王”こと大上 薫、3位には50歳過ぎてのデビューにしてチームシリウスの影のリーダーと噂される“神転がしの達人”こと“番頭”。この男とは宇宙人も“クトゥルフの猫”討伐戦で共闘しているのだが遂に本名を聞くことが無かった。というか、この男の本名を正しく知る者は、霊能業界はおろかチームシリウス内にもいないと言うのはもっぱらの噂だ。
尤も宇宙人は、自分の家族以外には全く興味を示さない男だったので、本人から聞いた事があったのかも知れないが記憶していないと言うのが実情だろう。
その辺に大きく実績も実力も開けられての5位なので当人が思うほどには大したものだとは周囲からは認知されていないが、他人の評価に興味を持たない宇宙人だったので事を荒立てる事も無かった。唯一の例外は4位と比較された時だったが。
何はともあれ、家族が待つであろうマンションの一室に辿り着くとドアの前で一つ大きく深呼吸をした。この男なりに緊張しているのだ。
震える手で呼び鈴を鳴らす・・・呼び鈴を鳴らす・・・呼び鈴を・・・
この行為を十数回繰り返した後、一向に反応が無い事に溜息を吐きながら合鍵を取り出しドアを開ける。この辺りは毎回のルーティーンでいわばお約束である。
中に入ると、パッと眼に入るのは金色に輝くランドセルが二つ。妻が選びに選んだ来春小学校に上がる双子の愛娘ジュリアとアンジェの為の物だ。まかり間違っても孤児院に送ったりはしないだろう。
宇宙人は家に誰もいない事に落胆した。
平日の午前10時に家にいる幼稚園児は寝込んでいるかサボりだと思うんだが。残念ながら二人の娘たちは、元気に幼稚園ライフを楽しんでいるらしく家にはいなかった。
もう一人の家族、妻のマナミはと言うと、お気に入りの半島出身の男性アイドルグループのコンサートが今日やっているのにチケットが取れなかったと、随分愚痴を宇宙人にRAINで書き付けてきてたから外出はしていない筈なのに・・・
宇宙人以外誰もいないマンションの一室は、無駄に広かった、テーブルを片付ければスカッシュでもできる位に。
そして焦点のあっていない目でぼんやりとテーブルを見ていると、1枚の紙切れが置いてあるのに気が付いた。
その紙切れには大昔に流行ったと言われる伝説の字体“変体少女文字”でこう書かれていた。
『なっくんへ
つかれました。さがさないでね♡』
宇宙人には、この文章を書いたのが愛妻マナミなのかは分からなかった。なんせ普段見慣れているのは、RAINの活字ばかりで肉筆の文字などマナミと付き合い始めた6年前から見た事が無かったからだ。
それでも宇宙人は、この文章を書いたのがマナミだと確信していた。彼がそう思った根拠とは、彼女からのメールやRAINは今まで全てひらがなだったからだ。
宇宙人は用心深くその紙きれをボールペンの先で突き度のきつい眼鏡越しにテーブルに指紋が無いかどうか確認する。
そしてこう認識をした。
妻は神隠しにあったのだと。
なぜなら妻は自分に不満などかけらも持っていなかった。大好きなB〇Sのコンサートに行けなかったのに外出する筈が無い。もし違ってたらそのうち帰ってくるだろう、と。
台所でやかんで湯を沸かし(電動ポットの扱いが解らなかった)マグカップに注いで白湯を飲む(インスタントコーヒーのありかなど見た事が無い)。
やがて子供たちが元気に帰ってきた。まだマナミからの連絡は無い。
宇宙人は子供たちにこう言った。
「マナミたんは疲れたからって出かけちゃった。仕方ないからどっか食べに出ようか」
外食から帰ってきてもマナミは家にはいなかった。
それでも宇宙人は、のほほんとテレビを見ながら娘たちと帰りを待ち続けるのだった。
えっ?宇宙人が台所に立っていない?多くを望まないでやって欲しいな。