第7話 狸、黒猫と話す
狐たちが大騒ぎになっているとも知らず、僕はとある街で道路工事の交通整理をしていた。
無意識に浮遊霊地縛霊悪霊怨霊から遠ざかり、神域の縁をなぞる様にやってきたこの街。正直、縁も所縁も何もない所だ。
それにしても、あのおっそろしい娘・・・吊り上がった眼しか思い出せねぇ・・・狐塚葛葉嬢だったかな?
初対面でゲロぶっかけられて、親の仇みたいに睨みつけられて、二足歩行の狐があの子の置き忘れていた財布を呼び寄せるとか言いつつ財布をネコババしようとしてたらしい元同僚込みで財布を登場させた挙句着替え中だったあの子にぶっ飛ばされるという貴重な経験をさせてもらったんだよね。
会わずに済むならこれに越した事ぁ無いよなぁ。
そんな体験の記憶も薄れかかっていたある日、僕は猫と眼が合ってしまった。
珍しい全身黒のシャムで首輪も何もつけていないから野良だと思うんだけど、やたら品があって優雅で流石は王宮で飼われていたなんて逸話がある品種だけの事はあるなと感心させられた。
ただ、不気味なくらい視界に入ってくるから僕を不安にさせるんだ。
実は猫ってそんなに好きじゃない、寧ろすり寄ってきたら脇にどけてやり過ごそうとするのが僕の習性だったりする。
一番嫌いなのは狐だけどね。狐と猫のどちらかを絶対選べとか言われたら嫌々ながら猫を選ぶだろうけど・・・そうか狐かぁ。
あの娘って狐を連想させるんだ。
名前だって狐塚葛葉だし・・・葛葉ってそう言えば安倍晴明の母親の狐の名前だよ。
狐がトレードマークの稲荷神の祠に連れて行ったし、トドメに喋る狐が仲裁というか混ぜ返しに出てきたし・・・あの娘の吊り上がった眼が何より狐っぽかったな。
それにしてもあれだけ言い合ってたのに、僕はあの娘の顔思い出せて・・・
いないな・・・と言うか実際には女性の顔なんて今まで真面に見た記憶が無いから当たり前か。
50年以上拗らせてきた対女性コミュ障はそう簡単には治せない・・・と言うよりも多分治らないと思う。
男の方に興味が向いていた訳じゃなくて、単に怖いって事だけど女と言うモノからは母親だ姉だなんだと虐げられてきた記憶しかないんだからどうしようもない。
とうの昔に親とは死に別れ、家庭内で僕の上に君臨し続けていた二人の姉とも音信不通に、それこそ前の会社を離職したところで金を無心に来る姉たちを見なければならない苦痛からも解放されて繋がりのある女性は目の前からいなくなった。その点で言えば今が気楽でいいかな。
時間が来て休憩に入ると、ここでの同僚(間違っても友人ではない)タナカがすり寄ってくる。
その様子を、視界の隅を占拠し続けるシャムがじっと見続けているのが気に掛かる。
この馴れ馴れしいタナカも嫌いだが、監視しているみたいな猫も嫌いだ。
根がネガティブなもんでポジティブに絡んでくる人物が嫌いだ。
特にこのタナカには来たその日に借りパクをかまされかけてそれ以来警戒対象のままだ。
この男は競馬が好きでしょっちゅう負けているクセ、それを止めようとしない。
寧ろその遊ぶ金を確保する為に僕をその道に引きずり込んでカネヅルにでもしようと思っているのか知れない。
でも多分、世間的には僕よりこいつの方が受けはいいんじゃないだろうか。
陽気で誰かれ構わず挨拶をして話し込むの見ていると、容姿を気にしないのなら好感を持つんだろうなとは推測できる。
見た目は、白髪交じりのぼさぼさに伸びた髪を伸ばし放題にして数か月風呂に入ってないかとさえ思わせる赤黒い顔、口元からは数本残った黄色い乱杭歯が覗き、半分死んだようなどんぐり眼に団子鼻、ずんぐりむっくりの体からは常に異臭が漂っている。時代劇の山賊みたいと言えば誰もが頷く事だろう。
無神経な男で、禿の僕に向かって4か月もすると髪が邪魔になって困るんですよとか言う。
4か月も空けずにふた月で散髪に行け。
体臭がきつい事は何度も言ってるんだからいい加減に風呂に入れ。
僕からするとこいつの性格は明るくて面倒見がいいんじゃなくて、そのままじゃ誰も傍に来ないから自分から押し掛けて行って人の好さをアピールする、遊び金が欲しいから少しでも持っている所にせびりに行くために愛想をよくしているとしか見えない。物事を自分に都合よく曲げて解釈し僕から指摘されると『ああそうですよね』などと適当な返事をして煙に巻き、さらに追及するとその場にいない人間の名を上げて許可を得たと嘘を吐く実に厚かましい男だ。
この職場ではこいつとペアを組まされているので、ちびデブ禿の僕と山から下りてきた陽気な山賊のタナカがいつも一緒にいるように見えるらしい。大変不本意である。
「タナカと田貫って似てますよね!」
「名前の由来が違うだろう。
タナカは田んぼの中の水呑み百姓、田貫は田から水を抜く技官なんだ。お前さんと一緒にされるのは心外だ」
名前の由来は適当だが、心底こいつに付き纏われるのは嫌でたまらない。
《それじゃあ、こいつ消してあげようかねぇ?》
婀娜なおねぇさんのようなガラガラ声、いえハスキーなお声が魅力的ですからっとどこからともなく聞こえる声に言い訳をしながらふっと振り向くと、目の前にあのシャムが気取った姿で座っていた・・・こんなにでかいの猫か?
シルエットは間違いなくシャムなのにそのサイズと言ったら虎、ライオンとまでは行かなくても充分豹ぐらいはあるよね。
誰だ、黒豹を放し飼いした奴は。こいつ猛獣やん。
えっ?尻尾が二つある?・・・猫又かぁ、三毛とか虎縞とかのニホン猫のイメージしかなかったけどシャムのがいるとは知らなかったよ。
《おや?逃げないのかい?》
「この距離で逃げ切れるとは思ってませんからね。
無茶無駄無理はみっともないが僕の信条ですから」
《肝が据わっているやら、諦めがいいのやら》
あの祠で二足歩行して人間と言い争う狐を見てからこっち、地縛霊浮遊霊の類から悪霊怨霊の類まで感じ取れるようになってきてるんです。
妖怪に出会ったからって大騒ぎするような事はありませんよ。
「田貫サン、何猫に向かって独り言言ってるんですか。
それよりもですよ、今度のGIのですね…」
山賊の分際で言葉を話すんじゃねぇ、それにしてもこいつには猫又は見えていないのか?
《今はウチ、気配を消してるのよねぇ。
それでもウチの本性が見えちゃうターさんはあれだよね、霊能者として覚醒して来てるわよねぇ》
「(小声で)そんな面倒なものに覚醒したくはなかったんですけどねぇ」
《そんな事言ったってさ、もう覚醒しちゃったんだもん。
イロんな所から引く手あまたになる事はさ、決定事項だもの》
そう宣いながら擦り寄ってきて2本の尻尾を僕に巻き付ける猫又。
あぁ、逃げたい・・・猫なんて嫌いだぁ・・・
「ですから、田貫サン。長年研究している僕が手取り足取り教えてあげますから一度競馬場に行きましょうよ!」
「何度言えば分かるんだ。
僕は競馬なんかしたいと思わないと言ってるじゃないか。
自分に博才が無い事は判っているんです。
それに人に教えたいんなら三日間全レースを的中させる位からでなければ資格は無いんじゃないのか?僕に教えたければそれ位の事してから言え。
お前と一言喋るくらいなら猫と一日中話していたいわ」
《相当嫌いなんだね、この臭いの。
後腐れなく、首すっ飛ばしてあげるわよ?》
「今やったら僕に嫌疑が掛かるじゃないですか。
警察沙汰なんてめんどくさいだけですよ。
どうせしてくれるんなら、ただ遠ざけるだけにして欲しいもんですね」
軽口のつもりで言ったこの言葉に、僕は後悔をする事になる。