第62話 狐、暴走する
目の前の僕を見つけられずに半泣きで辺りの物をひっくり返す葛葉嬢。いくら何でもゴミ箱の中にはいないだろうに・・・それとも爆散した死体でも搔き集めようとか思っているのかな?
アストラルなものは神性が強いものしか見えない葛葉嬢が見えないんだとしたら僕の存在は実体のない霊、それも魔性に著しく傾いた悪霊の類だと言える筈だ。
でもその前にちんちくりんとは普通に会話出来ていたな・・・じゃあ僕の死亡はその後?でも入れ違いに葛葉嬢が入ってきたんだし、その時には既に見えていなかったし・・・理屈が見えてこないぞ?
相変わらず両手はしっかり実体が有って、向こうが透けて見えたりなんて事にはなってない。ずっと前に死んでいたんだったら、葛葉嬢やちんちくりんを含めてみんなどうやって僕を認識してたんだろう。もしかしてウーちゃんの加護が僕を認識させていたとか?
いや待て、ウーちゃんの加護が切れてからハルピュイアの孵化があったんだから、ちんちくりんが僕を認識できてるのがおかしくなる。
アンジェが僕の眷属になった時、アイツは僕の魂の匂いが好きだって言ってたな。それどころか『落ち武者』の時は僕を棍棒代わりに振り回していたぞ?実体のないのは苦手だって言ってたし。
どの前提が間違っているんだ・・・
僕が物思いに耽っている間に状況は悪化の一途を辿っていたみたいだ。
今や葛葉嬢は、半狂乱になって戦闘補助用の式神を3体起動させ、青い呪符をどこかに飛ばそうとしていた。気が付けば、僕の周りを除いてソファーが砕け散り、床材が方々で剥ぎ取られ、コンクリートの基礎に罅と共に拳の痕がくっきりと残っている。
これ以上は申し開きが出来なくなる・・・
「狐塚さん、落ち着いてください。僕はピンピンしてますから」
その一言で大暴れしていたバーサーカーが急停止する。・・・この惨状をどう言い訳すれば赦してもらえるんだ?
除霊中の現場を施術者以外が覗く事は、一般的に祟られるとか失敗するとか言って部外者の立ち入りを嫌う事から不文律として有り得ないとは言え、ここは科学を金に換える会社だ。金もうけに走る不心得者が出てこない保証なんてものはどこにも無いんだから、とりあえず葛葉嬢が停止してくれた事で、事態収拾を始めなきゃならんね。
この件については手付金の10万しか入ってきていないんだから、できるだけ心証を良くして受取金額の上積みを狙わなきゃならんからね。16強みたいなあくどい商売はしたくないんだけどなぁ。
「旦那さま、どちらにいらっしゃるので御座いますか?私には何も見えないので御座います・・・」
ちょっと待て!なんで葛葉嬢が失明してるの?さっきゴミ箱ひっくり返してたのに目が見えてないなんてことがあるの?確か今朝出る時は・・・この人寝てたみたいで見てないな・・・
誤解のないように説明しときますね。喫茶シリウスの2階3階は、居住スペースになっていて葛葉嬢やカオルン少年と同居しています。していますけど同衾なんてしてません!そんな後々厄介にな事になるって解っている事する訳無いじゃないですか。
単なる同居人なんです。見かけによらずカオルン少年は家事が得意で、特に料理の腕なんてシリウスの客の胃を掴んで離さないのはあの娘だからだって専らの評判で、比べるとと言うまでもなく葛葉嬢はそっち方面はからきしダメで、週に一度の料理担当の日なんて消し炭か全く火の通っていない生以外の物が出てきた事が無い。呪符を作らせたら鼻歌混じりに国宝級の代物を更々書き上げるのに、それこそ呪いのレベルでどうやって料理を諦めさせるかをカオルン少年と二人で悩むのが日課だったりする。
サラダと称して適当に千切った(としか思えない)キャベツの外葉に生のレバーが丸のままデンと乗って居る様を見て食欲を誘われる向きの方ならともかく、中途半端な知識と稚拙な技量、独創的な発想そして壊滅的な味覚から繰り出されるある種の食テロを料理と呼ぶ事は食材の無駄遣い以外の何物でもないと僕は声を大にて言いたい。吊り目をキラキラさせて評価を待っている葛葉嬢の姿を見なければだけどね・・・
現実を直視したくなくて逃げてても目の前の状況は何にも変わらないか。
僕は葛葉嬢が右手に握りしめている青い呪符を受け取ってそのまま葛葉嬢の眼に当て呪文を唱える。
「凭流勅使神破屠狗」
青い呪符は回復符。霊的な損傷、霊による損傷ならこれでどうにかなる筈。さっきの僕のだってハルピュイアの孵化が引き起こした霊的な損傷だったからこれで治せたんだ。ファンタジーな世界に出てくるポーションにも負けない中々な優れモノなんだ。霊力を込めて呪文唱えないといけないけどね。
葛葉嬢は、髪がほつれげっそりとした表情で使った回復符を目から外すと周囲を見渡す。
そして、切れ長の吊り目から滝のような涙を流すのだった。