第59話 狸、兎と肚を探り合う
「あいにくだけど宇佐木さん、銀河開発には恨みこそあっても恩義は無いんだ。その話は聞かなかった事にするよ」
五木、一ノ瀬と押したり引いたりしている最中にぶち込まれるちんちくりんからの爆弾提言を、僕はノールックでスルーして見せる。痩せても枯れても田貫光司は男で御座る、なんてね。
そんな事よりどうにかしてここから脱出しないとあの壺の中身がどうにかななっちまうのは間違いないんだ。アンジェ、壺は大丈夫なのか?
《壺の中から赤い光やら青い光やらが漏れ始めてるわ。ターさん♡冗談抜きで早く出てきて!》
流石のアンジェ姐さんも余裕をかます事が出来なくなってきたか・・・ヤバいぞ。
「済まないが一ノ瀬社長、全社員に建物からの一時退避を命令して欲しいんだけど、いいかい?」
「番頭さん、何かあったのかい?」
「壺を監視している僕の眷属の猫又が緊急避難指示を出してきたんだ」
「ホントに猫又を眷属にしてるのか?・・・その言葉を信じよう、全員退避だ!」
・・・いろいろ悩まずにサッサと進言していればよかったのか?悩んだ挙句に危機的状況に追い込まれた自分がバカみたいじゃないか・・・
何はともあれちんちくりんを含めた全員で社外へと移動を始める。社内はファイルを運び出そうとしている社員やらどこかに連絡をしようとしてスマホに怒鳴っている四方山クンやらで大騒ぎになっている。アンジェ、お前さんの手下にファイルを持ち出そうとしている連中の後を追わせてもらえないか?
《このどさくさに紛れて妙な奴が出てくるなんて!・・・火事場泥棒ってそんな奴らだったわね。
ターさん♡、任せて♡》
確かに壺自体が発光を始めてるな。全体的に赤と青で交互に光ってやがる。アンジェも一緒に出よう、危険なのに中で見張ってる必要はないさ。
10秒ごとに色が変わる『妖怪の壺』を後にして外に出てみると、MSMの社員たちが30人そしてちんちくりんがビルの前の植え込みに座り込んで、不安げに中の様子を窺っていた。僕たちが最後だったみたいだな。
「とりあえずは全員待避できたんですか?一ノ瀬社長」
僕の問い掛けに、一ノ瀬クンがまるで煮えた酢でも飲まされたかのような顔で頷く。
「で、アレは何だったんです?」
それが解れば苦労しないよ・・・アンジェも初めて見たみたいだったな。
「何だったかって、知らずにあんなにモタモタ交渉していたんですか?」
その言い方は正体を知っていたのか?ちんちくりんよ。
「おじさま、アレなんだと思われますか?」
「ウチの猫又が知らないって言ってるから日本の妖怪じゃないだろうとは思うけどね。
霊なんかよりよっぽど質が悪い奴じゃないか」
「流石ですね、予備知識なしでそこまで絞れていたなんて」
ちんちくりんは心底驚いた風に目を見開いているけどさ、『日本の妖怪じゃない』『霊障じゃない』って特定できただけなんだぜ。実質何も解らないんだけどね。それにウーちゃんからヒントは貰ってるんだから予備知識が無かったと言ったらウソになるな。
「その様子じゃアレがなんなのか知っているって事か」
ちんちくりんはさも当然のように頷く。
「交渉の結果に依っちゃ色々やらなきゃならん事が出来るから、情報として雇い主の新銀河開発からレクチャーを受けてたって訳だ」
ちんちくりんが無表情になった。今更ながらにうっかり口を滑らせた事に気付いたって事か。そんな演技にはダマされないよ、交渉事の鬼のコイツにうっかりなんてものはあり得無いな、さてさて肚の中で何を考えているのやら・・・
猫たちが集団になって3人の男を取り囲んで連行してきた・・・そういや、最初に街から逃げ出した時に途中で猫に取り囲まれた事があったなぁ・・・さてはありゃあアンジェの仕業だったって事か。100匹以上の猫に取り囲まれてこいつらも事の異常さにビビってるみたいだな。肩にはこいつらも羽根が付いているな。
「よう、新銀河開発のスパイさんたち。ご機嫌は如何かな?」
二宮さんがにこやかに声を掛けると三人はビクッと体を震わせて硬直してしまった。
「ちょっと待ってください。スパイってどういうことですか?」
「大方、交渉が難航してるからって痺れを切らしたバカ息子辺りがこいつらにデータを盗んで来いとか命令したんだろうね」
「そんな、おじさま!あたしは全権を持って交渉するって約束でここに来てるんですよ?そのあたしが知らない内に盗みだそうだなんて・・・信じられません!」
「お嬢さんや、信じられようが信じられまいがあいつらの常套手段だから儂らは驚きもせんよ。
自分の思う通りに事が運ばなければどんなにうまく事が運んでいても切り捨てる。金は自分たちの為だけにあるんだから貧乏人は慣れない大金なんか持たずにピーピーしてろ、なんてのう」
そういう喋り方だからバスとかでシルバーシート譲られてんじゃないのかい?二宮さん。
「そうなるとあたしはいくら貰えんのかしら・・・」
「過去の経験とあいつらの性格から鑑みてお前さんは無報酬、或いは宿泊代やら食事代やらを過大請求してきて死ぬまでタダで扱き使う、辺りが妥当じゃないか、のうみんな」
この二宮さんの意見には、僕や“研究棟のナンバーズ”それどころかスパイたちからも賛同の声が上がった。
「じゃあ、新銀河開発への義理を果たそうが果たすまいがあたしの運命はほぼ決まりって訳なんですね」
お前さんの察しの良さは特筆すべきものがあるな。
「どうせお前たちもカネダ親子の口車に乗せられて盗みに来たんじゃないのか?前田、後藤、左近」
名前を呼ばれてバツを悪そうに下を向くスパイたち。こいつらは受難続きのMSMに愛想を尽かして辞めて行った創業者たちだ。当然、僕とも面識がある。因みに今回来ていない残りの一人こと右山は、既に再就職が決まっていて勤務地に転出しているらしい。
「お前たちが辞めた後、保管システムを一新してるからアクセスだってままならなかったんじゃないのか?
前に管理していた機械と今の奴は別にしていたしスタンドアロンにしてたからハッキングもできんかっただろう。その代わりに用意していたファイルを持ち出したみたいだがな。
今時紙でデータを保管とかする訳無いだろうが、それに乗ってる奴は全て失敗した別件分だけだから再現したところで何にもなりゃしないさ。それどころかそのまま外に出そうもんなら責任問題で誰か首を吊る羽目になりかねないぞ・・・まぁ、あの親子が吊る事ぁねぇだろうがな」
裏切り者の三人の顔色が青ざめているな。三島氏の説明が本当だとしたらこの三人が首を吊る羽目になりそうだが。
「三島さん、こいつらをいたぶるのも大概にしましょうや。同じ釜の飯を食った仲間だったんだしこの場は不問にして行かせてあげましょう」
「一ノ瀬さん、そりゃああんまり甘すぎるって奴じゃないんですか?
この足でそのまま向こうに舞い戻られた日には、せっかく作ったファイルが無駄になっちまうじゃないですか」
喧々諤々と社屋の前で激論を交わしているMSMの連中に、尾羽打ち枯らして敵の先兵に成り果てた三人のうちの一人後藤が声を掛けた。
「お取込み中で済まないけど、一ノ瀬君、儂を会社に戻してはくれないかね」
この男は僕と同い年で、社長の腰巾着だった男だ。会社設立の時も副社長にしろだの専務がいいだの好き勝手な事を言って無駄に紛糾させて設立を遅れさせた経緯があるらしい。本当かどうか知らないがカネダ派と呼ばれているらしい。後藤というよりGO TO HELL!!と言ってやりたい。
「こんなことした人を不問にした上で会社に戻したなんて世間に知られたら痛くもない肚を探られるのがオチじゃないですか。謹んでお断りいたします。
それよりロビーの方がさっきより眩い気がするんだが、宇佐木さん、アレの正体は何なんですか?」
流石の一ノ瀬クンも禍根の芽は絶った訳だ。ところで霊感の無い人は悠長な事を言ってくれているけど、実はかなりヤバい状況だと言える。赤かったり青かったりと言う10秒間隔の点滅から白い閃光が断続的に放出されている極めて間隔の短い点滅に切り替わっているからだ。
「あれはハルピュイアの卵なんですよ」
ハルピュイア、一般的には英語読みのハーピーで知られるギリシャ神話に出てくる化物。老婆のような顔、禿鷲の羽根、鷲の爪を持つ半人半鳥の姿・・・ウィキにそう書いてある奴だよな。
「なんでそんなものがここにあるんだ」
「新銀河開発のオーナーたちが個人輸入したらしいですわ。タダ働きさせられると解ったら守秘義務もへったくれもありませんよ。
ギリシャ神話はともかくとして、アレは男の精気を吸い込んで成長するそうです。そして女には一切興味を持たない。最初に出会った男は必ず食い殺すって辺りが資料に乗ってましたね」
かなり投げやりに爆弾情報をドッカンドッカン落としてくれるんだがちんちくりんはどうしたんだ?
「ブラックバスやセイタカアワダチソウなんてのは特定外来生物なんて言い方があるじゃないですか。あれなんてもともと日本にはいなかったんだから特定外来怪物とかって言うんですかね。まぁ食べられちゃうのは男の人限定らしいからあたしは関係ないし。
持ち込んだのが新銀河開発だって証拠が今まで見つかってないんだから罪にも問えないでしょ?」
さり気なく雇用主を売って逃げる算段を始めたな、ちんちくりんよ。多分あれがなんなのか教えるのも契約で禁じられていたんだろうし、お前さんの立場じゃそれくらいしかできないか。
「たしか、特定外来魔物に指定されてたはずだろ?このままここにいてももうすぐ出てくるハルピュイアに喰われてお終いだな。
僕としてはできるだけ遠くまで逃げるのをお勧めするけどね」
逃げたからと言っても逃げ果せるとは限らないけど希望は持たせていかないとな。
「番頭さんはどうするんだ?」
逃げ始めた人に押されながら一ノ瀬クンが僕を気遣う。だから君が社長に選ばれたんだろうね。
「孵化を止められなかった責任を取るつもりだよ。まぁほんの少しだけ勝算はあるつもりだから逃げてくださいな、社長さん」
僕を止めようとする一ノ瀬クンやアンジェを躱し僕は眩い光で正視できそうもない壺ことハルピュイアの卵目指して歩きだした。