第6話 黒猫、狐の神様に強請る
【【もし、タマちゃんが悪神にでもなったらどうしてくれるんや!】】
突然轟く何かの波動で、僕は一休みしていた公園のベンチから跳ね起きてしまった。まだ夜明け前じゃないか。
何があったんだ?
タマちゃんって何?猫?猫がアクシンになるってどういう意味?なんか胸騒ぎがするし何やら気配がしてるし。
咄嗟に周囲を見渡すと、そこここの暗闇から覗く青く光るものが僕の周りに集まってきているみたいだ。
これ、もしかして全部猫の目?
僕は自然に死んでいきたいのであって、猫に食われて死ぬのは御免だ。
咄嗟に僕は勘に従って手に持った物を猫たちの中に放り込み、それに気を取られて薄くなった包囲網を破って走り出した。着替えた後の一張羅の成れの果てだ。
洗濯代も勿体無いし、臭いが落ちるとも限らないし、財布ごと賽銭にしたんだから今更拘る必要ももうないだろう。
どうせ今日からホームレスだしな。
あっ・・・うちのアパートと違う方向に走り出しちゃった。
今更だよなあのアパート、戻んなくてもいいよな。
でもそっちはやな感じが2つ3つあるからやだし、こっちには電柱の根元にしおれた花が飾られているのが見えてその横にうすぼんやりとした人影が見えるな。
足元に鎖のようなものが繋がっているのが見えるから、これって地縛霊って奴かな?
どうせもうすぐお仲間になるんだからそんなに睨まないでくれよ・・・
◆◆◆
《まさかこのようなめくらましを仕掛けてこようとは・・・私めの情報網がこのような事で崩壊しようとは思いもせなんだな》
悪臭を放つ物体に鼻をひくつかせながら“よの16番”が嘆いています。
悪臭を放っているのは、あの狸小路さんのスーツだったもの。
臭いの元は・・・恥ずかしながら私の嘔吐物(一般的な呼び方だとゲロ・・・とか言う物)です。
恐れ多くも稲荷神・・・いえウーちゃんがおっしゃるには、前々々世よりの私の思い人らしい方のお召しになっていた物なのですが、私が出したらしいアレに塗れた挙句、稲荷狐の要請で捜索していた猫の一群によってものの見事なゴミと成り果てて私たちのいる稲荷社の祠に届けられたのでした。
そう、私とウーちゃんが出会った祠へです。
『眷属の失態はその主であるワテの失態や!』などと言われて陣頭指揮を執られるウーちゃん(正直この呼び方は恐れ多すぎて寝る時に魘されそうですが)が、目の前で太々しく欠伸をする一匹の黒猫を忌々しげに見つめています。
よく見ると尾が二又に分かれています。
この近辺の猫を統括している猫又なのだそうです。
化け猫は猫又になり損ねた半端モノだとか、鼻だけが自慢の狛犬どもは証拠らしいものを見つけられたのかだとか上から目線で講釈を垂れるこの猫又“シャム猫の杏莉”はどのような形であれ一番に遺品を見つけたのだからと褒美を強請っているのです。
まだ出会ったばかりで顔も定かではない方とは言え、稲荷し、いえ、ウーちゃんが私の運命の方だとおっしゃられた方の遺品と言うのはあんまりだと思います。
まだどこかで生きているかも知れないじゃありませんか。
神様の情報網からはみ出ちゃうとか普通では考えられない事が起きているので、覚悟はしていますけど・・・
《稲荷神さま、“まの134番”より報告が参りましたな》
まの134番は、狸小路さんの住んでいるアパートにほど近い白髭神社の中にある稲荷社の祠に住み着いている稲荷狐だそうだ。
ウーちゃんが主祭神として祀られる稲荷神社では他にも神様が合祀されていて、その中の一柱であられる猿田彦命様が主祭神として祀られている白髭神社にも縁があって稲荷神が摂社として祠を構えていらっしゃります。
当然、そこには眷属の狐が常駐している訳で。
こうして見ると『天網恢恢疎にして漏らさず』と言う言葉はいいえて妙だと思えますね。
【さよか、ほな報告聞こか】
《はっ!
“まの134番”より入伝。〖彼ノ者、未ダ棲ミ処ニ戻ル事叶ワズ。出奔、失踪、死亡ノ可能性極メテ高シ。捜索ノ終了ハ是非モ無シ〗以上でありますな》
『棲み処』って動物じゃあるまいし。
要するに『家を張り込んでいますけどまだ帰ってきません。もう帰ってこないだろうから帰っちゃっていいですか』って言ってるんだわ。
まだ3日しか経っていないんですよ。あの(多分)用心深そうな人がそんな簡単に帰ってくる訳ないじゃありませんか。
何となく“悪神”に自分がなりそうな予感がしてきました。
ウーちゃん、そんなに慌てて逃げる事無いじゃありませんか。
【そない言うたかて、タマちゃんは前世で一遍やらかしてんやさかい思わず身構えるに決まっとるやないか!】
《玉藻の前サンが本気出してくれんなら、ウチらしっかりバックアップしちゃうけどねぇ》
《“シャム猫の杏莉”よ、お前は恐れ多くも稲荷神さまの前で不逞な物言いをするでないな》
《なぁにを『虎の威を借る狐』じゃないや『神の威を借る狐』が偉そうにモノ言ってんのさ。
ウチらはちゃんと働いた報酬を貰えればそれでいいんだよ?
約束守らねぇんだったら、玉藻の前サンにこの世をぶっ壊して貰ったって構やしないよ。
他の連中の何にも出せてない成果とウチらがちゃんと持って来たコレとどっちが価値があるっていうのさ。
ちゃんと貰うモノ貰わない内は、ウチらはあんたら狐に協力する事ァ無いよ!
コレがえーと『不退転の決意』って奴さね》
【“魔は混沌を愛す”っちゅうこっちゃな。
せやけどお前が言うんも一理あるで。
“よの16番”約束通りに鰹節100本出してやってぇな。
昔から『一番槍』には褒美を出すんが慣わしや、おおきにな】
《流石は手下のボンクラどもとは器が違うわぁ。
ほんじゃ、引き続きウチらも捜索を続行させて貰うよ。
玉藻の前サンには暴れ回って欲しいけどさ、悲しませない方がウチみたいなモンが出てこなくなるんだからそっちの方がいいだろ?》
黒猫と言うより黒豹と言った方が似合いそうな大きさの猫又は、私にウィンクを一つして闇の色の霧に紛れて姿を消した。
【タマちゃん、あの煩い猫又に気に入られたみたいやね】
「別に何もしていないんですけど」
《大方、あのゲロの臭いが気に入ったんでしょうな!》
ウーちゃんの眷属はものすっごく根に持つタイプだった。
【どあほぅ、あ奴の言うた通りやないけ。
タマちゃん、とにかくワテも他の顔も使うて探すさかい早まるんや無いで】
「水神の広瀬大忌神さまとかお伊勢さまとかという事で?」
【当たり前やないけ、結果次第じゃこの国、亡びるで?
それこそ国家鎮護の大物忌神の顔かて使うちゃる!
このあたりだけの事やあらへん!ワテの存在価値そのものにかかわる一大事なんや!】
私としてはそんなに思い入れの強い方でもないのですが、神様には逆らえませんね。
雨が降り出しそうな空を見上げながら面倒そうな展開に溜息が零れてきました。