第50話 狸、生ゴミに騙される
「おい、誰か車を回してくれ。済みませんが所轄のパトカーになりますけどね」
県警捜査3課の熊井(C県で土建屋から警察に僕を連行した刑事の事だろう)の兄が、ニヒルな笑いを口元に浮かべてそう告げて間もなく、パトカーがタイヤから煙を上げて後ろを左右に振りながら稲荷社へ突っ込んできた。正面から来たから逃げるのを諦め、目を閉じて最期の時を待つ。
すぐそばでドーンと大きな衝突音が鳴り響く・・・
暫くして目を開ける・・・普通に生きてるな。絶対逃げ損ねた筈なのに無事だったのは、多分アンジェが気を効かせて僕を移動させてくれたからに違いないな。お金を稼いだらいいもの食べさせないとな。
振り返って祠の方を見てみると、たった一晩でアレの臭いが染みついてしまった小さな稲荷社は跡形もなく倒壊してしまっていた。当然今夜のそして今年最後の泊りは野宿が決定した訳だ。
喰う物も無く(ここにあった供物はアレが食い荒らした後だったからな)寝る床も無く(パトカーに事故られるとは・・・)懐には金もなく(『クトゥルフの猫』討伐の報奨金は審判だったから貰えなかったし)只々呆然と黄昏ているしかなかった・・・あの言葉を聞くまでは。
それはパトカーに破壊されつくされていた稲荷社を片付けていた警官からの一言だった。
「熊井警視、タナカの遺体が見つかりません!」
悪夢は終わらないのか。そんな事を想いながら熊井の顔を覗き込むと、大の男が・・・泣いていた・・・
流石にそこまで思いつめなくても、なぁ。
「連続空き巣事件の犯人の筈のタナカがいないだと?タナカに関しては寝たきりの年寄りからの寸借詐欺疑惑に喫茶店でのセクハラ、ストーカーの疑惑もあるってえのに(部外者の一般人がいる所でそんな大事な事をペラペラ喋っていいのかね?)。
挙句に整備不良のパトカーが家屋一部損害(完全破壊だと僕は思いますけどね)の被害を出しやがるし、年末ぐらい平和になれよ」
【家屋一部損害やて?全壊やないか!
オドレはワテんとこの祠をぶっ潰しよってからに過小評価して逃げようとか思うてけつかんのか!】
自称庶民派の武闘派女神が僕の横で息巻いてますけど、熊井警視は完全無視で思い悩んでるね。
こんなにはっきり顕現してるのに気付かないなんて、もしかして祠が無くなって神域が消えたのかな?
もしくは余りに庶民派すぎて信仰心が薄れちゃったとかね。
あれ?どうしました?顔が引きつってますよ?
【アホンダラ!ワテが動揺とかする訳あらへんやないか!これはあれや霊的感受性の欠如した人間なんや、コイツは】
苦しい言い訳御馳走さまです。そんな素直な貴女だから葛葉嬢をお任せできたんですから。
【神を煽てても御利益なんてあらへんでぇ♡!タマちゃんの事なら大船に乗ったつもりで任さんかい!】
流石は七福神からあぶれても、幸いを呼ぶ神として信仰の篤い稲荷神さまは懐が深い。
【なんか馬鹿にされてるような気ぃがするけど・・・きっと気のせいやな】
鋼のメンタルは健在っと。それよりこれからどうするかだな。
「田貫光司さん、改めて署まで同行してくれるかな?」
熊井警視の目付きが怪しい。アレがいなくなってるのに僕をどうしようってのさ。・・・まさか。
「任意なんでしょ?当然」
「もし嫌なら強制に切り替えますがね」
嫌な予感が的中したみたいだな。
「ご用件にもよりますけど?」
「ここ1週間で12件発生している空き巣事件に関するアリバイと駅前の老人ホームで発生した2件の寝たきりの婆さんたちからの寸借詐欺、そしてこの坂を下ったところにある喫茶店のウェートレスに対する連日のセクハラ行為とストーカー行為。取りあえずの容疑はこれくらいになりますがいかがなものですかね?」
それはアレに対する容疑だろうが、検挙率を上げるために僕を身代わりにしようってのか?
「それはここに巣食っていた生ゴミ野郎に掛けられてた嫌疑じゃないんですかね」
「いやいや、タヌキコウジとタナカコウタで誤植でもあったんだろう。手錠を掛けようかな?」
「冤罪ってこんな簡単に出来上がるだなんて思ってもいませんでしたよ。昨日まで関西にいたんですからここ1週間でそこまでの犯罪行為をできる訳が無いでしょう」
「それを証明できるのは?」
ずっと山籠もりしてた挙句に、一緒にいた連中は解散して所在なんざ解らんぞ?アリバイってどうやれば証明できるんだ?
《最低でも昨日のアリバイなら証明できるんじゃない?》
真冬にその黒ビキニは寒そうで嫌だな、アンジェ。人化はまだ解いてなかったのか。
「なんだこの外人女は。露骨な恰好しやがって。ここに住み着いていたのか?パスポートはどうした、ん?
無いんだったら強制送還してやるから署まで同行しろ。
ただ、場合に依っちゃ便宜を図ってやらんでもないぞ。ほれ水とササミって奴だ」
《“水心あらば魚心”それくらいは知っとけよ》
「僕の前でよくもまあそんな事が言えますね。そう言えばあなたから警察関係の人間だって証明を見せて貰っていませんでしたけど・・・本物ですかね?」
何をギョッとしてるんだよ。
「今まで騙せなかった僕を騙せてうれしかったか?タナカ。どこまでが偶然かは知らないが随分と大掛かりな罠を張ってくれたもんだな」
「何を言ってるんだか・・わからないんですけど・・・」
今、僕の目にはオドオドしている生ゴミがはっきり見える。きっとウーちゃんが顕現しようと結界でも張ってくれたんだろう、呼吸がしやすくなっている。
あいつの臭いの効果ってこんなに凄かったのか・・・初めて思い知ったよ。
「一番上手な嘘ってのは真実を少し混ぜる事だって聞いた事があるんだが、蓋し名言だね。
多分お前のここに来てからの罪状は空き巣12件、寸借詐欺2件、ストーカー条例違反プラスここへの不法侵入と供物を喰ったから窃盗、動物虐待、それからさっきやってくれた洗脳した警官を使って車で僕を殺そうとした殺人未遂、公文書偽装を利用して不法逮捕、最後に拘留中の脱走も継続中なんだよな」
「な、何を根拠に・・・俺は無実だ、無実なんだぁ!」
アレが、僕に背を向け脱兎のごとく逃げ去ろうとすると向かいにある公園に植えてある大木が突然アレを圧し潰すかのように倒れてくる。
足元で人化を解いたアンジェが、身体を摺り寄せてくる。
《ターさん♡、ウチ役に立ったでしょ?》
なんの事だかわからないが取りあえず眉間やら喉元やら脇腹やらを撫で回してやる。こいつ、こんなに柔らかい毛並みだったんだ。
嬉しそうに喉を鳴らす黒猫(僕にとってのサイズは豹なんだけどね)が目を細めてしな垂れかかってくる。
【今回は“杏莉”に助けられてもうたがな。この借りはいずれちゃんと払うたるで】
なんで?
【なんや眷属の手柄に気付きもせんで撫で回してたんかいな、ったくもう。
ええか?“杏莉”はやな、車が突っ込んで来よった時に旦那さんを飛ばして逃がしたんや(それは解ってます)、それから旦那さんの足元で風を起こして旦那さんが吸い込んでしもうた悪臭を払うてあのくそゴミの洗脳から旦那さんを救うたんや、仕上げはあの大木や。
足向けて寝たらバチ中るで】
《ウーちゃん、それぐらいにしてくんない?
ウチは眷属としての義務を果たしたんだし、ターさん♡はこうして報酬をくれてる。
これであの生ゴミが地獄に落ちてくれたらタマちゃんたちも含めて大団円って事よね“雨降って地固まる”?》
微妙に意味が違うような気がするが、余計な事を言うと墓穴を掘りそうなので黙っておこう。今はひたすらモフモフの感触を楽しむに限る、アンジェも大喜びだしね。
余談ながら本物の熊井警視はパトカーの下から瀕死の状態で見つかり病院のICUに担ぎ込まれたが、生死に別条はないとの事らしい。鍛えている連中の生命力には驚かされるよ。
アレはパトカーに警視が轢かれたのを見て成りすましをしようと出てきたらしい。で、都合よくパトカーが祠を壊したから行方不明になれた筈だった。そこで逃げてしまえばいいものを僕に復讐しようとして最終的に捕まった訳だが、この話にはまだ続きがある。
またアレは警察から逃げ果せた。
僕の事を用心してこの近辺にはいないみたいだけど、いつまた葛葉嬢を狙って舞い戻ってくるかわからない。葛葉嬢が真っ当な奴と結ばれるまでは番犬代わりに傍に居なきゃダメだろう。
追伸、大みそかと正月3が日は以前ウーちゃんが葛葉嬢とのスイートホームにとか抜かしていた祠で過ごさせてもらった。
臭いが移らない内にこの章は終わりです




