第35話 狸、死線を彷徨う
「これだけ流せば、この子たちに来年を迎えられるチャンスがやって来る筈ですから」
僕としては、自分が平穏無事で生きてられればそれでいいんだけど、周りの状況がそれを赦してくれないだけなんだ。
本来なら無関係な筈なのに同盟に追われて『猫』と遭遇する羽目になり、その挙句に同盟と同盟関係になると言う冗談にもならない現実を受け止める為に僕は今を生きてるんだ。
そして今、僕は褌一つで滝に打たれている・・・所謂滝行である。
僕としては、単なるオブザーバーとしてチンピラどもの修行を見学している筈だった。
それをあの稲荷狐“よの16番”が、余計な事を口走りやがって鬼軍曹のやる気を呼び覚ましやがったんだ。
・・・・・
《稲荷神さま、それにしてもこの数でこれだけの力を持った者共の鍛錬など久しぶりでございますな!》
【あほんだらぁ!ワテが直々に加護を付けたんやでぇ?これくらいにならんでどうするんやぁ。当たり前やないかぁ】
「ウーちゃん、どうでもいいですけど顔がでろでろに緩んでますよ」
【ボケェ!そんな事あらへんて言うてるやないかぁ!あほな事言うとらんでちゃっちゃっと修行を始めんかーい!】
「はっ、では早速!何から始めてよろしいでしょうか!」
【おーっ!そうやな、まず基本はアレや、アレをせい!】
ちんちくりんめ、あのウーちゃんの適当な指示に困ってるな。ウーちゃんの適当さは今始まった事じゃ無いんだもん、絶対勢いだけで適当な事言って誤魔化そうなんて思ってるに違いないよ。
【なんや、タマちゃんの旦那さん。ワテになんぞ文句でもあるっちゅうんかい!】
バレそうになったら取りあえず絡む、その行動パターンは見抜かれてますよ。
出羽三山の修行を知り尽くしていると豪語しながらも明確な指示も出さないウーちゃんに戸惑うチンピラどもに、一応の助け舟でも出しておくか。
ちんちくりんにどんな宗教だって修行の始まりは身を清める事から始まるからと諭し、水垢離をしてみるように誘導すると、
【なんや、流石は旦那さん。ワテが意図するもんをちゃあんと分かっとんやん】
なんて事ぁない、神道で言う所の禊を提案しただけなんだけどね。
時代劇とかで見た事無い?お百度参りとかして願掛けの成就を祈って井戸水頭からかぶってる奴。
《狸の分際で禊でまずは精神修養を目指させるとは、中々感心でございますな!
然しながら、稲荷神さま。この者自体も鍛えねばなりますまいてな。
あの末生りに殴りかかって自身の拳を痛める程度の貧弱者に、あの玉藻の前さまのお相手などとてもとても務まりますまいにな》
自覚はあるが、お前らに色々言われたかないわ!言葉の端々に棘があるっちゅーの!
【それはそうやなぁ・・・そや、旦那さんアンタもこいつらと一緒に修業しいや。
たった1週間でもしたんとせぇへんのとじゃ豪い差が出るさかい。ガンバりぃな】
軽~い調子で決まったこのプチ修行は、僕に新たなトラウマを植え付けてくれる事となった。
僕以外の10人は修験道の白装束に身を包み、修験道部外者の僕は褌一丁で修行に励む事となる。因みに諸悪の根源 猫田かぶれ部長殿は今だ寝込んだまま、と言うか普通に鼾をかいて寝ているが起きてきても周りの士気は下がるだけし、碌な事もできやしないし、足手纏いまっしぐらとしか言いようが無いんだから起きてこなくて正解である。
それにしたって12月の霊峰で、ずぶの素人が裸同然の姿で、・・・頑張ったよ、頑張りましたとも!
先ずは滝行で身を清めて写経をし、次は滝行から一本歯下駄を履いての霊峰踏破で体力を底上げし、更に滝行から寒風吹きすさぶ崖の上で座禅を組んで霊力を鍛え、止めに滝行から・・・ってどんだけ滝行が好きなんじゃ!
井戸水かぶる水垢離でも充分すぎるのに、なんで態々冬山で身を切る様な滝の水に一々打たれにゃならんのかい!
おかげで皮下脂肪が2~3センチ厚くなったじゃないか!
僕以外の修行にはなじみがある筈のチンピラどもにしたところで落伍者が続出で、写経をする本堂から裸足で逃げ出す、霊峰で迷ったふりしてコースアウトする、崖から転落して行方不明になろうとするなどのミッションを数々遂行していった・・・にも拘らず、決闘当日の朝には僕を含めて11人の“精鋭”たちが顔を揃えていたのだった。
なんせ、鬼軍曹とその配下の“熱心な”指導教官どもが脱落を見過ごしてはくれないんだもん。
冬山なのに逃げ出した奴を熊やマムシが追い回すは、迷った筈の森の中に狐火が点々と灯り言い訳ができない状況に追い込まれるは、決死の紐なしバンジーで崖から転落しても下から烏やら野犬やらに追い立てられいつの間にやら崖の上に戻っているは。やらかしたのは全部伊達だよ。家族の顔を一日観ないと禁断症状が出るからとか訳の分からん理屈こさえては、ほぼ毎日脱走を試みてすべて失敗・・・連帯責任として、僕を含む全員が余分な宿題を抱えこまされて睡眠時間を削り込まれる羽目になった。
そんなこんなで伊達はみんなから毛嫌いされているけど、本人は迷惑かけてるとか思って無いから癪に障るよ。
それにしたって例え滝行の最中に心臓発作が起きて倒れたとしても、晴れていようが雨だろうが関係なく近くに落雷が起きて強制蘇生させられて何事もなかったかのように修行が繰り返されるとか、かつて勤めていた『銀河開発』で鍛えられた僕でもドン引きしそうなデスマーチっぷりに、乾いた笑いしか出てこなくなってきたよ。
1週間後に『猫』に殺されるか、それまでに『狐』に殺されるかなんてブラックなジョークで自虐していたのに、落伍も許されずに死人に鞭を打つような修行を潜り抜けさせられた僕たちは見事な社畜にクラスチェンジしていた。
僕の場合は、失業者から社畜に舞い戻っただけかもしれないが。
当日の朝、修行で擦り切れた白装束を作務衣に着替え、朝食の準備をしている時にウーちゃんが何の気なしに話しかけてきた。
【ようもまぁ死人も出ずに決戦まで来れたもんやな】
「はっはっは、それもこれもウーちゃんたちみんなのおかげですよ(なんせ心臓発作で倒れても落雷で蘇生させられたし)」
【それから“16強”が対決を仕切る事になったでぇ】
思わぬ横槍が入り顔を顰めるチンピラどもに混じって、ちんちくりんと僕だけが平然とその話を聞いていた。