第2話 狸、ゲロに塗れる
「どうかなさいましたか」
今日は、何回この言葉を聞くんだろう。
冥土茶屋 晴瑠晴良の門構えにビビり、対応に出てきた店員さんのコスチュームに驚き、案内された部屋の内装に思考停止してしまった。
茫然自失しているオッサンたちに、店員の別嬪さんも聊か呆れ気味なんだろう。
ただこのお嬢さんの偉いトコは、それを態度や表情に出さない事だ。
この店の社員教育は行き届いているな。
この女性になれていない集団の最年長、通称“金庫番”の二宮さんが幹事の一ノ瀬クンに目配せをしている。
もしかして別嬪のお嬢さんの電話番号をゲットして来いとか?それはこの対女性コミュ障軍団にコンプリート出来るミッションじゃないと思うんですけど!
一ノ瀬クンが二宮さんに徐に頷くとお嬢さんに声を掛ける。
「ええと、早速ですいませんが料理をお願いできますか?」
やはり、僕たちは魔法使いだったようだ。
「コンパニオンはお付けしなくてもよろしいんですか?」
「色々と表に出せない情報を出して行く事になりますから料理だけ、あっ三島さんは焼酎のお湯割りでしたか?じゃ、芋焼酎を一つと残りはウーロン茶でお願いします」
コンパニオンさんを呼んで店の売り上げに貢献してあげたいのはやまやまだけど、なんと言っても女性がいると黙り込む連中だから盛り上がらないんですよ、すいません。
店員の“別嬪の”お嬢さんが部屋から出て行くと申し合わせたかのように全員が太いため息を吐いた。もちろん、僕もですよ。
四方山クンが僕に文句があるみたいだな。
「ちょっと、田貫さん。今回の貴方のチョイスあんまりじゃありませんか?
悪趣味な店構え、ケバい店員、これで料理がマズかったら俺、暴れちゃいますよ?」
「四方山、田貫サンは今日の主賓だぞ?
主賓の趣味でセレクトされてんだから俺らに文句言う資格はねぇだろう?」
「五木クン、昔から思ってるんだけどキミってホント慇懃無礼だよね。
僕は出された資料の中から一番無難なものを選んだだけなんだから、これは一ノ瀬クンの趣味だと思うんだよ?」
「へぇ、これって一ノ瀬の趣味なんだ。
まぁ、こいつ悪魔召喚がどうとかこうとか言ってたから終始一貫してると言えばいいんだろうかね?」
このメンバーの中でも一番人間性に問題のある五木クンが始まる前から噛み付いてきた。
因みに一ノ瀬クンの趣味は昔風に言ったらファミコンとかのTVゲームで特に“女神〇生”シリーズがお気に入りらしい。
きっと帰り際に言ってくれるよ『今後トモ ヨロシク』ってね。
これは荒れるぞ?
店のコンセプトなのか、出てきた料理も見た目がグロテスクで箸を付けるのも躊躇する程だったけど、(こんな時ばかり主賓が食べないと先に進まないとか脅されて)一口食べると絶品の美味しさで一ノ瀬クンと僕の株が急上昇。
一転、僕の送別会はとても和やかに進んでいく事となった。
まぁ、四方山クンが料理を気に入って自腹で追加したり三島氏が飲み過ぎて途中で寝てしまったりと予想通りのハプニングが起こる中、二宮さんが静かに切り出した。
「もうあそこじゃやっていけない、みんなそう思わないか?」
やっぱりそうか。
ここにいる連中は色々欠点はあるもののあの会社の中での開発の中枢にいる人間だ。
一番大人しい僕が辞める事がきっかけでこうなるんじゃないかって思っていたよ。
僕は、もう会社の外にいる人間だからと密談の場と化した部屋を後にした。
送別会をやっている座敷部屋を出て1階のラウンジにやってくると、そこはまた僕の知らない世界だった。
へべれけになった男たちが管を巻き、いい雰囲気のカップルを威嚇している。
カップルの男の子は気丈に対応しているけど、ここは河岸を替えた方が得策だと思うよ?
僕は、一応は主賓だからみんなが納得する答えを出して出てくるまで帰る訳には行かないだろうね。
仕方なく時間つぶしにカウンターでウーロン茶を舐めているとアルコールの臭いを振りまきながら隣の席に雪崩れ込む一人の人物が現れた。
正直、酔客に絡まれることが多い僕としては逃げ出したいところだったけど、そいつは座った瞬間に僕の腕に絡みついてきて逃げさせてくれなかった。
僕の予感はこんな時には役に立ってくれないから僕は悲しい、悲しいんだからな。
酒臭い息を吹きかけながらそいつが僕に発した第一声はこうだ。
「ぅぅぅ・・・きもちわるぃ・・・はきそぅ・・・」
「すいません!バケツかなんかありませんか?!
ちょっとこんなとこでナニしてんですか!あっああああ!」
饐えた臭いのゲロがこびりついた一張羅に身を包み、同じくゲロまみれの見ず知らずの他人を背負って“晴瑠晴良”の裏口に佇む僕・・・本当に役に立たない予感だこと。
密談中の皆には店の方からのっぴきない事情が発生して早退したと伝えてもらう事にした。
店としても、店内にゲロをぶちまけられる環境テロに遭遇したんだからもっと怒ってもよかったのに、追加の料金も取らずタクシー代まで出してくれて申し訳ない限りだ。
ここで問題なのがゲロを吐くだけ吐いて僕の背広やらなんやらをベチョベチョにしてくれた挙句、僕の背中でスヤスヤ寝息を立てている人物だったりする。
・・・こいつ、誰だ?
僕が背負っている筈なのに爪先が地面に着いている、つまりちびの僕よりも遥かに背が高い、或いは足が長いという事。
更に背中に当たる二つの柔らかい物体、背負うために掴んでいる太ももの生々しいばかりの弾力性、花粉症持ちの僕の鼻先を絶妙にくすぐる上ゲロがこびりついている長い髪、ゲロの強烈な臭気に混じって微かに香るコロン?の香り・・・
もしかして人生初の女性をオンブしているのではないだろうか?
袖振り合うも他生の縁とは言うものの、ここまで強烈なファーストコンタクトはあまり無い様な気がする。
このままじゃ、タクシーも乗せてくれないんじゃないかな?
この性別女性、年齢不詳、氏名住所職業全て不明の人物を連れてどこに行こうにも真っ当な場所はどこでもNGだろうな。
コンビニに行けば下着ぐらいはあるだろうけど服の方がどうにもこうにも・・・
裸でコインランドリーだなんてまだゴールデンウィーク前なので耐えられそうにない。ゲロ吐いて凍死だなんて新聞の見出しが目に浮かぶようじゃないか。
僕のアパートまでいくらなんでもここから車でも10分は掛かる距離をおぶって歩くなんて無理だよ、肉体労働してきた訳じゃないんだから。
さっき、一応タクシー会社に電話して確認したけど、やっぱり後の売り上げの補填と清掃でとんでもない額を請求される事が確定的で、失業中の身にはとても無理だという結論に落ち着きました。
大して金も持たないのにラブホテルで一夜を明かすなんて度胸もさらさら無いし、どうにもこうにも八方塞がりじゃないですか。
そうして周りを見渡しているとなぜか街角の片隅にある古そうな祠が目に入ってきた。
狛犬代わりに狐が座る稲荷社か。
一晩あそこで過ごせるかなぁ・・・背中の彼女の重さが堪える様になってきたし、そろそろ花粉症の薬も飲みたいし・・・
祠の表の格子戸を軋ませながら開くと埃っぽいながら中は大人が二人寝られるぐらいの広さはあるみたいだな。
クシャミを堪えながら女性を降ろすとゲロ塗れでまだ湿っぽい上着とコートをせめてもの寒さ凌ぎにと掛けてあげてからコンビニへ買い出しに行く。
教育ができていない店員に露骨に顔を顰められながらタオルやらカイロやら水やらと入りそうな物を買って祠に戻ってくると、女性が目を覚ましていた。
「ここはどこなんですか?」
なぜだろう、不審げに目を吊り上げられて僕が睨まれていた。