表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狸なおじさんと霊的な事情  作者: BANG☆
脈動する悪神と恋する乙女編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

173/278

第141話 狐の神様、もっと昔語りをする

漢字が多くて済みませんね、できるだけルビを振る様にしてますんで勘弁してください


本日もよろしくお願いします

【近衛は上皇にはなっとらん。17で死んでもうたからな。そやから院やのうてみかどのままや】


 軽く言うけど時の天皇の話だよね?


「それって讃岐院ってのがたたったからなんすか?」


【そんな事あるかい!祟るゆうんは死んでからやる話や!その程度の認識やから一般人呼ばわりされるんやで?旦那だんさんより影薄いんやから知識ぐらいはもっとかんかい・・・つうか自分アンタ“同盟”の生き残りやないか。あのバケモンどもに負けんように精々精進せいや。

 とにかく生きとる内にするんは()()や。

 讃岐院はすぐバレる様な証拠は残しとらへんさかい鳥羽院もその事は攻めきれんやったようやな。それどころやあらへんがな、嫉妬の末にやらかした自分の悪事がいつ明るみになるかて思うたら心臓に悪い思うで?

 ゆうてみたら人の命をもてあそぶ狸と狐の化かし合いってトコやな。

 でもこないな話、まだまだ序の口やで】


 夜が明ける前に本筋に行って欲しいんですけどね。


「玉藻の前がどうのって話じゃないみたいですね」


【ダァホ!恨みつらみだけで生きとった男が祟り神になる過程を説明しとるだけやないけ。『慌てる乞食は貰いが少ない』ゆうんを知らんのかいの】


 ムカつくばばあだな。せっかく基本的なトコを抑えようとしたモブ2号を頭ごなしで文句言うのはどうかと思うよ?


「それでその泥仕合は終わったんですか?」


【ダァホ、お楽しみはこれからやで。ドロドロした殺し合いにこれからなっていくんや。

 まずは近衛の次の天皇を誰にするかや。鳥羽-玉藻の血統からやったら玉藻の養子になっとる讃岐院の息子が第一候補やったんや。そやけど選ばれたんは讃岐院の弟で近衛の兄の後白河院や。こやつは讃岐院とは同腹の弟やな。表向きの理由は玉藻の養子になっとるもう一人の方が身体が丈夫やったからその子が大きゅうなるまでの『ぴんちひったあ』としてその親の後白河に後を継がせるゆうんやったが玉藻絡みの鳥羽院の嫉妬ゆうんはよっぽど深かったんやろうな。

 こうして次の次が自分の天下になるゆうんをことごとく潰された讃岐院は、陰の気をしこたま溜め込むようになる。

 そして近衛帝が死んだ翌年、今度は讃岐院の邪魔をしまくった鳥羽院が死ぬんや。この時、巷じゃ讃岐院が呪ったせいやとか屋敷に狐火が灯っとるやとか色々と噂になったもんや。

 んで、玉藻の前はゆうたら剃髪して尼になる筈やったけど時の天皇後白河院となんも出来ひん上皇讃岐院が揃ってなんやかんやと難癖付けてそれを阻止するんや。

 ようは玉藻の前の色香に負けて自分のもんにそれぞれがしよう思うたんやろうな。

 そしてこの後白河院と讃岐院の争いに武力が加わって大きな内乱が起きるんや。

 『保元の乱』、歴史でなろうた事あるやろ?なんや若女将(カオルン少年)はそれも知らんのかいな。

 後白河に付いたんは源氏の源義朝、後で幕府を開く頼朝の親父やな。それから平氏の棟梁平清盛。纏める公家は時の関白藤原忠通に坊主の信西。

 上皇に付いたんは源氏の棟梁で義朝の親父の為朝に清盛の叔父の平忠正。纏めとるんは藤氏長者(藤原氏の棟梁)悪左府の異名をとる忠通の弟の藤原頼長や。

 ひらとうゆうたら血腥ちなまぐさい内輪もめやな。今時やったら内ゲバゆうんやないか?えっ古い?悪かったな!

 頭になっとる天皇と上皇は同じ母親から生まれた兄弟、実際に闘うんは親子やったり棟梁となんばあ2の叔父、仕切る公家も実の兄弟や。まさに血で血を洗う業の所業っちゅうヤツやな】


 血腥い骨肉の争いの発端は玉藻の前の色香だったって?・・・僕、その現世を嫁に貰うかも知れないんですけど大丈夫かな?


「それから何十年も内乱が続く訳っすよね。京都の町が更地になるくらいの」


 モブ2号よ、少しは歴史を勉強しとけよ。見てみろよ、物凄く機嫌よさそうにおばはんが講釈垂れそうだぞ?


【それは『応仁の乱』や!300年以上も後の事を一緒にしたらあかんで?

 そやから一般人が知ったかぶりするんやないゆうとるやろうが!

 それに『保元の乱』自体は1週間ほどでケリが付いとるがな。

 まぁ、その後のごたごたのちょって奴さかい鎌倉に幕府が出来る40年後ぐらいまでいやそれからも色々荒事めいた時代が続いてゆくんや。

 結果として後白河院側が勝って讃岐院側は負けた訳や。軍事力にめっちゃ差があったからな、関ヶ原みたいに劣勢を政治力でひっくり返すほどのタヌキが讃岐院の周りにはおらへんかったさかい仕方ないやろな。じくじくした公家同士の足の引っ張り合いと実際に人同士が斬り合うんは、勝手が違うさかいこれはどうにもならへんやったろうな。これがもし短歌の世界やったら讃岐院の圧勝やったやろうけど。

 お陰で無粋で田舎もん扱いやった武家がこの時からのし上がれるようになるんや。

 そして負けた讃岐院は讃岐(今の香川県)に配流はいるされて後の世で呼ばれる『讃岐院』となった訳や。別名の『讃岐廃帝』なんてのは後白河院が力を誇示する為に上皇の地位を奪ったのが由来やからな。

 勝った後白河院は3年で天皇から降りて息子の二条帝を天皇に推して院政を始める。もちろん尼になる筈の玉藻の前を権力の象徴として近くに置いてそりゃあえらい威勢でな。

 ただ、当の玉藻の前には相当嫌われとったらしゅうて手もようよう握らせてもらえんやったそうや。今のタマちゃんにその時の記憶は無いやろ?

 そか、やな事は封印できるならしとった方がええからそれもアリやろ。


 『保元の乱』から4年が経って武家の力を無視できんようになった頃、宮廷内外に二つの騒動が起きたんや。一つは保元ほうげんの乱で勝利を分かち合った源氏の棟梁源義朝と平氏の棟梁平清盛の主導権争いや。もう一つは災害の頻発と飢饉の発生、おまけのついでに宮廷人の不審死の多発や。

 義朝と清盛の争いの原因は後白河院がワザとやった戦後の褒賞の格差に単純な義朝が引っ掛かって清盛を敵視したのが原因やな。露骨に官位には差をつけるわ、清盛の郎党や一族のもんにまで知行国を与えてんのに源氏には音沙汰無しとか。肚を立てた義朝が後白河院に抗議したところで、やれ二条帝がどうしたとかやれ全権を握っとる信西が首を縦に振らんとか逃げ口上の雨あられや。

 なんせ後白河院としたらうまくいったら自分の手を汚さずに武士の力をげる妙案っちゅう訳やからな。そらぁ猪武者のあしらいときたら闘牛士ゆうたかな?それ以上やで。

 もう一つの原因は・・・玉藻の前や。当時40を超えとったにもかかわらず4人の子を産んだとも思えん実情を知らなんだら二十歳前にさえ見られる事すらある玉藻の前が、実は魑魅魍魎(ちみもうりょう)たぐいであるとバレてもうたんやな。

 玉藻の前にしてみたらいつまでも居りとうも無い宮廷にいさせられて尚且(なおか)つ虫の好かん後白河院に昼夜を問わず言い寄られているんや。縁を切るためにちょいといやがらせをして見ただけやったのかも知れん。

 それでもやで、素性も隠さんと安倍晴明の流れを汲む安倍泰成っちゅう本家でもなんでもないのに見つかるってどうなんよ?ちなみに狐塚家の先祖に当たる奴や、泰成っちゅうんは】


 何気に妙なトリビアを差し込んでこなくてもいいじゃない!

狐塚家の先祖まで出てくる話は当然まだ終わりそうにありません(年寄りの話は長いんです)


本来の伝説なら、九尾の狐はもう殺生石になっている頃なんですけどもうちょっと頑張りますんでお付き合いの程を

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ