第13話 狸、名探偵になる
「もしかしたら、このおっさんの奇行が解明できるかもしれませんね」
一か八か仕掛けてみるか。
「ヘビイチゴさん、ちょっと確認したい事があるんですが」
「捜査上の機密は漏らしちゃならねぇ規則だ、お生憎さま。
それよか早いとこゲロしてくれないかな、ああ?
偶には家で飯も食いたいからよぅ」
「あの山賊野郎を今までしょっ引いだことはあるんですかね?」
「山賊野郎?ああ、タナカの事か。見た目はアレだが中身はちゃんとしてるぞ」
「しょっ引いた事は?」
「なんで貴様の質問に答えなきゃならんのだ」
「じゃあ、熊井さんは御存じで?」
「ん?アレは県外から流れてきたんだよ」
「そうですか。それではヘビイチゴさん、あいつが中退した高校は御存じですか?」
「何言ってんだ。あいつは普通高校を卒業して受けた大学受験で事件に巻き込まれて失敗したあと浪人中に悪い奴らに騙されてだな――――」
蛇井はふざけているとかじゃなく本気で言っているようだけど、どうにも僕が聞いた話とは食い違いが起きているみたいだな。
まず、逮捕した事があるのかどうかの確認では、蛇井からは返答が無かった。
ここで、又は蛇井の前任地で前科を重ねたとするなら蛇井とアレとの間には接点がある。
しかし、熊井の話ではアレは県外からやってきたと言う。
つまりは、基本的に県内で勤務地を移動する警察官との接点はまずないという事だ。
それからアレが高校中退だという事は、本人の口からクドウコーポレーションに入ってきた時に聞いている。
足し算すら怪しい人間が大学受験とは大風呂敷を広げたもんだな。願望を吹き込まれてないか?
もしかしたら高校中退すら嘘かも知れないな。
あいつの計算違いのせいで事故が起こりかけたのは、2度3度じゃ済まないんだ。
あと何台通したら進行方向を切り替えるとか言うのでさえ間違うし、自分が手が空いた時にかっこ付けて計測に手を出してめちゃくちゃにした事もあった。
それに蛇井は、県外から来た筈の初見の人間のプロフィールのディティールに詳しすぎる。本人に不相応な経歴はちゃんと裏を取ってあるのかどうか・・・
クドウコーポレーションの連中を見てても、アレに対しては無警戒が過ぎる。まるでアレが人畜無害な天使であるかのような扱いに違和感が物凄く感じられるのは、僕がコミュ障だからだろうか。
この辺の絡繰りに、何となくとは言え推理を働かしてみると一つの共通点があった。
仕掛けてみるか。
「やっぱり息苦しいなぁ。窓を開けてくれたら少しは話す気になるかも知れませんねぇ」
「逃げられる訳がねぇだろうが。ったく、往生際の悪い奴だ」
「熊井さん?」
「こればっかりは無理だな。
ここは先輩で階級が上のへぇさんを立てるべきところなんだ。済まないな」
「こんな臭い所で尋問だなんてたまったもんじゃないじゃありませんか。
弁護士を呼んでください」
「お前みたいな木賃宿に泊まってるような奴の為に動く弁護士なんざどこにもいやしねぇよ」
「金はありませんから国選でお願いします」
蛇井の顔が歪む。
そんな初歩的な事も忘れちまうとはお粗末なんじゃありませんか?あっもしかしたら起訴前にはダメなのか?
「そんな事ァ出来ねぇってさっきから言ってるだろうが!
まずゲロしてからだ、ゲロしたならすぐにでも呼んでやる」
「アレからの指示はとにかく僕を犯人に仕立て上げろってトコなんでしょ?
蛇井さん、全ては僕には解っています。あなたがアレに操られているぐらいの事はね。
熊井さん、窓を開けて部屋の空気を入れ替えてください。
蛇井さんの事は気にしないでくださいね。空気が替われば判りますから」
「霊障が起きたらどうするんだ!クマッ開けるんじゃねぇ!」
熊井が僕の指示に従って窓を解放する。本来、警察官が民間人の指示で動くなんてありえない事だろうけどやってくれた・・・それだけ蛇井の様子が普段と違っていたという事だろう。
外は雨が降っているらしく、じっとりと湿った風が取調室に入り込む。
風に乗って猫の鳴き声が聞こえてくる。律義な奴だ。風邪とかひかなきゃいいが・・・でも妖怪だから大丈夫か?
窓を開けた事で蛇井が激高していたが、10分ほど経つと憑き物でも落ちたかのように大人しくなり穏やかな表情になってきた。
「へぇさん、もう大丈夫ですか?」
心配げな熊井の問いかけにぎこちなく笑いながら手を上げる蛇井。
「わたしゃどうしちまったんだろう・・・なんでタナカが無実だなんて思いこんでいたんだ・・・」
「理由はいくつかあるんでしょうけど、僕の見立てだとあなたはアレと密室で取り調べをしていませんでしたか?」
「密室にしておかないと被疑者に逃げられる恐れがあるからなぁ。なぜそんな事を?」
「実を言いまして、僕はクドウコーポレーションの中では孤立していましてね。
何をしてどんなことを言ってもアレの言い分だけが通ってしまう、全て僕の責任だみたいな風潮が社内にあったんですよ。
アレがどれだけ重大なミスをしても僕に連帯責任が掛かる。その反面、アレには一切のお咎めが無い・・・そして僕が見つけるアレに不利な証拠は全てなかったものにされる。・・・どんな絡繰りがあるんだろうと散々考えました。
そしてここで蛇井さんからアレを救う為に罪を被れと言わんばかりの扱いを受ける。
どう考えてもアレが後ろで糸を引いてるでしょ?」
「なぜかそんな風に思い込んでいたよ・・・わたしゃ、自分の事が恥ずかしいですよ。
もしあのままアナタを容疑者にでもしちまってたら、後で首を括るか手首を切るかはたまた屋上から飛び降りるか拳銃を使うかそれともガス管を咥えるかなんて事を選らばにゃならんだったでしょうな。
方法は解らんがアレの疑いが濃厚だと言えるだろうな」
僕は残り少ない自分の髪を掻き上げ真っ直ぐ蛇井の顔を見つめる。男なら平気なんですけどね。
「正気に戻って貰えて何よりです。
そう言えば、先程窓を開けるのを強硬に反対されたのを覚えておられますか?」
「その時はそれが正義だと思っていたよ。窓を開けたぐらいじゃ瘴気なんざ入っちゃ来ないのにな」
深く頷きながら蛇井がため息を吐いた。こちらが本来の人柄なんだろうな。
「その通りです。霊障除けの結界は建物に対して掛けるのじゃなくて土地に対して掛けると聞いた事があります、窓を開けても関係は無いんです」
「じゃあへぇさんは何でそう思ったんだ?」
「捜査のプロの方々に言うのも幅ったい事ですけど、ここがミソだと思うんです」
本職の刑事の前で偉そうなことは言いたくないが僕の推論を言わせてもらおう。
「クドウの事務所もここ警察もどちらも密室です。
それに対して僕がアレと仕事をしていたのは屋外です。
密室の中の人間がアレの思うがままに踊らされ、外でアレと会ってた僕が自分の意思を貫き通せた。
蛇井さん、今この部屋の中で異臭はしますか?」
蛇井は深呼吸して首を振る。熊井も同じとばかりに頷く。
「あの異臭はアレの体臭です。
凄い臭いです、若い子だったらすぐに嫌がって遠く離れてしまう事でしょう、でも年配の者なら多少の事は我慢してそれに慣れてしまう。
そうすると、その臭いが脳の判断力を鈍らせるのか催眠効果でもあるのか密室の中にいてあの悪臭に耐えきれた者が自意識を持ったままアレの支配下に入ってしまう」
クドウコーポレーションにしても若い子なんていなかったからみんな我慢してアレの言いなりになったって事さ。
ここにしたって我慢強い蛇井が結局貧乏くじを引く羽目になったという事だろう。
「面白い意見だが、それは君の推論でしかないだ「おい、へぇさんはいるか?」おう、なんだい?」
「今し方、あんたが担当していたタナカっていう臭いのがお世話になりましたとか言いながら出て行ったぞ」
「「「やられた!」」」
アレは臭いで人心を操作してまんまと逃げ果せたという訳か。
余りあてにはできないが警察の捜査力に期待しておくしかないか。
「それじゃ、帰っていいですか?」
脱力した二人の刑事は力なく頷き、僕は警察を後にしたのだった。




