第96話 狸、胃を痛める
結局何の策も見出せないまま薄情にも夜は明け、僕たちはタダ働き同然な上、勝ち目の恐ろしく薄い戦いへと向かわなくてはならない。
僕たち、要するに僕が頼りないんで葛葉嬢にカオルン少年、アンジェまでそのまま付いてきてくれている訳だ。
店の方は、担当の現場に結界を張り巡らして相手が衰弱するのを待っている状態にまで仕上げてきたちんちくりんとモブ2号で営業しているそうだ。
尚、住み込みバイトをしてくれている八幡様は眷属たちに引きずられて強制送還になっているらしい。昨日の閉店直前、店の中の柱に掴まって必死の抵抗を試みる八幡様を鳩と梟の連合軍が突き回しながら連行しているさまは中々のトラウマ物で今日の客足に響かなきゃいいけど、とは昨日の閉店間際をほぼ一人で切り回していたちんちくりんの弁である。
「ディーが対峙していたのは水面から4、5メートルも高く鎌首を擡げた鮭のような妖怪だったという事で間違いないので御座いますね?」
僕の気分に寄り添うかのようにどんよりと曇った空の下を歩いて移動している道すがら、葛葉嬢がディーテに確認を取っている。
《大奥様、大凡はそのような事で相違ないであります》
「オオヨソとか難しい言葉は勘弁してくんないかな・・・馬鹿がバレるじゃん(ボソッ)」
カオルン少年、大凡とかって言葉は普通は使わないから気にしないようにね。
《薫様、配慮が足らず申し訳無いであります。大凡とは大体と殆ど語意に相違はありませんのでそのようにお考え頂ければと》
見た目はともかく、ディーテは古い妖怪なんだからさ言葉遣いが古臭いのは我慢してやろうよ。人魚の肉を喰ったら不老不死になるなんて言い伝えがあるぐらい長寿なんだからさ。
「大体同じだけどちょっと違うという事で御座いますか?」
実は、ディーテに大奥様と呼ばせることに成功してルンルンしている葛葉嬢が上機嫌で詳細を求めてくる。今じゃなくて夕べにしておいて欲しかったんだけどね。だったら一人で悶々と悩まなくても済んだかもしれなかったのに。
それにしても葛葉嬢ったら決戦の場に向かってるとは思えないテンションなんですけど。ピクニックに行くんじゃねぇっての。
《鎌首を擡げると言われて違和感はありませんか?》
ディーテは僕と同じ結論か?
「すまねぇ、鎌首って何だ?オカマの首をもぐとか意味わかんねぇんだけどさ・・・だからガクのある奴と一緒にいたくねぇんだよ(ボソッ)」
昨日からカオルン少年の機嫌が悪いままだねぇ・・・できれば近くにいたくは無いんだけどねぇ・・・防波堤になるしかないか・・・それからLGBTの方で怒られそうな発想はやめてね。
「大上さんが見た事がありそうな光景で言えば・・・そうだな、コブラを怒らせた時の映像とか見た事ないかい?」
「昔なんかで見た事ある、横にビィッて広がって頭がガッて上がるヤツ!・・・おっちゃんがいないと堪んねぇよな(ボソッ)」
買いかぶり過ぎだってばさ。
「そう、その頭が上に上がった状態の事を頭が擡げるって言うの。で、蛇が頭を擡げると横から見たら鎌みたいに曲がってるみたいだって事から鎌首を擡げるって言い方になったんだよ」
「すげぇな、おっちゃん。何でも知ってるよな・・・頑張って覚えねぇと釣り合わねぇよな(ボソッ)」
おーい、今の段階で既に僕の方が置いてかれてるんですけどね、どこまで進化したいんだい。
葛葉嬢はディーテの宿題に頭を悩ませている様子、カオルン少年は言い回しに感心しているようで何も考えてない・・・ウチのツートップがこれで妖怪退治なんてできるのか?
「大上さん、鮭って捌く時どうします?」
「えっ?鮭とか魚は普通頭を落とすけどさ?・・・料理はおっちゃんだって得意じゃん(ボソッ)」
「首はどうします?」
「えっ?えっ?首?・・・魚ってエラから前が頭だろ?その後胴じゃん・・・あれっ首?」
《我が君、説明ありがとうございます。
そう、薫様もお気付きの通り、魚には頭と胴を繋ぐ『首』なる物は存在いたしません。しいて言うなら鰻、泥鰌、鱧、太刀魚などと言った胴が細長い魚がそう見えるだけであります。
更に申し上げなければならないのは、魚なら筋肉の構造上左右には動けても上下には動けはしないという事であります》
えっ?鰻は鎌首擡げないの?ウツボも?
「でも魚って浮いたり沈んだりするじゃ御座いませんか?」
《大奥様、そのためにヒレがありウキブクロがあり、更に全身を捻じる事で上下への移動をより敏速に行う事が出来るようにしているのであります。体全体を撓らせていけばどうにか上下にも動ける物でありますから》
葛葉嬢、海の底に長ーく住んでいたディーテの観察眼を甘く見ちゃいけませんって。
「となるとあの妖怪は蛇系か何かなのかな?頭の形から言えば蛇・・・だよな」
《おとーさん、あのおっきぃのはあたまがふたつあったの》
思い出したくない時に指摘をありがとうね、ピュア。マフラーの中にいる鸚鵡を上から優しく撫でてやると嬉しそうに囀る我が娘。
《ターさん♡たら、きっと自分の子供とかできたら溺愛しまくるんじゃないかしら》
だからウチと盛りましょうってんだろ?アンジェはさ。そんな先の事考えてる余裕はないだろ、今はさ。
「双頭の蛇、で御座いますか?でもディーが相手をした時には一つの頭としかやり合っていない訳で御座いましょう?二つ並んで襲ってくる方が対処はしにくそうで御座いますのになぜ片方だけ?」
それが解れば苦労はしない・・・あれ?二つ並んで?
「僕は、鎌首が一つ擡げてってところから頭と尻尾の両方に頭がある蛇みたいな形を思い浮かべていたんだけど姫様は左右に並んでいる形を連想したんだね。
ケルベロス、オルトロス、ヒュドラ、八岐大蛇にしても前に並んでいるのが多いもんなぁ。
もしかしたらもしかするのか?」
僕としてはこれ以上の想像なんてしたくないんだけどね・・・作戦を考える上、後々まで生き残る上にはここは嫌な事を想定しなきゃならないんだがね・・・
「おっちゃん、顔色悪いぞ?・・・オレがあ、あっためてやろうか(汗ッ)」
カオルン少年よ、なぜここで色気づく。
「大丈夫だから気にしなくてもいいからね、お気持ちだけはありがたく、ね。
・・・もしかしたらこれから僕たちが相手にしなきゃならないのは、単なる妖怪じゃなくて多頭の怪物なのかも知れないね」
あっ胃薬を宿に忘れてきちまってた・・・キリキリと痛む胃と戦いながら僕たちはお互いの青ざめた顔を見つめていた。




