第94話 狸、和む
「寒いから帰るよ」
僕はそう言い捨てて、海坊主だった筈の雪玉を転がしながら戦場を通り抜ける。
我ながら戦場とはよく言ったものだよね。
辺り一面の木という木は全て薙ぎ倒され、地面には大きなクレーターがいくつも穿たれ、降っていた筈の雪がかけらも見当たらない。これで硝煙の臭いでも漂っていたならさぞかし『むせる』事だろうね、お二人さん。
ここでの主役二人は、顔は土に塗れ着ていた服はあちこち裂けそこここに打撲による青あざが見えているけどまだまだ元気の様だ。
人がハラハラドキドキしながら海坊主対鮭妖怪(仮)の対決を雪ダルマになりかけながら見ていた時に何やってたんだろうね、葛葉嬢とカオルン少年。
すたすたと海坊主の成れの果ての雪玉を押しながら通り過ぎる僕に二人が何か言いたそうにしている。
ここで労れとか言わないだろうね?
「喧嘩両成敗って知ってますよね?」
僕の言葉に二人が顔を引き攣らせて硬直する。もちろん、僕は立ち止まったりしない。
「宿に着くまでに上手い言い訳でも精々考えていてください。僕は今、今日の功労者を運ぶのに手一杯ですからお前さんたちの相手をするつもりはありませんので」
全く古株二人が仕事ほっぽり出して何やってんだか・・・
白かった雪玉が宿に着いた頃には茶色い泥玉になってしまっていた。泥の上とか通ってきたから当然か。
ディーテとの念話は、戦場を通る前に既に途絶えている。妖気の類は無くなっていないから死んだとかじゃなくて冬眠状態にあるんだろう。
それにしても、こうして見ると僕も随分逞しくなったもんだよ。
雪の降りしきる中、葛葉嬢を背負って湖から戦場まで運び、只々寒さに耐えながら海坊主たちの戦況を見守り、闘い終わったディーテをこうやって宿まで連れて戻る。ホント今までスキーもやった事の無い九州人が雪の中でよく頑張ってるよね。
2年前までは社畜研究員で24時間耐久みたいにビーカー振ってたりはしても、運動は皆無で人を殴ったら自分の拳を痛めてたんだからね。とても昔じゃ考えられない運動量だろ?
その割に体型とか頭の寂れ具合には変化がないのは・・・解せん。
普通は痩せるだろう、葛葉嬢たちが起こすトラブルの事後処理なんかも全てやってんだから・・・まぁ最近はちんちくりんが肩代わりしてくれてる部分もあるけど。ただあいつも結構やらかすから大騒動になってるよね、いつもさ。頭の方はピュアの巣になりつつあるせいか小休止かもね。
ともかく宿に話を付けて裏の駐車場に回らせて貰って、温泉の湯を分けて貰って泥玉に掛ける。
いきなり温度が高い奴を掛けて、火傷とかさせちゃいけないから最初はぬるめの湯からだ。
夕闇迫る中、雪やら泥やらを洗い落としてようやく黒い海坊主の球体が姿を現した頃、ズタボロの二人がやってきた。辺りはもう暗い、街灯なんて無い山奥だからな。
それにしても、よく宿もこんなのを受け入れてくれたもんだ。
「申し訳ございませんでした」「おっちゃん、ごめん」
おや謝れたかい。素直に謝れるのはプラス査定だよ。
「店は今日はどうしたの?大上さん」
ちんちくりんと違ってこの二人は思ってる事がすぐ顔に出るから解り易くて楽だよ。
「・・・」
流石に聞こえないんだけど?
「臨時休業でもしたのかい?」
小さい体をさらに小さくして頷くカオルン少年の頭を、思わず撫でてしまった。可愛いじゃねぇか、この野郎!
「まぁ、ウチで一度に3件も案件抱えること自体異常なんだから仕方ないさ。
客も必死なんだから要求に応えてあげたいのはやまやまだけど、このままじゃみんなぶっ倒れてしまうのは目に見えてるからね。
次からは人員の補充をしない限り一度に手掛けるのは2件までって事にしたいなぁ」
もちろん、バトルジャンキーな葛葉嬢や妖怪推しのちんちくりんの意見も聞いて方針は決めて行かなきゃならないけどね。それに案件を選んでくれるウーちゃんや八幡様、お諏訪様にも話通さなきゃ始まらないし、先が長いなぁ。
ところで、葛葉嬢、なんで頭差し出してるのかな?
殴れとか?
黙って見てると吊り上がった涙目が目に入るんですけど・・・怖いんですけど!
「私も・・・」
あのね、怖いけど可愛いって難易度の高い新ジャンルを開拓しないで欲しいんだけどね?手を出したら喰い千切られるかも知れないけど撫でてみたいとか普通の人は思わないからさ!
仕方ないから頭撫でるけど威圧を飛ばしながら喜ぶのはお止めなさいって。チョロい癖にめんどくさいんだから・・・ほら、宿の方で大騒ぎになってるじゃないか・・・
「二人とも今日のいきさつは後で聞くから、とにかく温泉で汚れを落としてすっきりしてきてください。
ところでなんだけど、二人とも服の替えはあるの?」
済まなそうに首を横に振る二人を見て思わず天を仰ぐ。この単細胞どもに祝福を!ったく。
「大上さん、明日も店を休むように手配して・・・そんな泣きそうな顔しない。(だったらこんなところに勝手に出張するんじゃねぇよ!)
それから宇佐木さんか根津くんにここまでお前さんたちの服の替えを持ってきてもらいように伝言して。
それから《ターさん♡、血の気が多いおバカちゃんたちの着替え持ってきたわよ》・・・お前さんたちより頼りになる我が眷属がお出でになったみたいだね」
シリウスが誇る“みんなの保母さん”アンジェが気を利かせて服を持ってきてくれたらしい。・・引き摺ってボロボロにしてなきゃいいけど。
強敵登場で尚の事凹む葛葉嬢とカオルン少年を風呂場へと押し出し、海坊主に声を掛ける。
「お疲れ様、ディーテも温泉に浸かって疲れを癒すと良い。後片付けは僕がしとくから」
黒い球が弾けて中から人魚が飛び出してくる。目のやり場に困るから胸は隠そうね。
《姉様が来られたと言うのにのうのうと風呂に入るなど以ての外!
それでのうても我が君に後を任せて眷属が風呂で寛ぐなど妖怪道にも悖る所業であります。ここは某が致しますので奥方様とごゆるりとなされる事が肝要かと》
めんどくさい強情者がここにも居やがったよ。もし今行って見ろよ、場所を間違えたとか言ってアイツらが男湯に押し寄せてくるって決まってるじゃねぇか。
それにしても妖怪道なんて単語、生まれて初めて聞いたんですけど?