飛鳥vsクマ吉 ①
◯渋谷・超高層ビルの屋上
スカートのポケットの中から、飛鳥は小さなスナイパーライフルを取り出す。
すると次の瞬間、そのスナイパーライフルが元のサイズに戻り、飛鳥の両手にずしりとした重みが伝わる。
飛鳥「うっ」
飛鳥の身長と同じくらいの長さ──1.5mにもなるスナイパーライフルである。
『弾道不動スナイパーライフル』
この銃から撃ち出される弾丸は、重力、気温、気圧、湿度、風向きや風速などの影響をまったく受けることがない。対象へと、ただ真っ直ぐに飛んでいく。Bランク。
飛鳥「よいっ、しょ」
屋上のふちに立ち、飛鳥が『弾道不動スナイパーライフル』を構える。備えつけられている光学スコープを覗きこみ、周囲をざっと見渡していく。
飛鳥「んー……」
とはいえ、特に誰も見当たることはなく……。
この辺りで一番背の高いビルの屋上を陣取りはしたものの、ここは渋谷の街の中。建物が多すぎて、例え高層ビルの屋上だとしても、見晴らしがいいとはあまり言えないようである。
残念ながら、せっかく取り出した『弾道不動スナイパーライフ』だが、今この場所このタイミングでは、役に立ちそうにはない。
と、飛鳥がスコープから目を離す。
──その矢先のことだった。
飛鳥「あ」
飛鳥がいる高層ビルの前方、3車線の道路を挟んだ向こう側にあるコンビニの中から、ちょうど2人のプレイヤーが姿を現す。
すぐさま飛鳥はスコープを覗きこみ直す。
2人とも、女性である。歳はおそらく飛鳥の少し下、中学生くらい。
紫と緑という奇抜な髪色に、少し変わった服装──ロリータファッションと呼ばれるものだろうか。レースやリボン、フリルなどといった装飾が施された、全く同じデザインのドレスを少女たちは着用していた。
カメラを、紫髪の少女に向ける。何の変哲もない、どこにでもあるようなクマのぬいぐるみが、その手には大事そうに抱きかかえられている。
日頃から、アイテムの情報収集には抜かりのない飛鳥だが、彼女の知識の中に、あんなクマのぬいぐるみは存在しなかった。
飛鳥「んー……あれはどっちだろう」
何かしらのアイテムなのか、それともただ単にああいうのが好きなだけなのか……。
どちらの可能性も十分にあって、結論づけることはできない。
飛鳥「まぁ、別にどっちでもいいか」
ならば考えるだけ無駄だ。と、飛鳥はとりあえず、撃ってみることに決める。
それに、仮にあのぬいぐるみがアイテムの類だったとしても、そこまで警戒する必要はないように思える。使わせる暇もなく仕留めてしまえばいいだけの話。
飛鳥の持っている『弾道不動スナイパーライフル』なら、容易にそれができる。
カメラをスコープ越しの視点に。スコープのレンズに表示されている十字線が、紫髪の少女の頭にぴたりと重ねられる。
2人とも、飛鳥の存在には気がついていない。楽しそうに手を繋いで、呑気に談笑しながら歩道を歩いている姿が見える。
距離はおよそ、200mと少し。角度はほぼ真下。動いてはいるが、ゆったりと歩いているだけ。それほど難しい条件ではない。
特に躊躇うことなく、飛鳥はあっさりと引き金を引く。静まりかえっている渋谷の街に、けたたましい銃声が鳴り響く。
が、しかし。
飛鳥「うっそ……」
残念ながら、発射された弾丸は、少女の頭を撃ち抜かない。
飛鳥「マジか……」
例の、抱きかかえられていたクマのぬいぐるみだ。突如としてあのぬいぐるみが3mほどにまで巨大化し、壁となり、弾丸から少女を守ったのである。
しかもどういうわけか、弾丸はぬいぐるみを貫通することができなかった。まるで鉄か何かにぶつかったかのような甲高い音が鳴って、弾かれてしまった。
飛鳥「いや、何でできてんの」
飛鳥にカメラを向ける。慣れた手つきで取っ手をがちゃがちゃと動かし、空の薬莢を排出。
次いで、スカートのポケットの中から新たな弾丸を取り出し、再装填。
そしてすぐさま彼女はスコープを覗きこむ。
ところがすでに、2人の少女の姿は見えなくなっている。おそらく、大きくなったクマのぬいぐるみの背後に隠れたのだろう。これでは射線が通らず、狙えない。
飛鳥「駄目か」
高層ビルの屋上に、飛鳥の舌打ちがこぼれ落ちる。
◯渋谷・コンビニのすぐ近く
──紫髪の少女の名を、佳奈。
──緑髪の少女の名を、恵里という。
尻もちをついている佳奈に、恵里が慌てて歩み寄る。
恵里「か、佳奈ちゃんっ、大丈夫!?」
佳奈「う、うん。大丈夫……」
恵里の手を借りて、佳奈は立ち上がる。
佳奈「びっくりした……。気づかなかった。狙われてたんだね」
恵里「ク、クマ吉が守ってくれなかったら、きっとやられちゃってたよ……」
カメラを、大きなクマのぬいぐるみに寄せる。2人をかばうようにして、クマのぬいぐるみは少女たちに背を向け、自立している。
その頼もしい背中の陰に佳奈と恵里は身を隠し、間違っても姿を見られるなんてことがないように、彼女たちはお互いの体をできるだけくっつけ合う。
姿を見せなければ射線は通らず、撃たれることはない。ひとまずこれで狙撃の心配はなくなった。
カメラを再びクマのぬいぐるみに。少女たちを自身の背後に控えさせつつ、その目は超高層ビルの屋上に向けられている。
200mも距離は離れているが、ぬいぐるみのつぶらなビーズの瞳にはしっかりと映っている。──屋上のふちに立ち、スナイパーライフルを構え、こちらを真っ直ぐ見下ろしている1人の少女の姿が。
恵里「どうするの? 佳奈ちゃん」
佳奈「んー、このまま隠れ続けてても仕方ないから、とりあえず建物の中かどこかに移動したいけど……」
カメラは、少し離れたところから少女たちを映す。2人のすぐ後ろの建物はシャッターが閉まっていて、避難場所には選べそうにない。
それ以外で、一番近くにあって、入ることができそうな建物は、先ほど彼女たちが出たばかりのコンビニでだった。
佳奈がそちらに目を向ける。距離にして約15メートルほど戻ったところ、そこに入口が見える。
佳奈「よし。じゃあ、あそこに戻ろう」
コンビニの方を指さして、佳奈が小声で言う。
恵里「う、うん、わかった……」
恵里は少し緊張した表情で、佳奈の言葉に頷く。
◯渋谷・超高層ビルの屋上
スコープ越しに見える大きなクマのぬいぐるみが、不意に1歩、横に動き出す。
瞬時に飛鳥はその行動の意図を理解し、次の手に打って出る。
飛鳥「なるほどね」
『弾道不動スナイパーライフル』を脇に起き、飛鳥は腰につけているウエストポーチの中から、手のひらサイズの赤い球体を取り出す。
『プロミネンスボム』
時限式の爆弾である。燃え盛る太陽の炎──そのほんのごくわずかな一部が、球体の中には圧縮されて閉じこめられている。Aランク。
カメラを飛鳥の手元に寄せる。間髪入れずに飛鳥は『プロミネンスボム』のスイッチを押し、ピッという音とともに、タイマーが作動する。
起爆までにかかる時間はきっかり10秒。だが爆弾にモニターなどはついておらず、減っていく秒数を確認する術はない。
感覚を頼りに、飛鳥はカウントダウンを口にする。
飛鳥「9、8、7、6──」
そして、残り5秒に差しかかったところで、彼女は振りかぶり、『プロミネンスボム』を放り投げた。
それは緩やかな弧を描き、クマのぬいぐるみのもとへと落下していく。
カメラをクマのぬいぐるみの視点に。並外れた視力を持っている彼には、こちらに向かって落ちてくる『プロミネンスボム』の存在が、鮮明に見えている。
◯渋谷・コンビニのすぐ近く
屋上の少女によって投擲された、その赤くて丸い小さな物体を見て、クマのぬいぐるみは予想する。
──おそらくあれは、爆発物の類だろう、と……。
次の瞬間、クマのぬいぐるみが迎撃行動に転じる。口が大きく開かれ、白い綿を覗かせるその口内に、ドス黒い高密度のエネルギーの玉が生成されていく。
恵理「え、ちょっとっ、なにっ!?」
ぬいぐるみの背中の陰に隠れているせいで、佳奈と恵理は状況がつかめていない。屋上の少女が何かを投擲したことにも気がづいていない。
佳奈と比べて、やや胆力というものに欠ける恵理が、クマのぬいぐるみのその突然の行動に慌てふためく。
とはいえ、クマのぬいぐるみはそんなこといちいち気にもとめない。
──開かれた口の中から、高密度のエネルギーの光線が放たれる。
角度はほぼ真上。『プロミネンスボム』がそのエネルギー砲の餌食となり、粉砕。タイマーの残り時間が0秒になるのを待たず、衝撃で爆発を起こす。
高さで言うと、高層ビルのちょうど中腹あたり。直視できないほどの光とともに、プロミネンスの名に相応しい灼熱の炎が、空中に撒き散らかされる。
範囲はおよそ半径25m、そこまで規模は大きくない。飛鳥にも、クマのぬいぐるみにも、佳奈と恵理にも、燃え盛る炎が届くことはない。
が、爆風は別である。
凄まじいほどの高熱を孕んだ爆風が、3人の少女のもとへと吹き荒れる。
飛鳥「──っ」
咄嗟に飛鳥は手のひらで口元を覆い、息を止め、さらに後ろに数歩下がることによって、その強風を凌ぐ。迅速な判断、飛鳥は被害を受けずに済む。
一方の佳奈と恵理──クマのぬいぐるみの背中に隠れているせいで、彼女たちは『プロミネンスボム』による爆発を視認することもできていない。
とてつもない爆音と、ぬいぐるみの陰から漏れる眩い光。2人が把握できたのは、それくらいのものだった。
故に、飛鳥のように、適切な対処行動を取れるはずもない。
佳奈と恵理は、熱風をもろに吸いこんでしまい、喉の内側に酷い火傷を負う。
尋常ではないほど痛みが彼女たちを襲い、立っていられなくなった恵理が、思わずその場に蹲る。
佳奈「え──」
自分のことは棚上げにして、すぐさま佳奈は隣にいる恵理を心配し、名前を呼ぼうとする。が、上手くいかない。
激しく咳きこんでしまう佳奈。いっそう強烈な痛みが喉元を突き抜け、彼女も地面に膝をつく。
当たり前だ。喉を焼かれているのだ。声を出すことなどまず不可能。ましてや、他の誰かを気にかけている余裕など、あるはずもない。
だが。
佳奈「え、りっ、ちゃん……」
驚くべきことに、それでも佳奈は、名前を呼ぶ。顔を歪めながら手を伸ばし、少しでもその苦痛を和らげてあげたいと、恵理の頬に優しく触れる。
突然の爆音、押し寄せた熱風、焼かれた喉、体の内部に生じる激痛──わけがわからず、パニックに陥っていた恵理が、徐々に落ち着きを取り戻していく。
頬に添えられている佳奈の手を、包みこむように恵理は握り返す。
痛みがほんの少しだけ、和らいだ気がした。
カメラを佳奈に。
佳奈「わだ、しっ、だちのこと、は、いいからっ」
──あいつを殺して。
痛みと熱さで額に大量の汗を浮かべる佳奈が、怒りを露わにし、潰れた声を絞り出す。
それは、クマのぬいぐるみに向けられた言葉だった。
『暴虐のクマ吉』
それがひとたび暴れ出せば、被害は街の1つや2つじゃ済まされない。綿でできたその体の中には、溢れんばかりの暴虐性が秘められている。Sランク。