ベタ物語(1) 受験当日に倒れている老婆を見つけた件
「人に迷惑をかけてはいけない」
桐島拓馬が第一志望の大学の受験会場に向かう途中、倒れている老婆を見つけた時、親の口癖を思い出していた。周りの人間はチラと老婆を遠巻きに見るとすぐに目をそらし早足に加速して去っていく。スマホで写真や動画をとっている者もいた。
拓馬はまだ18年分しか人生経験を積んでいないが無難な人生だったように思う。小学校に入学したときから毎日ラジオ体操をし、学校以外では1時間読書をし、1時間算数(中学以降は数学)を独学し日記をつけ規則正しく人に迷惑をかけないように生きてきた。だから倒れている老婆を見た時も周りの人間と同じように遠巻きに見て目をそらして早足に加速して去っていこうと思った。ただ、スマホで写真も動画も撮らなかった。
通り過ぎる時にチラっと老婆を見ると老婆と目が合ったような気がした。足が止まってしまった。
「大丈夫ですか?」
と声をかけてしまった。返事はなかった。せめて駅員に知らせるからと心の中で思ってつま先を改札口に向けたその瞬間、パシャリという音が聞こえた。
『やられた!』
拓馬は誰にも聞かれないように舌打ちをした。音の方に目を向けると黒地チェック柄のコートの自分と同世代らしきメガネをかけた男がスマホを構えていた。もしかしたら同じ大学の受験生かもしれない。心なしか笑みを浮かべているように見える。他にも何人かがこちらにスマホを向けていた。このまま立ち去ったらSNSで晒されてしまうだろう。これから受ける大学には後日面接がある。それまでに個人名が特定されていたら碌なことにならないことは確実だろう。人に迷惑をかけないように生きてきたのに迷惑をかけられるとは。
「大丈夫ですか!?すぐに駅員が来ますからね!大丈夫ですからね!」
わざと大声で老婆に呼びかけ、先ほどのスマホを構えていた男に向かって、
「そこの黒地チェック柄のコートのメガネをかけた男の人!、駅員を呼んでください!」
と呼びかけた。拓馬に向けられていたスマホのカメラが一斉にその男に向かった。男の顔から笑みは消え失せスマホを落とし、液晶にヒビが入った。男はごにょごにょとなにかを呟いて去っていった。拓馬がAEDを老婆の元へ持ってくると丁度駅員が来た。駅員は拓馬からAEDをひったくるとテキパキと老婆に向かって適切と思われる処置をしていった。
拓馬はもう大丈夫と思い受験会場に向かおうとすると駅員に呼び止められ別室で事情を聴かれた。受験の時刻には間に合わなくなっていたが駅の方から連絡が入ったらしく遅れた分の科目は後日受験させてもらえることになった。
合格発表を見に行った拓馬は親に結果報告のメッセージを入れた。隣では黒地のチェックのコートをかけたメガネの男がうなだれていた。帰りに駅に着くと老婆に呼び止められた。倒れていたあの老婆だった。
「あの時はありがとうございました。おかげさまで助かりました」
「いえ、困った時はお互い様ですよ」
空は晴れていた。