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異世界転生した少女は理髪店の若おにいを救う

作者: のんた

自分なりの転生チートものに挑戦したくて書きました。

この物語はありがちな転生チートテンプレに対する反骨心でできています。

だって…トラックに轢かれて死ぬやつ、トラック運転手のその後の人生考えたら地獄じゃん…


あっという間にでっち上げたので、小説の体も成しておらずほぼプロット、設定の詰めも甘くむちゃくちゃですが、連載中作品を優先したいので、さっさと上げちゃいます。

設定自体は結構お気に入り。


「ねえお母さん、髪、切りたいんだけど」

「うそ」

「いや、ほんと…」

「うそ。あなたのうそはすぐわかる」

「…だって、洗ってもらう時、こんなに長いと邪魔じゃないか…」

「そんなこと、あなたは考えなくていいの! それに長いほうが似合ってるよ」

「そうそう」

「お父さんまで…それに、私性格だってがさつだし、こんな長い髪…」

「まあ確かにもうちょっとお淑やかなのもかわいいけど、あなたはこのままでもめちゃめちゃかわいいから、何の問題もないね!」

「母さんの言う通りだな! お前はそれがいちばんかわいいんだ」

「…あーそう、わかったよ…」


 …お母さん。



 …お父さん。





 …お母、さん………









 …さん…







 …くさん…



「お客さん」

「うぇっ?」

「お客さん、終わりましたよ」


「あ…ああ、ええと…」

「ちょっとヤダ若おにい、お客様泣いちゃってるじゃない!」

「…ッ!? 申し訳ありません、もしや染料が滲みましたか!?」

「ちが、違う! ふわあ…ただの欠伸だよ。ついすっかり寝てしまって…」


 少女は改めて鏡を見る。

 磨かれた大きな鏡には、金色の髪を長く伸ばし、美しく切り揃えた少女が映っていた。


「――これが、私…」



 カナエ・ヨコイはこの世界の人間ではない。いわゆる「異世界転生」を果たした少女だ。齢にして18歳。長い髪をざんばらに揺らして、草むらをかき分ける。

 カナエの肩には白い猫が乗っている。名をイゾッタという。美しい毛並みの白い猫は仮初の姿、彼女はこの世界のヤオヨロズの神たちの一員だ。女神である。そして、死したカナエの魂を、この世界に転生させた張本人である。

 なんでも、いずれ来るであろう「大いなる災厄」に対抗できる「勇者」の候補の一人がカナエらしい。色々あったが、カナエはイゾッタの持てる「女神の加護」を身にまとい、新しい世界の土を踏んでいた。


 イゾッタは、女神である。そしてこの世界には神が沢山いるらしい。

 複数モノが在れば、序列がつくのが常だが、カナエはイゾッタが神としてどのくらいの位置にいるのか知らない。だが、カナエの思う限り、イゾッタは万能だった。

 なんていうんだったかな、こういうの。…チート?

 別世界からやってきたカナエにはまず路銀が必要だ。カナエの手には、紫色の花が握られている。それは「抜けば死ぬ」と伝わる百薬の長、マンドラゴラ。花も葉も根も薬になる逸品だ。手っ取り早く路銀を稼ぐ為に、マンドラゴラの自生する場所を教えたのもイゾッタだ。人を死に至らしめるらしいマンドラゴラの断末魔も、イゾッタの加護があれば蚊の鳴くような声だった。




「さて、カナエ。この世界で過ごすに、困ることが一つある」

 イゾッタが言った。

「何が困る?」

「この世界では、黒髪の人間はほとんどいない。黒い髪は魔の使いだと忌避される。わたくしが思うに、まずはその髪をどうにかするべき」

「ふーん…」

 カナエは自らの長い髪を雑につまみ上げた。

「そこはイゾッタでもなんとかできないのか?」

 イゾッタからの返事はなかった。




 実際、小さな町に辿り着いた時のカナエの扱いはさんざんだった。薬屋にマンドラゴラを売りに行くと、大量に金貨の入った袋を投げつけられ「いくらでも出すから早く帰ってくれ」と叫ばれた。道端では子供に「悪魔め! いなくなれ!」と卵を投げつけられた。食べ物を粗末にするんじゃあない。確かにこの髪は困ったもののようだ。


 卵にべとつく髪に手をかざせば、「女神の加護」ですぐに元通りだけれど。


「――イゾッタ、幸福な世界じゃないじゃないか」


 カナエはそうぼやいた。

 イゾッタからの返事はなかった。



「ああ!? 髪を切りたい!? お前みたいな真っ黒はお断りだね、せっかく繁盛してる店が汚れちまうぜ!」

 とりあえず髪を切ろうと思い、理髪店を見つけたが、この通り門前払いを食らった。

 カナエを追い払う理髪店の店員は、カナエの思い描く美容師のイメージには程遠い。金髪を逆立てて、ガッチリ固めている。右腕には描いたのか掘ったのか貼ったのかわからないがタトゥーがある。…チンピラだなあ。カナエは独白した。

 しかし、確かに町を見ても黒い髪の人間はいない。みな金髪か、栗のような明るい茶色い髪をしている。時折桃色の髪の人間も見かけるが、あれは染めたのだろうか。あまりじろじろ見ると何をされるかわからないので、カナエはチラ見するに留めた。

 カナエは理髪店の門前に立ち尽くしたまま溜息をついた。

「どうしたもんかな…」

 困ったときのイゾッタ。肩に乗る猫に声をかけようとした、その時。


「髪切るなら、うち来ます?」


 突然の声に、カナエは驚いて振り向いた。眼鏡をかけた、赤毛の青年がそこに立っていた。

 青いエプロン姿、腰のベルトに梳き鋏を差している。

 今さっきカナエを門前払いにした理髪店の向かいに、小さな理髪店が建っているのが見て取れた。


 カナエは金貨の袋を見せつけて答えた。

「金ならごっそりある。言い値で払うよ。頼む」



 店の前で、美しい毛並みの白い猫がナァオ、と鳴いた。


「ちょっとダグラス! なんで黒髪なんか連れてきたんだい! ただでさえ商売上がったりなのに、ケチがつくじゃないか!」

 カナエを見るなり、その理髪店の店主は眉を吊り上げた。

「どうせイキった染髪だろ、騒ぐなよ母さん」

 ダグラスと言うらしい、青いエプロン姿の青年はそう答えた。イキったとか言うな、とカナエは思ったが、同時に、この世界のイキったやつは髪を黒く染めるのか、中二病とかいうやつはこの世界にもあるんだな、と思った。

 座らせられる。この理容室のイメージは、カナエの持つ理容室のイメージとほぼ一致していた。

「お客さん、どうします?」

「思いっきり短くしてくれ」

 あとはフード付きの服でもマントでもかぶって髪を隠せばいい。




 ――長いほうが似合ってるよ。




 そんなこと言ったって、この髪じゃ不便なんだから、しょうがないだろ。




「ええ~!? 短くしちゃうの!? 可愛いのにもったいなあ~い!」

 横からゴッツいオネエの声がした。身の丈2メートルはあろうかという色黒の大男が頬に手を当てて、不満そうに口を尖らせている。

 この世界にも、オネエの美容師っているんだなあ。

「いいから早く洗ってくださいキャンピアンさん」

「やだぁ~! キャンディちゃんって呼んでよ若おにい!」

「いいから早く」

「はあ~い…」

 若おにい、ことダグラスににべもなく突き放され、オネエ美容師はすごすごと洗髪の用意をはじめた。


「綺麗な髪なのに本当にいいの~?」

「平気だよ」

 椅子に体を横たえられて、オネエの店員に髪を洗われる。

 この世界に来て、町に寄るのは初めてで。町を見た時は、いかにもファンタジーに出てきそうな町並みだと思ったものだけれど、意外と文化レベルは昔居た世界と似たり寄ったりなのかもしれないな、石鹸の香りをかぎながらカナエは考える。

「かゆいところございませんか~」

「ないですよ」




 ――ああ、昔を思い出すなあ。




 シャンプーを終えて、鏡の前に座ったカナエ。

 鋏を持ったダグラスがその後ろに立つ。そういえば、さっきのオネエも含めて、男の美容師に髪を触らせたことってなかったな。

 彼の、カナエよりもずっと大きな手がカナエの髪に触れた瞬間、ダグラスはカナエに顔を近づけて、囁いた。


「お客さん…これ、地毛ですね?」


 カナエは頭の中だけで溜息をつく仕草をした。金は払うと言ったけど、やっぱりだめかな。

「そうだよ。地毛で黒髪。やっぱ触るのやめる?」

 半ば諦め半分、カナエはやけになって椅子の背もたれに身体を投げ出す。

 だがダグラスは、何言ってるんですか、と腰に手を当てた。その様子は、さっき外で声をかけてきたときと、ひとつも変わらない。


「やめるわけないじゃないですか。髪を切るのが僕たちの仕事です。でも、もしこの髪で困ってるっていう理由なら…切るより、染めるほうがいいんじゃないですか?」


 ダグラスのその言葉に、カナエは自分の髪を一房指に巻き付けた。

 髪を、染める。考えたこともなかった。 


「切るよりその方がいい。そうしましょう」

 ぽかんとしているカナエをよそにダグラスはそう言うと、色紙がたくさん貼られた紙を持ってきた。カラーサンプルだ。

 そしてカナエの髪の先を指で触りながら言う。

「お客さんの髪なら結構簡単に染まると思いますよ。どの色でもいけます」


 カナエは迷った。考えた。それから。


「じゃあ…思いっきり金髪にしてくれ」



「お客様とってもかわいい~! 見違えたわ~!」

「ありがとな」

 カナエの黒髪は美しいプラチナブロンドに染め上げられ、伸びっぱなしでぼさぼさだった髪は綺麗に整えられていた。ああ、これ、姫カットってやつだ。ちょっと恥ずかしいな…。まあいいか。

「お疲れ様でした。ではお代を」

 カナエの首に巻いていたケープを外してダグラスが言った。さて、いくら払えばいいのやら。言い値って言っちゃったからな。


「何すんだい!」


 店主の声が響いた。

 筋骨隆々とした浅黒い男が店主に詰め寄っている。

「俺の事を馬鹿にしやがったなァ? お客様であるこの俺を」

「刺青入れてる奴はウチの客じゃないよ!」

 店主は詰め寄る男に負けずに噛みつき返している。

「うるっせえんだよ…このババア!」

 男の手が店主の襟首を掴み、捻り上げる――その瞬間。


「ごぼッ!?」

 男の頭はどこかから湧いて出てきた水の球にすっぽりと包まれた。

「が…ごぼ、げぼごぼ…」

 男は呼吸を求めてもがき、のたうち回る。


「うちの店長に手を出さないでもらおうか!」

 ダグラスが男に向かって手をかざし、その足元には魔法陣が広がっている。

 ――これが、魔法か。カナエは魔法陣をじっと見つめた。

 ダグラスは指をぱちんと鳴らすと、水の球は消え失せて、男はその場に転がった。


 キャンディちゃんとか名乗っていた、オネエ店員の歓声が飛ぶ。

「さっすが若おにい! 冒険者目指してただけあるゥ!」

「いや、それほどのものでは…」

 ダグラスは謙遜、というより半ば嫌がるような感じで、オネエにステイのポーズを取る。

 オネエはカナエに向き直ると、騒がしくしてごめんなさいね、とエプロンをつまんでお辞儀した。

「最近多いのよねェ、いちゃもんつけてくるお客さん。みんな気が立ってるのかしら?」


 刹那、カナエは感じた。

 男からダグラスに向かう、荒っぽくて粗雑な殺気。


「…っ殺してやるァ!!」


 起き上がった男がダグラスに殴りかかる。

 カナエはその浅黒い足に自分の足をひっかけて、そのまま体を撚る。

 倒れ込んできた男の真下に滑り込み、カナエは男の顎を思い切り蹴り上げた。


「――私が先客だ。横入りはごめんだよ」



 男はカナエに抵抗したが、結局為す術もなくボコボコにされ、ほうほうの体で逃げていった。


「ああ、お店がめちゃくちゃに…」

 嘆く店主。カナエはそっと扉を開け、白い猫を店の中に呼び寄せた。

「イゾッタ」

「心得た」

 カナエは人差し指を天にかざした。


 乱闘で壊れた椅子が、割れた鏡が、ゆっくりと元通りになっていく。

 ――女神の指先。

 カナエに備わった能力の一つ。その能力の全貌をカナエはまだ知らないが、壊れた物を元通りにしたり、何かを作る時に役に立つものらしい。


「これは…一体どういう…!?」

「ちょっとした魔法みたいなもんかな」

「お客様素敵ィ! こんなに華奢なのに、腕っぷしもいいのね! アタシ惚れちゃいそう!」

「ははは、それほどでも」


 忌まれた客だったはずのカナエは、あっという間にヒーローになった。

 せめて名前を教えてくれ、と店主は言った。


「…カナエ。カナエ・ヨコイ」




 言い値で払うと言ったのに、結局かなりまけてもらってしまった。

 また来てね、と満面の笑みで見送るオネエと少し疲れた顔で微笑む店主、無表情で控えめに手を振るダグラスに見送られながら、カナエは思った。

 ――こういう体験は、初めてだな。



 髪の色の影響は、果てしない。

 黒髪から金髪になり、髪も切り揃えたら全くの別人に見えるらしく、飲食店にも入れるし、武具や道具を揃えることも、宿をとることもいとも簡単にできた。

「手入れに時間のかかる武器を手に入れるより、金貨を温存する事を提案する」

 イゾッタはそんな事を言った。それ買う前に言いなよ、とは言わない。

「…いくらイゾッタの手助けがあって強くなれたとしてもそれじゃしんどい。私が強くなりたいんだ。私のために」

 カナエはそう言って、宿の窓から月を見上げた。


「さて、イゾッタ。私は勇者候補なんて言われているけれど、これから何をすりゃあいい?」

「名を売るために冒険者になり、名声を高めていくことを勧める」

「…なるほどね。女神様の言うとおりに」



 

 カナエは手慣らしに町の畑を荒らしている野生動物を蹴散らした。

 それから女を攫うゴブリンの巣を潰した。

 ときには町の人々に頼まれて、雑用もこなした。

 この町は小さくて、冒険者ギルドはないけれど、大きい街に行ってもきっとこういう感じなんだろう。


 いつの間にか「黄金姫」という通り名がついていて、カナエは大層辟易した。



 下積みの下積みは終わった。

「イゾッタ、名声を稼ぎやすい街は」

「この町から街道を南下」

「了解」

 荷物はまとめた。来た時は完全に邪魔者扱いだった町が、今ではすっかり温かい町に変わった。ここを離れるのはほんの少し、名残惜しい。

 町の入り口を飾る看板を見上げる。


「カナエ」


 名を呼ぶ声に、カナエは見上げていた顔を下ろした。

 ダグラスが立っていた。

 あの理容室には時折通っていた。行くたびに前髪や毛先を整えてもらった。ダグラスとも他の店員たちとも、ほとんどタメ口でやりとりするくらい、親しくなっていた。

 だからこそ、挨拶はしないで去りたかったのだけど。


「頼みがある。僕と一緒に、冒険者になってほしい」


 カナエは首をひねった。

「…まあ私は冒険者ギルドに入るつもりだけど、なんでまた」

「あの日、うちの店員が言っていただろう。…諦められないんだ。冒険者を」


 そういえば、オネエの店員が冒険者がどうのとかそんな事を言っていたような。


「お前の腕前を見て、また夢が膨らんできてしまった。お前と一緒なら、冒険者としてやっていけると思った。一度は諦めた夢を、もう一度追いたい。僕にも水と、氷の魔法の加護がある。足手まといにはできるだけならない。頼めないか」

 まくしたてるダグラス。カナエは考えた。

「冒険者になって何がしたい? 私は強くなりたい。あと名声を集めたい」

「困っている人を助けたい」

 カナエは目をまん丸くした。ダグラスの瞳が、あんまりにも真っ直ぐだったから。

「死んだ父さんが冒険者だったんだ。僕を連れてあちこち冒険に行っては、いつでも困っている人に手を差し伸べる人だった。僕も、父さんのようになりたい」


 カナエは迷った。




 ――そういう卑怯なやり方で金を集めて何に使うんだ。子供? 嘘に決まっている。自分のために使うんだろう。




「困ってる人を助けたって、感謝されるわけじゃないぞ。ひどい言葉を投げつけられることの方がずっと多い。善意はいつだって悪意にひっくり返って返ってくる。やめとけよ」

 そして、迷って迷った末にこう突き放した。

 そしてダグラスの瞳を見つめて、


 カナエは息を呑んだ。

 彼の真っ直ぐな瞳は、一切替わらずカナエを見据えている。


「別に感謝は要らない。困ってる人を見過ごす人間になりたくないだけだ」


「…お前がいなくなったらあの理髪店はどうなる」

「あの店はたたむ。元々、向かいの理髪店に客をずっと取られてる。店主である母さんが決めたことだ」

「だからこそ稼げる冒険者――か」

「そういう面もあることは否定しない」


 カナエは少し時間をくれ、と返事をして、もう一度町の宿に宿泊代を払った。

 宿の受付嬢からはそれはそれは喜ばれた。


「死んだ父さん…か。もう会えないのは一緒だけど…私のほうが、ずっと親不孝だな」



 ある日カナエは突然思い至った。

 髪が伸びてきてプリンになったらとても困る。染料を買わなければ。

 そう思い、あの理髪店に染料を求めに来たカナエは、とんでもない場面に出くわした。


 男たちが、店主を取り囲んで、何やら紙を見せつけている。

「こんなの何かの間違いに決まってる! あの人が、こんなもの…」

「ここにきちんと契約書があるんですよ奥さん。俺たちは、期日の昨日まで、きっちり待ちました。でも貸した金は戻ってこなかった。なら、契約通りこの土地をもらう。それしかないんですよ」

「でたらめを言うな! 父さんが借金などするはずがない!」

「ガキは黙ってろ!」

「ぐ…ッ!」

 男のうち一人がダグラスの腹を蹴った。幸いある程度の衝撃は魔法で受け流したようだが、ダグラスは脂汗を浮かべて歯を食いしばる。

「耳揃えて払ってもらいましょうか! そうでなきゃ、今すぐここから立ち退きな!」


「――イゾッタ、あの契約書の嘘を教えろ」

(存在そのもの。契約を取り交わした年数。血判)

 脳みそに直接叩き込まれていく情報の波。

 カナエは男たちの間に割って入って、無理矢理契約書を奪って宣誓した。


「――ダグラスの親父さんが亡くなった年は3824年。この契約書に記されている契約日は3826年。もういない人間がどうやって契約書にサインする? それにこの血判、時間が経って古びた血判に見えるけど、劣化の早いゴブリンの血だ。然るべき調査機関に提出すれば、すぐに今日昨日ででっち上げられた偽物だってわかる」

 男たちの顔が憤怒に染まっていく。

「テメェ…! 黄金姫とか言われて調子乗ってんじゃねえぞ! やっちまえ!」


 その後の展開は言うまでもない。男たちはカナエに蹴散らされ、オネエと店主は抱き合って喜んだ。


「本当にありがとう、助かっ…カナエ?」


 ダグラスが振り向いた時、もうそこにカナエはいなかった。



「なんだ、元の場所に戻ってきたじゃないか」

 カナエは逃げていく男たちの後をひっそりと追っていた。さんざん町中を走り回らされたが、最後の最後に辿り着いたのは、ダグラスたちの理髪店の向かいに居を構える理髪店――初めて町に来た時カナエに門前払いを食らわせた店だ。

 なるほど、ライバル店を潰そうとあの手この手を使ってたわけか。

「イゾッタ。忍び込む」

「了解。風の奇跡」

 イゾッタが囁くと、カナエの体は粒子に変わる。飛んでいきそうになる意識の手綱をしっかりと掴む。カナエの体は風になって、理髪店の中に潜り込んだ。

 男たちが何か話し合っている。「任務」に失敗し、足蹴にされて血を流す男たちの姿も見えた。


「今度こそは絶対に成功させる。あの店は邪魔なんだよ」

「あのクソ生意気なガキさえ潰しちまえばいい」


 カナエは考えた。このまま、この男たちを全員ぶちのめすことは容易だ。けれど、それでは自分がこの町を離れたあと、きっと復讐される。カナエの力だけではなく、住民全員がこの男たちを敵と思わなければならない。

「…イゾッタ。こいつらの目論見、町の人全員に知らせろ」

「了解。ハウリング」


「体の小さいお前があのガキに化けろ。誰でもいい、刺すんだ」

「ええ、で、でも」

「そしたら俺たちがあのガキをとっ捕まえる。そうすりゃあのガキは殺人犯でお縄だ。そうしたら今度こそ、あの店は潰れる」

 男たちは姦計をめぐらす。それが、町中に響き渡っていることなど知らずに。


 自警団が武器を持ち押し入る。町の人々は理髪店の周りを取り囲み、出て行けと叫ぶ。男たちは自警団に掴まり、連行されていく。

 思ったよりもずっと効果が大きい。チンピラみたいな男たちばっかりだったし、元々評判が悪かったのか、それとも女神の加護の効果で人々が扇動されているのか。後者なら、自分はなんとも恐ろしい能力を持ってしまったものだ、カナエはそう思う。

 いずれ、あの男たちには沙汰が下されることになるだろう。



 カナエは風の奇跡から身を開放し、チンピラどもが捕まって喜ぶ町の人々にさり気なくまぎれて自分はさも関係ない人間のように振る舞っていた。

 ぼんやりと人の群れを見つめるカナエの手を、誰かが取った。

 カナエは引っ張られる。――ダグラスだ。


「…お前の、仕業なのか」

「そう聞いて、素直にはいって言うと思うか?」

「あんな離れ業ができるのはお前以外にいないだろう」


 カナエは観念してそうだよ、と答えた。


「…ありがとう。本当に助かった。僕も、店のみんなも」

「別に構わないさ。最初に助けられたのはこっちだからな」

「けど!」

 ダグラスが声を荒げたので、カナエは面食らった。


「一人で無茶をしすぎだ! お前になにかあったらどうする! お前がいない世界じゃ…僕には意味がないんだ!」







 ――神様、虫一つ殺さないこの子が何をしたって言うんですか。

 ――ごめんね、お母さんあなたを健康に産んであげられなくて。

 ――かわいいかわいいかなえ。俺たちの大事な大事な子供だ。

 ――どうか、この子が手術を受けるために、支援をお願いします。

 ――嘘なんかじゃありません! この子は手術をしないと、大人になることもできません!

 ――かなえ、かなえ、死なないで。お母さんを置いて行かないで。



「…勇者候補として、別の世界で新しい人生を送ってもらいたい。健康な身体と、容易に生き抜ける加護も用意する」

「――嫌だ!」

「…なぜ。お前は自由になれる。寝たきりだった人生から開放される」

「お父さんとお母さんが、私のすべてだ! お父さんとお母さんが居ない世界に生まれ変わったって意味なんかない! …このまま、死なせてよ……!」


「ならばわたくしがお前の親になり、お前に愛情を注ごう。これまでよりも幸福な世界に、お前を連れて行こう」



 蹲り、泣いて、呻いて、吠えて。――そして、彼女は決めた。



「…横井(よこい)(かなえ)。連れてってくれ、イゾッタの世界へ」



 ひゅう、と飛んだ指笛にカナエは我に返った。

「やだァ若おにい! こんなところで愛の告白なんてやるゥ!」

「違う! そういう意味で言ったんじゃない!」

「ダグラス、お前、カナエちゃんのこと…」

「母さんもやめてくれ! 一緒に冒険者になる誘いをしたって言っただろ!」 


 いつの間にか、ダグラスとカナエの周りには人だかりができている。

 町の人たちが集まって、すわカップル誕生かと何か勘違いして騒いでいるようだ。



 お前がいない世界じゃ、僕には意味がない、だって。



 なんだかよくわからないけれど、カナエはおかしくなって笑いだした。


「いいよ、ダグラス。行こう一緒に。やろう、冒険者」

「…え、は!?」

「私の髪が伸びてプリンになってきたら、また染めてくれよ」

「あ、ああ、それは構わないけど…いや、お前も何か勘違いしてないか!?」


 カナエはいよいよ笑いが止まらなくなった。

 笑うまま、ダグラスに向かって手を差し伸べた。

 ダグラスが遠慮がちにその手を取ったら、また周りから歓声が上がった。


 こんなにお腹が痛くなるまで笑ったの、初めてだ。

 意外と、幸福な世界かもしれない。


 カナエはそう思った。

2019.01.15 初稿

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