過去の恋愛について
彼女を見かけた事に対しては、特に驚きはしなかった。17年前と同じように気安く挨拶してしまいそうなほど、それほど彼女は何一つ変化していなかった。容姿はもちろんのことだが、彼女を繕っている雰囲気、歩き方、困った時に左手で髪を撫でつける癖、何も変わっていなかった。その事に驚きつつ、なぜ彼女がこの街にいるのかと疑問に思った。あまり一人で出かける事のなかった彼女は一人で出歩くことを好むようになったのか、それともこの辺に住んでいるのか、それとも他に何か。色々なこと考えを巡らせていると彼女は細い道へと入っていき、やがて見えなくなった。代わりに、親父が店から出てきて、隣に立つ。
「そんなに酔っぱらったのか、悠紀。あまり飲んでないだろ。」
親父は自分の孫の卒業式のお祝いということもあってか、いつもより気分が良さそうだ。
「いや、結構僕も飲んだよ。外の空気が気持ちよく感じる。」
酔いを覚ましてくる、と外に出てから時間が経っていたのかと親父から譲ってもらった腕時計を見て気づく。さっき彼女をみたことと、今日が息子の卒業式だったということが、あの日の記憶を少しずつ思い出させていた。
「何か考え事をしていたみたいだが、優二の今後のことか?」
「息子はもう大丈夫だよ。他の事を考えていた。」
親父にも話してないこと。親父以外にも話せないこと。それが唯一彼女のことだった。
「お前はよく頑張ったよ。」
それはきっと僕が受ける言葉じゃない。
奥さんが横で眠るベッドで目を覚ます。今日から僕は現場に立たず、全て優二に任せることになっている。17年前に「ひらちゃん」という名前の居酒屋を浅草橋に出した。都内では予約が取れないほどの繁盛店にはなれたし、本当は拡大していきたかったが、今の店だけでも満足している。
昨日飲みすぎたせいもあってか、時刻はお昼を過ぎていた。奥さんもいつもは午前中に起きているが、今日は僕につられて寝坊しているようだ。息子はもういない。
天気のいい春の陽気を室内に取り込む。昔は飲めなかったコーヒーを飲めるようになったのも彼女の影響だ。彼女の好きだった女性アーティストの曲を流しながら奥さんの分と僕のご飯を作る。黒米の混ざったご飯と卵焼きと温野菜で奥さんは満足するだろう。ひと通り店に関わっている人たちに連絡をしていると、さっき回した洗濯が終わった音がした。奥さんはまだ寝ているし、干し終わったら一人でドライブに行こうと思い立った。