仕事以外に、自分の価値を見いだしていくこと。
人生における仕事の位置づけについて。
仕事が人生のすべてとなってしまっては、他のことに対して気持ちも身体も割くことが出来なくなる。
働いている自分を持ち上げて尊さを感じる。
肩書、地位に完全に縛られてしまうことが心地よさになる。
職場における自分がリアルであり、それ以外の自分は架空の存在となってしまう。
定年を迎えて仕事での自分を失ってしまえば、存在意義さえ見失ってしまうことになるだろう。
家庭での居場所もなくなる。仕事をしてお金を稼ぐことだけにアイデンティティがあったからだ。
働いてお金をえることは大切であり、それによって生活が成り立っているのは事実ではある。
だが、それだけに人生が終始してしまっては非常に薄っぺらいものになるのではないだろうか。
より深みを考えるためには、職場以外での自分の能力を磨き、なにかしらのスキルを習得することが必要だろう。
たとえば、文章を書けるということも大切である。
文章を作れると他人に自分の考えやアイデア、意見を明確に伝えることが可能となる。
自分がどのような人間であるか、何を考えているか、そういったことを伝達できる。
文章でなく絵でもいい。
何かしらの表現方法を自分に作っておいたほうがいい。
それこそSNSで書き続けるだけでもいいんじゃないだろうか。
なにか継続して表現できるものを見つけておくこと。
それによって仕事以外での自分の価値を高めていくことができるのと考えている。
それを思うと、スマホでなくパソコンを利用するようにしたほうがいいだろう。
スマホではどうしても、消費行為のほうに傾いてしまう。
長い文章を作るにしても絵を描くにしても、パソコンのほうが勝手がいい。
世のなかは派手なことばかりではない。
聞こえがよく、カッコいいことばかりではない。
地味で、ひとつひとつはショボいとしか思えないことが積み重ねで大きなモノになっていく。
すぐにリターンを求めていてはダメだ。そんなものはたいした結末を迎えることができない。
時間が掛かり、そんなことが何に繋がるのだろうと疑問を持ち続けながらもやってみることが、面白い結果を生んでいる気がしている。
ここまでに書いてきたことは漠然と自分のなかに在り続けていることだ。
ただ自分のなかに持っているよりも、とりあえず、文章にしてみることで何か見えてくるものがあるではと考えてみた。