プロローグ
東京都新宿区。
立ち並ぶビル群。もうすぐ一日が終わるというのに灯りは絶えず街を照らし続けている。
常に動き続け、静かな活気に満ちるこの街も、ここまではその熱が届くことはない。
星々は街の灯りに打ち消され、暗闇に浮かぶ月だけが変わらず地上を照らしている。
静かな光景。彼女は、街の喧噪をこの場から眺めるのが好きだった。
彼女は有名人だった。
今までは、漫画や小説でしか無かったようなVRMMOを作り上げた時代の寵児。
彼女が何かを発表する度に、人々は熱狂し、娯楽のあり方を大きく変えた。
彼女は女王蟻だった。
サラリーマンがせっせと働き、その僅かながらの金と時間を気晴らしと称して、彼女の運営擦るゲームに消費していく。
それは、まさに女王蟻と働き蟻の構図だった。
そうやって、せっせと働き、餌を運んでくる蟻達の姿を高みから見下ろすのが彼女の愉悦、生き甲斐だった。
無論、批判も多い。
課金に課金を重ね生活がなりゆかなくなった人達が増えると、マスコミは一斉に彼女を叩いた。
そういった意見も、彼女からすれば弱者の遠吠えにしか過ぎず笑顔で対応することが出来た。
世間での彼女の評価は、正に女王。
常に余裕と自信に溢れた笑みを浮かべる彼女がひきつった笑みを浮かべている。
「あ、あなた、一体何をしたのよ!!」
彼女は吠えていた。
彼女の優越感に浸ることの出来るこの場所で、彼女は追いつめられていた。
「何って……さて、社長。今更何を言っているのです?」
言葉を返したのは一人の男。
暗闇で相手の顔は見ることは出来ない。
ただ、彼女は彼が誰なのか解っていた。
恐らく、いつもの通り無表情で佇んでいるであろうつまらない男。
整っているが特徴の無い顔立ち。数少ない特徴として常に右手に手袋をはめているというところか。
感情を出すことはなく、彼女の言うとおりひたすら働く蟻の一匹だ。
彼はそこらの働き蟻とは少し違う。
彼は、彼女の部下であり、そして彼女にとって急所ともいえる存在だった。
彼女が作り出したといわれるVRMMO。
しかし、実際の所、それを発明したのは、目の前にいる彼なのだ。
「前々から言っていたじゃないですか。『私はいつか、VRMMOと現実を融合させる』、と」
そう、彼は常日頃、そんなことを言っていた。
しかし、それは現実世界のインフラとVRMMOの技術を融合させていく、そういう意味ととらえていたのだ。
それがまさか……
「まさか、その言葉通りの意味なんてっ」
彼の背後にいる人物に目を向ける。
狐の面をかぶった女性。袖の短い着物のような服を着た彼女。
手には、銀色に輝く小刀を持っている。
彼女の立ち上げた会社『オラクル社』のコンテンツの一つ。
『陰陽幻武』の忍の格好だ。これがただのコスプレでは無く、まさにゲーム通りのスペックを兼ね備えた存在だというのは先程見せて貰った。
ゲームと同じように壁を走り、ゲームと同じように分身する。
ゲーム内ではありふれた光景だが、現実で見ればあり得ない現象だ。
どのようにこのようなことを現実で再現したのか解らない。
彼女の常識だと、いや、この世界の常識ではこのようなことは不可能。
しかし、心が落ち着くにつれ、彼女の野心家としての一面が顔を出す。
理解の出来ない技術。危険な技術。しかし、それ以上にこの技術は金になる。
顔はひきつったまま、しかし頬がにぃ、とつり上がる。
「ま、まぁ。いいわ。どういう原理か解らないけれど、これはいいビジネスチャンスだわ。いい?この技術、私に提供しなさい。私がうまく運用してあげるわ」
彼は彼女の言いなりだった。
今までも彼女の言うとおりに彼は新しい技術を次々に作りだし彼女に提供し続けた。
今回のは、少々びっくりしたけど、いつもと変わらない。
彼からこの技術を教わり、自分が開発したものとして発表する。
扱いには困る技術だが、しかし活用方法は山ほどある。
この技術で、自分の名声は更に高まる。その名は世界に、いや歴史に名前を残すことが出来る。
そんな未来を夢想し、笑みを深めていると……
「お断りします」
彼から出てきたのは拒否の言葉。
「なん、ですって?」
従順だった彼の言葉にカッとなる。
彼に近づき、頬を殴りつける。
力一杯殴ったというのに、よろめく程度ですむ彼に余計腹が立つ。
「あなた、自分の立場が解っていないようね!あなたにこの技術を使いこなせるの? あなたのVR技術を世界に広げたのは私!優れた技術を作り出そうが生かす術をあなたには無い。この技術は私が扱ってこそ、輝く
物なの! いい? あなたはつべこべ言わずに私に従っていればいいのよ!」
その言葉に、彼は自分の手の甲に刻まれているのは入れ墨。
二匹の蛇が互いの尾を喰らい、8の形を作っている。
「くっくく、あは、あっはっはっはっは。何をいうかと思えば、本当、おめでたい頭をしていますね。あなたは」
常に無表情だった男。それが初めて声を上げて笑っている。
その姿に、彼女は恐怖した。
(なんだ?これは、一体なんだ?私は一体、何を飼っていた?)
彼女も、大企業のオーナーだ。
様々な人間を観察してきた。
野心的な男、傲慢な男、利用価値もない甘い男。
その相手の目を見れば、大体、どんな男か理解することが出来た。
今までの彼の目は、まるで波一つ立たない湖畔のように静かな目をしていた。
地位も名声も女にも興味を示さない生きているか死んでいるかも解らない瞳。
その彼の瞳が、歪んでいた。
怒り・悲しみ・苦しみ・喜び。それらの感情を限界までつぎ込んだかのようなその瞳は嵐のように荒れ狂い、狂気の色に染まっていく。
「貴方は私を利用したつもりでしょうが、実際は違うっ。VRMMOを普及させるのに一番の利用価値があったのが貴方だった。ただ、それだけのこと。すべては、今日っ!この日の為!!今日という日の為、私はあなたに私のすべてを与え続けてきた」
何を言っているのか、理解出来ない。
しかし、彼を止めないといけない、こんな目をした男が何をしでかすか、か。その結果がろくなことではない。そのことだけは理解出来た。
彼を止めないと破滅する。そのことを理解した彼女は彼を止めようと手を伸ばし・・・・・・
「……あなたには感謝しています。私一人では、間に合わなかった。あなたが居たから『ギリギリ間に合った』。けど、もう用済みです」
ぽつり、と彼の口から漏れた優しい声。
その言葉と同時に……
「ごふっ」
胸に鋭い痛みが走る。
彼の背後に控えていた狐面の女。その彼女の手にあったはずの小刀は消え失せ、代わりに自分の胸から生えている。
「……あ」
膝から力が失われ、後ろへ倒れる。
視界に移るのは、空に浮かぶ真っ暗な穴。
そこに浮かぶ、幾千幾万という瞳の群。
「さあ!すべてを破壊しよう!すべてを作り直そう!今日から私は『運営』!」
穴は次第に広がり、空を埋め尽くし、そして……
「この日本を導く者だ!!」
ーーその日、すべてが破壊され、再構成された。
初めまして or お久しぶりです。
サイユー&ヤンと申します。
以前、書いていた『円卓の国、神奈川』のリメイク版となります。
設定は変わりませんが、話の展開は全然違ったものとなる予定です。
本当は、もう少し書き溜めしてからアップしたかったのですが、自分が関わっている同人ゲーム『新聞物語』の発売日と合わさせていただきました。