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人式怪異撃退法

「もう煮詰まったころか」

 拝殿の階段に腰掛けていた遠見が腰を上げたのは、鍋を火にかけ、数分が経過した頃だった。

 鍋はぐつぐつと音を立て、それを聞いているだけなら空腹を刺激されそうだったが、漂う臭いはそれを許さない。青臭さに土臭さ、遠見の手により無造作にブレンドされた二つの臭いは、熱せられることで、嗅ぐものに不快感を与える悪臭となっていた。イナシは既に地面に伏せ、臭いから逃れようと鼻先を腕に押し付けている。

 遠見が鍋の蓋を開けた。

 むわっ、と籠っていた湯気が立ち昇り、同時にこれまでの数倍の臭気が襲ってくる。何度も経験している毎度のことではあるのだが、臭いというのはなかなか慣れるものではない。

 たまらず爽太も腕で鼻を覆った。いまだけはイナシの腹の中にいるエルテスラを羨ましく思いさえする。

 この臭いそのものが怪異をおびき寄せるために必要なのかは不明である。もしかしたらこれが怪異の好む臭いでふらふらと誘い出されてしまうのかもしれないし、もしくは、遠見の言うところの超自然的な力が臭いや湯気と共に拡散され、それによっておびき寄せられているのかもしれない。その原理も遠見以外には理解不能だが、爽太としては、できれば他の方法を模索してもらいたいと願うばかりである。

 そんな爽太の思いなど知る由もなく、遠見はどこから取り出したのか、団扇を手にパタパタと鍋を扇いでいる。

「ほ~ら。寄ってこ~い、寄ってこ~い」

 野良猫でも呼ぶように、呑気な声を出す。

 これもいつものことだ。そうやってしばらく待てば、どこからともなく怪異がやってくる。

『おい、もう始まるのか? 貴様らから緊迫感をまったく感じないぞ』

 エルテスラの言葉はもっともだ。怪異の相手をしない爽太はともかくとして、遠見もイナシも、見た目には覇気が微塵も感じられない。

 だが、そんなことはお構いなしに怪異は来る。

「始まるっていうか、もう来てるね」

 爽太は、周囲にぐるりと視線を巡らせた。

 神社の隅、森との境界に立てられた柵の向こう。そこに、怪異はいた。

 その姿は半透明の球体。

 大きさは、爽太の胸に届くほど。ぐりぐりと、黒いペンで塗りつぶしたような楕円の両目に、球体の半分に至るほど長い、口と思しき一筋の線。短い手足が申し訳程度に生えている。

 そんな、子供の描いた落書きか何かのマスコットキャラクターのような風体の怪異が数匹、すでに姿を見せていた。こんな見た目でも、人間を襲う怪異の一種である。。

「ラさんには見えないだろうけどさ」

『いや待て。集中すれば我は怪異の位置ぐらい探知できる。天使の能力を見縊るな』

「それは普通に凄いけど、でもこんなすぐそばにいるんじゃ、意味ないんじゃない?」

『問題ない。姿形は勿論のこと、意識を研ぎ澄ませればミリ単位での位置把握が可能――――って、おいっ! もうすぐそこにいるではないか!』

 球体たちは身体を弾ませるようにして柵を乗り越え、そのままの勢いで拝殿に向かってきていた。

「あっはっは、大丈夫大丈夫」

『何を呑気な――』

「呑気でいいんですよ、爽太は」

 言って、イナシが立ち上がる。その動作だけで、イナシの射程に球体たちが入った。この狭い神社では、イナシの身体の大きさがあれば少しの動作で全範囲をカバーすることが可能だ。

 イナシは無造作にその前足を振るう。さして力も込めていないであろうその動きは、しかし、眼前の球体を屠るには十分すぎる威力を持っていた。まずもって身体の大きさが違いすぎる。

「ギュギューッ!」

 イナシの一振りで、球体たちは奇妙な悲鳴とともに数匹まとめて吹き飛ばされた。地面に転がり、ぴくぴくと手足を動かして身もだえする球体に、すぐさま追い討ちが掛けられる。イナシの前足がその身体を叩き潰す。今度はまとめてではない。一体ずつ、確実に。

「おー」

 爽太が気の抜けた歓声を上げる。

 制圧は一瞬。

 球体たちは地面にぐったりと横たわっている。最早ピクリとも動く様子はない。それを前に、イナシは四肢を広げて警戒の態勢をとる。

 イナシの背後、境内の反対側では、

「死んどけッ!」

 すでに遠見が竹刀を手にして暴れている。

 水鉄砲は腰に差し、竹刀を両手で構えて球体に向かう。さすがにイナシのようにほぼ一撃でとはいかないが、近くにいるものから一体ずつ、確実に竹刀を打ちこんでいく。

 その度、ばちり、と電気が走ったような音と光が生まれ、

「ビギュッ!」

 球体が悲鳴を上げて転がった。打撃の跡は軽く焦げつき、しゅうしゅうと音を立てている。遠見の竹刀は今日もばっちりその威力を発揮していた。

「どんどん行くぞッ!」

 遠見に剣の心得はない。あまつさえ、運動そのものが得意というわけですらない。その太刀筋、身のこなしは完全な独学であり、幾度もの実戦で得たものであるが、そのため経験者のそれと比べればぎこちなくおぼつかないものである。

 しかし、

「おらおらおらぁッ」

 そんなことはお構いなしに、遠見は球体に突っ込んでいく。

 迫る遠見に対し、球体はぴったりと閉じられていた口をガバリと開いた。ギザギザとした、鮫のように鋭利な歯が剥きだしになる。

「フギャ――ッ!」

 そのまま勢いよく跳ね、喰らいつく。

 が、それよりも早く、遠見の竹刀も動く。ただ真っ直ぐに構え、

「――ふッ!」

 突き出す。

 剣先は、吸い込まれるように球体の口へ。

「ガエエェェッ!」

 喉奥を突き破り、次いで光が爆ぜた。球体の全身を伝い、震わせ焦がす光のうねり。

「お、一撃」

 遠見の口に笑みが浮かぶ。

 だらりと手足を垂らし、球体は完全に動きを止めた。

「こりゃ手っ取り早くていいな」

 口から竹刀を引き抜き、残る球体に向かい構え直す。

「どんどん、かかってこい!」

「あっちも当然心配ないよねえ」

 イキイキとしている遠見を眺めながら爽太はひとりごちた。自作の怪しい道具しか頼れるものがないとはいえ、長年怪異に向かってきただけあのことはある。

 しかし、爽太の耳には大きなため息が聞こえてきた。

「…………まだまだ危なっかしいですね」

 イナシが警戒の体勢はそのままに、顔だけ振り向いて遠見を見ていた。

「そりゃ、イナシと比べればねえ」

「こうなれとは言いませんよ。生まれつき特別な力を持っているわけでもないんですから、無理は言いません」

「独学であれってすごいよね」

「ただ、だからこそこんな危険な真似はやめてほしい。私に任せ、怪異の前にその身を投げ出すようなことはしないでもらいたい」

「絶対無理っぽいね。あっはっはっ――」

「いまの言葉、あなたにも言っているんですよ?」

「は…………」

 ――沈黙。

 のち、

「いつもお世話になってます」

「深々と頭を下げなくていいです。自覚しているなら、少しは控えてください」

「それは無理」

 がばっと頭を上げ、きっぱりと答える。堂々と胸を張りイナシを見返すその顔には、いつも通りの笑みの表情。

 イナシは再度大きなため息を吐く。

「言ってやめるなら当にそうしていますからね。私も期待してはいませんよ」

「だよねー」

『貴様ら、さっきから悠長に喋っているが怪異はどうした、怪異は?』

 不意に、イナシの腹から声がした。

「どうしたの? しばらく黙ってたと思ったら」

『好きで黙っていたわけではない。こいつが突然動き出したから大人しくしていただけだ。――それでどうなっているのだ、怪異の方は? ほとんど動きがないようだが』

「二人に叩き伏せられてそこら辺に転がってる状態。いま出てきてた分はもうあらかた片づいてるよ。遠見さんの方も――」

 爽太は振り向き、遠見の様子を確認する。

 竹刀を構えることなく、杖代わりに地面に立てて乱れた息を整えている。周りには、身体に穴が穿たれた球体が倒れている。見える範囲にいる怪異は一掃されているようだ。

「問題なし」

『……本当にあれで怪異を祓えたのか。人間とは底知れないものだな』

「すごいでしょー」

 自分のことのように誇らしげに胸を張る。知り合いの変人が、まさか天使を良い意味で驚愕させる日がこようとは爽太は夢にも思っていなかった。

 そんな爽太たちの視線を浴びながら、不意に、遠見が額に滲む汗を拭いながら拝殿に向かって歩き出した。

「それじゃあ、お待ちかねの時間だな」

 ぼそっと呟いたその言葉。爽太はそれの意味がわからず、遠見の動きを目で追った。遠見は階段に竹刀を置いて、代わりにリュックに手を伸ばし、そこから懐中電灯を引っ張り出す。

「あれ? そういえばそれ使ってなかったね」

 怪異を消滅させる新型の武器。実用できるのならばとても強力な武器だが、遠見はいましがたいつもと同じ竹刀しか使っていなかった。

「なんで?」

 あんな雑魚を相手に使うのは勿体ない、とかそういう考えだろうか。

「こいつは試作機だから、使うには条件がいるんだよ。だからいまから試す」

「いまからって、遅くない? もう動けそうなのはいないし、次の怪異は――」

「そうじゃないと困るんだよ」

 遠見は自分が竹刀で打ちのめした球体たちの方に視線を向けた。

「何度も言うが、こいつは試作機だ。完全じゃない。残念だが、怪異が弱った状態じゃないと効果が発揮できない。それが条件だ」

 言いながら、遠見は一番近くに転がっている球体に無造作に近づいていく。

 遠見は一番手前にいる球体に無造作に近づいていく。球体は完全に無抵抗な状態で、いまなら爽太が傍に立っていても襲われる心配などないだろう。

「いくぞ」

 言って、懐中電灯を構える。レンズは球体の姿をしっかりと捉えている。

 かちっ、とスイッチを入れる音がした。

 光が丸い輪郭、その一部を照らす。

 瞬間、放たれた光が急激に強さを増し、次いで激しい破裂音が響く。

『なっ、なんだ⁉ どうした⁉』

 ひとりだけ状況のわからない天使が、何度目になるかわからない慌てた声を上げる中、爽太の視線は球体に釘付けになっていた。

 その身体の一部分、光に照らされていた部分だけが、何かに抉り取られたように消滅していたからである。左足と、それを中心とした丸々とした胴体。くっきりと断面が現れ、そこからは水蒸気のような白いモヤが立ち昇っていた。

 既に懐中電灯の光は元の強さに戻り、いまはただ地面を照らしている。

 声も出せずにただその様を見ている爽太の耳に、くく、と押し殺した笑い声が聞こえてきた。

 自然と、遠見の方へ視線が移る。

「……成功だ」

 遠見は、空の手を強く固く握りしめていた。そして、

「成功したぞ、俺は! 怪異の消滅! 数年を費やしても得られなかった力を、遂に手に入れたんだ!」

 声高に叫び、ぐるりと爽太に視線を向けた。

「見てたか?」

「うん」

 頷く。

「俺はここまで来たんだ。遂に来た。並んだんだ。――――おい、イナシ!」

 びしっ、とイナシを指差し、

「とうとうお前のすぐそばまで来たぞ! あとは時間の問題だな!」

 勝ち誇った様子で言葉を投げつけ、高笑いする。

 イナシの方は返事に困っているのか、ただ黙って遠見の言葉を受け止めている。

『……おい』

 その代わりとでもいうように、エルテスラが反応を示した。

『声でいまの状況は概ね把握したが、再度確認したい。こいつは本当に大丈夫なんだろうな? 突然とち狂ったように騒ぎ出しおって。我は不安が募るばかりだぞ』

「それはまあ、しょうがないよ」

 爽太はエルテスラに語りかけるように呟いた。

「怪異の消滅は遠見さんの悲願だったから」

 遠見は怪異と戦う術を手に入れている。町の中で襲われたとしても、道具さえ揃っていれば撃退することは難しいことではない。しかしそれは、あくまでも撃退。遠見には、怪異を追い払うことしかできないのである。

「ラさんならわかると思うけど、怪異を叩きのめすだけじゃ足りないんだよ」

 竹刀にせよ水鉄砲にせよ、当たれば怪異に傷を負わせて体力を奪うことができる。ただ、怪我なんてものは時間が経てば勝手に治る。いま地に伏している球体たちも、その場にずっと放置しておけばいつかは傷も癒え、また跳ねるように動き出すのである。

 怪異を痛めつけることは、祓う事とは違う。

「怪異を祓うには、その存在自体を消さなければいけない。でしょ?」

 遠見とイナシの絶対的な違い、差がそこにある。

 怪異をいくら殴ろうが、蹴ろうが、斬ろうが、削ごうが、潰そうが、裂こうが、その存在を断ってしまわなければ脅威が除かれたとは言えない。怪異は得てして再生能力を持っているし、形勢不利と見れば逃げるぐらいの知能があるものが大多数を占める。

 遠見が怪異と戦うことができようとも、存在自体の消滅ができない限りは、イナシの代わりをすることなど不可能なのである。

『その力を手に入れるまでは守護犬が不要だとは言えん、と。そういう事か』

 エルテスラの言葉に、爽太は頷く。

「だからあんなに喜んでるってわけ。必死に試行錯誤してたらしいからね、理論的に」

「さーて、それじゃあちゃっちゃと消していくか」

 満足げな笑みを顔に湛え、遠見はその容貌に依らぬ快活そうな声を上げる。

 懐中電灯を構え直し、一部分のみを抉られた球体の、残る身体に狙いを定めてスイッチを入れる。

 光、そして音。

 白いモヤを立ち昇らせながら、球体はどんどんその身を抉られていく。ほんの数秒の間に、そこに球体の姿はなくなった。跡形もなく、痕跡もなく、完全に消滅した。

「おお~~~~ッ!」

 それを見ながら、遠見は身悶えした。

 しばしの余韻に浸りながらも、すぐに残る球体の方にも懐中電灯を向けていく。スイッチを入れ、光を当てていくだけの簡単な作業。それで瞬く間に球体たちの身体が消えていく。

 五分と経たぬうちに、辺りは怪異が現れる前のむき出しの地面のみが見える殺風景な景色に戻っていた。

「あっという間だね」

「わざわざ飲み込むような手間がないからな」

 遠見はイナシの方を見ながら言う。

「確かにね」

「間違えて天使を呑み込むなんてこともないしな」

「確かにねえ……」

 爽太は唸るように強く頷く。イナシは少しばかり気まずそうな顔をしていたが、

「まあ……」

 呟き、

「おめでとうございます」

 ほんの少し頭を下げた。

「そんなこと言ってていいのか? お前はすぐに用済みになるんだぞ?」

「なりませんよ」

「俺には代わりは無理だってことか?」

「役目は役目です。誰が何をしようが関係のない、私の役目」

「その役目が、やることがなくなるって言ってんだよ」

「それなら、他の人間を守るあなたのことを守るとか」

「自分の身は自分で守れる」

「そうしたら……」

 イナシは僅かな思考の間を置き、

「しばし休憩、ですかね」

 ぽつりと言った。

 遠見の顔に、また笑みが浮かんだ。それは勝利を確信した者の笑み。自分の望む者を手に入れた者の笑み。

「そう、それでいいんだ。犬っころは大人しく惰眠を貪ってるのがあるべき姿だ」

 言い放ち、再度の高笑い。

「さて、こっちの怪異は全部消したから残ってるそっちの奴らも消していくか」

 遠見はイナシが倒した球体たちの方へ軽い足取りで駆け寄り、嬉々として懐中電灯の光を当てていく。怪異は次々にその姿を消滅させていく。

「次が来る前にきれいに片づけておかなきゃあな」

『次? 次というと、まだ怪異が来るのか?』

 遠見の言葉に、耳ざとくエルテスラが反応した。

「そりゃそうだよ。これぐらいじゃ訓練にならないもん。もう少ししたらいまのとは別の、もっと強かったり厄介だったりするのが来るよ」

 爽太はエルテスラに説明を始めた。

「遠見さんの鍋は、時間が経てば経つほど強い怪異を呼ぶ性質があって、一番初めはいま倒したやつみたいな弱いのが来る。僕みたいな普通の人間でも自力で逃げられるようなやつね」

 イナシはおろか、遠見でも鎧袖一触。その程度の怪異がまずは現れる。

「その次に来るのが、もうちょっと厄介で凶暴な怪異。これは普通の人間なら為す術なしだね」

 遠見でも複数を相手取ることが可能だが、少しの油断が命取りになるのがこの段階。イナシの方はそんな遠見を尻目にパクパクと一口で片づけていくため、遠見が倒すのを待って一体ずつ処理していくのが常である。

「そのあとは、特殊な力を持ってる怪異が出てくるかな。火やら水やらを出したり、念力とか精神干渉とか。こういうのは群れじゃなくてせいぜい二、三体出てくるのが普通だね」

 このレベルの相手になると、遠見では一対一でも後れを取る可能性が高くなる。だからといってイナシが手を出してしまえば訓練としては意味がなくなるため、基本的には遠見が戦い、危険が及べばイナシが助けに入る形になる。

 イナシにとっては、遠見にかかる危険性は可能な限り低くしたいのだが、遠見が望む訓練としての成果を優先させているのが現状である。本来ならば自分の役目に忠実に、姿を現した怪異を片っ端から呑み込んでしまいたいのが正直なところだが、そこをぐっと堪えているのだ。

「あと、この時にはもう鍋の火を止めて蓋をする。これが大事。もっと強いのが来たら力の差がありすぎて遠見さんの訓練にならないからね」

『改めて聞けば、危険極まりないな。この場に守護犬がいなければ命を落としていても不思議ではないだろうに』

「イナシは保護者的立場だよね」

「保護者なんていらねえよ。ガキじゃあるまいし」

 遠見が口を尖らせる。

「親のスネをかじってこんなことしてる身分なのに?」

「やめろ、そこには触れるな」

 遠見は親の金により、定職につくこともなく怪異を祓う力を得るために時間と労力を消費することができている。一度は医者の道に進むことも考えていたらしいのだが、いまではすっかりこの有り様である。

「ほら、こいつで最後だ。次もそろそろ来る頃だろ? 無駄話は終わり!」

 あからさまに話題を変えつつ、遠見は残った最後の球体――の肉片に光を当てた。いままで同様、破裂音とともに跡形もなく消え去る。

 だが、その直後に異変が起こる。

 遠見が懐中電灯のスイッチを切ろうとした矢先、不意にレンズから放たれる光の量が増していった。それは急激な速度で、直線状に放たれていたものが、溢れでもするように放射状に切り替わり、さらに拡散するように四方に光の筋が伸びていく。

「なッ⁉」

 次の瞬間、眩いばかりの光が神社を満たした。そして、伴う爆発音。

 続く、

「げ」

 遠見の声。

 それは、一瞬の出来事。光は急速に収束していく。

 眩しさから、懐中電灯から顔を背けていた爽太とイナシは、ともに視線を遠見の方に戻した。二人の目に映ったのは、棒立ちの遠見。そして、

「うわ、派手にいったね」

 その周りには、元懐中電灯だったはずの破片の群れが散らばる。

 電池、バネ、レンズやらが転がる地面。遠見は自分の右手に視線を落とし、ただ突っ立っている。外傷はまったくないように見える。

『今度はなにが――』

「懐中電灯が爆発しちゃった」

 あっけなく、壊れた。まさに一瞬の出来事だった。

『なに? 問題なく使えたのではないのか?』

「おそらく連続使用に耐えられなかったという事でしょう。あくまで試作型ですから、可能性としては十分考えられます」

「なんせ怪異の消滅だもんね。どんな力が働いてるのか知らないけど、ただの懐中電灯じゃその力に耐えられなかったってことじゃない?」

『しかし、せっかく手に入れたと思ったら、またすぐに失うことになるとはな。奴なら、悲しみのあまり発狂しそうだな』

「そんな心配はいらないよ、いつものことだもん」

 遠見は先ほどまでと変わらぬ右手に視線を落とした姿勢のままだが、その状態でなにかをぶつぶつと呟いていた。

「…………やっぱりそうだよな。そうとんとん拍子にはいかないよな。一歩踏み出したからって、そのまま走りだせるわけがない。じっくりと、ゆっくりと、牛歩でいい。着実に進んでいけば問題なしだ。ふふ。そうだそうだ。理論はなんら間違っていない。あとは連続使用に耐えるだけの耐久性を持たせればいいだけだ。天使様とも知り合えたことだ、開発スピードはぐんぐん速くなるはず。何も問題はない。ふふふふふ」

「ね?」

『あれが普通だと言うなら別にそれで構わんが……』

「しかし、消滅の手段がなくなってしまったのは手痛いですね」

 イナシは眉根を寄せ、思案顔で呟いた。

 遠見の精神的なダメージは無きに等しいのでまったく以て問題ないが、怪異を祓う、つまりは消滅させる手段を失ったことは問題である。爽太は遠見の作った道具の力をすべて信用してはいないし、特に今回は試作型とも言っていたので、それで大丈夫だと安心していたわけではないが、だからといって代替案を考えていたということもない。それはおそらくイナシも同じである。

 頭の中でいくつか手段を模索しているようで、地面を見つめたり虚空を眺めたり、しばしうんうん唸った後で、

「取りあえずは行動不能にして、あとは原形がなくなるぐらいに八つ裂きにでもしましょうか。すべて倒したころには私も睡眠に入ることができるかもしれませんから。そうすればエルテスラが出た後で怪異を一息に呑み込んでしまえば問題ありません」

 血生臭さの漂うものを提案してきた。

 だが、理には適っている。希望的観測に頼っている側面も大きいが、現状では妥当なところだろう。

 だが、もうひとつ案がある。

「交渉し――」

「却下」

 ――手厳しいなあ。

「じゃあ遠見さんもそれでいい?」

 遠見にも確認を取る必要がある。なにせこの場の責任者ともいうべき立場の人間だ。

 呼びかけに、遠見はぶつぶつと続けていた言葉を止めて振り返った。その顔には、懐中電灯が壊れたことへのショックでも次の開発を想像しての笑みでもなく、若干の苛立ちを抑えたような不満の表情があった。

「途中まではいいが、最後が駄目だ。そいつの手を借りる必要はない」

 断言した。

 相変わらずの挑発的な物言いだが、これも変わらず、イナシの方は落ち着いたものである。

「では、どうすると?」

「俺がやる。試作機はもうひとつあるからな」

「え、二個あるの? なんで?」

「試作なんだからいくつかあった方がいいだろ。特に今回は電気を使う道具だ。ちょっとした不具合が起きることも十分考えられる。この訓練は短いスパンで何回もできるもんじゃないんだから、一回で試す数は多いに越したことないだろ」

 正論だった。一点の曇りもない正論。

「どうせまた壊れるだろうが、性能自体に問題はない。使う時間と回数を短くする必要があるから、細切れにしてひとまとめにするってのは必須だな」

「そういうことなら、そちらの方が確実ですね。あと、念のため鍋の火は止めておいた方がいい」

 手強い怪異が来るのは勿論だが、単純に巨大な怪異が来た時が一番困る。消滅させる対象はできるだけ嵩が少ない方が良いからだ。訓練目的の遠見としては、怪異の数は多ければ多いほど良いのだろうが、そうも言ってられない。

「確かにそうだな」

 今度は反論することもなく、イナシの提案にあっさりと乗った。

「さすがにそこまで無謀なことはしないんだね」

「当然だ。俺は目の前のことにこだわって大局を見れないような人間じゃあない。目的はあくまでイナシのポジションを奪うことだからな」

 言いながら、遠見は足早に拝殿の方に戻った。

「番犬なんて、もういらないんだ」

 置いていた竹刀を手に取り、遠見は呟いた。

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