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犬式怪異撃退法

「おおぉ――ッ!」

 空に歓声が上がる。

「やっぱりいいねえ、空中散歩。いや、疾走かな」

 あっはっは、と爽太は愉快そうに笑い声をあげる。

 彼はいま、空を駆けるイナシの背に乗り、その走りを疑似体験しているところだった。イナシの広い背中に身体を預け、首に回した両手は、しっかりと首輪を掴む。

「爽太、何故あなたは私に乗っているのですか?」

「いやあ、久しぶりだとこんなに楽しいとはねえ。ちょっとテンション上がりすぎちゃってるよ」

 わはははは、と笑い声は止まらない。

 昔、爽太がいまよりもずいぶん小さかった頃、無理を言ってイナシの背に乗せてもらったことが何度かあった。町の人間を守ることを使命とするイナシにとっては、背中から落ちでもして怪我をされては困ると、なかなか了承してはくれなかったが、粘り強く頼み込めばしぶしぶ乗せてもらえたのだ。ただ、そんなときは当然足取りも慎重なものになり、のろのろとその場を歩き回るのが精々だった。

 しかし、唯一全力疾走を体感できる時があった。怪異が現れた時である。

 町の中のどこか別の場所に怪異が現れたら、当然イナシはそこに向かわなければならない。背中に子供を乗せていていい訳もない。だが、そんな時、爽太は頑としてイナシの背中から離れなかった。その背にしがみつき、絶対に降りないと宣言する。イナシとしては、身体を振るいでもして無理矢理に下ろしてしまうことは物理的に可能だが、そんな危ない真似を実行できるはずもない。一刻を争うその状況で選ばざるを得ない選択は、爽太を乗せたまま現場に向かうこと。

 結果、爽太はほんの数える程度ではあるが、イナシの全力疾走を体感できたというわけである。

「私は憂鬱ですが」

 イナシはため息ひとつ、呟いた。

「まあまあ。いいじゃない」

 爽太は、イナシがその背に自分を乗せることを快く思っていないことは、十分理解している。

 イナシにとって最も優先される事項は、人間を怪異の手から守ること。背中に乗せた人間など、守りづらいにもほどがある。何より死角だ。直に触れているとはいえ、目の届かないところにいられてはやはり不安というもの。いっそ、どこかそこらにぼけっと突っ立ってもらった方がイナシにとっては楽だろう。だから、イナシは人を背には乗せたがらない。

 しかしそれでも、今回ばかりは大目に見てもらわなければ困る。

「ラさんが出てくるまでは一緒にいるよ」

「多少なりとも、責任があるからですか?」

 爽太は首を横に振る。

「いや、心配だから。イナシもラさんもね」

「え?」

 ――一瞬の沈黙。

 のち、イナシの顔に、眉尻を下げた笑みが浮かんだ。

「そうですか」

 ふ、と口からは声が漏れる。

「そんなに頼りないつもりはなかったんですがね」

 浮かんだ表情は、すぐに自嘲気味の笑みに変わっていた。

「いや、駄目だね。まったく以て駄目。自力でリバースできないなんて、独り立ちはまだ無理だね」

「どんな基準ですか」

 思わず苦笑を漏らす。そんなイナシの声を聞いて、爽太は、はっはっはー、と満足げに笑った。

「そんなに口を開けていると、危ないですよ」

「そう?」

「ええ、もう着きますから。あと――――離さないように」

 低く、抑揚のない声で出された指示。その意味を、爽太はすぐに理解した。いま、イナシの視界に怪異の姿が捉えられたのだ。

 返事をするよりも早く、爽太の身体に軽い衝撃が伝わる。

「――――ッ!」

 跳躍。

 強く一歩を踏みしめ、イナシが跳んだ。四肢に込められた力の大きさは、感じる衝撃で推し量れる。駆けるのとは違う、跳ぶための一歩だ。

 最大の一歩で、一瞬で間合いを詰める。それが、怪異に対してイナシが必ず取る選択肢である。速さのため、怪異への奇襲のため、怪異に相対している人間の安全のため。それらを踏まえての選択である。

 跳んだ、と意識した次の瞬間には、爽太はがくんと揺さぶられるような衝撃を受けた。同時に地を鳴らす音。

 ――到着。

「ぐぎゃあああぁぁぁぁあッ!」

 まるで断末魔のような叫び声が響く。それはイナシに乗った爽太の下、地面の辺りから発せられた。爽太は、ひょいと真下に視線を移した。

 そこにあるのは、地面に這いつくばる怪異の姿。見た目には正真正銘の人型をしているその怪異は、その身体を形作るすべてのパーツが骨で構成されている。いわゆるスケルトンだった。所々が汚れ、欠け、くすんでいるその白い身体の上に、まじりっけなしに真っ白なイナシの足が、でんと置かれている。爪は出ておらずさしたる力も入っていない風だが、両の前足を行儀よく揃え、しっかりとスケルトンの身体を押さえつけている状態だ。

「うーわ……」

 怪異に対する少しばかりの同情が込められた呟きが爽太の口から漏れる。スケルトンはぐったりとして、完全に伸びてしまっているようだ。

 肝心の怪異が無力化していることとて、爽太は辺りに視線を巡らせた。

 さして広くもない道路に、ひしめき合うように立ち並ぶ家々。どこにでもあるような住宅街の一角だ。特徴がなさ過ぎ、かつ爽太自身が住宅街に詳しいわけもないため、具体的な場所はわからない。

 ふと見れば、爽太たちから少し離れた位置に学生服姿の少年が立っていた。

「あれ?」

「げッ、雨瀬」

 言って、顔をしかめたのは見知った相手。爽太の通う中学校のクラスメイトだった。

「おー、奇遇だね」

 軽く手でもあげてみる。とはいえ、ことさら親しい間柄ではない。

「お前、またこいつにくっついてんのかよ」

 開口一番、少年は言った。ちらりと、イナシの顔に一瞬だけ視線を向けた。

「危ねーだけだろ、こんなのと一緒にいても」

 不快感と呆れの入り混じった表情で放たれる言葉。それに対し、爽太はあっけらかんとし様子で答える。

「そんなことないって。僕には目的もあるしさ」

「もういいんじゃねえの、それ。番犬にゃ番犬の役割、一生ってもんがある。それでいいだろ? 皆そう思ってる。違うのはお前とあの変人ぐらいだろ?」

「皆がそうだとしても、そこは譲れないね。イナシは番犬とは違う。違くなる」

「……そうかよ」

 頑なな爽太の言葉に、少年はため息交じりに呟く。

「まあ、俺にはどうでもいいことだけどな。迷惑だけはかけんなよ」

 少年はもう一度イナシの顔をちらりと見て、何も言葉を発することなく踵を返した。

「じゃあな」

 背中越しに爽太に別れの言葉を告げ、足早に去っていく。

 その後ろ姿を、二人はしばし無言で眺める。

 爽太は顎に手をあて、感慨深げに、

「難しい年頃だねえ」

 呟いてみる。

「ですね」

 素っ気ないイナシの返しに、えー、と、爽太が少し不満げな顔をしたところで、

『おい、貴様ら! なんだいまのは!』

 もう何度目になるかわからないエルテスラの怒号。

『いまの衝撃は何が起こったのだ? そしていましがたの男の声はなんだ? 突然ひとり増えたぞ。いや、その前に衝撃とほぼ同時に汚い叫び声も聞こえたぞ。一体なんなのだ? 状況がまったく以てわからん』

「とりあえず、増えた人数は元に戻ったから」

『本当か? 妙な協力者を見つけてきて、思いつきで何か試しそうとしているのではないだろうな』

 公園を後にしてから、やっと口を開いたと思ったエルテスラは、やけに警戒している。むしろ怯えてさえいる。

「大丈夫だって。そんなことはないない」

 爽太は天使を宥めるように、努めて柔らかい声で語りかける。

「あー、でもごめん。やっぱり人数は違ってる。ひとり多い」

『なに? おい、それは――』

「いま数を戻すから」

 言って、爽太はイナシの頭をぽんぽんと軽く叩いた。そして手を伸ばし、イナシの視界の端で、足元の怪異を指差す。

 それだけで、イナシは爽太の意思を理解した。

 ひょいと片方の前足を上げる。そして、未だ押さえつけたままのスケルトン目がけ、思い切り突き下ろす。

 みしり、と骨が悲鳴を上げた。折れはしない辺り流石に頑丈ではあるが、抵抗する力は失ったようで、スケルトンはだらりと四肢をアスファルトに投げ出している。

 それを確認したイナシは、自然な動きで顔をスケルトンに寄せ、

 ――ぱくッ。

 スケルトンの身体を頬張る。その全身が、完全にイナシの口の中に入った。

 イナシは頭を振り上げ、まっすぐ上に顔を向けて、

 ――ごくり。

 一息に飲み込んだ。

『うわぁぁあああああッ!』

 腹の中から叫び声があがる。戸惑いと恐怖が混じり合った悲壮な叫びだ。

『何か来た! 何かごつごつしたものが来たぞ!』

「これで人数は三人に戻ったよ」

『増えている! 腹の中の人数が増えているぞ! 喰ったということは、こいつは怪異か。くそ、何故怪異とこんなに密着しなければ――』

「そんなに慌てなくとも、すぐに消えますよ」

『貴様、腹の中に怪異まで収めて、それでもなんともないのか?』

「まったく」

「大きいからね」

『それで済ませられるか!』

「まあまあ、そんな生産性のない会話は置いといて。その怪異が消えるまでラさんは大人しく待っといてよ」

『なに? それはどういう――』

「でも、こんな調子じゃイナシは疲れないよね?」

 エルテスラの声を無視し、爽太はイナシに話しかける。

「ここまでは走って来たものの、着いてしまえば飲み込むだけで他には何もしていませんからね」

 イナシもエルテスラを気にかけることなく、言葉を返す。二人が喋る間にもエルテスラの喚く声は途切れていないのだが、二人の視線が腹の方に向くことは一切ない。

「数をこなすっていっても限度があるし、今日中に眠るって無理なんじゃないの?」

「町の中を走り回っていれば、少しずつとはいえ確実に疲労は蓄積されますよ。それに、望みたくはないことですが、手強い怪異が現れれば否が応でもそうなるでしょう」

「ふーん」

 爽太は、納得した様子が欠片も見えない相槌を返す。

「それに、今日は特別な日ですから」

「特別?」

 爽太の頭の中に疑問符が浮かぶ。自然と眉根が寄った。

「今日は二週に一度のキネン日です」

 あっ、と思わず声が出た。

 キネン日、という単語。それは一般的に使われる名詞だが、この町に住む人間であればいまの文脈でそれが何を指すのかは明々白々。余計な説明など不要である。

「そっか、キネン日だったのか」

 妙に感慨深そうに呟く。

「知らなかったのは意外ですね。頻繁に顔を出しているのに」

「だってあれはだいたい二週間に一度っていうだけで実際には不定期開催じゃん。完全に本人の都合でやってるだけだしさ。僕に連絡が来るわけでもないし」

「個人的には、ソウタは毎回不参加の方が有難いですね。わざわざ危険な目に合う馬鹿はひとりで沢山です」

「怪異相手に交渉しようとしてる時点でアウトじゃない?」

「自覚があるなら自重しましょうね」

「やだ」

 あっはっは、と笑ってみせる。

『笑っている場合ではない!』

 呪詛のように誰にも聞いてもらえない言葉を垂れ流し続けていたエルテスラが、突然声を張り上げた。

「なになに急にどうしたの? 寂しくなった?」

「声を出さなくとも存在を忘れてはいませんよ。安心してください」

『そうではない! また問題が起きたから、笑っている場合でないと言っているのだ。この怪異、いつまでたっても消える気配がないぞ』

「え?」

 爽太はきょとんとした顔でイナシの腹を見て、次いで顔の方に窺うような視線を送る。

「言われてみれば、確かにまだそのままの状態ですね。抵抗はおろか、動くこともままならない程度に弱体化はしているようですが……」

 イナシは訝しげに呟く。その口ぶりからは若干の戸惑いも感じられた。

『やはり普通ではないのだな。なぜこうも問題ばかりが起きるのだ』

「しかし、圧縮自体はされているはずです。僅かにですが、体積は呑み込んだ直後よりも減っている感覚がしますから。消滅不可能になっているのではなく、消滅に時間がかかっているというのが正しいのでしょう」

 イナシは冷静にいまの状況を分析する。

「これまでも、一度に大量の怪異を呑み込んだ時や大型の怪異を飲み込んだ時に似たような状態になったことがあります。時間は長くかかりましたが、結果的に消滅はしました」

『そう言われて見れば、先ほどまでよりは圧迫感が和らいでいる気もするな。だが、なぜこんな時に限ってこんなことが――』

「ラさんが邪魔だからでしょ」

 唐突に爽太が口を開いた。

「それはどういうことだ?」

「いつもとは違うことがいま現在起きている。ではいつもと違うのは何か。腹の中に消化不良の天使がいる。じゃあそれが原因だ、って話だよ。論理的に」

『我は特別身体が大きいわけでもないし、ひとりだ。条件には当てはまらんだろう』

「だけど消化できないじゃん。それがいけないんだって」

「確かにそう考えるのが妥当ですね」

 イナシも賛同する。

『では我が受けているこの圧迫感と不快感の原因を突き詰めると、それは我自身にあると?』

「自業自得リターンズだね」

 ぐっ、と親指を上げる。

 エルテスラはお決まりの怒声をあげはしなかったが、腹の中からくぐもった怨嗟の声が聞こえた気がした。

「しかし、そうとなると今日がキネン日なのはむしろ厄介ですね」

「そうなるねえ……」

 爽太たちはエルテスラを無視し、話を進める。

 当のエルテスラもそんな反応には慣れたのか、

『さっきも言っていたが、その記念日というのはなんだ? 守護精霊を讃える祭りでもするのか?』

 不機嫌そうではあるが、すぐに話に加わる。

「そんなものではありませんよ。むしろ正反対。私に感謝しようなどという精神は微塵もありません」

「ある意味、祭りといえば祭りかな。怪異に関する祭り。参加者は約二名だけど」

『皆目見当がつかんな。まず、何を記念しているのかがわからん』

「何を、って言われるとねぇ……」

 爽太は顎に手をあて、思案する。記憶を探るように虚空を見上げ、次いでイナシの顔を見た。

「守護犬用済み記念、かな」

『なにぃッ⁉』

「そうですね。そんなところでしょうかね」

『貴様は何を呑気なことを言っている。用済み? 言うに事欠いて用済みだと?』

「讃えるのとは正反対だと言ったじゃないですか」

『なんだそれは! この町には守護精霊を排斥しようとする組織が暗躍しているのか? いや、記念というからには、既に排斥は済んでいるということ。つまり、守護精霊にとって代わる存在がいると……!』

「そういう訳じゃないよ。記念というか、記念日になったらいいなって意味合いだから。どちらかといえば祈念だね、いまのところは」

『組織自体は存在するということか。それも、貴様らが当然のように知っている程度には、周知されてもいる』

「町の人間ならほとんど知ってるよ。組織じゃなくて個人だけど」

『人ひとりの力で、そんな大それたことを考えているのか……! しかし何故だ? この町は強力な守護精霊に守られている場所。守護精霊の存在は人間にとって恩恵しか与えないはずであるのに、何故反発するのだ。理由がわからぬ……。――――はッ! もしや、守護精霊の持つ力が大きすぎるため、その力そのものを脅威と感じて危険視しているのでは? 守護精霊の存在が日常に浸透しているとはいえ、その存在、力が異常なものであることは事実。容易に御することができるものでもない。となれば、それに不安を抱き、反発するものが現れることも頷ける……』

 ぶつぶつと、最早爽太たちに向かって言うでもなく、天使は自分の考えをまとめるために言葉を並べている。

「そんなに衝撃的だったのかな?」

「価値観が大分揺さぶられたようですね。私たちにとっては、そんな驚くことでもありませんが」

「でもこれからどうしようか。そんな状態じゃ呑み込めないよね」

 爽太が腹を指差した。イナシも視線を落とす。

「こうやって話している間に、先ほどのスケルトンはほとんど圧縮されました。数分も経たずに完全に消滅するとは思います。ただ、怪異の群れを相手にするとなると、一体ずつ消滅を待っていることはできませんね」

「呑み込む以外に、怪異を消滅させることはできないんだよね?」

「武器となるのはこの身体のみなので、消し去ることは不可能ですね。叩きのめして行動不能にするか、それ以上となると、原形がなくなるまで八つ裂きにするかしかありません。普段はまったくとらない手段ですが」

 イナシの言葉を聞いた爽太の顔に、笑みが浮かんだ。

「勝手は違うけど、戦うことそのものに支障はないってことか。まあ、かえって体力の消費も激しくなって結果オーライかな」

 気楽な調子でそう言ってのける。言葉通り、その顔には一切の不安は見られない。

 対照的に、イナシは渋い顔をして、

「そう楽観的にもいけませんがね。最終的な処理をどうするかが一番の難点ですから」

 忠告するのを忘れない。

 それでもなお、爽太はその表情を変えることはしなかった。

 どうにもできないことを悩んでも仕方がない。やるべきことをやれるようにやっていれば、嫌でも最終的な結果は出てくるものだ。

「でもまあ、行かないわけにはいかないでしょ?」

「それは当然です。放っておくなど言語道断」

「じゃあ、それはおいおい考えるとして、とりあえずは行ってみようか」

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