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呑まれた天使

「なにぶん飲食の習慣がないもので、吐くという感覚がわからないのですよ」

「あー、こりゃ大変だ」

 能天気な爽太の声は、まるで事態が他人事であるかのような響きに満ちていた。

『なんだそれは。どういうことだ? どうして吐き出すことができん?』

「どうしてって、いま言った通りでしょ」

 エルテスラは晴れて天使と認められたものの、事態はまったく好転しなかった。

 運悪く、不慮の事故によって守護犬の腹の中に収められてしまった天使を、そこから出すことができない。

 それが、爽太たちに突きつけられた問題である。

「呑み込んだ怪異を吐き出したこともないの?」

「そうする理由が存在しないでしょう? 意図せず怪異を呑み込むことなど、まったく以てありませんから」

「怪異が中で暴れるとか――」

「さっきも言った通り、腹に収めてしまえば、どんなに凶暴な怪異でも途端におとなしくなります」

「呑み込まれた仲間を助けようと、外から引っ張り出そうとする怪異がいたり――」

「ついでに、そのまま呑み込むだけです」

「じゃあ、一度入ったら出られないってやつだ」

 ぴん、と、人差し指を上げ、爽太は朗らかに結論を下す。

「……基本的には、そうですね」

 ばつの悪そうな顔で、イナシも肯定の言葉を返すほかない。

『ちょっと待て。話を聞く限り、なにやら我はここから出られんという結論に向かって進んでいるようなのだが……』

「進んでいってはないよ。もう終着だよ」

『諦めるな――ッ!』

 エルテスラは必死に声を上げる。

「すみませんが、自力で吐き出すことは難しい…………と思います。正直、自分自身でも可能なのかどうか不確かだというのが正直なところです」

 エルテスラから見えることなどないが、イナシは心底申し訳なさそうな顔でそう言った。僅かながら頭も下げている。

 イナシにとっては自分の役割を実直に果たしただけに過ぎず、実際のところ、この状況において最も巻き込まれた立場にあると言える。エルテスラが腹の中にいる以上、当事者であることから逃れることなど不可能であるが、不幸な立ち位置にあることは明らかだ。

 そんな思いを抱きつつ、ふと、爽太は口を開いた。

「でもさ、事の発端はエルテスラさんが不穏な動きをとったことにあるわけじゃん。それなら責任の所在っていう意味では、一番比重が――」

『責任の話はやめろ』

 エルテスラが遮る。

「そう言われてみればそのと――」

『やめろ』

 遮る。

「自業自得な感じも――」

『仕方がないのだ! それには避けることのできない理由が、避けられぬ原因が存在していたのだから!』

 話の流れを変えることを諦めたエルテスラは、激しく抗弁した。

「理由って言ってもねえ。こっちは天使に声をかけられる覚えなんてないんだけど。まだまだ短い人生だけど、これまで一度も経験したことないし」

「私も、怪異に限らず様々な精霊の類を目にしてきましたが、天使というものにお目にかかるのは初めてのことですね。天使は守護精霊とは異なるものなのですか?」

『いや、天使も守護精霊であることに変わりはない。神の使いではなく、怪異にこうする存在として大地から生まれたものだ』

「では、何故?」

『それは、こちらが意図しない限り普通の人間が我々の姿を認識することなど不可能だからだ』

「あれ?」

 爽太は疑問の呟きを漏らした。

「でも人間に干渉するのなら、意図しなくても姿を見せることになるんじゃないの?」

 基本的に、イナシのような精霊や怪異といった存在は、一般的な人間の視界に入ることがない。ここ森江町のような特殊な場所でなければ、普通に過ごす人間が視認することは不可能なのがデフォルトの状態になっている。

 それを可能とするには、人間の側にいわゆる霊能力のような特殊な力があるか、もしくは精霊、怪異の側が自ら姿を見せようという意図を持つか、という条件が必要となる。また、もうひとつのパターンとして、精霊、怪異の側が人間に対して意思の伝達、物理的な接触等を試みた場合、先の条件に該当せずとも、両者の意思に関係なく視認が可能となる。

 このような特性に関する知識は、ここ森江町の住民にとっては当然持ち合わせているものであり、自己防衛のために叩き込まれる知識の一端でもある。

『天使の場合、直接の接触というものが必要ないのだ。勿論まったく行わないという訳もないが、天使が人間に行う干渉は、専ら確率操作。いわゆる外的要因で負の力にあてられた者を、正の力で救済するためのものだ。事件、事故を回避させたり、運の絡む事象の結果を変化させたりといった具合にな。厳密にはあるひとりの人物単体ではなく、その周囲のモノも含めた環境に干渉するものになる。だから天使は人間にその姿を見られることを回避できるのだ』

 ふんふん、と興味深そうな様子で爽太はしきりに頷き、エルテスラの話に耳を傾けていた。

 同じように、大人しく話を聞いていたイナシが、口を開く。

「しかし、それはあくまでも人間相手での話。私の視界に天使が入ってこなかったのは何故ですか? 私は町中を移動しているので、遭遇する確率は決して低くはないと思うのですが」

 確かに確かに、と爽太はさらに頷く。

『それは当然のことだ。この町にはそもそも天使が存在していないようだからな』

「え?」

 爽太の首の動きが止まった。

「なんで? この町って天使が寄りつかないような呪われた町なの? 触れてはならない禁忌の地なの?」

『そんなものではない。むしろその逆、ここは人間が守られている場所だからだ。――貴様のような存在にな』

 言った最後の言葉が誰を指しているのか、視線や指で示されずとも爽太にはわかった。

 イナシだ。守護犬として、怪異を祓いこの町の人間を守っているイナシ。エルテスラの言葉は明確に彼を指し示していた。

『この町、ひいてはこの土地自体が守られている。土地の持つ力が怪異に反応し、それを排除する存在を生み出す。それ自体はどんな場所でも起きている珍しくもない現象だが、ここはその力が他と比べてはるかに強い。ろくに交戦することもせず、怪異を丸呑みにする守護精霊など初めて見たわ』

「へー、天使から見てもイナシはやっぱりすごいんだ」

 爽太は感心した声を上げた。

 当のイナシの方は得意気に笑みを浮かべるでも胸を張るでもなく、

「そ、それは異常なのですか? 皆さんやっていることなのでは?」

 自分がマイノリティであると知り、慌てた様子で自分の腹に向かって語りかけている。

『異常、というか特殊だな。そしてそんな特殊な守護精霊がいるから、天使はこの町には来ない。その必要がないからな。祓うべき怪異は祓われ、淀んだ瘴気などもほとんどない。わざわざ足を運ぶよりも、他の場所で他の人間を救う方が実りがある』

「なるほどね」

 爽太は生まれてこの方、様々な人間でないものを見てきた。しかしそれらの中に、有名どころであり、ある種の羨望の眼差しすら向けられるであろう存在の天使だけはいなかった。否が応にも人目に付く派手な姿。たまたま出会えていないというのは、確率的にもおかしいとは思っていたが、こんな理由があったとは。

 ひとついい勉強になったという思いで、爽太の頬が緩む。怪異と交渉していくにあたり、情報は多くて困るという事はない。

『話を戻すが、我が小僧に声をかけたのもそれが理由だ。この町は怪異の数自体は多いはずだが、被害がほとんど見られない。いったいこの町は他と何が違うのか、この町になにがあるのか、それを知るためだったのだ。守護犬の存在など知らなかったからな』

「その目的で通行人に話しかけるのはどうだろうね」

『仕方がなかろう。怪異の気配があるところに駆けつけようとしても、いざ着いてみればその姿はない。となれば聞き込みをするしかないだろうが。何の見当もつけずに選んだ人間が詳しい情報を持っている可能性は低いが、ほかに手段はないからな』

「でもさあ」

 爽太は眉間に皺を寄せ、言った。

「なんで気配を消して近づいたの? そんなことする必要はないよね」

 エルテスラは、うっ、と言葉を詰まらせた。

 僅かな沈黙。

 のち、発せられたエルテスラの声は、

『我が…………天使だからだ』

 必死の思いで絞り出されたような、そんな声だった。

「てんで意味が解らない」

『天使とは――!』

 吐き捨てるような爽太の言葉に、返す刀で放たれたエルテスラの言葉。それは、驚くほどの力強さを持っていた。

『華麗で! 優雅で! 崇高なる存在! 深遠なる叡智と荘厳なる偉力とを振るう、聖なる導き手! 人々からの崇拝を! 礼賛を! 羨望の眼差しを受ける者! しかしその眼差しの中でなお、姿を容易に見せはしない。それが天使!』

 早口で並べ立てられた、天使を評する言葉たち。腹の中から聞こえてきているはずのその声は辺りに響き渡るほどの音量とそれを裏打ちするだけの熱量を内包していた。

『そんな天使である我が人間に姿を見せるのだぞ? 少しでも派手で、幻想的で、印象深く、感動にむせび泣くような、そんな登場の仕方をするべきであることは周知の事実だろう! 天使だったら、誰だってそうするはずだ! いや、そうしてしまうはずなのだ!』

「すごーい、って言われたかっただけか」

『その通りだが! だが……!』

 エルテスラの声が急速にトーンダウンしていく。要は、気配を消した件についてはさしたる意味も意義もなかったということである。

「話を聞いてみればみるだけ、自業自得の感が高まっていくよね」

『……その結論は揺るがんのか?』

「堅固だからねぇ。でもまあ責任の所在はともかくとして、そろそろ真面目にどうにかしようか」

 言って、爽太はイナシに一歩近づく。手を伸ばし、そっとその腹を撫でた。

「この中に入っているとはねぇ。外から見たら全然わからないよね」

「身体の大きさが違いますからね。人間と同程度の大きさのものであれば、すっぽりと収まります。腹に異物がある感覚はありますが、動きに支障をきたすこともありません」

「じゃあ多少違和感があるぐらいで、あとは何ともないんだ? 気持ち悪いとかもないの?」

 爽太の問いに、イナシは首を横に振る。

「まったくですね。そうであれば天使を容易に吐き出すこともできるのかもしれませんが」

「自力で吐くのは無理なんだよねぇ」

 爽太は顎に手をあて、思案する。

 イナシが嘔吐の方法を知らないということ。これは致命的な問題である。生物であれば当然持っているはずのその感覚。守護精霊は動物とは異なるものだという事だが、自然に行えるはずのそれができないとなると、どういう手段を取るべきなのか。

 ――そんじゃまあ、取りあえず……。

 爽太の頭にはすでに案が浮かんではいた。少々荒っぽいが、このままでは事態が進展しようもないので、端緒を開くという意味でも、取りあえずは行動へと移してみる。

 爽太は、ズボンのポケットから骨を出した。端を持ち、指揮棒でも動かすように、手首の力を抜いて宙に軌跡を描く。

 そして、不意に動きを止め、

「よし」

 と一声。骨を固く握りしめる。

 のち、

「はッ!」

 眼前の腹に目がけて思い切り突き出した。

『ぐうぇッ!』

 幸い的が大きく、狙い通りに骨はイナシの腹を突いた。が、得られたのは腹の中から発せられたエルテスラの呻き声だけだった。

 当のイナシは、

「いまのはなんですか?」

 いつもと何ひとつ変わらぬ平然とした顔で、爽太を見下ろしている。

「あらー?」

『くうぅぅッ! なんだ? なんなのだ、いまのは! 敵か? 怪異がやってきたのか⁉ 尋常ならざる衝撃を受けたぞ、我が顔面が!』

「ごめん、僕」

『なにぃッ⁉』

「腹を思い切り殴られれば、悶絶しながら胃袋の中身を全部地面にぶちまけるだろうと予想したんだけどねえ」

 自力で吐けないのなら、自分の意思に関わらず吐いてしまわせるほかない。そう考えて、爽太はイナシの腹に一撃をお見舞いした。

 しかし、結果は見ての通りだ。

「如何せん威力が足りませんね」

「腹を撫でた時と反応が何ひとつ変わらなかったもんね。でも方向性はあってるかな?」

「吐くかどうかは経験がないのでわかりませんが、力が十分であればあるいは――」

『いかん! 却下だ、却下!』

 腹の中から怒声が響く。

『腹に衝撃を受けたとして、我は避けられんのだぞ? この巨体に通用する程度の威力となれば、それを全身で受ける我は一体どうなる。こんな腹の中で没することなど受け入れられん』

 至極真っ当な抗議の言葉。

「それ以前に、吐くに至るだけの力を調達できませんね」

「じゃあ駄目か」

 爽太は骨をポケットにしまった。

「なら次は――」

 今度は水筒を手にし、蓋をあけた。

「あーん」

 何の説明もなく爽太が発した言葉は、ただそれのみ。ぐいっと水筒をイナシの眼前に突き出す。

 イナシの眉が片方だけ上がった。

「趣旨は……?」

「ほいッ」

 爽太の動きは素早かった。疑問の声もなんのその、言葉を交わす気がないとでも言いたげな迅速さで、爽太は水筒をイナシの口に突き入れた。

「むぐぅ!」

 腹の一撃でも微動だにしないイナシでも、否が応でも口が開く。顔はのけぞり、爽太から逃れようとするものの、追撃の手は緩まない。イナシの顔にしがみつく勢いで、爽太は水筒を口に突っ込む。

 どぷどぷと水筒の中身がイナシの喉に吸い込まれていく。そして、

『うわぁ――ッ!』

 腹の中から悲鳴が上がった。

『なんだこれは? まさか消化液? 吐き出すのが無理と判断して消化液を、いや、なんでも溶かす溶解液を生成したんじゃなばばばばば――』

 泡立つような水音と共に、エルテスラの声は聞こえなくなった。

 一分と経たないうちに水筒は空になった。縁についた水滴を振るって落とし、爽太はイナシの顔から身体を放す。

 解放されたイナシは頭を軽く振り、大きく息を吐いた。

 そして、爽太をまっすぐに見る。

「趣旨は?」

「大量に水を飲むと吐き気がするよね」

 爽やかな笑顔とともに、言った。

「なるほど、そういうものなのですね」

 イナシは呆れるでも怒るでもなく、ただただ納得した様子でそう呟いた。

 突然大量の水を口に流し込まれたら、人間であれば飲み込む前にむせ返ってしまい、しばし苦しむことになる。しかしイナシはそうならなかった。身体の大きさもあってか、水筒の中の水はするりと喉を通り、腹の中に納まった。爽太の行動に対する驚きと疑問はあったものの苦痛は皆無。

 その一方、

「おーい」

 腹の中からは微かな呻き声しか聞こえてこない。

「これも危険ですね」

「天使って見た目だけじゃなくて耐久性とかも人間に近いのかな」

 それからしばらくの間、腹の中からは物音ひとつ聞こえず、静かな時間が過ぎた。

 ――数分後。

『実行に移す前に話し合うべきだ。検討する段階が必要だ。そうだろう?』

 エルテスラの努めて冷静な声。

『行動する前に、これから何をするのかをはっきりと口に出す。何か思いついたら発言し、意見を求める。共有することが大事だ』

「はい!」

 エルテスラからは見えないが、爽太が右手をまっすぐ上げた。

『なんだ?』

「もう万策尽きた感があるよね」

『言うな! そんな諦めの言葉を口にするな!』

「でも共有しないと」

『それはしなくていい!』

「しかし――」

 不意に、イナシが口を開いた。

「確かに妙案は浮かびませんね。どうしたらいいものか……」

「ラさんに自力で出てもらえばいいじゃん」

「ラさん……?」

『おい待て、その呼称は我を指しているのか?』

「うん。エルテスラさんじゃ長いからラさん」

『何故上を取らずに下にいった』

「そっちの方が呼びやすいから。でさ――」

『待て、我は許可せんぞ!』

「そんな小さなことで揉めてる場合じゃないでしょ? いまは事態の解決策を考えないと」

『う……』

「でさ、ラさんが自力で出ればいいんだよ。口の方に向かって這い出してくれば、ずるっと出てこられたり――」

『我は腹の中にいるのだぞ? 四方を完全に肉の壁に覆い包まれ、身動きすることは難しく、身体を捩る程度のことしかできない。とてもじゃないが、そんなことはできん』

「それはイナシが起きてるからじゃないの?」

『起きてる?』

「眠ってリラックスしてる状態なら、内臓の力もほぐれて動けるんじゃない? 入ることができたんだから出ることも余裕だって」

 あっけらかんとした口調で言ってのける。

「一理ありますね」

 爽太の言葉に賛同したのは、イナシだった。

「私も、短時間ではありますが睡眠をとることはあります。その間でも、当然ながら怪異の気配は敏感に察知しますが、身体自体は完全に弛緩している状態と言ってもいい。肉体的には最も無防備となります」

『しかし、喉を逆流してくればさすがに目も覚めるだろう?』

「いやいや」

 爽太が首を横に振った。

「水を流し込んでもけろっとしてるし、毎日怪異を何匹も丸呑みしてるんだよ? それも何年間も。天使がひとり喉を通ったところで、イナシにとってはどうってことないでしょ」

「それもそうかもしれませんね」

 当人の肯定の言葉も得られた。妙な所でイナシも楽観的ではある。

「別にさっきみたいに酷い目にあうわけでもないし、取りあえずやってみる価値はあるでしょ?」

 爽太の問いかけに、エルテスラの返事はすぐには返ってこなかった。

 数秒の間ののち、

『……試す価値はあるな』

 意思を固めたエルテスラの声。

 しかし、

「まあ、その案にも問題はあるんだけどね」

 爽太が自ら水を差す。

『問題? 先にそれを言わんか』

「いや、問題っていうほど深刻なものじゃないし」

 ねえ、とイナシに話を振る。

 イナシは視線を腹に落とし、

「いますぐ実行することはできない、と、ただそれだけのことですよ」

『なに? 眠るだけだろう? 赤子でも、いや、犬猫でもできることだぞ』

「残念ながら私は生物ではないので、そう簡単には眠れないのですよ。私が眠るのは疲労が蓄積したときのみ。これ自体は人間やほかの生物と何ら変わりません。しかし私の場合、そうでないときはどんなに必死に眠ろうとしても眠ることができません。私の役割上、常に臨戦態勢でいることが必要とされますから」

 怪異というのは、基本的にその行動時間に規則性を持たない。個体ごとには好む時間帯というものがあってもおかしくはないが、全体でみると完全にランダムであるといえる。そのため、怪異から町の人間を守る立場にあるイナシは、休息の時間など設けることができないのだ。身体に負った傷であれば、自らの舌で舐めることであらかた治療することができるが、疲労に関しては睡眠による解消しかできず、それはイナシにとって、どうしても必要となったときのみ許される行動なのである。

『では、お前が疲れるのを……』

 エルテスラからは見えていないが、イナシは大きく頷いた。

「町を駆け回り、怪異を呑み込み、消滅させることを続ければ自然と疲労が蓄積され、眠ることができる状態になります。疲労の溜まる速度は怪異の出現頻度に左右されますが、おそらく今日中には眠ることができるでしょう」

『日がな一日待てと?』

「つらいのはどちらも同じこと。ともに頑張りましょう」

『嘘を吐くな! さっき、腹に天使がいるくらいではさして気にもならないと言っていただろうが!』

「ともあれ、これが一番現実的な方法ではありますし」

 そうそう、と爽太が頷く。

「いい考えが浮かんだら試してみればいいしさ。時間が必要だけど確実性は高い案でしょ」

『それはそうだが……』

「まあ、腹の中でじっくり頭を捻ってみてよ」

 あはは、と笑いながらイナシの腹をポンポンと叩く。

「そうと決まれば、早速怪異を祓いにいかないとね。そうすればするだけ早く眠くなるんだから」

「ええ。手強い相手、というのはなかなか望めませんし望みたくもありませんので、数をこなすのが得策ですね。とはいえ、こちらから探し出すのはなかなか難しく――」

 言い終える前に、イナシが勢いよく頭を振り上げた。その鼻先を空に突き上げる。

「来ました」

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