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三日目の夜

 通夜は寺で行われるらしい。この家から歩いて10分程度の場所にある寺。少し早めに行ったおかげで晩飯が出ると知る。


「お手伝いの方も食べてください」


 そう言ってる喪服の女性が聞こえ、周りの人に促されながら畳の部屋に入って行った。きっとコンビニ弁当なのだろうと思ったが、町内会の婦人部と称するオバちゃん達が炊き出しを作っている。握り飯と煮物と汁物に漬物だけだが、不思議と美味い。


 見知らぬ人が握ったおにぎりは、どうしても食えないと言う人も多いが、全くそんなことなど気にしない俺はバクバク食う。ノリのおにぎりは苦手だが、ごま塩のおにぎりが並んでいる。

 そう言えば回転寿しの兄ちゃんも、なにやら透明なビニールの手袋をはめて寿司を握っていたのを見たことがある。普通の寿司屋の大将は絶対に素手だよな。俺はそっちの方がいいな。


 若い部類に入るだろうオバちゃんが、「お味噌汁に一味入れる?」と俺に聞く。やたらと具の多い汁物で、きっと「なんだか汁」って名前があるのかと思っていた。


「ああ、これって、ただの味噌汁なんだ。なら、コショウってある?」

「あるよ。持ってきてあげる」


 通夜の手伝いに俺のような20代前半の、それこそお兄ちゃんが混じる事などまず無いのだろう。そもそも年寄りの多いこの町では、俺の年代はあまり見掛けない。そんなこともあってか、40代くらいのオバちゃん達が擦り寄るように話し掛けてくる。


 年寄りの通夜は驚くほどに明るかった。泣いている人は勿論、嘆き悲しんでる人など誰も居ない通夜。手伝いの町内会の人達なんて、まるで祭りの準備でもしているかのように嬉々としているのが見て取れる。

 どのオバちゃんもーーー婆さんも多いがーーー化粧が濃い。相当に気合が入ってやがるぜ。


 あちらこちらで湧き上がる笑い声。いやいやいや、楽しそうだよ。驚いちゃったね。故人を偲ぶような話なんか誰もしてやいない。死んだ人が誰だったかなんてどうでもいいんだろうな。これは気楽でいいや。あはははは。でも、通夜に真っ赤な頬紅ってありか? まぁ、華やかに送り出すってのもいいかもしれないけど、浮いた化粧のオバちゃんは、明るい所にでない方が良いと思うんですが。


 ごま塩のおにぎりを三つ食って味噌汁をお代わりしている俺の隣に、さっきのオバちゃんがびったり座ってきて、一緒に食べ始めている。色々と話し掛けて来るのはいいけど、手がしょっちゅう俺の太ももを撫ぜてくるのはどうなんでしょう?


 そろそろ弔問客が来てもおかしくない時間だ。立ち上がろうとすると、オバちゃんの結婚指輪をはめた左手が、俺の股間をゆっくり撫ぜ上げてきた。びっくりしてオバちゃんの顔を見ると、お茶をすすりながらウィンクしている。通夜ってのは出会い系サイトみたいなとこか。


 以前、アネキが言っていたのを思い出した。



「お通夜なんてお年寄りの社交場だよ。ここぞとばかりに異性のお友達を得ようって人ばっかりだって。死んだ人なんてどうだっていいの」




 寺の正面玄関を入って直ぐにある小窓の付いた部屋。これって、通夜と葬式だけのために作られた部屋なんだろうな。暫くそこで待っていると、葬儀社の人が受付七つ道具を持って現れ、俺に説明を始めようとする。いやいやいや、ちょっと待って待って。他の誰かに説明してくれと言う俺に、その人は、


「あなたは、お若いですから大丈夫ですよ。ちゃんと理解できます。他の町内会の方は経験は豊かでしょうけどお年寄りばかりで、ちょっと……」


 結局、俺が聞いた。確かに難しくは無いがシステマティックに動かなければマズそうだ。


 順次、受付の部屋に集まって来た手伝いの面々。全部が爺だ。皆70過ぎに見える。こりゃマズイだろ、大丈夫か?


「あ、そこの人。悪いけど受付に入って」


 ちょうど通りかかったエプロンをした女の人に俺は声を掛けていた。とにかく、もうろくしてない人が必要だ。


「うん、いいよ」


 よかった。これで少しは……さっきのエッチなオバちゃんだよ。どうりで二つ返事なはずだ。どう見ても喜んでる。



 何故だか人員配置まで俺が仕切ることに。受付最前線には、ちょっとは若そうなーーーそれでも爺さんには変わりはないがーーー二人を並べ、それぞれ一人ずつ別の爺さんをフォローに付けた。香典を受け取って香典返しを渡しながら金額を確認する係りだ。それと、領収書が必要な香典袋に印を付けてくれ。それくらいなら出来るだろ。ちゃんとやってくれよ〜、頼むから。

 その後ろには金庫を抱えた俺が陣取る。前に座った二人の爺さんから回されて来る香典の中身を再度確認して、袋だけを右に座らせたエッチなオバちゃんに渡す。

 エッチなオバちゃんは帳簿付けだ。香典袋を見ながら、名前をあいうえお順に帳簿に書き記し、住所と金額も記入する。エッチな事やってる場合じゃねぇんだからな、頼むぞ…………またウィンクしてきやがった。

 領収書が必要な香典袋は左に座らせた爺さんーーー字ぃ書かせたら凄いと自ら宣言した爺さんに渡す。どれくらいの頻度で領収書を求められるのか検討もつかないが、とっとことっとこ書いてくれ。それは無理か……素早く動ける訳が無い。

 もう一人爺さんがいるのだが、この爺さん、抜群に偉そうで役に立ちそうも無い。全体を管理する隊長さんだと言って具体的な役割から外すと、隊長という役がいたく気に入ったらしい。無言で頷き不気味に笑った。

 俺とエッチなオバちゃんを入れて総勢8名。不安だ。



「いいかい、聞いてくれ。領収書は直ぐに渡せないからな。受付のカウンターに並べて置くから、帰る時に自分で探して勝手に持ってけって言ってくれよ。……分かった?」


「ああ」だか「おお」だか、やたらと元気の無い声が返ってきて、更に不安になった。


 まずは8人分の香典を集めるエッチなオバちゃん。


「ああ、お兄さんって、やっぱり神楽坂さんとこの息子さんなんだ。へ〜〜、いい男になったね。アッチも立派みたいだし。ヒッヒッヒ。あら、1万円も入れたの?」

「ちょっと留守番頼まれて帰って来ただけで……幾ら入れたらいいか分からんくて……」

「多いって、普通は5千円よ。親戚じゃないんでしょ?」

「うん、近所に住んでるだけ」


 喪主にアネキが風呂を覗かれた間柄だとは勿論言わない。


 エッチなオバちゃんは、「香典袋に金額書いて無いじゃない。ほら、お釣り」と言いながら、自分の5千円を俺に渡し、香典袋に5千円と書いてくれている。他の受付の爺さん達も、皆5千円だった。ふ〜ん、そんなもんか。



 隊長がバックの中から取り出した何かを俺に差し出している。なんだ?


「兄ちゃん、これ使え。便利ええぞ」


 そろばんだ。それもやけにデカい。長さはそうでもないのだが、妙に幅が広いような気がする。黒光りしてるし。

 そろばんなど使ったこたなど無いが、家にあったのを子供の頃に玩具にして遊んだ記憶があるが、もっと細かったような気がする。


「あら、それって五つ玉……」


 そう言ったのはエッチなオバちゃんだ。聞くと43歳らしく、子供の頃に算盤塾だかに通っていたそうだが、それでも使っていたのは、下の玉が四つのタイプで、五つ玉など使い方も分からないと言っている。


「同じそろばんだろ? 違うの?」

「どう弾いたらいいのかなんて、全然分かんないって。とにかく、こんなの使える人って居ないでしょ。大昔の骨董品だよ、これ」


 大昔って何時の時代だ? この爺は今でも使ってるのか? 歳なんぼよ? 隊長さんって言われるのが嬉しいって事は、戦争を知ってる年代なんだろうが、まさか関ヶ原の合戦か?



 弔問客が来るわ来るわ、いったいなんなんだ? 昼間はゴーストタウンのような町のクセに何処から湧いて来た? 8割以上が年寄りだよ。いい加減にしてくれ。しまいには、もう来んなと真剣に思った。

 隣を見るとエッチなオバちゃんも鬼のような形相だ。最前線に座らせた二人の爺さんの動きが悪いのだ。予想通りではあるが……。更に、フォローの二人がもっと使えねぇと来た。だからフォローに回したのだが、参った。

 結局、俺とエッチなオバちゃん二人が、後ろから立ち上がって指を差して指示を出しまくっている。まるで戦場だぜ。


 だが、ピークはまだだった。

 6時45分から7時までの15分間が凄まじい。行列が出来てるよ。来るならもっと早く来い。おまけに領収書を頼む人が想像以上に多いのに驚いた。香典なんぞは黙って出しゃーいいんじゃねーの? 人に頼まれたって、わざわざ領収書を証拠代わりに見せなきゃならんもんかね? 爺がそんな手早く領収書を書ける訳ねぇだろ。香典袋が山積みだよ。


 7時10分になって、俺は作戦変更の指示を出した。

 俺と隊長以外の6人が手分けをして領収書作成だ。エッチなオバちゃんの帳簿書きは後回し。それを告げた俺が札を数える仕事に戻ると、隊長が大きく頷いていた。ため息が出るぜ。


 ピン札が多い。万札は全部と言うくらいピン札だ。5千円札も千円札も、7割くらいがピンだ。そこにこだわる日本人ってのはなんなんだろうね……数え難い。

 俺の手は脂性じゃない。ピッタリくっつてる札が憎い。


 そんな時だ。太ももの内側に誰かの手が伸びてきた。また、エッチなオバちゃんかと思い右を向くと心臓が止まりかけた。あいつだ。


 アフリカ難民の女がいた。


 息が掛かるほど傍に寄り、骨と皮だけの腕を伸ばして俺の股間を握っている。


 なに?!

 いつ来た?


 通夜に訪れる新たな客も来ない中で、受付の6人が下を向いて領収書を書いている。隊長はタバコでも吸いに行ったのか見当たらない。



「よせ……止めろ」



 俺は抑えた声でそう言っていた。通夜の読経が聞こえてくる一室で、誰もそんな異変に気が付かないのか、頭を下げたままで一生懸命領収書を書き続けている。


 俺は立ち上がった。その拍子に座っていた椅子が音を立てて倒れたのに、誰も顔を上げない。ボールペンが紙の上を滑る音だけが聞こえる。

 腕を伸ばして俺の身体を弄る女が下から見上げながら笑っている。厭な、おぞましい感じがするが、触られてる股間が変に痺れた。

 俺は女の手首を強く掴む。細過ぎる。掴んだ腕が恐ろしいほどに細い。

 気味が悪くて、思わずその腕を弾くように離して後ずさっていた。


 背筋を伸ばすように立ち上がった女。その女の口がゆっくりと動き、何を言っているのか読み取れた。




「たった」




 こいつ、まともじゃない。


「テメェェ、女だからって容赦しねぇぞ。俺に近寄るな!」


 更に下がった俺は、床に置いてあった香典返しのダンボールに躓き、腰を落としてしまった。


「お兄さん、どうしたの?」


 上から声を掛けられ、見上げるような姿勢の俺は、領収書を書いていたエッチなオバちゃんが手を止めて不思議そうに見下ろしているのと目が合う。


「いや……あの人が……」


 尻餅をついたような格好で指を差すが、そこには誰も居ない。


「そんな……どこに行った?」


 部屋の中には5人の爺とエッチなオバちゃんしか居ない。慌てて立ち上がって辺りを見渡すようにぐるぐる回る俺を、5人の爺の興味無さげな視線が追いかける。

 エッチなオバちゃんがそんな俺をじっと見ているのに気が付き、暫く視線が絡んでいたが、オバちゃんの視線が俺の下半身の方に移動すると、口が、「あ」と言うように開いた。次の瞬間、部屋の扉が開き、飛び上がって振り向くと、そこにはファスナーを閉め忘れた隊長が、のそのそと入って来る。小便に行っていたのかよ。



 領収書も全て書き終え、弔問客も帰った。

 だが、俺とエッチなオバちゃんの二人は受付の部屋に籠っている。


 俺は香典袋に書いてある金額で合計を弾いていた。エッチなオバちゃんは、まだ帳簿書きを続けている。添えられた左手の結婚指輪が今更ながら目につく。


「あの〜、こんなに遅くなって、旦那さん心配して……」

「ああ、大丈夫よ。私ね、この寺の娘だから」


 エッチなオバちゃんは、結婚してあの町内に住んでは居るが、ここの住職の実の娘らしい。驚きだね。煩悩の塊のようなオバちゃんが寺の娘かよ。

 今晩は泊まっていくのだと、スケベーな顔で笑っている。



 10時をまわり11時近くなってようやっと合った。金庫の金と帳簿の金額と香典袋の金額が。この仕事は大変だと心底分かった。もう、やりたくない。


 酒を飲んでる親族の中から喪主を探し出して、通夜の分だと、金と帳簿と香典袋を渡す。こいつが近所の風呂を覗いて回っていた変態か。確かにドスケベに見えた。隣の黒い和服を着た中年の女性が深々と頭を下げる横で、帳簿の金額を見てニヤっと笑いやがった。


 7桁を僅かに超える額だけど、これって儲かっちゃうの? 黒字ってアリか?



 寺を出て、あの嫁さんけっこう美人だったよな。などと考えながら歩いていると声を掛けられた。


「ちょっと待って。そのまま家に帰らない方がいいよ」


 振り返ると、エッチなオバちゃんだ。


「そこに立って動かないで」


 どうしてと聞く間も無く、もの凄い量の塩を頭から、それこそぶっ掛けられた。


「うわ……ちょっと……」


 頭や身体についた塩を払おうとする俺を制して、オバちゃんが俺の周りをぐるぐる回っている。なにやらブツブツ言いながら。なに? お経?


 そして、また股間を触られた。

 思わず腰を引くと、ガッチリ握って離してくれない。


「え……ちょっと……なに? それってマズイでしょ」

「黙って!」


 文句を言わせない厳しさを感じ、暫くの間、掴まれたまんまで突っ立っていた。ちょっと、揉まないでよ。



「お兄さんってさ〜、中途半端に強いね。それって、向こうから寄って来る時あるんだから気を付けた方がいいよ。明日、告別式にも来るんでしょ? 来なかったらダメだよ。うちの爺ちゃんに頼んでおいてあげるから。ああ見えてもけっこう凄いんだよ」

「はぁ……」


 俺が生返事をしていると、また掴んできた。


「しっかり硬くしちゃって、若いよね。内緒だよ。誰にも言ったらダメだからね」


 昔はかなりの美人だったと思われるエッチなオバちゃん。今でも十分にいける顔立ちとスタイルをしているが、笑った顔がモロにスケベだ。


 エッチなオバちゃんが言っていた意味が何と無くだが分かる。昼間に行ったコンビニの店員ーーー俺の後輩だと言っていたお姉ちゃんが、電話で店長らしき人物に食って掛かっていた意味とも繫がる。


 あいつ。あのアフリカの難民みたいな女。

 俺はかなり鈍いな。全然気が付かなかった。そう言えば、通夜の受付に入って来たアイツ、コンビニの制服だった。


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