二日目の夜
突然だが、俺はネギが好きだ。
夜の8時を回った。棚の奥にインスタントラーメンを見つけた俺は、それを晩飯にすると決め、冷蔵庫にあった長ネギを1本まるごと刻んでいる。全部をラーメンにぶち込もう。
玉ネギだろうが長ネギをだろうが、何故か好きなのだ。ネギが。
納豆を食う時も刻んだ長ネギを死ぬほど入れてかき混ぜる。ネギの方が納豆よりも数段多く、上手く糸を引いてくれないが全然かまわない。「ネギだけかじれば?」と言っていた女がいたが、さすがにそれだと美味く無いのは実際にやってみたから知っている。
それと茹で卵もとっても好きだ。だが、黄身がトロ〜としてなければダメだ。黄身がパサついたやつは、それが目玉焼きであっても無理。ちなみに生卵は飲めないし、卵掛けご飯も食えない。人が生卵を飲んだり食ったりしてるのを見ただけで、「おぇっ」と吐きそうになる。すき焼きの生卵は好きだが。
以前付き合っていた彼女が、そんな俺の好みを知って張り切って目玉焼きを作ってくれたが、白身までがトロ〜としていた。
誤解をして欲しく無いが、俺は食い物にはうるさくない。作ってくれたものであればなんでも喜んで食うが、茹で卵と目玉焼きだけは別なのだ。
油を敷いたフライパンに卵を割って何故か蓋を被せた彼女。そして適当な時間にビックリ水なるものを入れていた。あれって何なんだ? 未だに分からん。そして彼女は何度も蓋を開けては覗いていたが、暫くすると、どう言う訳だか半ベソをかいて、「黄身だけを半熟なんて無理。出来ない……エ〜ン」と俺の身体を叩き出した。いやいやいや、そんなんで泣かれるのは勘弁だと、白身が緩い目玉焼きをバクっと一口で食って飲み込み、涙目で笑顔を見せる俺だった。
油をいっぱい敷いて蓋も被せないで作ればいいだけなのに。ビックリ水なる物もいらん。あの目玉焼きはマジでびっくりした。
茹で卵は時間だ。俺は6分30秒派だ。とにかく卵は自分で料理した方が無難だよな。そんな事を考えたり思い出したりしながら、さ〜食べましょうかとラーメンにネギと茹で卵を乗せているとチャイムが鳴った。
誰だ?
俺しかいないし、どうしよう?
ラーメンも早く食わねばのびるだろうし。
鳴ってるチャイムを無視して刻んだネギを絡めて麺を啜る。美味いじゃん。茹で卵を箸で割ると、麺の上に黄身がトロ〜と流れ出し、白身ですくって口に放り込んだ。うひひひひひ。だが、チャイムがしつこい。
くっそ〜、この時間の訪問客って、おかしな宗教の勧誘か?
もう一口麺を啜って、茹で卵の残りも口に入れるがチャイムが鳴り止まない。これほどチャイムを鳴らし続ける宗教の勧誘って何よ?
イラつきながらも玄関に向かう。
「誰?」
鍵を開けずに尋ねるが、相変わらず鳴り続けるチャイム。聞こえねぇぇのか?
「宗教ならいらねーーーぞーーー!」
声を荒げた。だが、チャイムが止まない。
「おーーーーーーい! 止めろ! チャイムが壊れるだろ!」
それでも鳴り続けるチャイム。
「っざけやがって……」
鍵を開けた。そして、玄関のドアノブを回そうと手を触れたが、一瞬早く逆の方向に回されたドアノブ。
「おわっ……」
目の前に現れたのはミイラだ。
叫び声を上げそうになり、実際に息を飲んだ。
「大山さんとこの婆様が死におった」
いきなりそう言ったミイラは、どこかの爺らしいが、ノーメイクでアダムスファミリーに出れる。
「だっ、だれ?」
俺は大山さんも知らなければ、この、やたらと血色の悪い爺も知らん。
「明日やっから、おめぇさんも来い」
なに?
この爺は何を言ってる?
来いって、何処に?
何をやる?
それに爺、あんたは誰だ?
年寄りというのは独特な目つきをしている。なんて言うのか、とにかく一点をじっと見て、誰と目が合おうがニコリともしないで視線も逸らさない。そしてキラキラしていない瞳。
目の前に立っている見知らぬ爺も同じだ。やはり興味を引くものが少なくなると、誰でもこんな目つきになるのだろうか。それにしても顔の生気が無さ過ぎだろ。ほんとに息吸ってんのか?
「銭っ子さ勘定できっべ」
そう言うと、手板挟みを無造作に押し付け、その爺は帰ろうとしている。
「はぁぁああああ? おいおいおいおい、ちょっと待てって、ジジィ」
慌てて裸足で追いかけたが、車に乗り込んだ爺は勢い良くバックして行く。呆然と見送ってしまった。
なんでバックで走らせてんのよ? 意味が分からんけど危ねぇだろ。歳なんぼよ? 運転大丈夫なのか?
俺に押し付けていった手板挟みを改めて見ると、手書きの回覧板らしい。やたらと達筆で書かれてはいたが、通夜と葬式の案内なのだと分かった。あの爺は、この町内の役員か何かなのだろう。
バック走行して行った爺の車が停まったのが見えた。けっこう距離がある。あそこが爺の家か。
確かにUターンできるほどの道幅は無いが、普通はあそこまでバックで行きはしない。遠回りするのが、そんなに嫌だったのか? 歳を取るとせっかちになると言うが、危ねぇ爺だぜ。
家に入って回覧板をじっくり読むと、明日の夜の7時からの通夜だと書いてある。俺にも来いと言っていた爺。銭っ子の勘定とは、きっと受け付けの事だろう。
通夜と葬式の手伝いなどやったことがないが、あれって専門業者が全部やってくれるのだろうと、なんとなくだが思っていたのだが、どうやら違うらしい。それにしても俺の都合など聞こうともしなかったあの爺め、腹が立つ。
この家に普段は俺は住んでいない。高校を卒業して5年目となるが、大学を2年近くも休学してたせいで、未だに学生をやっているのだが、旅行に行くから留守番しててくれと両親に頼まれ、ちょこっと戻って来ただけなのだ。その間、婆ちゃんは叔父の家ーーー親父の弟の家に行っている。
さっきの爺、婆ちゃんの事も、親父やおふくろの事も、何も聞こうとしなかった。この家には俺しか居ないのを知ってたんだ。
「どうせ、おふくろが言ったんだろうな。旅行に行って来る間、息子が一人で留守番してますから、何かあったらお願いね。とかなんとか言ってたんだろ」
どうも独り言が多いな。
「あ! ラーメン」
俺は硬めの麺が好きだ。のびた麺類には腹が立つ。だから、スパゲッティもナポリは絶対に食わない。あのコシが無くってネチョネチョして団子になってる麺類は、見ただけで許せない。むんずと掴んで壁に叩きつけたくなるのは俺だけか?
だが、今はのびたラーメンを我慢して啜っている。美味くない。
俺はアネキに電話を掛けた。また、パーだの変だの言い続けるのを覚悟して。
あ〜、大山さんのおばあさん死んだんだ。へ〜〜、回覧板に幾つって書いてある? えーーー! 94歳? うっそだー! もっといってるって、絶対。あんた覚えてない? あのおばあさんって、昔っから婆さんだよ。そう、ずーーーと前から婆さん。私が小学の低学年の頃から、すでに妖怪みたいだったって。20年くらい前だよ。あの頃でも90はいってたでしょ。…………え? なに? なら110歳以上になっちゃうって?……え? ギネス? 昔の人の出生届けっていい加減だったからでしょ。うん、そうだって。とんでもなく長生きだから、息子も娘も全部死んじゃってるはずだよ。だから孫と同居してたって。ほら、昨日言ってた、犬連れてお風呂覗いてたオジサンだって。……そう、妖怪の孫が変態。……え? その変態って独身かって? 奥さんいるよ。子供だっていたはずだよ。……うんうん、よその女の裸が見たいんでしょ。ストリップ小屋にでも勤めればいいのにさ。同じ町内の人のお風呂覗きに行ってんだから、みんな知ってたんじゃないの? 家の人も。だって、隠れて覗いてないもん。見つかっても、それが何? って感じで堂々と歩いてたって。頭のネジ100本くらい飛んでんだわ。そう。パーなの、パー。……え? お通夜の手伝いに来いって? 回覧板持って来たお爺さんがそう言ってたの? ふ〜〜ん。ええええ?? バックで逃げてったって? アダムスファミリーの一員? あははははははは、可笑しい〜。ハハハハハハハ……
チャイム鳴っても出なきゃ良かったでしょ。バッカだね〜。手伝いね〜。お父さんとお母さんだったら、二人揃って行くんじゃないの。……え? 私ならどうするって? 行く訳ないでしょ。お風呂覗いてた変態が喪主なんでしょ。冗談じゃないって! 行ったら裸になって股開けとか言われそうだって。………い〜や、お通夜だろうが結婚式だろうが、あいつは女の裸の事しか考えてないね。嫁とは別の女の裸。………誰でもいいんじゃないの。嫁じゃなければなんだって。でも、あんたは長男なんだから、お父さんとお母さんの代わりに行った方がいいよ。……喪服? お父さんの借りればいいでしょ。……ムリか。あんたの方が随分と背高いし、手足も長いもんね。学生ズボンに白いワイシャツで行けば? ワイシャツなら袖が短くたって捲れば変じゃないでしょ。どうせ年寄りばっかりなんだから、誰も見てないって。……香典? 100円で充分でしょ。だって手伝いに行くんでしょ。それなのに、更に追い銭するなんて馬鹿げてるでしょ。どーーせ、変態が喪主なんだから、私なら、あいつの顔に唾吐いて終わりだね。そう、唾。ぺっぺっぺっぺって。
ダメだ。こいつと喋ってたらこっちまでおかしくなる。常識ってもんがあるだろ。常識ってもんがよ〜。
その後も随分と喋り続けるアネキをいい加減持て余し、ようやっと電話を切った。参ったね、やっぱり電話しなきゃ良かった。まぁ、とにかく学生ズボンはいけるかもしれない。
2階に行き、高校まで使っていた自分の部屋の洋ダンスを開けると、クリーニングのビニール袋に入っている学生服の上下が吊り下がっていた。穿いてみると確かに変じゃない。これで詰襟を着れば学生服なのだろうが、ズボンだけだと全然いける。
あとは親父のワイシャツの中から良さそうなのを借りようと、洋ダンスを閉め掛け時だ。奥の方に何かが見える。
なんだ?
教科書?
本の類が洋ダンスの奥に積み重なっている。上半身を突っ込んで引きづり出すと、全部がエロ本だった。
「おおおおお……」