二日目の夕方
客の居ないコンビニで、滴るような視線を向けてくる無言の店員。髪をやたらと明るい茶色に染めた女。いや、茶髪と言うより赤毛だ。そして、化粧が濃く冗談のように頬紅が赤い。
「セブンスター……ハッカの8ミリ」
どう言う訳だかメンソールと言う言葉が出て来ない俺は、いつもハッカと注文するのだが、それで大体は伝わる。だが、こも女には伝わったのか? 頷きもしなければ返事も無い。瞬きもしやがらん。
一瞬の間が空いて、俺がもう一度言い掛けた時に、ようやっとノロノロと動く赤毛の女。異様に痩せていた。
後ろの陳列棚からタバコを取ろうと、ゆっくりと背を向けてゆく。身体に厚みが無い。もしかすると老婆か? いや、年寄りじゃねぇだろ。30代? 40代か? 50過ぎ? 気味が悪いほど年齢不詳の女。
そいつの後ろ姿は制服の上からでも骨と皮しかない身体だと分かる。ブルージーンズの腰回りがあり得ないほど皺が寄り、女特有の丸みを帯びた尻の肉など全く無く、あれは尾骶骨なのか、尖ったケツだ。
俺は、自分が痩せた女が苦手なのだと最近知った。どうやらふくよかな女が好みらしい。太り過ぎでは困るが。いや、ガリガリならデブの方がいい。今まで付き合ったどの女も、裸で真っ直ぐに立つと太ももがぴったりくっついていたものだ。太ももの間から向こう側が見えるような女と付き合ったことが無い。だが、この女は何なんだ。きっと、太ももの間に俺の頭ですら入るはずだ。
まるでCMに出て来るアフリカの難民のような女がタバコを持って振り返った。なぜか、そいつの裸が頭に浮かぶ。止せ、やめろ! なんでそんな姿を想像してんだ俺は。股間の黒い陰りまでが妙にリアルに浮かんでくる。
うわ……濃すぎる。
俺は半歩下がっていた。そして目に力を込めて上半身だけを見る。目が極端にデカい。気味が悪いほどの猫背。何かの病気か?
俺をじっと見ている。そして、レジの向こうから身を乗り出して来た。
おい、何をするつもりだ?
仰け反るように、俺は更に距離をとる。ゆっくりと腕が伸ばされ、思わずその腕を見た。骨だ。骨しかない腕が伸びてタッチパネルに触れた。
「おっ、おお……」
20歳以上かのタッチパネルをその女が押してくれた。無言のままで。あり得ないほど不気味すぎるサービス。
再びゆっくりと戻る肉の全くついていない腕から目が離せない。土色の皮膚だ。
「よんしゃくろくちゅうえん」
随分と近くから聞こえた。
枯れ木のような腕から目を離し、声のした方に視線を向けると、すぐ傍にそんな舌足らずな言葉を発した口があった。まだ身体を乗り出していた骨だけの女。
酷く窪んだ二つの目が俺を見ている。ずっと見てたのか? 片時も目を逸らさずに。
「おでんおいし」
笑っている。極端に口がデカい。真っ白な歯が素晴らしく不釣り合いだ。だが、何て言った? おでんがどうしたって?
互いに次の言葉が無い微妙な間が空いているのだが、そんな事など気にならないのか、俺から目を逸らす事もなくおでんの蓋を開け、そして、勝手に容器に入れ始めている。
俺は後ろを振り返ったり辺りを見渡すが、そんな俺の素振りなどどうでもいいと言うように、大根と卵と厚揚げを一個ずつ入れた。
「おでんにしゃくよんちゅうえん」
なんだと?
さっきのは俺におでんを勧めてたのか?
どーでもいい! タバコと合わせて幾らよ? 720円か? いったいこのコンビニはどうなってんだ。おでんなどクソ要らねぇぇが断るのが邪魔くさい。俺は自分で計算しながらポケットの財布を探した。まずい……
「悪い、財布持って来るの忘れた。家近いから取って来るわ」
「あとでもらいにいく」
なに?
なんて言った?
じっとそいつの目を見続けた。その女も俺の目を見てくる。
「え? どう言う意味?」
無言のまま、おでんの容器をビニールの袋に入れてタバコと一緒に台の上を押し出して来る。
「いや、だからね……」
「おそくまでてれびみてた」
なんだって?
「しとりでしたんだ」
とにかく聞き取り難い。
くぐもった声で、舌足らずの上に棒読みだ。おまけに句点の無い喋り方をする女。日本人じゃないのか? マジで難民か?
もう関わりたくない一心で、おでんの入った袋とタバコを奪うように受け取り俺は店を出た。ウィンド越しに振り返ると、じっとこっちを見てる。
いったい何なんだ? あとで金を貰いに行くって言ってたんだよな? 初対面なのにどうやってだよ? バカバカしい。あんな女一人に店番やらせて大丈夫か? どんなコンビニよ。
帰る道すがら、あの女の顔や身体つき、そして声までもが俺に絡みついていた。僅かな時間しかあのコンビニに居なかったのに。その粘っこく絡み付いたものは、まるで蜘蛛の巣のように何時までもとれない。実際にあの女が直ぐ後ろに居るのではと、何度も振り返っていた。
家に戻りTVを点け、おでんを食おうかどうしようかと考えた。さすがに気持ちが悪く、無条件で箸をつける気にならない。タバコは吸ったが。
火のついたタバコを咥えて長椅子に寝転がる。何気にTVに視線が向いた。そう言えば、昨日の夜はけっこうエロいのやってたな。訳の分からん音で見逃しちまって、勿体無かったぜ。
「あれ?…………え?」
女の台詞が思い出された。
「遅くまでテレビ観てた」
そう言ったのか?!
気が付くと、俺は長椅子の上で上半身を起こしていた。咥えていたタバコを灰皿にねじ込み、次のタバコに火をつける。
確かにTVを点けっぱなしで寝ちまったが何で知ってる? どう言う事だ? あいつ誰だ?
胸にネームが付いてたはずだ。……思い出せない。不気味過ぎる身体と腕に気を取られてた。おまけに舌っ足らずで聞き取り難い喋り方で、何て言ってたかなど大して気にも留めてなかった。
台所へ行き、買って来たばかりの湯気が上がっているおでんを三角コーナーに叩きつける。ゆっくりと流れてゆくおでんの汁。その様子をじっと見ていたが消えない。何時までもステンの流しにこびり付いて離れれない。あの女が持っている雰囲気に似ている。
俺は水道の蛇口を勢い良く回していた。流しは元のステンに戻ったが、頭の中に蘇ったあの女の顔が離れない。
「ちきしょう……」
なんで俺が遅くまでTVを観てたのを知っていたのか。答えは簡単だ。あいつが壁を叩いていたからだ。きっと、風呂も覗いたんじゃねぇぇのか?
「ふざけやがって……あのやろう、他にも何か言ってたぞな」
「しとりでしたんだ」
何のことだ?
「遅くまでテレビ観てた……しとりでしたんだ」
嫌らしい笑みを浮かべながら言っていた。その表情までが思い出されたが、どう言う意味だ? なんだか発音が変だった。あれ……なんだった?
「よんしゃくろくちゅうえん」
そうか、「ひ」だ。
一人でしたんだって意味だ。
俺がエロいテレビ観ながら一人で……
あの女、オナニーやったんだろって、そう言ってきたんだ。