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気付けの一杯

作者: 竹仲法順

     *

 昼寝から目が覚めて、ベッドから起き出した。リビング兼書斎、ベッドルーム、キッチン、それに幾分狭い風呂場しかない俺の自宅マンションは実に雑然としている。パソコンはデスク上に立ち上げられたままだ。ゆっくりとキッチンへ入っていき、お湯を沸かしてコーヒーを一杯ホットで淹れる。そしてカップに口を付けた。苦いのだが、いつもエスプレッソを砂糖やミルクなしのブラックで飲む。疲れていた。夏場の疲労はしんどい。だが俺には俺で仕事がある。現役の職業作家としてずっとパソコンのキーを叩き、原稿を作るのだ。主にミステリーを手掛けていた。原稿も締め切りが近付くと、上手く仮眠を取りながら書いている。パソコンは古いOSの物を使っていて速度が遅かったのだが、別に構わない。六年以上使い続けているので、いずれ買い換えようと思っている。ゆっくりと出来るのはコーヒーを飲んでいる合間だけだ。後はずっと仕事である。疲れていた。職業作家になって長い。今が四十代後半だったが、大学在学時から書き続けていた。だから筆歴は優に二十年を越えているのである。ずっと推理小説ばかりだった。三十代の一番終わりである三十九歳のときに晴れて直木賞を受賞し、それから飛ぶように本が売れ始めた。それまでもある程度部数は出ていたのだが、直木賞というのは実に恐ろしく、その作家の宣伝となるのを受賞後、具に感じ取っていた。俺自身、ずっと書斎でパソコンを使って原稿を書き続けている。コーヒーをがぶ飲みしながら、執筆を続けるのだ。確かに四十代も後半で、おまけに独身だから何かと忙しい。朝起き出したら軽めの朝食を取った後、いつも飲んでいるサプリメントを服用する。そして掃除や洗濯などをし、一通り終わってから、パソコンを立ち上げていた。メールボックスを開き、必要な分のメールを読む。出版社の担当編集者からのメールが多い。俺も複数の出版社と契約し、一緒に仕事をしているので、メールには全部目を通していた。それからキーを叩き、返信すべきには返信する。それが終わり、原稿を打ち始めるのだ。大概ミステリー系の作品が載る文芸雑誌や、各種週刊誌での連載、単行本の書き下ろし、それに加えて最近はネット小説なども書いていた。いろいろとあるのだ。原稿を書くということには相当な力を使う。かと言って、雑誌連載などに穴を開けるわけには行かない。紙面に載るゲラのやり取りも、最近はメールやスカイプなどを通じてやっていた。一々紙に印字しないでオンラインで行なうのである。俺も昔は旧型のワープロを使っていた。原稿を手書きした時代はほとんどなかったように記憶している。まあ、手書きするのはサイン会ぐらいなものだろうか……?キーを叩く作業がずっと続く。ひっきりなしに。

     *

「こんにちは、鈑島(いいじま)さん。いつもお世話になります。賢優出版(けんゆうしゅっぱん)編集部の鎌田です」

 ――あ、鎌田さん。こんにちは。

「早速で申し訳ないのですが、来月九月の下旬ぐらいまでに一作新作を書き下ろしていただけませんか?」

 ――分かりました。……枚数はどのぐらいにしましょう?

「そうですね。原稿用紙四百枚から五百枚ぐらいの間でお願いします」

 ――了解しました。すぐに書き始めますので。

「ご入稿お待ちしております。それでは失礼いたします」

 鎌田がそう言って電話を切る。出版社にとって直木賞作家に原稿を書かせ、企画出版で世に出すのは案外容易だ。無名の新人作家だとリスクがあるので、自費出版や協力出版となってしまうのだが、プロ作家は皆企画出版で、費用は全額出版社持ちである。俺も大学在学時から原稿を書き綴り、各種公募新人賞に送って、自身三作目で受賞した。確か二十三歳の夏に賞を獲り、それからずっと作品を書き続けている。若くして出世したので、下積みらしい下積みはしてない。ただ大学卒業後の一年間は就職せず、アルバイトをしながら生活費を稼ぎ、原稿を書いていた。今から二十年以上前で、その頃は旧型のワープロを使い、作品を打ち続けていた。だが、あの頃は勢いがあったなと思う。今の自分にはない類の勢いだ。丸々三日徹夜しても平気だった。今は午後九時前に眠り、午前五時過ぎに自然と目が覚める生活をしている。完全に朝型の生活に切り替わっていた。そして午前八時過ぎにはパソコンを開き、午後六時前には作業を止める。それから大好きな推理ドラマを見るのだ。ずっとミステリーで来ているから、ネタが枯渇しかけることもあった。だが常に新しい知識を入れておくことで新作はいくらでも書ける。現に今、ネット小説も書いているのだが、評判がいいし、アクセス数もまさに天文学的数字だ。「あの直木賞作家の鈑島幸治郎が書いてるんだな」といった具合で読まれているようで、累計アクセス数も七十万を突破していた。さすがにネットの力は凄い。俺も原稿を書き綴ってアップするたびに、どれだけの読者が読みに来てくれるのか楽しみでしょうがなかった。これは雑誌や単行本の部数を遥かに越えている。同じ書き物でも、ここまでネットやモバイルなどの力が凄いとは思っても見なかった。そして順当に執筆が続く。鎌田と約束した原稿を締め切りである来月九月下旬までに入稿するため、キーを叩き続けた。書斎にはクラシック音楽を掛けているのだが、キータッチ音が響き、仕事が進んでいる。こういった生活には慣れていた。日々原稿を書き綴るということが、である。一番落ち着く書斎でパソコンに向かうのは俺の性分に合っている。作家というと、何かと誤解されがちな職業だが、それを天職にしている以上、続けるのがベストだった。賢優出版の鎌田とはずっと長い。作家と編集者は相性の問題があるのだが、俺の場合、幸いよかった。それに新人賞を獲った直後の無名時代から俺を拾い上げてくれたのが、鎌田だったのである。地方在住の俺も年に二度か三度ぐらいは上京していた。他の出版社の関係者とも打ち合わせなどがあったのだし、ずっと仕事が続く。パソコンは自室用にノートを一台持っていて、外出用にもう一台同じく軽めのノート型を持っていた。空港で飛行機を待つときや、駅のホームでの電車などの待ち時間にずっと外出用のノートパソコンを開き、原稿を打ち続ける。最近はスマホなど小型で持ち運べるコンピューターがあり、そっちもメモ帳程度なら利用していた。俺も時間を有効に使う手段を考えていて、ちょっとした空き時間でも仕事を続けている。まあ、普段ずっと書斎にいるので、そう外出することはなかったのだけれど……。

     *

 二〇一二年の八月が終わり、九月に入って二週間ほどが経った頃、鎌田から頼まれていた原稿が出来上がった。しっかりと推敲してメールで入稿し、また各種雑誌等の連載原稿などを書き始める。俺も時間には余裕を持って執筆していた。大概締め切りの二日か三日前には原稿を完成させて送っている。キーを叩くのには慣れていた。現役の作家として原稿料や印税などをもらって暮らしていたのだから……。俺も単行本や文庫本などは三百冊以上出しているのだが、その実績があってこそ今があるのだ。特に直木賞をもらった後は仕事が以前とは桁違いに多く舞い込むようになった。だからずっと書き続けている。決して筆を絶やすことなく。それに発表媒体も紙・ネットを問わずに、だ。気付けにコーヒーを一杯飲んで、神経を覚醒させてからパソコンに向かう。気付けの一杯が仕事前にはいいのだった。別にやっている仕事が邪まなことじゃなかったのだし、普通にずっとキーを叩くのが主だったので。そして秋口に入ってくると、少し休む時間が出来る。俺も雑誌連載の原稿はすでに入稿していたので、気を抜ける時が来た。しばらくゆっくりする。丸々三日間ほど秋休みが取れたので、その間はDVDレコーダーに録り溜めていた映画やドラマなどを見た。束の間の休息である。現役の職業作家である俺にとっては、だったが……。そしてまた書き始める。一作ごとに力を込めて。まさに人生の収穫期を迎えられているようだった。自分にとっては。もちろん自由業とはいえ、担当編集者と一緒に作り出し、それを読んでくれる読者がいてこその作家だったが……。

                                (了)



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