白の祝福
毎回似たようなお話ですみません。
一つの設定から、数パターン考えたお話のうちの、一つです。
こういった設定のお話も好きなもので……!
泣かないで。泣かないで。
分かってたの。無事に邪神を倒したとしても、きっと城に帰れば私は殺されるって。
だって、邪神を討伐した聖女なんて、国民への影響力が強すぎて、今の王や貴族達権力者にとっては邪魔にしかならないもの。
あなたもきっと気づいてたんでしょう?
だから、さり気なく逃げようって言ってくれたんだよね。
本当はとてもとても嬉しかったの。
私も本当はね、旅の途中で逃げてしまおうって思ってた。
だって、私には全く関係のない世界のことだもの。
でもね、大切な人達が出来ちゃったから。
あ~あ、これもあのクソッタレ王や貴族のタヌキ爺達の思うつぼかと思うと、すっっっごく悔しいんだけど!
まあ、でもね、あなたがこの先王位に着けば、きっと私みたいに苦しむ人を出さないと思うし。
あなたを無事に帰らせるためになら、まあ、いいかって思うのよね。
だからね。悲しまないでね。苦しまないでね。
あなたの笑顔が好きだったの。だから、その笑顔を絶やさないでね。
力強く、あなたの思うままに生きていってね。
邪神と一緒に心中なんて、本当はすごくしたくないんだけど、もうこの手しかないしね。
さようなら。
どうかあなたの未来が、輝けるものでありますように。あの世からでも祈っとくから。
「ゆきーーーーいいぃぃぃ!!!」
そうして、私の意識は光に押しつぶされた。
* * *
その日、ジブアルテアル国のはずれの村、シュミネの教会で、小さな結婚式が行われていた。
この国では珍しい型の、白色の婚礼衣装に身を包んでいるのは、18歳の新婦であるセレン・アイゼン。
そして、その隣には、揃いの白い婚礼衣装を纏った新郎、コク・ロアールが緊張でぎこちない新婦を、愛おしげに見つめている。
二人は、今、神父の前に立ち、神の祝福を受けていた。
と言っても、それは儀礼的なもので、夫婦となる二人が愛の女神リシエに誓いを立て、神父が女神に代わって二人に祝福を与えるというものだ。
教会の奥、三段の階段を上がったところに、リシエの女神像があり、その前に神父と新郎新婦が立ち、まずは神父が女神像に向かって伺いの言葉を述べる。
静まり返った教会の中で、低く厳かな神父の声が響く。
そして、神父が一通りの伺いの言葉を述べ終わった時だった。
途端、リシエの像が眩い光を発した。
そして、光が収まったとき、像の前に、像と同じ姿の女性が、淡い光を放ちながら浮かんでいた。
そう、この国では、こうして時折、愛の女神リシエが自ら人の世に降り立ち、祝福を与えることがあった。
そして、直接リシエに祝福された夫婦は、末永く幸せに暮らせるという。
思いがけない僥倖に、教会内の、結婚式に立ち会った者達は喜びにざわめいた。
誰もが、この年若い夫婦に、リシエ自ら至福の未来が保証されるのだと、信じて疑わなかった。
しかし、リシエが、新郎であるコクに視線を移した瞬間、顔を青くして悲鳴を上げた。
ただならぬ女神の様子に、参列者達がどよめく。神父や、花嫁であるセレンも、何事かとコクへと目を向けた。
『あ……あなた、……一体何者なの!? なんて、邪悪な気……』
口元に手を当て、体を震わせながら、女神がコクに問いかける。
その女神の言葉に、そこに居た全ての者が息を飲んだ。
すると、今まで幸せそうに微笑んでいた新郎が、一気に表情をそぎ落とし、冷たさを含んだ無表情になった。
これまで見たことのないコクの表情に、新婦であるセレンは困惑の表情で、コクを見ていた。
「ここまできてばれてしまうなんて、――まったく、邪魔な女神ですね」
冷たい口調でそう言い放ったコクは、じろりと女神リシエを睨みつけた。
そんなコクの目線に、リシエは体を硬くする。
「……コク、あなたは……」
信じられないといった表情のまま、セレンがコクに声をかけると、コクはセレンに目線を向け、それから目を閉じた。
途端、コクの体を黒い煙が包み込む。
いったい何が起こるのかと、教会にいた者達はみな出入り口の方で固まっている。
セレンも不安な気持ちに痛む胸を押さえながら、事態を見守っていた。
やがてゆっくりと、黒い煙が散っていき、先ほどのコクと同じ婚礼衣装の男性が現れる。
しかし、その姿は、先ほどとは異なり、輝かんばかりの金色の髪に、柔らかい萌木色の目の、柔和な顔立ちの美青年であった。
黒い煙が晴れ、彼の姿が露わになったとき、セレンははっと息を飲んだ。そして、驚愕の表情で彼を見つめ。
「まさか……クラウス…王子……!?」
ありえないと、名が頭に浮かんだときに思ったが、それでもつい口を付いて出てしまった言葉に、コク――クラウスと呼ばれた青年――は、セレンの方を見て、切なげに目を細めて笑った。
「そうだよ、……雪」
クラウスの言葉に、セレンは目を見開いた。
そう、それは、今から約300年前にこの世界とは別の世界、地球の日本という国から、隣国へと召喚された聖女の名であり、セレンの前世、須高雪の名前であったからだ。
約300年前、世界を破滅させようとした邪神を倒すため、異世界から一人の聖女がこの世界に呼ばれ、自らの命と引き換えに、邪神を封印した。
その聖女ユキの生まれ変わりこそがセレンであり、セレンは前世の記憶を持ちながらも、今までそれを隠し、ただの村娘として生活してきたのだ。
だから、セレンに向かってその名を呼ぶ人など、もはやこの世界には存在しないはずだ。ましてや、あの頃と同じように、“雪”と呼ぶなど……。
「どういう……こと?」
震える声で、セレンは目の前の男性に問うた。
その男性の姿は、確かに、セレン――雪が前世で、邪神を倒す旅に出たときに、共にいたその国の王子、クラウスのものだ。
だが、雪やクラウスが生きていたのは、約300年も前のこと。生きているはずがないのだ。普通の人間なら――――。
顔を青くして、自分を見つめるセレンに、クラウスはそっと目を伏せて。
「雪が邪神を封印したあの後、私は邪神を身の内に取り込んだんだ」
そのクラウスの言葉に、セレンは耐えられなくなったように、その場に崩れ落ちた。
「……どうして、そんな……」
封印の力によって弱っていたとはいえ、下手をすれば逆に邪神に精神を乗っ取られる恐れもあったのだ。その危険性は十分に知っていただろうに、何故、とセレンはクラウスを見上げた。
また最終的に、邪神を制することができたとしても、そのためには耐え難いほどの苦痛を伴ったはずだ。それこそ、気が狂れてしまいそうなほどの。
「一つは、王家を滅ぼす力が欲しかったから」
端正な顔を歪め、ひどく冷たい目をして、クラウスはそう言った。
「私はね、雪。君を喪った後、城に戻ったけれど、邪神が消え、君が死んだことを声高に喜ぶ、父王や貴族共に憎悪した。だから、全て嬲り殺してやったんだ。頭を潰し、四肢を引き裂いて、君が味わった苦しみを、少しでも分かるように」
かつて見たことのないクラウスの様子に、セレンは体を震わせた。
「本当は、君を苦しめた国ごと、潰してやるつもりだった。けれど、それでは君が命がけで守ったものを、私が壊してしまうことになる。君の最後の望みを、何をおいても叶えてあげたかったから、私はその後王位につき、国を治めたんだ。そして、常に笑顔でいるように心がけたよ」
頑張ったけど、とても苦しかった、とクラウスは自嘲的に笑う。
国中に公正な政を敷き、類ない慧眼と適切な判断力、そして温和な性格でもって、国をかつてない繁栄に導いた英雄王クラウスの名は、今でも隣国で語り継がれている。
しかし、彼は生涯独身を通し、彼の後は、彼が認め養子とした者が、王位を継いだと言われていた。そして、彼の死に関しては、不思議なことに一切の記録が存在していないという。
また、彼が聖女ユキに生涯の愛を誓い、彼女の行ったことを広く伝えたため、隣国では英雄王と共に聖女も称えられ、近隣諸国でも救世の聖女を崇める者は多い。
「そして、邪神の力を取り込んだ二つ目の理由は、雪の生まれ変わりを待つためだよ」
先ほどの冷たい表情を、切なそうな笑みに替え、クラウスはセレンに目を落とした。
「君をどうしても諦められなかった。どうしても、もう一度君に逢いたかった……!」
苦しそうに告げられた言葉に、セレンは痛む胸を押さえた。
セレン――雪にとっても、クラウスは心から愛した人だった。それこそ、命をかけてもいいと思えるほどに。
けれど、雪は諦めたのだ。あの瞬間に。もう二度と逢うことはないと。
それなのに、クラウスは……。
心臓が握り潰されるように痛くて、セレンは涙を零した。
そんなセレンの前に、クラウスは膝を付き、セレンの頬をそっと撫でて、涙を拭った。
「私が怖い? ……セレン」
まるで懇願するように問いかけてきたクラウスを、セレンは恐る恐る見上げた。
あの頃と変わらぬ、柔らかな萌木色の瞳に自分が映っていて、切なさが胸元までこみ上げてきて、言葉が出なかった。
それでも、懸命に首を振った。
前世の想いが蘇るたびに、忘れようとした。忘れるしかなかった。
けれど、気が付けば、クラウスとよく似た雰囲気の人に惹かれていた。
どうしても、コクの向こうにクラウスを見てしまう自分に嫌悪しながら、それでも二人で幸せになろうと、そう思ってこの日を迎えたのに。
クラウスに再び逢えた喜びと、彼を忘れようとした自分自身がひどく醜く思えて、どうしたらいいのか分からなくなる。胸が引き裂かれそうだ。
「私が……嫌い?」
今まで君を騙していたと、小さく言ったクラウスに、セレンは彼の服の袖を握り締めて首を振った。
ぽろぽろと、止めどなく涙が零れ落ちる。
そんなセレンの体に、クラウスはそっと腕を回し、囲い込むように緩く抱き締めて、
「あの時答えはもらえなかったけど、もう一度願うよ。……私と一緒に、生きて欲しい」
震えかすれた声で、セレンの耳元でそう告げた。
「こんな……わたしで……、いい……の?」
セレンは僅かに体を起こし、不安そうにゆらゆら揺れる萌木色の目を見上げながら、思うように動いてくれない喉を叱咤して、答えた。
「君と一緒じゃなければ、私はこれ以上生きてはいけない……」
セレンの頭を肩口に押し付けて、そのベールを被ったままの頭に頬を寄せ、クラウスは囁いた。
先の見えない300年は、気が狂いそうなほどに長かったと、抱き締める腕でその存在を確かめる。
この世界に生まれ変わる保障はなかった。逢える確証なんてなかった。けれど、どうしても彼女と共に生きる夢を、諦めることができなかった。
生まれ変わった彼女を見つけられたのは、皮肉にもこの邪神の力のおかげだった。
もう二度と離れないとばかりに、抱き締めあう二人を、結婚式に参列していた者達はただ黙って見守るしかなかった。
小さな教会が、侵しがたい静謐な空気に包まれる。
『すっ……素晴らしいわっ!!』
そんな中、大きな声を上げたのは、少し高い位置に浮かんだまま、涙目で二人を見ていた、愛の女神リシエだった。
『300年を超えた愛! 愛する人を待ち続けたその想い! ああ、なんて素敵なの! これぞ至高の愛よっ!!』
両手を顔の前で握り、リシエは興奮のあまりくるくると回っている。
『邪神の力云々は関係ないわ! 私が全身全霊で祝福します! あなた達は、永遠に一緒に幸せになるのよ!!』
女神リシエから発せられた黄金の光が、しゃがみ込んで抱き合う二人の上へキラキラと舞い落ちる。
当のクラウスとセレンは、その幻想的な光景を、僅かに体を離し、不思議そうに見上げていた。
やがて光が収まると、教会を揺らすほどの拍手が沸き起こった。
入り口の辺りまで退避していた参列者が、いつの間にか二人を取り囲み、口々に祝いの言葉を述べている。
そのほとんどが、涙を流したり、鼻を赤くし泣き腫らした顔をしており、手が腫れるのではないかというほどに、拍手を響かせていた。
「良かったなぁ!」「幸せになれよ!」と、口々に言いながら、クラウスの肩をばしばし叩いていく人も多数いた。
セレンの父母も、言葉が出ないほどに涙を流しながら、しきりにクラウスの手を握り締めている。唯一呑気な妹だけが、「素敵な旦那様で良かったね~」などと、ニコニコしていた。
そんな周囲に取り残されて、しばらくぽかんとしていたクラウスとセレンだったが、やがてお互いに顔を見合わせ、幸せそうにそっと微笑んだ。
そして、自然と互いに顔を寄せ――――。
空は高く青く晴れ渡り、風に舞う白い小さな花弁が、新たな門出を祝うように教会の周囲へと降り注いでいた。
やがてこのお話は、王子と聖女の時を超えた愛の物語として、世界中で語り継がれることとなる。
そして、雪が憧れた日本式の婚礼衣装による結婚が、世界中の乙女たちの夢として広められていくのだった。