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騙されやすい公爵令嬢

騙されやすい公爵令嬢は、友達と秘密のお菓子を作る

作者: くるみ
掲載日:2026/08/21

シリーズになっているので、こちらから読んでいただけると嬉しいです

https://ncode.syosetu.com/n4318mp/

シリーズ:https://ncode.syosetu.com/s7278k/

私はヴィオラ・ベルク伯爵夫人。


少し前までは、ヴィオラ・アシュベリー侯爵令嬢と呼ばれていました。

結婚した相手は、クラウス・ベルク伯爵です。


どうやらこの方、私のことがずいぶん好きらしくて、そこまで思われてしまっては仕方がありませんから、結婚して差し上げました。


本人にそう言うと、


「ええ。好きで仕方ありません」


などと平然と返してくるので、少々困っています。

新婚だからといって、何でも口にすればよいというものではありませんわ。


それから、私にはもう一人、何かと世話のかかる方がいます。


リリア・エルフォード公爵令嬢。

今は王太子殿下の婚約者です。

……まあ、友人ですわ。


身分が変わったからといって、あの危なっかしさまで変わるわけではありません。


最近もまた、妙な相手を信じてお金を貸していたらしく、あとから不正が見つかった鉱山や子爵家の事業の一部を、クラウスが引き継ぐことになりました。

おかげで最近の夫は、ずいぶん忙しそうです。


新婚ですのに。


もちろん、私も手伝っていますわ。

仕方ありません。あの方、私の能力を必要としておりますもの。

本当に困った方です。


そんな忙しい毎日を送っていたところへ、知らせが届きました。

リリアが、馬車の事故に遭ったというのです。


     ◇


無事だとは聞きました。

大きな怪我もないらしい。

それでも、本人からは何も言ってきません。

ですから私は、その日のうちに手紙を書きました。


最初の一文は『無事ならまず返事をなさい!』です。


そのあとに、食事は取れているのか、医師の言うことをきちんと聞いているのか、夜は眠れているのか、頭痛はないのかと、必要なことを全部書きました。

返事はありませんでした。

翌日も送りました。

やっぱり返事はありません。

さらに繰り返し送りましたが、それにも返事はありませんでした。


それなら、こちらから行けばよいだけですわ。

無視したほうが悪いのです。


私は蜂蜜のケーキと木苺のタルト、レモンの焼き菓子、砂糖漬けの果実、それからキャラメルを絡めた木の実と紅茶を三種類持って、エルフォード公爵邸へ向かいました。

病み上がりなのですから、栄養が必要でしょう?

甘いものは栄養ですわ。


通されたのは、公爵家の者が親しい客を迎えるための小さなサロンでした。

窓辺の長椅子には、当の本人がいつも通りの顔で座っています。


「まあ、ヴィオラ様」


「『まあ』ではありませんわ!」


「いらしてくださったのね」


「こんなに手紙を書いたのに、一通くらい返しなさいよ!」


「ごめんなさい」


「どれだけ心配したと思っているの!」


リリアは少し考えるように首を傾げました。


「とてもたくさん?」


「わかっているなら返事をなさい!」


本当にもう。

私は彼女の顔色をよく確かめました。


いつも通りです。

見えるところに怪我もない。

ようやく、少しだけ安心しました。


「それで、お体は? 頭痛はありませんの? きちんと眠れている? 食欲は?」


「大丈夫ですわ」


「本当に?」


「ええ」


「でしたら、これも食べられますわね」


持ってきた箱を次々とテーブルへ並べると、さすがのリリアも目を丸くしました。


「まあ。こんなに?」


「療養中は気が滅入るでしょう。余ったら明日召し上がればよろしいのよ」


「ありがとうございます、ヴィオラ様」


素直にお礼を言われると、少しだけ居心地が悪くなります。

私は木苺のタルトの箱を開けました。


「目の前で友人が寝込んでいるのですから、これくらい普通ですわ」


「お友達」


リリアが嬉しそうに繰り返します。


「そこだけ拾わなくてよろしくてよ」


そこで、見慣れない侍女がいることに気づきました。

背が高く、艶のある黒髪をきっちりとまとめた、とても美しい方です。

侍女服を着て静かに控えているのですが、立ち姿には妙に隙がありません。


「こちらの方は?」


「エステルですわ」


リリアが紹介しました。


「王宮から来てくださったの」


女性が一礼しました。


「エステル・レーンと申します。リリア様のおそばでお仕えし、必要な折には書類や商取引についても補佐するよう仰せつかっております」


先日の投資の件を受けて、王太子殿下がリリアへ補佐をつけるという話は聞いていました。


なるほど。

この方なら、少しは安心です。


ただ、昔からリリアに仕えているミーナは、いつもより少しだけ静かでした。

エステルは何をさせても早い。

私の持ってきた菓子を見れば、冷やしたほうがよいものをすぐに選び、茶器の用意も手際よく整えていきます。

ミーナは黙って、その様子を見ていました。


やがてリリアが呼びました。


「ミーナ」


「はい、お嬢様」


「今日の紅茶、少し濃く入れてくださる?」


「かしこまりました。ミルクはなしですね」


「わかってくださっていたのね」


「もちろんでございます」


リリアは嬉しそうに笑いました。


「やっぱりミーナがいてくださると助かりますわ」


ミーナが目を瞬きます。


「私が何も言わなくても、そういうことまでわかってくださるでしょう?」


「お嬢様……」


少し離れたところにいたエステルも、静かに頭を下げました。


「私も、ミーナ様からリリア様のお好みを教えていただいております」


ミーナは少し驚いたようでしたが、すぐにいつもの穏やかな顔へ戻りました。


「では、紅茶をお持ちいたしますね」


「お願いしますわ」


これなら大丈夫そうです。


木苺のタルトを食べながら、リリアがふと思い出したように言いました。


「そういえば、セオドア様に何かお礼を差し上げたいと思っておりますの」


「お礼?」


「今回、とても頑張ってくださったでしょう?」


事故のあと、王太子殿下が自ら調査を指揮したことは私も聞いています。

そのうえ、リリアが人に会いたくないと言えば無理に押しかけず、それでも毎日のように手紙を送っていたらしい。

それなら、何か返したいという気持ちはわかります。


「何を差し上げますの?」


「それを考えているところですわ」


私は少し考えて、ひらめきました。


「では、ご自分でお菓子を作ってみるのはいかがかしら?」


「私が?」


リリアの目が輝きます。


「クラウスが今度、新しく焼き菓子の事業を始める予定なのです」


新しく引き継いだ果樹加工場と、以前からベルク家が持っていた商会を組み合わせて、日持ちのする菓子を作る計画が進んでいました。

試作用の厨房も、屋敷の一角に整えたばかりです。


「せっかくですから、私たちでクッキーを作りましょう」


「まあ。楽しそう」


「それから」


私は少し声を落としました。


「王太子殿下には秘密になさい」


リリアも少し身を寄せます。


「秘密?」


「そのほうが驚いてくださるでしょう?」


「まあ。素敵ですわ」


私たちは顔を見合わせました。


     ◇


数日後、ベルク伯爵邸の試作用厨房へ行くと、クラウスのそばに見慣れない青年が立っていました。


「ヴィオラ。こちらはハーグレイヴ公爵令息のルシアン殿です」


「ああ。あなたがベルク伯爵夫人ですね」


青年は私を見るなり、にこりと笑いました。


「お噂以上にお綺麗だ」


「初対面でいきなり何ですの」


「思ったことを申し上げただけですよ」


金色がかった茶髪に、明るい青の瞳。

よく笑う方です。

私が呆れている間にも、近くにいた年配の菓子職人へ、


「この前いただいた林檎の焼き菓子、母も気に入っていましたよ」


と声をかけ、相手を嬉しそうにさせています。

材料を運んできた若い使用人にも、


「重かっただろう。ありがとう」


と名前まで呼んで声をかけました。

ずいぶん人当たりのよい方ですこと。


先日の事件でグランヴィル公爵家は処分を受け、領地の一部を王家へ返還しました。直系は廃され、今は傍系が伯爵家としてその名を継いでいます。

その土地の一部を新たに与えられたのが、臣籍へ下った国王陛下の弟君、ハーグレイヴ公爵です。

ベルク家が引き継いだ果樹園へ続く街道もその領内を通るため、クラウスは最近、公爵家と仕事をすることが増えていました。


ルシアンは、そのハーグレイヴ公爵の次男です。

今日も本来は街道や輸送の話をしに来ていたのですが、焼き菓子の試作をすると聞いて、自分も参加すると言い出したのだそうです。


そこへ、リリアもやってきました。


「ごきげんよう、ヴィオラ様」


「ごきげんよう。こちらへいらして」


私が呼ぶと、クラウスが紹介しました。


「リリア嬢。こちらはハーグレイヴ公爵令息のルシアン殿です」


「初めまして。リリア・エルフォードですわ」


「ルシアン・ハーグレイヴです」


ルシアンはリリアを見て、一瞬だけ目を細めました。


「噂には聞いていましたが、本当にお綺麗ですね」


リリアは少し目を伏せ、指先を口元へ添えました。


「まあ。そんなことを言われたら、照れてしまいますわ」


声音まで少しやわらかくなっています。

まったく。


「リリア」


「はい?」


「この方のおっしゃることを、何でもそのまま信じては駄目ですわよ」


ルシアンが笑いました。


「まだ何も嘘をついていませんよ」


「まだ、とおっしゃいましたわね?」


「言葉の綾です」


信用なりません。


     ◇


クッキー作りは、小麦粉と砂糖を量るところから始まりました。

リリアは、どの作業もひどく楽しそうです。


「いつも美味しくいただいているお菓子は、こうやって作られているのですね」


「そうですわ。リリア、そこは一度に全部入れないの」


「このくらい?」


「もう少しずつ」


「難しいのね」


手つきは悪くありませんが、慣れてはいないので、小麦粉を移すときに少しだけ頬へつけてしまいました。

ルシアンがすぐに気づきます。


「リリア嬢。頬に粉がついていますよ」


「まあ」


リリアが自分で頬へ手をやりました。


「そこではなくて、もう少し右」


「こちら?」


「もう少し下です」


リリアはもう一度触ります。

ルシアンが笑いました。


「まだ少し残っていますけど、そのままでも可愛いですね」


リリアは少し目を伏せました。


「恥ずかしいですわ」


「リリア!」


「何ですの?」


「何でも簡単に信じないの!」


「でも、褒めてくださいましたわ」


「そうやってすぐ喜ぶから心配なのよ!」


ルシアンは声を立てて笑いました。


「伯爵夫人は本当にリリア嬢がお好きなんですね」


「そういう話ではありませんわ!」


リリアは少し困ったように笑うと、すぐに生地へ視線を戻しました。


「ヴィオラ様、こちらはもう少し混ぜるの?」


「ええ。そのくらいですわ」


ルシアンが一瞬だけリリアを見ました。

けれど、すぐにまたいつもの笑顔へ戻りました。


生地を休ませているあいだ、リリアは厨房の道具を見て回りました。


「この銅のお鍋、とても綺麗ですわね」


「砂糖を煮詰めるためのものです」


クラウスが答えます。


「こういうものがあったら、家でもお菓子を作れるのね」


少し離れたところで、エステルが小さな手帳を開きました。

何かを書いています。

王宮から来た方ですもの。本当に細かいところまで記録するのですね。


リリアは次に、細工の入った銀の型を見つけました。

花に、鳥に、木の葉。

大きさも形もさまざまです。


「まあ。こちらも可愛い」


一つずつ手に取って眺めます。


「こんなにたくさん種類があったら、選ぶだけでも楽しそうですわ」


ハート形の小さな型を手に取って、しばらく眺めました。


「こういう焼き菓子をかたどったブローチがあっても可愛いでしょうね」


今度は、棚に並んだ砂糖へ目を向けました。


「お砂糖って、産地によって味が違うのでしょう?」


「かなり違いますよ」


クラウスが答えます。


「全部少しずつ並べて、食べ比べてみたいですわね」


その隣には、香辛料の小瓶が並んでいました。


「香辛料を細かくする道具もあるの?」


「小型の石臼がございます」


「まあ。それも便利そう」


それから、ふと思いついたように言いました。


「王宮の菓子職人の方って、とてもお上手なのでしょうね。一度教えていただけたら楽しそうですわ」


本当にリリアは、思ったことを全部口にしてしまう方です。


     ◇


やがて、生地を伸ばして型を抜くことになりました。


私は花の型を選びました。

クラウスは、試作品として大きさを揃えるため、丸型を使っています。

ルシアンは星や月を組み合わせて、見栄えのするものを作っていました。


「あなた、意外と器用ですのね」


「褒めてくださるんですか?」


「事実を申し上げただけです」


「それでも嬉しいですよ」


本当に、何を言っても楽しそうな方です。

リリアはたくさんの型を見比べたあと、一番大きなハート型を選びました。


「これにいたしますわ」


「王太子殿下へ?」


「ええ」


丁寧に生地を抜き、焼き上がったあと、白い砂糖衣で真ん中に『セオドア』と書きました。

それだけです。


花もつけない。

果実も置かない。

大きなハートの中央に、名前だけ。

リリアは少し離れて眺め、満足そうに頷きました。


「できましたわ」


「もう少し飾ってもよろしいのではなくて?」


「でも、わかりやすいでしょう?」


確かに。

これ以上ないほど、わかりやすいです。


「ついでに、もう一つ作っておこうかしら」


リリアは同じハート型で、もう一枚生地を抜きました。

ルシアンがすぐに覗き込みます。


「それは僕の分かな?」


「まあ」


リリアは目を丸くしました。


「ルシアン様も、ハートがお好きなの?」


「君からもらえるなら、何の形でも好きになりますよ」


リリアは口元へ指先を添え、恥ずかしげに少し目を伏せました。


「そんなことをおっしゃるのね」


「本当ですよ」


「リリア、簡単に喜ばないの!」


「でも、嬉しいことをおっしゃってくださったでしょう?」


「それが問題なのです!」


ルシアンはまた楽しそうに笑っています。

どうも、それからルシアンは、やたらとリリアへ話しかけるようになりました。


「リリア嬢は、花なら何が好き?」


「白いお花は綺麗ですわね」


「では今度、君に似合うものを選んで贈ろうかな」


「まあ。お花屋さんも喜びますわね」


「僕は君に喜んでほしいんだけど」


「もちろん、いただいたら嬉しいですわ」


そう言ってリリアは笑ったのに、次の瞬間には、


「ヴィオラ様、この生地はもう焼いてよろしい?」


と私のところへ戻ってきました。


しばらくして、ルシアンが自分のクッキーへ細い砂糖衣で模様を描いていたときでした。

真っすぐに引くはずだった線が、大きく曲がります。


「ああ。失敗したかな」


リリアが横から覗き込みました。


「まあ。木の枝みたい」


リリアがくすくす笑います。


「枝?」


「ええ。ここに葉をつけたら、木になりますでしょう?」


リリアは自分の砂糖衣を少しだけ使い、曲がった線の先へ小さな葉を描きました。


「ほら」


ルシアンが出来上がったクッキーを見ます。


「……本当だ」


「こちらのほうが可愛いですわ」


「慰めてくれている?」


「いいえ?」


リリアは不思議そうに首を傾げました。


「私は、こちらのほうが好きですもの」


そして何事もなかったように、自分のハート型へ戻っていきます。

ルシアンはしばらく、枝の模様を見ていました。


     ◇


焼き上がりを待つあいだ、皆で紅茶を飲みました。

ルシアンはリリアの横に座っています。


「そうだ。王都の北側に、新しい菓子店ができたことを知っていますか?」


「いいえ」


「果物を使ったケーキが美味しいんですよ。リリア嬢は甘いものがお好きでしょう?」


「ええ。大好きですわ」


「では今度、一緒に行きませんか?」


リリアが顔を上げます。


「まあ。ぜひ」


「本当に?」


「ええ。楽しみですわ」


ルシアンは、人好きのする笑みを浮かべました。

リリアがエステルを振り返ります。


「エステルも一緒に行きましょう。果物がお好きって言っていましたものね」


エステルが珍しく少しだけ目を見開きました。


「……覚えていらしたのですか」


「もちろんですわ」


「では、ご一緒いたします」


ルシアンはリリアを見て、ほんの少し目を細めます。


「楽しみにしています」


「私もですわ」


リリアはいつも通り、嬉しそうに笑いました。


     ◇


クッキー作りが終わるころには、台の上が焼き菓子でいっぱいになっていました。


リリアは、自分の二枚のハート型クッキーを丁寧に箱へ入れています。

二枚目に何を書いたのか覗こうとすると、手で隠されました。


「まあ。誰に差し上げるの?」


「秘密ですわ」


ルシアンがすぐに口を挟みます。


「僕だったら嬉しいな」


リリアは、にこにこ笑うだけでした。

帰り際、リリアが私へ言いました。


「ヴィオラ様」


「何ですの?」


「今日はありがとうございました」


「これくらい、どうということはありませんわ」


「とても楽しかったです」


箱を抱えたまま、嬉しそうに笑います。


「ヴィオラ様がいてくださって、よかった」


私は少しだけ顎を上げました。


「当然でしょう?」


「ええ」


「本当に、私がいないと駄目なんですから」


「頼りにしておりますわ」


……まあ。

そこまで言われたら、これからも少しくらい面倒を見てあげてもいいでしょう。


友人ですから。

かなり親しいほうの。


     ◇


数日後、私はリリアと一緒に王宮へ行きました。

私が企画したのですから、王太子殿下がどんな顔をするのか確認する権利くらいあります。


セオドア殿下は、いつも通り穏やかな顔で迎えてくださいました。


「リリア。今日はどうしたの?」


「セオドア様にお渡ししたいものがありますの」


「僕に?」


リリアが箱を差し出します。


「開けてもいい?」


「ええ」


中には、大きなハート型のクッキー。

中央には、白い砂糖文字で『セオドア』と書かれています。


殿下はしばらく黙りました。


「……これ、リリアが作ったの?」


「はい」


「自分で?」


「ええ」


「僕のために?」


「もちろんですわ」


セオドア殿下は、いつもの穏やかな顔のまま笑いました。

けれど、どう見ても嬉しそうです。


「ありがとう。すごく嬉しい」


よろしい。

作戦成功ですわ。


ところが殿下は、クッキーを食べようとはしませんでした。

しばらく眺めたあと、侍従へ尋ねます。


「これ、できるだけ長く残しておけるかな」


「菓子職人に相談いたします。しっかり乾燥させれば、しばらくは形を保てるかと」


「じゃあ、それでお願い」


思わず私は尋ねました。


「召し上がらないのですか?」


「食べたらなくなるでしょう?」


あまりにも当然のように言われました。


「書類仕事をするときに見えるところへ置いておきたいんだ。これがあれば頑張れそうだから」


リリアが嬉しそうに笑います。


「まあ」


王太子殿下の仕事机のそばに、大きなハート型のクッキーが飾られることになりました。

まあ、ご本人がそれで仕事を頑張れるというのなら、よろしいのでしょう。


するとセオドア殿下が、


「そうだ。僕からも、リリアに渡したいものがあるんだ」


と言いました。

侍従がいくつもの箱を運び込んできます。


最初の箱には、美しい銅の砂糖鍋。

次の箱には、花や鳥、木の葉をかたどった銀の菓子型がずらりと入っていました。

さらに小型の石臼。

それに加えて何種類もの砂糖と香辛料、果実の蜜。

そして、最後にもう一つ、小さな箱がありました。


「こちらは?」


リリアが蓋を開けます。

中に入っていたのは、ハート形の焼き菓子をかたどった小さなブローチでした。

金細工の縁に、白い砂糖衣を思わせる細工が施されています。


「まあ!」


リリアが嬉しそうに手に取りました。


「さっきのクッキーと、おそろいみたいですわ」


セオドア殿下もブローチとクッキーを見比べました。


「本当だね。ちょうどよかった」


「可愛いですわ」


それからリリアは、ほかの箱も一つずつ覗き込みました。


「どれも素敵ですわ」


「気に入った?」


「ええ。とても」


セオドア殿下も嬉しそうに笑います。


「それから、もしよかったらなんだけど」


「はい?」


「王宮の菓子職人にも声をかけてみようか。リリアが習ってみたいなら、喜んで教えてくれると思う」


「まあ。ぜひお願いしたいですわ」


「わかった」


「ありがとうございます、セオドア様」


王太子殿下は、リリアが喜びそうなものを本当によくご存じなのね。


     ◇


その日の夕方、エルフォード公爵のティータイムに、大きなハート型のクッキーが一枚運ばれてきた。


「お嬢様からでございます」


中央には、白い砂糖文字で『お父様すき』と書かれている。

公爵の口元が、みるみる緩んだ。


「……リリアが」


しばらく、にやにやと眺める。


もう一度読む。


「お父様すき……」


そして、はっとした。

笑みが消える。顔が青褪める。


「……これは、何の前触れなんだろう」

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― 新着の感想 ―
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お父様すき…隙…食べ物に気をつけろということか!(違
『幸運の女神』での「ご褒美」発言の上からっぷりに引いていたので、今回少し持ち直しました。 でも、名前が書いてあるだけってやっぱり寂しいなぁ。 お父さまへの「すき」を知っちゃうとなおさら。 同じ天才で…
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