第7話 草の露白し ─護衛の娘─
「ここが、今日からそなたの住む場所だ」
ミコトはある建物の目の前で、裾を払うような歩みを止めた。
それは少し朱塗りが禿げているが、けれどアオにはもったいないくらいの大きさを誇っていた。
ユイはミコトに恭しく一礼すると、率先して建物の中に入っていった。続けて馬に乗っていた人たちとは違う女官らが、手に水桶を持って中へ消えていく。
「掃除は欠かした覚えはないが、念のためだ」
「わたしもやります」
「そなたはやる必要ないぞ? 女官でも宦官でもない。後宮の姫に値するのだからな」
「姫……。で、でも、働くのを見ているだけなのも」
ミコトはアオの主張に頭を悩ませ顎に手を添える。そして少し考えたのちに頷いた。
「案内を終えた後なら好きにすればよい」
「あ、ありがとうございます」
「しかし、それより先に服だな」
ミコトの指先がアオの胸元へ向く。
アオの着ている服は、奉納祭の衣装のままだった。これ以外の服を持って来なかったために、後宮に来るまでの間ずっと着ていたのだ。祭事用の衣装なのでもちろん実用性はなく、すでにほつれているところもあった。
新たに袖を通した衣服も、後宮ですれ違う誰とも違うものだった。
丈の短い白の前合わせは紫の帯で締め上げて、黒の筒状の下衣は膝から下に切れ目が入っている。男児用のような意匠だがアオは絢爛な袖の模様を見下ろした。地の色と同じ白で刺繍されていているので、目を凝らさないと気づけないのはもったいない。
「……」
「どうかしたか?」
ふと黙り込んでしまったアオにミコトは尋ねかける。アオは持ち上げていた腕を降ろして、服の上から肌をさすった。
「わたしは本当に毒娘ではないのですか?」
「突然何を言う」
アオはミコトが目を丸くしたのを感じる。ミコトは躊躇いなく、その白い指でアオの腕を掴んだ。袖は捲られて、まだらの肌は愛おしく撫でられた。陶器の杯に触れるような手つきにアオは動きを止める。
「もし毒有りだとして、それが何だという。ここには腕利きの医師もいる。このクニのためなら毒があっても、そなたを蔑ろにする理由にはならん」
「……」
思わず腕を引きそうになった。今があまりに幸せでアオは気づいていなかった。
この人が愛しているのはこのクニか、あるいはアオのこのまだらの肌だけ。アオ自身に愛はない。
真実を知ってアオは声が出なかった。しかしそれを悟られまいと、下手な作り笑いをする。ミコトの目にはきっと奇妙に映っただろうかった。
後宮。
隣の大陸から得たその制度は、この日出ずるクニではそれほど上手く運用されていないらしい。というのもそもそも後宮とは、皇帝と呼ばれる国の一番お偉い方と皇后さま、そして多くの奥方やその子供たちの住まいであるのだという。
であればここの後宮は、その皇帝という立場におわす巫のための住まいとなってしまう。妃嬪という位の高い女性もいらっしゃるそうだが、彼女らは外朝で働く男性の未来の妻候補らしい。つまり結婚すれば後宮を去るのだ。
アオはそのひときわ大きな建物を前に、ぽかんと口を開けて見上げた。
ここがミコトの住まう場所、太極宮。
一人で暮らすには部屋が沢山余ってしまうのではないか。アオは隣に並ぶミコトの顔を見上げた。ミコトは何を考えているのか、ふむふむと頷いている。
「ミコト様! お呼びでしょうか」
どこからともなく
ミコトの頷き一つでどこからともなく颯爽と現れた少女に、アオは思わず何もない場所で躓きかけた。
「ああ、サキ。少し色が褪せてきたと思っただけだ。気にするな」
サキ、と呼ばれた少女はミコトよりも長身だが、アオより少し年上というだけに見えた。おそらくユイと同じ年頃。それにしては発育の良い彼女だが、アオはその腰元に目がくぎ付けになった。
剣だ。おそらく実用の剣だろうが、その装飾の豪華さは神具と言われても頷ける。彼女はミコトの護衛と言ったところか。
彼女の二つにまとめられた髪を辿って目線を上げると、サキはアオを睨んでいた。
それに気づいてか、はたまたいないのか、ミコトは平然としてサキにアオを紹介する。
「消息にも書いただろう。まだら姫のことだ」
「その貧相な娘がですか?」
「孤児だったのだ。ここに居れば自然と肉付きも良くなるだろう」
ミコトに言われて、アオは自分の全身を眺めた。それからサキの頭の先から足元までを見る。それはサキも同じだったようで、再び目が合うと彼女は鼻で笑った。
「もう背は伸びないでしょうね」
「サキ。……ひとまずそなたは手紙通り、妾の世話係に昇格だな」
ミコトは静かにサキを諭すと、話題を変える。
「ユイはどうなったのですか?」
「ユイはアオのお付きだ。何せ、勉学を教える必要がある」
サキは口にこそ出さなかったが、アオをちらりと横目で見ると口角を上げた。おそらく馬鹿にされたが、それは都に来る前にユイから言われていたことなので傷つくこともない。むしろそうだと思う。アオはかなり無知だ。
「わかりました。では、今晩にでも後宮内の異動についての会議を行いましょう。各局に通達をして参ります」
「うむ、頼んだ」
サキは姿勢を正して綺麗な礼をすると、背を向けてどこかへを走り去っていった。
小さくなっていく背中を見届けた後、ミコトは細く息を吐いて腕を組んだ。
「もう少し喜ぶと思ったのだがな」
何をですか、とはアオは聞けなかった。
布から覗かせたその口元は歪んでいて、それはサキに向けられたものであろうので、アオには関係ないことがわかっていた。




