第35話 水始めて涸るる ─すれ違い─
飴掛けは冷めてしまっていた。
人ごみをかき分けるのは少し大変だったのか、ルリは息を上げて膝に手をついている。サキは現状を理解するのに必死だった。
少なくともアオはサキが後宮の外に出たことを知っていそうだ。それでいて未だに処罰が下されていないということは、アオは秘匿していてくれたのだろう。
問題はこの少女だ。
「私、貴女を探していたの。男装してたとは思わなかったけど……」
ルリは襟の合わせを握り締めて言う。
同郷であることは分かっていた。鶏内村の生まれだと、あのとき彼女がそう言ったのだ。しかし重要なのは、彼女が名前に漢字を持っているということ。
今まで現実逃避をしていた。見れば見るほど彼女の髪は母親譲りの自分とそっくりで、目元もよく似ている。暗がりの見間違えだと言い聞かせていた。
「……ルリ」
「名前覚えて──」
「違うわよ!」
ルリの馬鹿な発言をサキは遮る。
きっとアオはサキとルリが姉妹であることも勘付いているのだ。けれど違反を大声で言うわけにはいかないので、名に漢字を持つと濁して言った。つまりすぐ下の三女ルリと、養子に出された目の前のルリは同一人物。
「ルリ、気づいてないの?」
「だから貴女が」
「ちがう、そうじゃない。あたしは貴女の姉よ。八年前に奉公に出た、生き別れの姉」
いくら昔の話とはいえ、サキが家を出たのは九つの時だ。つまりルリが七つの時。全く覚えていないはずがない。
「ハクもサキも……死んだんじゃないの?」
ルリは目を丸くして言った。ハクはサキの姉、奉納祭で生贄に差し出された長女だ。
「あたしは奉公に出ただけ! 死ぬようなことをした覚えはないわ」
「わ……私は父さんと母さんにそう言われてきたの」
サキはかなりの間会っていない両親を恨んだ。彼らの中ではサキは死んだことになっているのだ。生贄にされた長女ですら、サキの中では生きているというのに。ルリの察しの悪さも訳がつく。
「……よ、よかった。生きてたんだ」
ルリは足から脱力してサキにしがみついた。彼女の表情は複雑で、到底安堵だけには見えないが、少なくとも生きていてよかったという言葉は本心らしい。
「よかった……」
「よく、ないのよ」
サキは抱き着く妹の背中を撫でる。
感動の再会とはよく言ったものだ。奉公を終えていない女官は肉親に会ってはいけないという残酷な決まりがある。これが見つかればサキは斬首されるだろう。
サキはルリを引きはがして、苦い表情で言った。
「また会えたのは嬉しいけど、あたしたちは会っちゃいけない関係なのよ」
サキの言葉になにも知らないルリはきょとんとして首を傾げた。
「どうして?」
「あたしが奉公の最中だから」
ルリは瞳を揺るがした。目に見えて動揺している。
「ど、どうしたらまた会える?」
「あたしが奉公を終えるか、今の法が変わるか」
「法って誰が決めるの?」
「巫さまよ」
「じゃあ、アオは何者なの?」
「あの子は次の候補」
少し安心を見せるかと思ったが、ルリは表情を曇らせた。
「……アオのこと『天子さま』って呼んでたよね?」
サキは頷いた。間違いはない。
「あの人が本当に次の巫さまになるの?」
「どうしてそんなことを聞くのよ」
「だって、悪い噂しか聞かないし」
悪い噂だって? サキは己の耳を疑った。
少なくとも後宮ではアオを悪く言う者はいない。そう考えるうちにサキはユイの言っていたことを思い出す。サキはアオの味方となるために天子宮にやってきたのだ。
ユイ曰く貴妃が悪い噂を流すつもりだという分析だったはずだが、垂れ流される場所は後宮に限った話ではないのだ。後宮を出られない貴妃とはいえ、何らかの手段で都中に不信感を抱かせることはできる。
サキは手遅れになりかけているまで気づけなかった自身への苛立ちもあって、かっと頭に血をのぼらせた。
「アオが悪いわけない!」
サキはルリの肩を強く掴む。
「今だってこうやって話しているのが発覚すれば、あたしは殺されるの。でもアオは話の場を密かに設けてくれたのよ」
「で……でも、都の人は皆そう言ってる。ただ斑があるだけで、血縁でもない馬鹿な娘だって」
「あたしが違うっていってるの、そんなものただの噂に決まってるでしょ!」
サキの気迫に負けたのか、ルリは戸惑いながら頷いた。まだ納得しきれていないようだが、噂は噂に過ぎないと感じているように見える。
「だから⋯⋯待ってほしいの」
「……」
「法が変わるまで。アオが巫になればきっと変わる」
手首から下げていた巾着を開く。中は小銭だけではなかった。巾着を作る時に余った端切れが入っている。
ルリの手首を掴むと、その手に萌黄色の布切れを握らせた。
「ちょっとだけ、待っていて」
「ちょっとだけ……?」
「皆は知らないけれど、今の巫さまはあと数年もせずに伏せられるわ」
ルリは首を傾げた。
これはきっとユイも知らないことだ。サキはこのことに確信を持っていた。もちろん亡くなってほしくはないけれど、これは変えられない運命なのだ。
「じゃあ、しばらくまたお別れね」
「……サキ」
サキは妹に八年ぶりに名前を呼ばれた。
「待ってる」
またサキは妹を待たせるのだ。食い扶持を減らすために奉公にやられたはずだが、上手くいかなかった。自分は無力だった。
作り笑顔のルリに微笑み返すとサキは背中を向けた。
どうしてだろう。なぜかアオに希望を持ってしまう。きっと妹に似ているからではない。むしろ全く似ていなかった。
可愛さ余って憎さ百倍な自分のミコトに向ける感情も醜いものだったが、サキはまた、どうしようもない期待感をアオに抱いていた。




