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第31話 蟄虫戸を坏ぐ ─提案─

 しかしその主はミコトであった。

 顔を隠す布はどこへやら隈の滲む顔を驚きに染めていて、慌てて駆けつけたのか息が上がっている。その後ろではまた新たに決められたお付きが額に汗を浮かべていた。


「……今のは、アオが弾いたのか」


 ミコトの質問にアオはユイを見る。ユイは軽く目配せをしただけだった。


「は、はい」

「どこで覚えた」

「そ、それは……」


 あまり出自の話をするなとユイに言われていたことを思い出す。アオは咄嗟とっさに嘘を口にした。


「……ユイに教えてもらって」

まことか」


 ユイは向けられた視線に怯まずに、堂々として頷いた。


「筋が良く、覚えが早かったものですから。一章はすんなりと弾けてしまいました」

「しかし譜がないではないか」


 ミコトの指摘にユイは軽く目をみはる。アオは覚えているものを弾いたのだ。ここに譜はない。


「……習うより慣れろと言いますから」

「まあ、理屈から踏み込んでも面白くはないからな」


 ミコトは納得したのか、ユイの言い分に頷く。誤魔化ごまかしは利いたようだ。アオは心中でひっそりと胸をなでおろした。


「しかし然様さように才があるとはわらわも思わなんだ」


 誉め言葉にアオは頭を下げる。


「秋祭りで弾いてはみぬか」

「は……」


 アオは思わず顔を上げた。秋祭りで弾くということは、つまり人前で演奏するということ。独学だと今更告白もできない。アオの横でユイも青ざめていた。


如何いかようか」

「……や、やります」


 腹をくくるしかあるまい。アオは畳に指先をついて宣言した。

 ミコトは満足したように笑みを見せる。

 面倒なことになってしまった。きっと披露するのは今弾いたものだけではない。ぐるぐると考え込んでいると、ミコトはそうだと思い出したように拳を打った。


「妾に何か用があったのであろう」


 アオは考えていたせいで少し遅れて答える。


「そ……そうです。その、お願いがありまして」

「なんだ、申してみよ」

「普段働く女官たちのために、制限を設けて酒の持ち込みか、肉親との定期的な面会を許可してはいただけませんでしょうか」


 用意していた言葉を並べる。しかしミコトは打って変わって表情を暗くした。空気が冷え冷えとしたものに沈んでゆく。


「なぜそれを望む」

「女官たちは日々尽くしてくださるので、少しでも心安らげると気があればと思って……」

「ならぬ」


 ミコトはアオの案を一刀両断した。


「ユイ。そなたはアオの案をどう思う」


 突然矛先(ほこさき)を向けられたユイは戸惑いながらも一意見を口にした。


「決められた場所で居続けることは、心にかなりの負担を与えます」

「そうか、残念だな」


 ユイは呆れたと遠回しに告げられて、反射的に口を閉じた。


「外へ逃げ出そうとする要因はできるだけ省くのだ。酒に溺れて制限が利かなくなった娘もいたし、肉親に手伝いを頼み夜な夜な逃げ出した者もいた」


 ミコトは襟合わせに刺さっていた扇を、閉じたままユイに向けた。


「ユイの母親は縄であったな。無念だった……斑を持っていたというのに」


 初出の事実にアオは全身が粟立った。


──斑を持っていた?


 ユイの母親はアオと同じ肌に斑があって、けれど何かしらの理由で外に出た。そして生まれたユイは後宮に引き取られ、母親はどこかに追いやられた。

 ユイが後宮に置かれているのは、斑を持っているかもしれないからか。しかし、ユイは男。

 なにがどういうことだ。ユイを残しておいて、まだら模様のある子を作るようにさせたいなら、宦官にさせた意味が分からない。


「……ユイ、そなたがなぜアオに世話を焼くのか妾には透けて見える。しかしアオを甘やかそうというのなら許さぬぞ」


 アオはミコトのその低い声に肝が冷えた。ユイは畳に額を擦り付けるようにして頭を下げる。


「今のはすべてたわむれ事です。お聞き流し下さい」

「ああ」

「お耳汚しを失礼しました」


 ユイが一向に頭を上げないので、アオは空気に則って頭を下げた。


おもてを上げよ。此度こたびは許そう。だが、次にそう無茶な提案をしようものならば許さぬぞ。作法を知っているユイはなおさらだ」

「はい」

「ではアオ、鴉鷺正伝を楽しみにしている」


 ミコトは下衣をひるがえすと、お付きをたずさえて部屋を去っていった。

 まさかそこまで止められるとは思わなかった。ユイもきつくたしなめられたことに少し呆然としている。


「あの、わたしが無茶を言ってしまったせいで──」

「……ミコト様はまだ母を恨んでいるんだ」


 ユイはぽつりと呟く。そして顔を歪め、手で額を覆った。


「ユイ……」

「挽回しないと」


 先ほどまでの暗い雰囲気を打ち消すべく、ユイは頭を振る。


 アオはここの全てが悪循環を生み出しているようにしか見えなかった。それを変えられるのはミコト──いや、その代の巫だけ。不意に見えていなかったものに光が差した感覚があった。


 そうだ、アオがかんなぎになればいい。与えられたことをするだけではなく、意志を持ってそこに座すのだ。


「ユイ。わたし……巫になるために頑張ります」


 アオはまだ震えているユイの手を取る。アオと比べては大きいが頼りない。その手で人を裂くのだ。


「だから手伝ってください」


 アオはその曇り空のような瞳をのぞき込んだ。

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