第15話 鶺鴒鳴く ─夢─
夢を見る。
たまに、両親の話をすると夢を。
アオはいつも少し大きな家で、居間に立っている。しばらくすると聞こえてくるのだ。その口論と、ため息が。
両親同士の喧嘩ではない。
両親がどこかの誰かと喧嘩をしているのだ。
アオはしばらく耳を澄ます。静かに息を潜めて。
──駄目です。絶対に争いごとは起こしてはいけません
──ふざけるな。監督者だか知らないが、よそ者のくせに!
──ムラの長たる貴方が乱心を起こしては困ります
──勝手に困っていろ!
それは耳に聞こえてこなかった。壁の裏で口論する両親と不明瞭な男性が口を動かしているのが見える。何を言っているのかが分かるのは、ここがアオの構築する世界だからだ。
そしてアオは自分が今、夢の中にいるのだと気づく。
両親は男性が去った後、困った、と両親は肩を抱き寄せあった。
──どうしましょう、貴方。これで抗争が起きたらミコトの手を煩わせることになってしまう!
──きっと大丈夫だ。問題になる前に鶏内村へ話をしに行こう
ミコト?
アオは夢を侵食する思考に気を取られた。前にこの夢を見た時はそんな名前出てこなかった。これは彼女に出会ったことで記憶から引き出されたのか。
しかしこの記憶はすべて、雲をつかむようなものだ。
──ねえ、アオ。しばらくここで待っていてくれる──?
母親の言葉に頷くのと同時に、アオは予期していたように耳を塞いだ。それは鼓膜が裂けそうなほどの破裂音。大量の爆竹だ。
──やってくれたな。熱が冷める前に行動を起こしてしまったみたいだ
──抗争を始めたのがこちらだと知られたら……
アオは自分も何かを言ったような気がした。けれどそれは声にならず空気にかき消える。
そして両親はアオを残して行ってしまった。
「おはようございます」
アオは障子の向こうから掛けられた声を目覚ましに、現実へ戻ってきた。
「アオ、セツが来た」
ユイの声はなぜだか安心感があって、ほっと胸をなでおろす。どんな夢を見ていたのか全く覚えていないが、眠っている間に汗をかいていたようで背中に気持ち悪さが残っていた。
アオは無意識に自身の腕を掴みながら寝台から降りた。
「お……おはようございます」
部屋を出ると、ユイの言った通り声の主がそこに立っていた。
セツは昨朝の太陽のような笑顔を晦ましている。
「アオさま。ご機嫌はいかがですか?」
「それはわたしの台詞で……。あの、発疹は」
「大丈夫です」
困り眉ではにかむが、アオは彼女の腕に包帯が巻かれているのに気がついていた。セツはアオの視線に腕を後ろに隠す。
「お見苦しくもまだ……。でも本当に大丈夫なんです。わたくしが倒れた時、みんな必要以上に騒ぎ立ててしまって。
この話はもういいですね。今日は昨日お持ちする予定だった意匠案を持って参りました」
今の彼女の精一杯の笑顔がこれなのだ。
セツは目を細めて、紙の束を胸の前に掲げた。紙には衣裳の下書きと布や装飾の詳細が書き込まれているらしい。それはどれも素敵なのだろうと思ったが、紙の端に赤い点が跳ねていた。針で刺したときに飛んでしまった彼女の血だ。
「ちゃんと、目にしたいです」
「ありがとうございます」
アオが微笑むと、セツは少し肩の力を抜いて安心した表情を見せた。
交流会にはいくつか暗黙の掟がある。
その内で最も重要なのは、ミコトやその他上級妃嬪らと意匠や主題を被らせてはいけないということだ。
「交流会でミコト様はいつも赤のお召し物を着ていらっしゃいます」
「赤……」
「そして貴妃さまは白です」
「貴妃さま?」
アオは後ろで腕を組んでいるユイに助けを求めた。これから知らない言葉がどんどん溢れるに違いない。ユイはアオの隣に胡坐をかいて座った。
「貴妃さまは妃嬪方の中で一番位が高い人。アオが来るまでは、後宮でミコト様の次に偉い人だった。にしても、いつも決まって白を着るなんてね」
「まあ、似合っていますもの……」
セツも苦笑いをする。
つまり白を着る人は特別だということだろう。貴妃が着ていいものかと問われると、はっきり頷けないほど。アオはそうなのかと納得しながら、セツの用意した案を眺めた。
「それで今回ご提案したいのが青色です」
「わたしの名前がアオだから、ですか?」
「それもありますが、青色は若々しさと清廉潔白の象徴ですから」
衣裳の色はその人の印象を決めるものだというわけだ。
アオは納得して、紙をセツに返した。大体は把握できたが読めない文字も多かったので、完成を楽しみにして居よう。
「これでお願いします」
「ありがとうございます。完成はおよそ満月の三日前になりますので、そのときにまた参ります」
セツは恭しく畳に手をついて礼をすると、部屋を出て行った。
部屋に残されたアオは隣で本を読んでいるユイの横顔を盗み見る。
「なに?」
見ていることに気づかれていたようで、驚きにアオは肩を跳ねさせた。
「……ユイって、どうしていつも本を読んでいるんですか?」
ユイは本をパタリと閉じる。本の表紙の文字もまだ読めない。交流会まで時間もないので、最低限の読み書きと礼儀作法を早く叩き込まなければ。
しかしアオの心の焦りを見透かしたように、ユイはため息をつく。
「君は零からじゃないから、それほど焦る必要はないよ」
「……零じゃない?」
アオの聞き返しに答えず、ユイは部屋の脇に寄せていた文机をアオの前に持って来た。そして手早く硯や文鎮や紙が用意される。
「僕が本を読むのは、阿呆にならないため。ほら、練習始めるよ」
そう言うとユイはぼんやりとするアオの手に筆を握らせた。




