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OR Memory ―あるいは、記憶の旅―  作者: shw


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第九話 帝都潜入と反逆の牙

 神殿路は、深く静かで、そして異常な冷気を帯びていた。


 メリディアの大神殿の最奥。魔法的な封印が施された隠し扉の先には、世界中に張り巡らされた『観測網』の物理的な裏道が走っていた。  青白い燐光を放つ古い石廊。左右の壁には、この空間を維持し、帝国の魔力探知を無効化するための絶え間ない術式の連鎖が、脈打つ血管のように刻まれている。  先頭を音もなく進むマウスの背中を追いながら、アオイはその壁面を指先でなぞった。


 「ここは何年前から存在しているんだ?」


 「詳細は我々にも分からん。数百年、あるいは千年以上前かもしれないな」  振り返らずにマウスが答えた。「最初の発見者は、壁の中の『声』を聞いてこの道を見つけたと言い伝えられている」


 「……神殿を建てた『設計者』が、有事の際の隠し通路として、初めから組み込んでいた経路だな。壁の術式の基底構造が、地上の神殿と完全に一致している」  アオイの呟きに、マウスの耳がピクッと動いたが、それ以上は何も聞いてこなかった。


 地下道を抜け、偽装された巨大な人孔を開けた瞬間。  肺に吸い込んだ空気の重さに、エリスが小さくむせた。


 ヴェルナ帝国の首都『レガシア』。  世界最大の軍事国家の心臓部に、アオイたちはついに足を踏み入れた。


 これまでに見てきたどの都市とも違う、異様な圧迫感。  鋼鉄と黒曜石で築かれたような、天を突き刺す巨大な建造物群。大通りには一糸乱れぬ隊列を組んだ重装甲の騎兵が巡回し、帝国の象徴である『金色の双頭鷲』の旗が、空を覆い尽くさんばかりに翻っている。  だが、その威容とは裏腹に、街を行き交う市民たちの表情は、一様に薄暗く、感情を削ぎ落とされた歯車のように均質だった。


 「ようこそ、地獄の釜の底へ」  地下通路の出口で待ち受けていたのは、二十代の人族の女性だった。帝国市民特有の灰色の外套を着ているが、その目には体制への明確な憎悪が宿っている。  「私はドルカ。闇焔えんあんの連絡員よ」


 ドルカの手引きで、アオイたちは貧民街の地下にある隠れ家へと移動した。


 「一つだけ忠告しておくわ。帝国軍の精鋭に『将軍レイヴン』という男がいる」  地図を広げながら、ドルカが厳しい顔で言った。  「あの男の部隊にだけは絶対に見つからないで。有能で、情け容赦がない。帝国軍の中で、今最も危険な異端児よ」


 だが、その忠告は数時間後に最悪の形で破られることになった。


 アオイたちが次の拠点へ移動するため、深夜の路地裏を抜けていた時だった。  突如として、前後を塞ぐように黒い軍服の集団が現れたのだ。


 「ネズミが帝都に潜り込んだと聞いて網を張っていたが……当たりか」  闇の中から現れたのは、帝国の精鋭部隊だった。マウスが舌打ちをする。「……内部に、動きを読んだ裏切り者がいるぞ」


 部隊の最前線に立っていたのは、巨躯の『虎人族こじんぞく』の副将だった。圧倒的な筋力と爆発的な瞬発力を誇る獣人の一種だ。その周囲を、短い刃を構えた『犬人族けんじんぞく』の兵士たちが素早い動きで固めている。彼らは群れでの連携に長け、一度噛みついた獲物は決して逃がさない執拗さを持つ。  本来なら最下層の存在として差別されているはずの亜人族が、帝国軍の最前線で使い捨ての猟犬として使役されている。


 「殺せ! 一人も生かして帰すな!」  虎の副将が咆哮とともに襲いかかってきた。


 速い。そして重い。大槌のような拳に魔力を乗せた、物理と魔法の複合打撃。  だが、東方で『感情の切り離し』を習得したアオイの目には、その殺意の塊のような攻撃が、ただの「遅すぎる直線的なベクトル」として見えていた。


 アオイは一歩も退かず、副将の拳の軌道に合わせて指先をわずかに動かした。  『力の向き』を書き換える最小限の術式。副将の巨体が自分自身の勢いに振り回され、盛大に石壁に激突する。


 「お前たちは、自由に戦場を選べるのか?」  壁にめり込んだ副将を見下ろし、アオイは感情のない声で問いかけた。


 「……あァ!?」副将が血を吐きながら睨みつける。


 「帝国軍でしか生きられないのか。誇り高き亜人が、自分たちを迫害する帝国の猟犬としてしか出世できる場所がないから、ここにいるのか? ……そうであるならば、哀れな駒だ」


 その言葉が、副将の痛いところを突いたのか。彼の顔に一瞬、激しい葛藤と屈辱の色が浮かんだ。  副将が怒り狂って再び立ち上がろうとした瞬間、アオイは無詠唱で地面の土石を隆起させ、路地そのものを物理的に封鎖した。


 「一旦引くぞ。」  アオイの合図で、一行は封鎖された路地の反対側へと跳んだ。


 しかし、そこに『彼』は待っていた。


 開けた広場の中央。月明かりに照らされた石畳の上に、一人の男が立っていた。


 背が高く、露出した首元や腕には、鈍く光る黒い鱗の質感が確認できる。  『竜人族りゅうじんぞく』。強靭な肉体と高い魔力を持つが、それゆえに帝国では危険視され、最も激しい迫害を受けてきたはずの種族。


 「そこまでだ、式術師とやら」  男は腰の長剣に手をかけたまま、低く凄みのある声で言った。  「俺は将軍、レイヴン。闇焔に協力していることは完全に把握している。ここで降伏しろ。そうすれば命だけは保証してやる」


 迫害される側でありながら、その実力のみで帝国の将軍の地位をもぎ取った異常者。


 「断ったら、どうなる?」


 「戦う。そして俺が勝つ」  レイヴンの瞳が、獲物を狙う爬虫類のそれに変わった。


 アオイは脳の演算器をフル回転させ、目の前の男の『魔力構造』を読み取った。  重い。桁違いの密度だ。ただの放出系魔法ではない。闇属性の高度な応用――『重力歪曲』。空間そのものの引力を操作し、相手を引き潰す不可視の暴力。  正面から受ければ、確実に骨ごと圧し潰される。


 だが、アオイの脳裏に、氷のように冷たい『戦術の天啓』が閃いた。  レイヴンは強い。しかし、その戦い方は「自分の重力圏に相手を引き込み、確実に勝つ」というリスクを避けた最適解に基づいている。  ならば、その最適解の裏を突く。


 アオイは逃げるどころか、自らレイヴンの正面へと一直線に突っ込んだ。


 「愚かな!」  レイヴンが右手を振り下ろす。アオイの頭上に、通常の十倍以上の重力場が展開された。  だが、その不可視の重圧がアオイを満たすコンマ一秒前。アオイはすでに、レイヴンの構築した術式の『接合部』に指を割り込ませていた。


 (術式の書き換え。引力のマイナス反転)


 瞬時に重力場の術式が逆転する。  アオイを押し潰すはずだった『下への力』が、レイヴン自身を真上へと放り投げる『上への力』へと反転した。


 「なっ……!?」  自分の術式を完全に逆用され、レイヴンの巨体が上空へと跳ね上がる。  足場を失い、完全に無防備になった空中の将軍に対し、アオイは冷酷な追撃を放った。  無詠唱による鋭い風の刃が、レイヴンの急所をそらしつつ、その巨大な質量を広場の石壁へと激しく叩きつけた。


 地響きとともに、将軍が膝をつく。  全身の骨が悲鳴を上げ、立ち上がることができない。


 「……俺の、重力術式の構造を……完全に読み切ったというのか……?」  レイヴンは血を吐きながら、信じられないものを見る目でアオイを見上げた。


 「構造を読み切り、数式を逆転させた。それだけだ」  アオイは感情の欠片もない声で答えた。


 「…………詠唱すら、なしで?」


 「ああ」


 レイヴンは長い間、自分の血で染まった石畳を見つめていた。  やがて、深く、重い息を吐き出した。


 「……俺の負けだ」


 その言葉を聞いた瞬間、レイヴンの背後に控えていた犬人族の兵士――若く温和な顔立ちの『コル』が、スッと剣を下ろした。


 「……将軍が負けたのなら、俺たちにこれ以上戦う理由は……ない」  コルは力なく呟き、完全に戦意を喪失した様子でへたり込んだ。犬人族特有の、群れの最強者が敗れたことによる絶対的な服従と戦意喪失の表れだった。


 レイヴンは痛みを堪えて立ち上がり、アオイをじっと見た。  「お前は……俺たち亜人を見ても、何も感じないのか? 帝国の人間のような蔑みも、哀れみも」


 「ない」


 「なぜだ」


 「関係ないからだ。竜人族だろうと人族だろうと、お前はただの実力で這い上がり、将軍になった。そして俺に挑み、負けた。ただの事実だ」


 レイヴンは静かな目でアオイを見た。そこに宿っていた帝国の猟犬としての殺意は消え、初めて個人としての意志の色が浮かんでいた。  「……俺はこれまで、帝国の階級制度の中で這い上がるためだけに戦ってきた」


 「なら、これからはその枠組みの外で戦えばいい。俺に命令する気はない。だが、この歪んだ帝国が崩壊した後の世界を作る時、お前のその力は必ず役に立つ」


 レイヴンはしばらく考え込み、やがて短く鼻で笑った。  「……そういうものか」  「そういうものだ」


 その夜遅く。  帝都のさらに奥深くに用意されたドルカの新たな隠れ家で、アオイたちは短い休息を取っていた。


 テーブルの上には、情報収集のためにドルカが手に入れた『帝国の宮廷料理の残飯』が並べられていた。高級な肉や希少なスパイスがふんだんに使われているが、アオイがそれを口に運ぶと同時に、眉をひそめた。


 「……不味いな」


 隅で傷の手当てをしていたレイヴンが、不思議そうな顔をした。「そうか? 帝国の権力者たちが食べている最高級品だぞ」


 「素材の質はいい。だが、塩の使い方が決定的に間違っている」  アオイは皿を押し退けた。  「栄養と、風味と、食感。どれもが自己主張しているだけで、要素同士の『調和』が全く取れていない。強引に皿の上にまとめているだけで、互いの味を打ち消し合っている。……まるで、この帝国そのものだ」


 本来なら全く違う生き方をするはずだった種族たちを、恐怖と軍事力で無理やり一つの皿に盛り合わせているだけの、いびつな国家。  アオイの言葉の真意に気づいたのか、コルが声もなく笑い、レイヴンも小さく肩を揺らした。張り詰めていた空気が、わずかに緩んだ。


 深夜。  見張りに立っていたエリスが、隠れ家の裏口の隙間に挟まっていた小さな羊皮紙の『メモ』を見つけた。


 『明日の警備配置の変更に関する情報だ。次の作戦に使え。引き換えに、俺の同胞たちを切り捨てるような真似はしないでくれ』


 署名は無かった。  だが、アオイには誰が書いたのか、なんとなく見当がついていた。あの路地裏で壁に叩きつけられた、虎の副将だろう。


 アオイはメモを見つめながら、静かに口角を上げた。  「自由に戦場を選べるか」という問いに対する、彼なりの不器用な答えだった。  帝国の強固な支配構造に、確実に亀裂が入り始めていた。

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