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OR Memory ―あるいは、記憶の旅―  作者: shw


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第八話 観察者の眼と反逆の炎

 灼熱の砂漠地帯カランを後にして南下したアオイとエリスは、険しい山脈を越え、南方都市国家群の最大の街『メリディア』へと足を踏み入れた。


 そこは、帝国や東方とはまた違う、強烈な個性と活気に満ちた『芸術と商業の都』だった。  赤茶色の煉瓦と白亜の大理石が入り交じる洗練された街並み。広場には神々と英雄を象った巨大な彫刻が立ち並び、石敷きの路地では異国の行商人と絵筆を握る芸術家たちが肩を寄せ合っている。香辛料と油絵具の匂いが混ざり合う、圧倒的な熱量を持つ空間だ。


 だが、アオイの目を惹きつけたのは、その華やかな街並みそのものではなかった。  街の至る所――壁面、橋の欄干、巨大な噴水の底――に描かれた、精緻で幾何学的な『紋様』の数々。


 「……美しい街ですね。あちこちに、不思議な壁画が描かれています」  エリスが感嘆の息を漏らしながら、広場の壁を指差した。


 「あれはただの絵じゃない」  アオイは壁に近づき、手を触れないギリギリの距離でその複雑な線の交差をなぞった。  「『術式』だ。魔法の構造式が、芸術というフィルターを通して出力されている。この街の画家たちは、魔法使いが編む術式の論理構造そのものに美しさを見出し、それを描き写して鑑賞しているんだ」


 魔法を実用的な『暴力』とみなす帝国とも、精神的な『修行』とみなす東方とも違う。  ここでは術式そのものが『美』として消費されている。


 だが、アオイを最も驚愕させたのは、その芸術的解釈ではなかった。  「……見ろ。この橋の術式画も、向こうの噴水の底の絵も。一見ばらばらの魔法構造を描いているように見えて、すべての基底部……装飾的な枠線の奥底に、プロの術師すら気づかないレベルで『共通の記号列』が埋め込まれている」


 東方の皇都で見た、あの爆発術式の深層にあったものと同じ。


 「世界の設計者が書いた、同じ基幹コードだ」  アオイは冷や汗を流しながら、手元の羊皮紙に猛烈な速度でその構造を書き写し始めた。


 メリディアの中央にそびえる、ひときわ巨大で荘厳な大神殿。  三日目、アオイはその中枢に足を踏み入れた。


 高く吹き抜ける柱廊の天井には信じられないほど巨大な術式が刻まれ、大理石の床には一定の波長の魔力を収束させるための複雑な紋様が彫り込まれていた。  敬虔な信者たちが祈りを捧げる中、アオイはその魔力回路の中心に立ち、己の式術の知覚を、神殿の構造そのものと同調させた。


 (……深い。この建物の奥深くに、何かとてつもない情報量の『渦』がある)


 視界が明滅し、石造りの神殿が、緑色の光の線の巨大な集合体として脳内に再構築される。  そして、アオイの思考回路がその『中核』に触れた瞬間――。  バチリ、と頭の奥で火花が散るような激しい痛みが走った。


 「……っ!」  アオイは後ずさりし、額を押さえた。


 「アオイさん!? 大丈夫ですか、顔色が……!」


 「……分かったぞ。エリス」  アオイは荒い息を吐きながら、信じられないものを見る目で神殿の天井を仰ぎ見た。  「この建物は、人間が神を崇めるために建てたものじゃない」


 「え……?」


 「収集と、送信だ。この巨大な神殿自体が、一つの巨大な『中継装置』になっている。人々の祈りや感情の揺らぎ、魔力の変動、歴史の推移……世界中のあらゆる動的データを絶えず収集し、どこかへ向かって常時送信し続けているんだ」


 アオイは戦慄とともに、真実を口にした。  「世界中に点在する神殿は、信仰の場じゃない。何者かがこの世界を監視するために配置した、巨大な『観測所』だ」


 アオイの発する異質な言葉の正確な意味は、相変わらずエリスには分からない。  だが、長く彼と共に旅をし、その理外の思考に触れ続けてきた彼女は、アオイの奇妙な言葉の『本質』を少しずつ汲み取れるようになっていた。


 エリスはしばらく言葉を失い、やがて震える声で言った。  「……神様のお目が、世界中に置かれているということですか……?」


 「そういう言い方もできる。……だが、それを造り、監視しているのは、間違いなくシステムを組んだ『設計者』だ」


 夕暮れの鐘がメリディアの街に響く頃。  神殿の裏路地で情報を整理していたアオイの背後に、深々とフードを被った小柄な影が、音もなく着地した。


 「――優れた目を持っているようだな、西の式術師よ」


 声は低く、そして細かった。  フードの下から覗いたのは、鋭敏な耳と灰色の毛皮、そして暗闇でも光を捕らえる黒い瞳。  『鼠人族そじんぞく』。東方での知識が、即座にその種族を特定した。


 「俺に何か用か?」  アオイは振り返らず、警戒レベルを最大に引き上げた。


 「ヴェルナ帝国の話をしたい」  鼠の獣人は、感情の読めない声で言った。


 「帝国か……。あちこちで碌でもない噂ばかり聞く厄介な国だな。申し訳ないが、あんな面倒な国に関わるのは御免だ」


 「……確かに、碌でもない国だ」  獣人は一歩近づいた。「幾度となくその帝国の手先とやり合ってきたお前なら、よく分かっているはずだ」  アオイがわずかに目元を険しくしたのを見て、獣人は続けた。  「俺が言っているのは、お前を執拗に追うあの巨大な暴力機構を、内部から破壊しようとしている組織の話だ。……あんな国が内側から崩れ去るなら、素晴らしいと思わないか?」


 アオイはゆっくりと振り返り、フードの奥の黒い目を見た。  「……お前、俺が式術師であることや、俺と帝国との因縁をどこから仕入れた?」


 「我々ネズミは、聞こえるべき場所に常にいる。土の壁の裏も、王の寝室の床下もな」  獣人の髭がかすかに揺れた。  「それ以上の情報開示は必要か?」


 「いや……十分だ」  これほどの隠密性と情報収集能力を持つ一族なら、情報の出処としては矛盾しない。  「だが、なぜ俺に持ちかける」


 「我々の目的は帝国の軍事拡張を止めることだ。同胞の多くが帝国に狩られ、生体兵器の実験台や奴隷として消費されている。狂った帝国を内側から崩すには、あの帝都の強固な防衛網を突破する『規格外の鍵』が必要だ」


 「その鍵が俺だと言うのか」


 「お前が今調べていた『神殿の術式網』。あの見えない繋がりを利用して道をこじ開ければ、帝国の国境に敷かれた厳重な検問も魔力探知も完全にすり抜けて、帝都の中枢へ直接潜入できる抜け穴が作れる。俺にはそれが分かる」


 アオイは息を呑んだ。  あの神殿の観測網を、逆探知による『転送ルート』として悪用する。  狂気的な発想だが、システムとして裏口バックドアは確実に存在するはずだ。


 「……お前の名前は?」


 「『マウス』でいい」


 「反帝国組織の名前は?」


 「『闇焔えんあん』」  マウスは淡々と、しかし静かな怒りを込めて答えた。


 「……乗ろう」  アオイは即答した。


 「アオイさん!? 本当にいいんですか!?」  背後でエリスが悲鳴のような声を上げた。「帝国の本国に潜入するなんて……見つかったら、今度こそ確実に殺されますよ!?」


 「神殿のネットワークの中枢は、世界で最も魔力が集まる場所……つまり、ヴェルナ帝国の中心にある可能性が高い。この世界のシステムの管理権限に触れるには、そこへ行くのが一番早い」  アオイはエリスを真っ直ぐに見据えた。  「……これは俺の個人的な戦いだ。エリス、ここメリディアなら安全に暮らせる。嫌ならここで待っていても――」


 「行きます!!」  アオイの言葉を遮り、エリスは涙目で、だがはっきりと言い放った。  「ここまで一緒についてきたんです! 途中で置いていかれるなんて、絶対に嫌です!」


 その不器用で必死な覚悟に、アオイはほんの少しだけ目を細め、小さく息を吐いた。  「……足手まといになったら、置いていくぞ」


 「はいっ!」


 マウスは二人を見比べ、フードの奥で短く鼻を鳴らした。  「では、交渉成立だ。明後日の夜に出発する。各自、死なないための準備を済ませておけ」


 闇に生きる反逆者たちとの、決死の帝国潜入作戦。  世界の真実へ至るための最も危険な旅が、今、始まろうとしていた。

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