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OR Memory ―あるいは、記憶の旅―  作者: shw


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第六話 東方の皇都と盤上の陰謀

 東皇国の心臓たる皇都『龍安ロンアン』は、アオイの知覚能力をパンクさせるほど、規格外の密度と熱量を孕んだ巨大都市だった。


 天を衝くようにそびえ立つ、漆黒と真紅に彩られた城郭。  大通りを埋め尽くす数十万の民の喧騒。極彩色の絹を纏った官吏たちが行き交い、至る所で香が焚かれ、重厚な銅鑼の音が響き渡っている。  西のヴェルナ帝国が「鋼と血」によって統制された暴力のシステムだとするなら、この東皇国は「富と歴史」が幾重にも絡み合った、底なしの巨大迷宮だった。


 「すごい……。人が、たくさんいます……!」  エリスが完全に人波に飲まれ、アオイの袖を必死に握りしめながら感嘆の声を上げた。


 「はぐれるな。歩幅を合わせろ」  アオイは周囲の景色を冷ややかにスキャンしながら歩を進めた。  表面的には極まる豊かさ。しかし、アオイの目には、この巨大都市全体を覆う見えない「緊張の糸」がはっきりと見えていた。建物の配置、人々の視線の動き、巡回する衛兵の不自然な偏り。  何かが起きている。しかも、この国の根幹を揺るがすような致命的な何かが。


 その不穏な気配が明確な殺意に変わったのは、宿を取った翌朝のことだった。


 薄暗い路地裏。買い出しに出ようとしたアオイの首筋に、冷たい刃が音もなく押し当てられた。  「……悲鳴を上げれば、喉笛を切り裂くぞ」


 背後から響いたのは、鈴を転がすような、しかし氷のように冷酷な女の声だった。  振り返らなくてもわかる。気配を完全に殺す隠密の歩法。だが、アオイの目には、彼女の纏う「光を曲げる幻術の構造」が、チープな偽装工作のように丸見えだった。


 「あまり大通りを歩かない方がいい、西から来た『式術師』殿」


 「……俺の噂は、すでに皇都の裏社会にまで届いているのか」  アオイは刃を当てられたまま、感情を完全に切り離した澄んだ声で答えた。


 「当たり前だ。呪文なしで帝国の兵を吹き飛ばす魔人。そんな常識外れの存在が皇都に現れれば、両派閥のどちらかが確実に利用しようとする」  上品な装束を纏った二十代の女が、狐のように切れ長の目を細めてアオイを見据えた。


 「両派閥?」


 「若い皇帝陛下と、裏で実権を握る宦官のリュウ大人。天の命をどちらが代行するかで、この皇都は今、見えない内戦状態にある。貴様のような規格外の存在は、格好の旗印になる」


 「俺には関係のない話だ」


 「関係あるかどうかは、お前が決めることじゃない」  女は剣を少しだけ引いた。「私はサラ。今は劉大人の手下として動いている」


 「……『今は』ということは、トカゲの尻尾切りにされる未来まで予測しているわけだな」  アオイは振り返り、サラの目を真っ直ぐに見た。「狐人族こじんぞくの幻術だな」


 東方での三ヶ月に及ぶガルバードとの対話の中で、アオイはこの世界の種族構成についても知識を得ていた。  この世界には人間だけでなく、獣の身体的特徴と独自の能力を持つ『獣人』や、特異な進化を遂げた『亜人』が存在する。彼らは人間とは異なる独自の魔力器官を持ち、特定の分野において人間を遥かに凌駕する魔法を行使する。中でも狐人族は、光や音を高度に操る『幻術』に特化した種族として知られており、暗部として重宝されていた。


 「耳の形を変え、瞳の色まで光の屈折で偽装しているが、俺の目は誤魔化せない。お前のその術式、右の視界にコンマ一秒の遅延があるぞ」


 サラの表情が、驚愕に凍りついた。  「……バケモノめ。見てそこまで解体できるのか」  彼女は剣を鞘に収め、低く凄んだ。「利口に動けば生き残れる。私はお前に情報を売る。代わりに、私が上層部の歯車に潰されそうになった時は、その力で助けろ」


 サラの警告は、数日と経たずに最悪の形で現実となった。  アオイとエリスが滞在していた宿の床下から、宦官・劉大人が皇帝の暗殺と反乱を企てているという『密書』が発見されたのだ。


 アオイは完全に巻き込まれた。密書を見つけたという理由だけで、皇帝派の近衛兵たちに包囲され、血の匂いが染み付いた地下の尋問室へと連行された。


 「この暗号文書を読めるか。西の式術師よ」  皇帝の補佐官が、焦燥に駆られた目で羊皮紙の束を突きつけてきた。  「劉の反逆の絶対的な証拠だ。だが、何重にも複雑な暗号が掛けられており、我が国の最高位の解読班でも三日はかかる。それまでに劉は兵を挙げるだろう。今すぐ読め。さもなくば、貴様を劉の同調者として即刻処刑する」


 アオイは羊皮紙を見下ろした。  そこには、意味のなさない無数の文字と記号が、デタラメに配置されていた。


 (……なんだこれは。あまりに古典的な置換規則(暗号)だ)


 アオイの脳内の演算装置が、瞬時にトップギアに入る。  文字の羅列の裏側にある、法則性。情報を二重に反転させ、特定の鍵なしでは意味をなさないよう偽装された文書。しかし、アオイの目には、その「置換の法則」そのものが、発光する一本の糸のように繋がり、正しい文字列へと自動的に再構成されていった。


 「……十五分くれ」  アオイは静かに言った。


 「は? 十五分だと? 専門家でも三日かかるんだぞ!?」


 「十五分で、すべてを解読する」


 実際には、十二分だった。  劉大人が龍安の城外に帝国軍の分隊を密かに引き込もうとしていること。皇帝を「天に見放された」として廃位し、自身が実権を握る計画の詳細。  アオイがそれを流暢な東方語に翻訳し直して読み上げると、補佐官と近衛兵たちは幽霊でも見たかのように震え上がった。


 「……これで間違いないか?」


 「構造そのものから逆算した。この文字列以外に解は存在しない」  アオイの断言により、作戦は即座に決行された。  その夜、皇都を血の海に沈めるはずだった劉大人の軍勢は、先手を打った近衛軍によって完全に制圧され、劉は捕縛された。


 これで一件落着、元の旅に戻れるはずだった。  しかし、その混乱の最中、アオイの魂を根本から揺さぶる出来事が起きた。


 劉の残党が、道連れとして皇都の中央神殿に仕掛けた『爆発の術式』。  暴発寸前のそれを解除するため、アオイは術式の深層へと意識を潜り込ませた。


 複雑に絡み合った発火と膨張のロジック。それを一つずつ切り離していく中――アオイの指先が、術式の『最も深い層』に触れた瞬間だった。


 そこには、魔法使いが意図して組み込んだものではない、何かが存在していた。


 (……なんだ、これは)


 それは特定の個人の署名ではない。  皇都の神殿の術式にも、西の帝国の兵士が使った魔法の中にも、共通して全く同じ記述で埋め込まれている『根本の法理』。  ガルバードの言葉が脳裏に蘇る。「魔法の体系は一つの根源からの派生でしかない。この世界には設計者がいる」


 アオイはその記述を見た瞬間、稲妻に打たれたように全身を硬直させた。  知っている。  この美しく、無駄のない、世界の基盤を支えるような完璧で巨大なコード群の書き方を、俺は知っている。


 「設計者の……痕跡……」


 アオイは額から滝のように汗を流しながら、崩れ落ちた。  この世界は、自然発生したものではない。誰かが、何らかの意図を持って明確に『設計』し、動かしているシステムなのだ。


 反乱を見事未然に防いだ功績として、補佐官はアオイに莫大な金貨と、ひとつの申し出をした。  「礼として、東皇国の外交船を使い、どこへでも送ろう。希望はあるか?」


 アオイは迷わず答えた。  「さらに東。『武士の島国』へ行けるか?」


 補佐官は目を丸くした。「シマノクニへ? あそこは過酷な鎖国政策を敷いている。外交船でも、中に入ることはできんぞ」


 「可能性さえあればいい」  アオイの瞳に宿る、異常なほどの探求の熱に、補佐官はそれ以上何も言えなかった。


 東皇国のさらに東、荒れ狂う海を越えた先に浮かぶ群島『シマノクニ』。


 式術師という肩書きと、東皇国からの推薦状により、アオイとエリスは特例として上陸を許された。  そこでアオイの胸を打ったのは、またしても『強烈な既視感』だった。


 低く連なる木造建築。美しく整えられた白い砂利の枯山水。弧を描く木橋。風に揺れる松の木のシルエット。  記憶は何もないはずなのに、魂の奥底が「故郷に帰ってきた」と叫んでいるような奇妙な感覚。


 その島国で、アオイは決定的なモノを見た。


 田んぼの脇の道で、高齢の武士が修行をしていた。  その武士の周囲を、術式で編まれた『光の鳥』が飛び回っていたのだ。  それはただの幻影ではない。武士の意図を汲み取りながらも、風向きや障害物を自律的に判断し、最適解の動きを見せている。


 アオイはその光景に、雷に撃たれたように立ち尽くした。


 「あれは……自律意思を与えられた使い魔。いや……自律型の補助機構なのか……」


 術者の命令を解釈し、独立して並列処理を行うサブシステム。


 「ARIA……」


 その言葉が、アオイの口から無意識にこぼれ落ちた。  誰の顔も浮かばない。だが、その四文字は、絶対的な郷愁と、過去の自分を証明する最も強いパスワードのように、アオイの心臓を締め付けた。


 (俺は過去の世界で、あれと似たような『何か』を創っていた……? この世界を設計した奴は、もしや……俺と同じ世界から来たのか……!?)


 「アオイさん? どうしたんですか、急に立ち止まって。怖い顔をして……」  エリスが不安そうに見上げてくる。


 「……いや。少し、バラバラだった断片が繋がった気がしただけだ」  アオイは激しく脈打つ心臓を押さえつけながら、呟いた。


 東皇国からの親書と推薦状を持つアオイたちは、港を治める大名の手厚い歓迎を受けた。  異国の式術師に対する大名の強い興味から、アオイは城内の広場で、大名お抱えの一流の術師と手合わせをすることになった。相手は「仙術」と呼ばれる境地を持つ、五十代の男だった。


 理論ではなく、自然の摂理そのものに同化し、感覚だけで事象を改変する男。  論理の極致と、感覚の極致。  大名や家臣たちが見守る中、幾度かの術式の応酬の末、二人は互いの限界と深さを認め合い、同時に手を止めた。


 「感覚と論理。どちらかだけでは、世界の真理には届かない」  互いにそう確認し合う出会いだった。


 その夜、宿で出された島国の料理――小魚を薄く切り、生のまま醤油という液体につけて食べる料理――を口にした瞬間。


 「……懐かしい」  アオイは思わず箸を止めた。海の香りと、繊細な旨味。記憶にはないが、細胞がこれを知っていると喜悅している。


 「記憶がないのに懐かしいと言うのは論理的におかしいがな。……だが、俺の過去が少しずつ、この世界にリンクし始めているのは間違いない」


 島国を辞した翌日。  アオイは東皇国を経由して南下し、さらなる世界を知るため、そして設計者の意図を暴くため、西へと向かう交易船に乗り込んだ。  次なる目的地は、帝国大陸と東方世界を隔てる、死の『砂漠地帯カラン』。


 「この世界にばら撒かれた天啓は、決して偶然じゃない。誰かが、意図的に仕組んでいる」


 その確信を胸に、闇色の瞳の式術師の旅は続く。

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