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OR Memory ―あるいは、記憶の旅―  作者: shw


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第三話 帝国の影と魔法覚醒

 ロッシュとナンシーの不器用で深い愛情に背を向け、村を出てから三日が経っていた。


 街道と呼ぶにはあまりにも粗末な、ただ赤みがかった土が踏み固められただけの道が、絶望的なほど単調に東へと延びていた。  右手には赤茶けた荒涼たる丘陵がどこまでも続き、左手の遠くには陽炎に歪む低い山脈が霞んで見える。道の脇に時折姿を見せる農地は、どれもこれも昨年の異常な猛暑と干ばつの深い傷跡を残し、土はひび割れ、数少ない作物はミイラのように干からびていた。  照りつける太陽は容赦がなく、旅慣れないアオイの体力を確実に削り取っていく。一歩足を踏み出すごとに、すり減った靴底から熱が伝わり、ふくらはぎの筋肉が焼けるように悲鳴を上げた。貸してもらった水筒の生ぬるい水で乾いた喉を潤しても、すぐにまた口の中はパサパサになった。


 「……はぁっ……エリス。少し、教えてくれ」


 アオイは額から流れる汗を汚れた袖で拭いながら、乾ききった激痛の走る喉から声を絞り出した。横を歩くエリスもまた、顔を真っ赤にして荒い息を吐いていたが、決して弱音は吐かなかった。


 「はい、アオイさん。なんでしょうか……っ」


 「この世界には、国がいくつあるんだ?」


 己の過去も世界の常識も持たないアオイにとって、こうやって一つずつ情報を引き出していくしかなかった。それも、この過酷な環境下で生き延びるための、必須のデータ収集だった。


 「大きく、分けると……」エリスは荒い息を整えながら、指を折り始めた。「わたしたちが今無理をして歩いているこの西の大陸は『帝国大陸』と呼ばれています。ここには、ヴェルナ帝国という巨大な国と、たくさんの小国があります。その帝国のずっと東に行くと、死の海と呼ばれるほど広大な『砂漠地帯』があって……その過酷な砂漠を命がけで越えたさらに東に、『東方諸国』と呼ばれるいくつもの国々が陸続きで広がっているんです。そこには東皇国という帝国級に巨大な国もあるそうです。逆に遠い北には厳しい冬の部族がいて、海のずっと向こうには『武士の島国』や、まだ誰も知らない新大陸があるって、昔、行商のおじさんが教えてくれました」


 「ヴェルナ帝国、か。……それが、この辺り一帯を牛耳っているのか?」


 「牛耳っている、というより……」  エリスは急に顔を曇らせ、少し言いにくそうに視線を落とした。  「最近は、どんどん広がっているんです。まるで飢えた獣みたいに……。もともとは大陸の中央にある一つの国だったのに、ここ十数年で周りの小国を次々に、力任せに飲み込んでいる。うちの村のあるロッシュ地方も、おじいちゃんが若い頃は別の優しい領主様の土地だったらしいです。でも、今はヴェルナの強引な支配下に入っています」


 「……税は?」  アオイの問いは短く、鋭かった。


 「重いです。ものすごく」  エリスの声が震えた。「毎年、秋になると必ず……銀貨で何枚も取られます。お父さんが村を出る前にアオイさんに渡したあの大きな銀貨……あれ一枚で、私たちの村なら一家四人が冬を丸々越せるだけの食料が買える、途方もない大金なんです。銅貨なら百枚分以上にもなります。さらにその上には、貴族様しか見たことがないという金貨なんてものまであって……。帝国は、あの重い銀貨を毎年、ひなびた村からも容赦なく何枚も搾り取っていくんです。今年みたいな絶望的な不作の年でも、お構いなしで同じだけ。払えなければ……家畜や、最悪の場合は人間が連れて行かれる。村の人たちは毎年、血を吐くような思いでため息をついているんです」


 アオイはそれを聞きながら、頭の中でこの世界の構造、いや『システムアーキテクチャ』を組み立てた。  記憶はない。だが、その「帝国」というものがどのような論理で巨大化し、どうやって駆動しているかは、気持ちが悪いほどはっきりと理解できた。権力の中心から末端の農村へと、一方的に資源と命を吸い上げる巨大な吸い上げポンプ機構。領土が拡大し維持コストが増えるほど、末端であるエリスたちの村のような場所への負荷が指数関数的に増大する。適切なフィードバックループが存在しなければ、いずれ全体が破綻する欠陥システムだ。  そういう冷徹な概念が、未だ言葉を持たないまま、アオイの脳髄の奥深くで明滅していた。


 「帝国の『兵士』というのは……普通の民から見ると、どういう存在なんだ?」


 「……死神です」  エリスはぽつりと、だがはっきりとした絶望を込めて言った。  「怖い。怖くて、逆らえません。彼らは鋼の剣を持っていて、魔法を使える者もいる。税を不当に多く取られても、訴える場所なんてどこにもない。村の人たちは、ただ嵐が過ぎ去るのを待つように、なるべく息を潜めて、目立たず生きようとしています……」


 アオイは黙って聞いていた。  知識としては理解できる。ただの横暴な権力機構だ。しかし、それがどれほどの「痛み」と「絶望」を伴うものなのか、実感としてはまだ皮膚感覚まで落ちてきていなかった。


 その実感が、彼らの皮膚を直接、暴力的に焼き焦がしたのは、その日の昼過ぎのことだった。


 泥のように重い足を引きずりながら、ようやくたどり着いた名もなき小さな集落。  そこで休息を取ろうとしたアオイの耳に、劈くような女の悲鳴と、男の怒声が突き刺さった。


 「嘘をつくな! 隠しているのは分かっている!!」


 集落の中央の広場。そこにいたのは、ヴェルナ帝国の徴税兵三人組だった。  彼らは帝国の紋章――双頭の鷲が翼を広げた、金色の傲慢な意匠――を深く刻んだ重厚な鎧を着け、腰には血の臭いが染み付いた長剣を佩いている。顔つきは正規兵というより野盗に近い、人の命を虫けらとしか思っていない悪辣な目をしていた。


 彼らは今、村の農夫を土壁に力任せに押し付け、首を締め上げていた。


 「麦を出せと言っているんだ、この豚が。帝国への正当な税だぞ!」


 「も、もう出しました! 規定の量はすでに去年も、今年の春も――お願いです、これ以上持っていかれたら、子供たちが冬を越せません!」


 「黙れ! 今度は追加の徴収だ。我らが誇り高き将軍閣下からのご命令だ。文句があるなら、その首を落として皇帝陛下に直訴させてやる!」


 農夫は恐怖と窒息で顔を紫に腫らして激しく痙攣していた。その後ろでは、まだ幼い二人の子供が、泥だらけになって母親にしがみつきながら狂ったように泣き叫んでいる。


 アオイは、その光景を前にしてピタリと足を止めた。  全身の血が、急速に冷たくなっていくのを感じた。


 「行きましょう、アオイさん」  エリスが震える手でアオイの袖を強く引き、小声で懇願した。  「見ちゃ駄目です。あれに関わっても、殺されるだけです。早く、ここから離れないと……っ」


 エリスの言うことは完全に正しかった。論理的で、生存に最も適した判断だ。ここで無力な旅人が帝国兵に楯突くなど、自殺行為以外の何物でもない。


 だが。  アオイの足は、その場から一ミリも動かなかった。


 子供の張り裂けるような泣き声。農夫が絞り出すような喘鳴。兵士の下劣な笑い声。  それらが耳に飛び込んでくるたびに、アオイの胸の奥底――記憶のない真っ白なキャンバスに、黒くどろどろとした「怒り」が急速に染み出していく。なんだこれは。ここは俺の世界じゃない。こいつらも俺とは関係ない。理不尽など、どこにでもある構造的な歪みの一つに過ぎない。  だが、許せない。  その怒りは、論理的推論を完全に無視して、彼を理不尽なまでの激情へと駆り立てていた。


 「……アオイ、さん?」


 エリスが止める間もなく、兵士が農夫の顔面を鋼鉄の籠手で殴り飛ばした瞬間。  気がつけば、アオイは広場の真ん中へと歩み出ていた。


 「やめろ」


 低く、だが鋼のように冷たいアオイの声が、広場に響き渡った。  兵士三人の視線が、一斉にこの薄汚れた旅人に突き刺さった。


 「あぁ? なんだお前は。ただの小汚い旅人か」  農夫を殴り飛ばした先頭の兵士が、剣の柄に手をかけながら嘲笑った。「関係ないだろう。失せろ。それともお前が代わりに税を払うのか?」


 アオイは静かに、兵士の目を真っ直ぐに見据えた。  自分の心臓が、ハンマーで内側から叩かれているように激しく打ち付けている。怖い。死ぬかもしれない。だが、それ以上の怒りが体を支配している。


 「子供が泣いている。お前たちのその下品な声が、うるさいと言ったんだ」


 場が一瞬、水を打ったように静止した。  後ろでエリスが「ひっ」と短い悲鳴を上げ、口を両手で覆った。


 先頭の兵士の顔が、怒りで一気に赤黒く染まった。


 「……もう一度言ってみろ、この野良犬が」


 「耳も遠いのか。てめえらの存在が、この世界の歪みだって言ってんだよ」


 「殺せ」


 兵士の短い命令。  その瞬間、左右の二人が素早く剣を抜き放ち、殺意をむき出しにしてアオイに向かって踏み込んできた。死の刃が空気を裂く。


 (――来るっ!)


 アオイは身構えた。どうする? 戦闘訓練など受けた記憶はない。だが、頭の中枢が再びあの凄まじい熱を発し始めた。


 ドクンッ!!


 心拍が跳ね上がり、世界が……極端に、異常なほどに遅くなった。


 剣を振りかぶる男の腕の軌跡。筋肉の収縮。瞳孔の開き具合。それがスローモーションのようにアオイの網膜に焼き付く。  そして――それだけではなかった。


 男の左手の中。  目には見えないはずの空間に、突如として無数の光の糸、複雑な「コードの羅列」がホログラムのように浮かび上がった。


 (な、なんだこれは……!?)


 攻撃魔法だ。兵士は剣を振るいながら、同時に左手で発火魔法を詠唱していたのだ。  アオイの拡張された知覚は、その目に見えないはずの魔法構造を、完璧なコードとして直接「読解」してしまった。


 『炎を生成する術式』。  酸素濃度を引き上げ、起爆点となる熱量を指定の空間座標に収束させ、酸化反応を強制誘発するためのアルゴリズム。


 だが、アオイの脳は瞬時にその欠陥を弾き出した。


 (……ひどいコードだ。処理に無駄が多すぎる。魔力充填の閾値設定の初期化処理が、二重にループしている。これなら……ここだけ干渉して書き換えれば……!)


 考えるより先に、体が動いていた。  アオイは右手を小さく前に突き出した。詠唱など、一語も無い。


 「……ブレイクポイント」


 アオイの短い呟きとともに、兵士の掌に集まりかけていた凶悪な炎の塊が、不自然な音を立てて内側から崩壊した。  パンッ! という乾いた破裂音とともに、術式そのものがショートを起こし、ただの熱を持たない火の粉となって空中に四散した。


 「なっ……!? 俺の炎が……!!」  魔法を不発にされた兵士が、信じられないものを見たように目を見開いた。


 アオイは休むことなく、今度は自分自身の両手で、空中の目に見えないキーボードを弾くように虚空を切り裂いた。  線でも文字でもない。それは『圧力差』という物理法則をハッキングし、強制的に組み上げるプログラミング。


 (気圧の急激な低下。圧縮。そして、指向性を持たせた解放――!)


 ドドォォォンッ!!!


 空気が爆発したような轟音が響き渡り、目に見えない巨大な大気のハンマー――凄まじい突風が、三人の兵士を同時に真正面から撥ね飛ばした。


 「ぐあっ!!」  「がはっ……!?」


 兵士たちは数十メートルも後方へと吹き飛ばされ、村の石壁に背中から激しく叩きつけられた。全身の骨が軋む鈍い音が鳴り、三人はそのまま白目を剥いて泥の中に崩れ落ち、二度と身動きしなかった。


 「……術式の構造を、目で読んだ、のか……?」


 静まり返った広場の中で、長老と思われる老人が震える声で呟いた。  それがどれほどあり得ないことか。熟練の術士でも、詠唱も魔法陣もなしに他者の術式を瞬時に分解し、さらに無詠唱で不可視の風を操るなど、常識の枠を完全に超え去っている。


 「し、式術師……!」  「伝説のおとぎ話だろ!? 術式『そのもの』を解体し再構築する者なんて、ここ数百年は誰も見ていないはずだ!」  村人たちが、恐怖と畏敬の入り混じった目で、立ち尽くすアオイを遠巻きに囲んでいた。


 当のアオイ自身は、激しい息を吐きながら自分の震える両手を見つめていた。  全身の毛穴から冷や汗が噴き出し、脳ミソが沸騰したように深く激痛が走っている。オーバーリアクションだった。あんな力、どうやって出したのか自分でも説明ができない。ただ、あの瞬間、世界のプログラムの「裏側」にアクセスし、指先で書き換えた感触だけが、生々しく両手にこびりついていた。


 「アオイ、さん……」  エリスが恐る恐る近づいてきて、アオイの肩にそっと触れた。  「あなた……本当に、何をしたんですか? 魔法は……魔法は呪文を長く唱えなきゃ出せないはずじゃ……」


 「俺にも……分からない」  アオイは苦しそうに額を押さえ、吐き気をこらえながら答えた。「ただ……見えたんだ。あいつが作ろうとしていた炎の構造の……致命的な『欠陥』が」


 エリスは信じられないと言いたげに目を瞬かせ、そして、泣き出しそうな顔のまま、ふっと安堵のため息をついてへたり込んだ。  「もう……本当に、死ぬかと思いましたよ……っ」


 その夜、帝国兵たちを縛り上げて村外れに放り出した後、村の長老がアオイとエリスの泊まる納屋に、粗末だが貴重な麦酒を持ってやってきた。


 「あんたは……ただの旅人じゃない。間違いない、伝説の『式術師』だ」  長老は濁った目でアオイを深く見つめた。


 「……さっきから気になっていたんだが」  アオイは痛む頭を押さえながら口を開いた。「その『式術師』ってのは、なんだ?」


 長老はぽかんと口を開け、やがて呆れたようにため息をついた。  「自分が何者かも知らんのか……。いいか、普通の魔法使いってのは、長い呪文を詠唱して、完成された『魔法』を放つだけだ。だが式術師は違う。魔法の根源である『術式』そのものの構造を直接読み取り、呪文もなしに一瞬で解体したり、ゼロから組み上げたりできる。数百年は前の、神話や伝説の中にしか出てこないような底知れぬ力だよ」


 ……つまり、他人が書いたプログラムのソースコードを、実行中に見ながら直接書き換えられるようなものか。と、アオイは独り言のように納得した。


 「……一つ、聞いていいか」  アオイは麦酒の木杯を置いた。「俺は記憶がない。だから、この世界の魔法というものが、そもそもどういう仕組みなのかも分かっていない。基本から教えてもらえるか」


 長老は驚いたように目を丸くしたが、やがて「なるほど、それは困ったな」とひとりごちて、膝を乗り出した。  「まあ、聞け。この世界の魔法は大きく分けて六つの属性がある。炎、水、風、土、光、闇だ。たとえば炎魔法を使いたければ、長い呪文を唱えることで『術式』という一種の設計図を頭の中に描き、それを解放する。呪文の長さと精密さが、術の威力と精度を決める」


 「……呪文なしには使えないのか?」


 「普通はそうだ。術式を描くのには莫大な集中力が要る。だから、呪文はいわば集中を助けるための補助道具のようなものだな。慣れた術師ほど短くなるが、完全に省略できる者はまずいない」  長老は苦笑しながら続けた。「魔法を使うのに必要な力を『魔力』と呼ぶ。人間は誰でも体の中にわずかな魔力を持っているが、量には天と地ほどの差がある。腕のいい術師ほど大量の魔力を蓄え、大きな術式を安定して維持できる。逆に魔力が尽きれば、どんな名手も術を使えなくなる」


 「俺が今日使ったものは、その魔力を消費していたのか?」


 「当然だ。しかも、お前のそれは術式を『一から組む』のではなく相手のものを解体し書き換えるわけだから、消費は常人の比じゃなかろう。だから頭が爆発しそうになったんだろうよ」  老人は目を細めた。「ただ魔力の消費量だけじゃない。お前のその力は、術式そのものを『見る』という本来あり得ない処理を頭の中で行っている。脳みそがその負荷に慣れていなければ、使うたびに激しい痛みが来るはずだ。……少しずつ、体を慣らしていくしかないな」


 「あんな神業が使える者が、ふらふらと歩いているはずがない。アンタ、どこへ向かう気だ?」  長老が改めて真剣な顔で問うた。


 「……東方だ。果てしない砂漠を越えた先にあるという大陸へ」  アオイは疲労で重い頭を揺らしながら答えた。まだ脳の奥がズキズキと痛む。あの魔法の代償は、想像以上に肉体と神経を削り取るらしい。


 「東方か……果てしなく遠いぞ。だが、」  長老は顔を曇らせ、深くため息をついた。  「今の帝国のやり方は異常だ。あの皇帝が権力を固めてから、周辺国を次々と飲み込み、搾り取っている。民の悲鳴など届かない。ただ略奪し、逆らう者は皆殺しだ」


 「……俺がやったことで、この村が目をつけられるんじゃないのか?」


 長老は少し沈黙し、そして首を横に振った。  「いや。むしろ逆だ。あの兵士どもが逃げ帰って上に報告すれば、『詠唱を必要としない化け物のような式術師がいる』という噂が広まる。帝国は得体の知れない強者を極度に恐れる。下手に村を焼いてアンタを本気で怒らせるよりは、しばらくは警戒して手出しを控えるはずだ」


 アオイは無言で麦酒を呷った。苦くて不味い。だが、喉の渇きは癒えた。  帝国。圧倒的な暴力と搾取のシステム。それに立ち向かった自分。  記憶はないはずなのに、権力という不完全な怪物に対する強烈な嫌悪感が、彼の中にはっきりとある。


 「……闇色の瞳を持つ、詠唱なき式術師が東へ向かう」  長老が予言めいた声で呟いた。「この噂は、風に乗って大陸中に広まるぞ、若者。帝国はお前を危険分子として目を光らせるだろう。怖くないのか?」


 アオイは木杯を置き、冷たく、だがどこか狂気を孕んだ笑みを浮かべて長老を見返した。


 「帝国が俺を見るより先に、俺が帝国の『致命的な腐敗』を見たんだ。システム全体がいずれ崩壊する欠陥品だ。俺は逃げる気なんてない。ただ、歩きたい場所へ歩くだけだ」


 長老は目を丸くし、やがて声を立てずに静かに笑った。  「百年ぶりに現れた式術師が、ひどく肝の据わった、とんでもない男だったとはな」


 翌朝。まだ体が鉛のように重く、脳の奥に鈍い痛みを抱えたまま、アオイとエリスは村人たちの畏敬の視線を背に受けて東へと歩き出した。


 旅の厳しさは変わらない。  だが、アオイは歩きながら、自分が覚醒させた能力の一端を少しずつ試し、理解しようと足掻き始めた。  地中の微細な温度変化から「水脈のコード」を読み解き、通りすがりの干ばつに苦しむ村で井戸の位置を教えては、わずかな銅貨や食料を泥にまみれながら稼いだ。宿の台所を借りれば、食材に含まれる成分の最適化アルゴリズムを脳内で構成し、エリスが目を丸くするほど美味い、そして「なぜか懐かしい」スープを作り出して寝床を確保した。


 決して楽な旅ではない。毎日が筋肉痛と疲労の連続だ。  だが、その不器用で泥臭い生き方が、アオイにとってはこの理不尽な世界に対する、ひとつの確かな「叛逆」だった。


 「アオイさんって……本当に強引で、無茶苦茶だけど……生きていくための力だけは、誰よりもすごいですね」  疲労で泥だらけになったエリスが、それでも笑顔で見上げてきた。


 「ただ、目の前にある未解決の問題を、処理しているだけだ」  アオイはぶっきらぼうに答えながら、痛む足を引きずって前を向いた。


 果てしなく続く荒野の道の先。  どこまでも単調に東へ延びるその道の向こうに、まだ見ぬ世界が待っている。痛む足を引きずりながら、アオイはただ前を向いて歩き続けた。

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