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OR Memory ―あるいは、記憶の旅―  作者: shw


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第十四話 世界の果てと最大の天啓

 新世界大陸を北上する過酷な旅は、月単位で続いた。


 赤道付近の鬱蒼とした熱帯雨林を抜け、荒涼とした岩山を越え、やがて景色からすべての色彩が消えた。  見渡す限りの白い雪と、氷の海。  呼吸をするたびに肺が凍りつくような極低温の世界。太陽は低く、昼間でも薄暗い。どんな猛獣も、そして追跡者の気配すらも、この絶対的な寒波の前には存在を許されなかった。


 「……アオイさん、本当にこの先に、何かあるんでしょうか」  分厚い毛皮に身を包んだエリスが、凍える息を吐きながらぽつりと言った。彼女の体力は限界に近く、歩くことすらようやくの状態だ。  「あるはずだ。シャーマンが言った『大いなる声の出口』。そして……ガルバードの地図が示していた、赤の終着点」


 アオイは周囲の冷気を熱魔法で中和しながら、真っ白な地平線の彼方を見据えた。  生命の息吹が完全に絶えたこの『世界の果て』。しかしアオイの直感には、この空間自体が巨大なエネルギーの奔流に包まれていることがはっきりと感じ取れた。  世界中の魔力――大地の脈動が、すべてこの極北の一点に向かって吸い込まれているのだ。


 数日後、猛吹雪の壁を越えた先で、彼らはついにそれを見た。


 「なに……あれは……?」  エリスがへたり込みそうになる足を踏みとどまり、呆然と呟いた。


 すり鉢状になった巨大な氷のクレーター。その中心に、天を貫くほどの巨大な黒い『石板』が突き刺さっていた。  自然の造形物ではない。完璧な直方体。表面には、人間の文字ではない、光り輝く幾何学模様が無数に走っている。  神の墓標か、あるいは世界を動かす巨大な心臓か。


 「……やはり来たか、アオイ」


 その時、吹雪の向こうから、懐かしい嗄れた声が響いた。  一本の杖をつき、凍りついたヒゲを揺らしながら、岩陰から一人の老人が姿を現す。東方大陸で別れたきりだった、狂える賢者・ガルバードだった。


 「ガルバード……! なぜここに……」  「儂は元々、お前たちを皇都へ送り出した後、直接ここへ向かっておったのだ。お前たちが南へ寄り道をしている間に、ひと足先に着かせてもらった。エリス嬢も無事で何よりだ」  老賢者はふっと笑って、巨大な黒い石板を見上げた。  「どうだ。これが世界を記した大系。真理の結晶……いや、お前の言葉で言うなら『世界の根幹構造』だ」


 「……なぜ、あんたがそれを知っている?」  アオイは石板からガルバードへと視線を移した。「東方で会ったあの時からだ。あんたは最初から、『この世界には設計者がいる』という確信を持っていた」  「長生きの特権というやつさ」  ガルバードは薄く笑い、石板を見上げた。  「長年、この狂った世界の矛盾を追い続けてきたのは事実だ。だが……決定的な確信を得たのは、ある時、儂の脳内に直接『声』が降りてきたからだ」  「声……?」  「そうだ。『やがて東の海から、理を解する者が現れる。その者を導け』とな。そしてその声は、この世界の構造の断片を儂に落としていった。まるで、お前という存在をここまで確実に到達させるための『道標』として、儂という賢者を利用したようにな」  老賢者の言葉に、アオイはハッとした。  この世界を作った者がいるなら、その存在は、アオイを極北のこの場所へ導くために、あらかじめガルバードに知識を与え、立ち位置を用意していたのだ。


 アオイは深く息を吐き、無言で氷の斜面を下り、巨大な石板の足元へと歩み寄った。  近付くにつれ、石板の表面を流れる光の模様が、単なる装飾ではないことが分かってくる。それは、この世界の物理法則、魔力の循環、生命の誕生から死までのサイクル、そのすべてを定義する巨大な『術式の集合体』だった。


 「お前なら読めるはずだ」と、ガルバードが背後から言った。「儂には、この法則の表面をなぞることしかできん。だが……お前は最初から、この世界の理を、誰から教わるでもなく理解していた。そうだろう?」


 アオイは震える手を伸ばし、凍てつく黒い石板の表面にそっと掌を触れた。  瞬間。  途方もない情報量の濁流が、アオイの脳髄へと直接流れ込んできた。


 ――海流の計算式。重力の定義。大気の循環則。生命活動の例外機能。


 あまりの情報の奔流に、普通の人間なら発狂して脳が焼き切れるだろう。  だが、アオイの意識はどこまでも冷徹に、その複雑極まる構造の奥底へと潜行していった。


 (分かる……この構造の組み方。変数の置き方。無駄を極限まで削ぎ落とし、全体を美しい一つの論理として成立させる、この……異常なまでの『癖』……)


 アオイの呼吸が荒くなった。  記憶の奥底にある、コンクリートと電子音に囲まれたかつての世界がフラッシュバックする。  そこで自分は、天才的な設計者として、あらゆる複雑な論理構造を組み上げていた。


 石板に刻まれた世界の設計図。  それは、神と呼ぶべき超越者の御業には違いない。だが、その論理構造の根底にある「思考の癖」は、他でもない。


 「……俺だ」


 アオイは絞り出すような声で呟き、目を見開いて後ずさった。


 「アオイさん……?」エリスが不安げに声をかける。


 「俺が……いや、俺の考え方の根幹を土台にして、この世界は作られている……!」  信じがたい天啓。  この理不尽な世界を創り上げた神――遠い記憶にいる『大いなる母』は、アオイ自身の思考・設計を完全にトレースし、あるいは模倣して、世界を組み上げていたのだ。


 自分は異世界の迷子ではなかった。  自分こそが、この狂った世界の「創造主の雛形」だった。


 その決定的な真実にアオイの心が激震した、その時だった。


 ドクン、と。  巨大な石板に赤い亀裂が走り、世界の最果てであるはずの空間が、不気味な震動とともに大きく揺れた。

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