20250905 夫婦別姓について
こんにちは。初めましての方は初めまして。思いついたことをつらつらと書き綴っていきます。『無名無題』のほうはなるべく自分があとから読み返したときに気分が悪くならないような内容に留めたいので、それ以外のもやもやした書きなぐりはこちらに。
自分のために吐き出しているだけなので、読む意味はありません。知ったような口を利くかも知れませんが、伽藍さんは物知らずです。
夫婦別姓について、伽藍さんは結婚する予定もその意志も全くないのでいままで興味はなかったしどちらが良いとかの考えもなかったのですが、ふと降ってきたものがあるので書き綴りにきました。
夫婦が同じ姓である必要はなくないですかね、というのが伽藍さんのいまの考えです。ほんの数時間前に思いつきました。別に調べてからものを言っているわけじゃないのでメリットもデメリットも知りません。たぶんまあ色々とあるのでしょうけれど。
だって、家庭を持つってとってもとっても幸運なひと握りの人間を除けば、特に女性にとってはDVの可能性と紙一重なわけじゃないですか。そんなん結婚前に気づけよって話かも知れませんが、結婚した途端に態度が変わるとかもあるでしょうし、最初は良くても生活やら何やらに躓いて鬱憤の捌け口として暴力を振るうこともあるでしょう。加齢に伴って性格が変わっていく可能性もあります。人生というものが常に順風満帆というわけにはいかない以上は、家庭を持つのであればDVの可能性からは逃れられないわけです。
これいま女性と言いましたが、別にDV被害者は女性ばかりとは全く思ってないです。そうではなく、対象の広さの問題です。男は女と子どもに暴力を振るうでしょうし、女は子どもに暴力を振るうでしょう。もちろん女が男に暴力を振るう、ないし精神的であったりその他のDVをすることだってあるでしょうけれど、何にせよ腕力が違いますからね。腕力が違うというのはそれだけで致命的です。女が男に喧嘩を売ったところで、男から殴り返されたらよっぽど手練とかじゃなければ大抵は負けますからね。あれです、ぶつかりおじさんがほとんどの場合は男を避けて女の子にぶつかりに行くのと同じことです。相手に腕力で勝てると思ってるからぶつかりに行くのです。だって喧嘩になっても殺し合いになっても腕力さえ勝っていればだいたい勝てますからね。単純に、人間の場合は男の方が暴力を振るえる対象範囲が広いのです。もしも人間の男と女の腕力が全く同じだったら、世の中はもうちょっと平和だったでしょう。逆に男と女がめちゃくちゃいがみ合っている世界になっていたかも知れませんけれど。
これ私は別に人間が愚かな生き物であるというつもりはなくて、いや、私は自分も含めて人間が嫌いなので愚かであると思っているのは事実なのですけれど、これはたぶん私の認識に歪みがあって、人間は本当はそこまで極端に愚かな生き物ではないと思っています。なぜなら、自分よりも弱い生き物を虐げるのは生き物として自然だからです。
親子関係にしても、自然の動物だって親が子育てに向かなくて育児放棄したり、弱い子どもを見捨てたり、邪魔な子どもを殺したりするでしょう。虐めなんかを考えると、ある個体を複数の同種で囲んで虐めたり、意味もなく犯すこともある。これは強い個体の選別であったり、種の保存のためにはある程度は仕方ないものだと思っています。
人間だって動物の一種なので、そういう意味では、虐待やDVや虐めなんかはごく当たり前の、発生し得る、自然なことだと思っています。ここに道徳だとか倫理だとかが関係するので人間はややこしくなるのです。人間だって動物なので、動物らしく相手に暴力なんかでマウントを取ろうとするのはごく当たり前のことなのです。人間は他の生き物とは違う高度な生き物だ、なんて思おうとするからおかしな風になる。
まぁ、個人的には人間がガンガン地球環境を破壊しているのは生き物としてどうなん、って思わなくもないのですけれど、でも世の中には放っておけば環境を破壊するくらい繁殖しまくったり餌を貪りまくったりする生き物もいるので、まぁ、うん、って感じです。それもまた生き物ですね。
でも最終的には、殖え過ぎた生き物は餌がなくなれば自然と個体数が減るはずなので、そういう意味では人間はちょっと不自然な生き物だよなーって思ってます。人間は餌を自分で育てられるので、餌がなくなったから自然に個体数が減りますっていうフェーズがなかなか来なくて、だからちょっと釣り合ってない、というか。食物連鎖の半歩くらい外側にいるというか。経済の低迷や物価の高騰か、第一次産業従事者の減少か、自然環境の悪化による収穫量の減少か、どんな理由にせよいずれ行き詰まれば人間も自然に減少するのでしょうけれど。まぁ人間の場合は社会が成熟して女性の社会的な地位が上がるほど出生率が低下するらしいので、そこで釣り合いを取っているのかなとも思います。全ての生き物は、なるようになっている。
で、夫婦別姓のお話になるのですけれども。いま書いたような人間(というより、生き物)の性質を考えれば、もう人間と人間が集まれば直接的にせよ間接的にせよ暴力は起こると考えたほうが良いですよね。特に閉鎖的なコミュニティ、それこそ学校のクラスとか、部活とか、職場とかだと、周りからの眼がなくて取り繕う必要がないから虐め、嫌がらせ、暴力なんかは自然に起こるものだと思います。起こりやすいからこそ、自覚して気をつけなければいけないし、人間はそれを理性だとか呼んだりするのですけれどね。
で、家庭なんてのは最小のコミュニティなので、それはもう、とってもとっても問題が起こりやすいわけです。人間が生き物の一種である以上は、これはもう仕方のないことです。なので、DV被害を抑える手段の一つとして、仮に結婚したとしても離婚しやすくするってのはありかなーって思いまして。ここで夫婦別姓という言葉が出てくるのですね。
私は結婚というものに本当に縁がないので結婚したり離婚したりするのに何が必要なのかいまいち知らないのですけれど、そんな私でも想像できることがあります。姓が変わるというのは、とってもとっても、とっても面倒臭い。色んな手続きとかもろもろ考えるだけでもゾッとします。いま仮に引っ越しで必要な手続きなんかを思い浮かべても嫌な気持ちになるってのに。もしも結婚して姓が変わって、離婚なんかしちゃったら姓が戻るわけですよね。あれ、戻さないって選択肢も取れるんでしたっけ? 知りません。が、離婚した相手と同じ姓のままってのは気分的にも微妙そう。
なので、結婚も離婚も手軽にするという意味では、夫婦別姓は良い案なのではないかなーって思いますね。特に何か問題があって離婚するとなったら、精神的にも疲れ果てているでしょうし、面倒な手続きなんか一つでも減らしたいわけじゃないですか。お試しで結婚してみて、問題が出てきたら深刻になる前にさくっとお別れする。それくらいフットワークが軽くても良い気がするのです。いつでも相手を捨ててやり直せるぞってなったら結婚へのハードルも下がりそうですしね。私は結婚しませんけれど。
と、いうことを書きに来ました。思いついたので。ふと降ってきたので、たぶん明日には忘れていると思うので備忘も兼ねて。




