第参拾弐撃 回帰
目覚めたあたしは全身の疲労感から解放され、身体が軽くなっていたよ。肋の辺りだけ、激しいマッサージに耐えきれず悪化したみたいだ。
深く呼吸すると痛みがある。気胸まで至らなかったのは幸いだった。もう少し安静にしないと、流石に痛みが長引くのは好ましくない。
マッサージチェアから這い出した私がまず向かったのは、もちろん浴室だ。
自宅のシャワーがこんなにも気持ちがいいものとは、日々の幸福は実際失ってみないとわからないものだ。風呂が面倒だという者がいれば、何週間か無人島で暮らしてみてほしい。きっと共感してもらえる。
思いの外長風呂してしまった上、小屋の扉付近に手紙らしきものを放置してきたことを思い出すのに随分と時間がかかった。
地下実験室のシャワールームから階段を上がり、小屋の入り口に落ちていた手紙を拾った。
封蝋の刻印を見て喫驚した。2度見してもWHCの文字が施されている。我が母の唯一の手がかりであるネームプレートにもWHCのロゴがある。
中を見ると数字の羅列だけ記載されていて他に何もない。座標だろうか。
研究室に戻りデスクトップみかんちゃんに座標の位置を調べてもらうと、ドロップピンがタマンネガラを指している。
ジャングルの座標をWHCのロゴ付きで送ってくるなんて、思い当たる差出人は1人しかいない。
「はぁ…面倒ねぇ…」
何か隠しているとは思っていたけれど、あたしをこんなもので釣ろうなんて言語道断だ。たとえWHCの手がかりがそこにあるとしても、思惑通りに動いた様で不愉快極まりない。
何より楽園をチラつかせて、あたしにタダ働きさせた前科がある。
とはいえ楽園を追っていると、結局はそこに行くことになる。恐らくこの座標はアールヴヘイムだ。
さて、どんな嫌がらせをしてやろうか…やはりシェイクの刑…では生ぬるい。
あたしは破壊神ジェロニモ君を眺めながら新しい武器のアイデアに思いを馳せていると、唐突に天恵が舞い降りてきた。
「ゆりぃぃいぃいいいいいかぁあああああ!!!!」
自分の才覚に鳥肌が立った。すぐに試作していたプロトタイプの戦闘機体にあらゆる工具を組み込み、作業用ロボにしあげ、みかんちゃんをインストールする。
「みかんちゃん手伝って!大仕事になるわよっ!」
「ナンジャコノボディ…」
みかんちゃんに作業工程をインストールするのを忘れていた。あたしの夢に詰まった壮大なプランを発表すると、みかんちゃんも武者震いしていた。
「ソレハヤヴァイ」
それから新しい装備と作戦に胸躍り、何時間もぶっ続けで研究開発し続けた。療養も兼ねてと思っていたのに、好奇心が眠らせてくれない。
家の畑の野生化した野菜を頬張りながら、モニターに齧り付く。作業は量産化した作業ロボたちが効率的にあたしのイメージを具現化してくれる。
こんなにワクワクするのは、あたしが幼少の頃初めて藻の光合成を利用した水質と空気を同時に浄化する装置を完成させた時以来だ。全てが自分の思った通りに実現してゆく。頗る気分がいい。
「ウフフ…見てなさい、ドギツイのブチ喰らわせてやるんだから」
肋の調子が良くなる頃、あたしは物凄い宝箱を完成させていた。ついでに特大の輸送機、フルーツバスケットも畑の隣に作ってしまった。流石は24時間不眠不休で働いてくれるみかんちゃん達…恐ろしい。
早くお披露目したくて胸の辺りがモゾモゾする。きっとみんな悦ぶに違いない。
流石に畑のワイルド野菜だけでは味気なかったので、久々に人気のあるところで食事をした。あまり人が多いのは好きではないので、行きつけのボロい食堂に足を運んだ。
あたしが小さかった頃から婆さんだった婆さんが、おぉ〜よく来たねと変わらぬ挨拶をしてくれる。本当に久しぶりだ。
おまかせの和食定食がよろよろ運ばれてくるのを昔とは違う感覚で迎える。その形容し難い感情を前菜に、煮物や汁物をゆっくり嚥下する。
婆さんはあたしが食べるのを、大きくなったねぇ〜とニコニコ見ている。本当にあたしを覚えているのだろうか…もう最後に来てから随分経つというのに。
暫くしてサービスのオレンジジュースが運ばれた時、婆さんの記憶力に驚愕した。いや、誰にでも出しているのだろうか…あたしが小さい時にはいつも持ってきてくれたのだが…。
綺麗に平らげ、満足感に満たされながら席を立つ。会計が終わり颯爽と店を出る時、「いってらっしゃい」の言葉に背中を押される。
まるで我が家で見送るみたいな婆さんの粋な計らいに、「行ってきます」と反射で答えてしまう。
ほっこりする様なゆるめの交流は久方ぶりだ。思えば家を飛び出してからというもの、常に命懸けで誰と接しても警戒を怠らなかった。
次があるかわからないから、お弁当でも作って貰えばよかったか。
あたしは研究室に戻って、ヒルツから拝借したアカシック端末を修理してみかんちゃんに解析を頼む。
予想通り、全てのワーフェス会場の情報にアクセスできた。差出人不明の手紙にあった座標も、アールヴヘイムで間違いない。
「コノタンマツハキケンデス。5Gガハッシンサレテイルタメ、チョウジカンノシヨウハ、ノウハニイジョウヲキタシマス」
ヒルツが洗脳されていたという仮説は、大方間違いない様だ。
準備を終えたあたしはいよいよ輸送機に乗り込む。もちろん今回作業用みかんちゃん達と作った特製のおもちゃも一緒だ。
「それじゃあ、行こうか!エンジン始動、ステルスモード起動」
「パーティノハジマリデスネ」
「あ、オートパイロットでお願い」
「ショウガナイネ」
輸送機が離陸してすぐに、ジェットドレスを装備した。Δからさらにアップグレードした、Σ機体に身を包み、恍惚に浸る。
耐久値を上げたため見た目がゴツくなってしまった。亡きBAさんの防御力と、εの攻撃力を兼ね備えている。
それを可能にしたのは予備バッテリーの代わりに搭載した、インフィニティマテリアルのおかげだ。
元々はヒルツから譲り受けた銃に使用されていたものだが、変換器といいサイズがちょうどよかったのだ。
Σを召したまま貨物室の様子を見に行くと、なんだか無敵になった気分だ。壮観な兵器の陳列棚、傑作の美術館と化している。この輸送機一つで国を滅ぼせる。
中でも特大のプレゼントボックスは自信作だ。この箱を開けるの…いや、閉じるのが楽しみで頬が緩む。
グリンチの憫笑もかくやと思われる満面の笑みに、表情筋が攣りそうになる。きっと奴にとって最高のクリスマスプレゼントになる事だろう。
現地に着くまでの間、綿密な戦闘シミュレーションは怠らない。コントローラを握りコマンドを打ち込む。
「うぅ〜ん、衛生写真ではどう見ても普通のジャングルなのに、隠されてるって事よね。まあ普通に考えればそうよね、グルグルも絡んでるわけだし…あっ!みかんちゃん!」
「ドウシタ」
「BTCの照準にアクセスしてこの座標を写せるかしら?」
「オヤスイゴヨウ」
衛生の照準を手紙の座標に合わせると、ビンゴだ。ジャングルの真ん中が不自然に荒野になっている。メディアなんて改竄入ってて当たり前なのだ、やはり一家に一台衛生兵器が必要な時代が来たか。
操縦席に戻り、リクライニングを倒すと、天井には満点のスイッチがプラネタリウムのように光っている。
庭の畑で育てているみかんをドライ加工したものを口に放り込むと、無意識に張り詰めた緊張が緩やかに解されていく。
アカシック端末を解析したところ、ムスペルスヘイムは国家間で紛争や戦争が行われる際に、自国に被害が及ばない様に代理戦争地として利用されている。今でもどこかの国が戦争をしているという事だ。
ワーフェスはその戦争休止期間中に軍事兵器の広告として開催される。現在、戦争とワーフェスのどちらが開催されているのか分からないが、どちらにせよ喧嘩両成敗だ。
「みかんちゃん、音楽かけて」
「リクエストハ?」
「クリスマスソングね。もう12月だから」
「アイヨ」
とはいえこれから行くのは亜熱帯だ。冬の空気を味わえるのは日本の空域圏内まで、そこからはデスメタルにでも切り替えよう。
なんたってアールヴヘイムをゆっくり探索するためには、ムスペルスヘイムの無力化は必須だ。ムスペルスヘイムはワーフェス会場の中でも最も戦闘が激しく、武器の出力制限がない。
誰もが自由を勝ち取るために、全力なのだ。
あたしは熱い戦闘をシミュレーションしながら、沈む様に静かに眠りについた。




