第参拾壱撃 動機
無人島生活も慣れたもので、生活拠点を築くのもかなり効率が良くなってきた。
木を組み立てて簡易基地を作るのにもはや半日も要さなくなっている。
日没まで余った時間で川から木を組んで作った水路を引き、拠点で自動濾過を実現するまでに至る。
濾過した水をさらに煮沸しようと水を溜めたヤシの実に手を伸ばした時、肋の鈍痛が響いた。
「痛…っ」
どうやらニヴルヘイムで拝借してきた痛み止めの効果が切れた様だ…しかし半日これだけ激しく動ければ上々か。
ヒルツは浜の拠点に敷かれた大きな葉の上で寝返りを打つたびにうなされている。
そりゃあそうだ、盛大な擦過傷を足に召しているのだから。
痛み止めは飲ませたけれど、患部に適切な処置をしていない。昔、古書堂で立ち読みした文献にあったラウカヒを煎じて、ヒルツの足にぶっかけてみた。
「どぁぁあああっ!痛…しみるっ!」
「やっと起きたか。ヒルツ君、君も働きたまえ」
「え…ここは…天国ですか…?」
「いいえ、南国です。ニヴルヘイムから出て無人島なう。ちょっと休んだら文明のあるところまでは送っていくから、あとは好きにしてちょうだい」
ヒルツはしばらく放心状態だった。無理もない、ヴァナへイムと同じ様な虐殺劇があったのだ、普通なら立ち直れない程のトラウマ物だ。
「C-102のデータ送信先のアドレスはこれです」
足元の砂にアドレスが描いてある。
「いや飲み込み早過ぎだし話飛び過ぎ!」
どうにも再開してからのヒルツの様子が変だった。前までは新しい技術を見つけよう物なら、我先に飛びついていたし、人一倍感情豊かだったのに、たまに抜け殻の様になる。
「そういえば気になっていたんだけど、耳に付けているそのデバイスは何?」
ヒルツはオシャレな光るポータブルイヤホンのようなデバイスを付けていたのが妙に気になった。
「あぁ、これはアカシック端末と言って、脳波を読み取ってクラウドで情報共有できるんです。グルグルが開発した最新機種ですよ!ちょっと調子が悪かったからメンテナンスしようと思っていたところです」
あたしはすぐにその端末を取り上げて破壊した。
「ちょっと何をす…うっ…おげぇええ」
せっかく描いたアドレスが吐瀉物で消えた。やはり予想通りだった。ヒルツないしニヴルヘイムの研究員達はこの端末の影響で、洗脳に近い状態にあったに違いない。
「な…何が…」
「ヒルツ君、一体いつからクラウドから情報を引き出していると錯覚していた?こんな危なっかしい物よく使う気になるよね。明らかに洗脳マシンじゃん。大方、研究員の頭の中のデータをゴッソリ引き抜いた感じね。オマケにどこまで従順に動かせるか試してたってとこでしょう」
「そんな…」
ようやく我に帰ったヒルツは、絶望に打ちひしがれている様だった。
あたしは暫くヒルツを残して夕食の調達に向かった。木の実と魚とよく分からない大きな鳥を捕まえて、火で炙り別のヤシの実で煮沸しておいた海水から作った塩を散らす。
あたしが食事を渡すと、ヒルツはようやく口を開いた。
「ありがとうございます」
「いきなり何よ」
「ウユニさんに助けられなければ、理由もわからずにただ死ぬだけだった…一体誰がこんな酷いことを…もしかしてこの悪行を知っていたからあの時ヴァナへイムを潰しに来たんですか?」
「いや、知らなかったよ。あたしが島にたどり着いたのは単なる偶然。各拠点を破壊して回ってるのも、別に彼らに恨みがあってのことじゃあない」
秀才ヒルツ君のアホ面を見たのは初めてだ。
「ではなぜ…命懸けで…」
あたしはカッコいい決め台詞を言いたくて少し黙っていたけれど、何も思い浮かばなかった。
「そ…そうですよね…そんな大事な理由、簡単には人に話せないですよね」
ただ何となく気に食わなかったからなんて、今更言えたもんじゃない。
しかし最初は確かに死に場所を求めていると言えるほど、刺激に飢えていたのだ。自分の人生とこの世界に絶望していた。存在意義を渇望していたといえよう。
今となっては、動機はただ単に気に食わない連中が世界を我が物顔で支配して好き放題やってて、全部ぶち壊す事がクリア条件という気がしただけで、シャルロッテのように復讐が目的でもなければ、英雄の様な大義も持ち合わせていない。
「別にいつ投げ出してもいいんだけどね…」
「え…?」
「あたしは腐れ外道の匂いがしない、安心した環境でみかんが食べたいの。世界を美味しいみかんで埋め尽くすの」
「何を言って…」
「あぁっ!そうだよ楽園はどこよっ?!」
「楽園って何ですかっ?!」
「とぼけんじゃないわよ!みかんよみかんっ!バイオテクノロジーで開発された陶酔泉のオリジナル!」
「あ…あぁ〜ウユニさんそういえばヴァナへイムでいつもあのみかん食べていましたね。残念ながらニヴルヘイムではバイオテクノロジーの研究開発は閉鎖されていましたし、楽園という名前は聞いた事がありませんね」
「何…だと…」
一気に疲労が全身にのしかかり、あたしは膝から崩れ落ちた。
「ですが、アカシック端末にアクセスした時に、各拠点を見る機会があったんですけど、その中のアールヴヘイムでは特殊な磁場が働いていて、亜熱帯の密林なのに気圧は高山並みの地域があったらしいですよ。植物研究といえばアールヴヘイムと言いますしもしかしたら…」
「アールヴヘイムはどこっ?!どこにあるのっ?!」
「えと…座標を送ろうにもアカシック端末が…それにアールヴヘイムは実験に失敗して焦土と化して、それが現在のムスペルスヘイムなんですよ」
言葉が出なかった。あたしの人生最大の目標である楽園はもうないというのか…
「ですがアールヴヘイムは広いのでムスペルスヘイムはアールヴヘイムの中心に位置する形で形成されています」
「つまりアールヴヘイムはドーナツ型で、楽園もそのどこかに存在していると?」
「う〜ん、磁場の発生源は中心地だったみたいですから、可能性は低いかもしれませんが、ゼロではないはずです」
あぁ人類の何と愚かなことか、伝説級の素晴らしいみかんをくだらない兵器実験なんかで水泡に帰すとは、断じて許し難い。
「はぁ…それでその実験内容は?」
「わかりません。アクセスが拒否されてしまったので」
「まぁそんな事だろうとは思ったけど」
あたしはその後も食事をしながらヒルツと話を続け、今後の予定を話した。
ヒルツはどうしても故郷に帰りたいらしい。時間はかかるだろうけど不可能ではない。あたしがかつてどうやって国を跨いで移動していたか話すと、顔を顰めて現実的ではないと言い放った。
正直ヒルツがこの後何をしようがあたしは興味がなかったし、あたしは次の作戦をゆっくり立てたかった。しかしヒルツが企むC-102のアップグレードは琴線に触れる内容であった。
「助けたんだから、新しいシラタキちゃんができたらあたしによこしなさいよ」
「開発に何千万とかかるんですよ?!恩義は感じていますけど、破産しちゃいますよ」
「君の命は金より軽いというのかね!?」
「せっかく生き残ったのに借金地獄に陥りたくないだけです!デザインならデータ共有しますから、それで許してくださいよ」
「…仕方ないわね」
翌日、あたしはヒルツを抱えて数時間飛び、島の観光地で別れた。
「ありがとうございました。くれぐれもお身体お大事に」
「ええ、あなたもね」
あたしは念の為、ノーチラスモードで暫く水中を潜航した後に、空中でフライトモードに切り替えて低空飛行で一先ず我が家を目指した。
Δを改良する設備があたしの要塞にしかないのだから仕方がない。正直、気乗りしなかった。帰るたびに虚無感溢れる過去を思い出してしまう。
陸地が見えてからはステルスモードで飛行を続け、あたしのお城に着く頃にはもうヘトヘトで、森を抜けて小屋に着くまで非常に長い距離に感じた。
小屋の扉に手をかけた時、ドアの隙間に手紙の様なものが挟まっているのに気がついた。
ドアを開けてハラリと落ちる紙切れをそのまま見送り、暫く突っ立っていた。恐らく手紙を取るために腰を落とすともう立ち上がれない。
あたしは手紙を取り敢えず小屋の中に蹴り入れて、地下の実験室を目指した。
階段を降りる一段目で踏み外し、1番下まで滑り落ちた。全身に虚脱感が襲い、眩暈がしてきた。
「うぅ…みかんちゃん、装備解除」
「ソウビカイジョ、オツカレサマデシタ」
金属鎧が剥がれ落ち、久しぶりに全身解放された私は伸びをする気力もなく、そのままマッサージチェアまで這っていった。
スイッチを入れてシールドが降りてきた瞬間に重大なミスを悟りリモコンに手を伸ばそうとしたが、時すでに遅し。あたしは一晩中ハードモードで全身ほぐされるハメになった。




